きばなの硝子瓶

呑兵衛夫婦の日々の食卓

辰巳さんの言葉

2016-06-01 | つぶやき

今夜の放送のなかで........................

まさしくその通りっ!て言葉の連続だったから
忘れないうちに、ココに記録しておく


放送は「らっきょう漬け」だった


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◆らっきょうを食べる意味はね、夏の命を凌ぎあうってこと
◆お互いに守り合う、夏の命を凌ぎあう
◆そういうところから、育ってくるものがある


◆塩水を舐めたり、らっきょうを食べたりして
 ソレとコレを頭の中で「関係づける」、それが必要なの

◆このくらいの塩加減でアレならば、3日経ったらこのくらいの味
 それを関係づけておく事が大切、その関係づけが自分の中に
 おいおい溜まっていくって事、これが大切なことなの

 これは他にも応用できること


◆こういう単調な仕事は、単調だからちょっと気がぬけるでしょ?

 でも気をぬかないで、最後まで...................
 【しなければならない事を、正確に完全にやっていく】
 っていう、その事の繰り返し、これは人間にとって必要なこと

 なぜ必要かって言うと

 【定力(じょうりき)】っていう言葉があるんだけど..............
 それはね、「しなければならない事に、自分の意思を定着させること」

 それを訓練してくれる場は少ないけど、これはこういう事を鍛えてくれます

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辰巳さんの言葉は硬く厳しいので、なんだか小難しいことを仰っているように聞こえるが
普通で真っ当なこと、当たり前のこと、ごくごく「日常的であったこと」を説いているにすぎない

それが特別に聞こえる今は、雑で粗末で安っぽい時代なんだと思う


「定力」って言葉を聞いていて、ストンと腑に落ちたことがある

それは新婚の頃に比べて、家事の1つ1つがしんどく無くなったこと
単に「慣れたのかなぁ」と思っていたけど、この定力なのかもしれない

「めんどくさい」から逃れるために、アタシは「避けずに」逆の方法をとってきた

逃げないで向かっていって中に入り込んでしまう、ってことをやってきたのだ
うまく説明できないけど、それは「定力」って考え方だったのかもしれない

子供の頃から、逃げるより「自分のもの」にしてしまったほうが
ずっとラクだし楽しいし身になる、ってどっかで知ったんだと思う

コメント (2)
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