きばなの硝子瓶

呑兵衛夫婦の日々の食卓

台風・雷雨・大地震・大停電

2018-09-08 | つぶやき
               

*☆人間もオカメも無事です大丈夫です、ご心配コメント有難うございました☆*

電気は昨日の夕方に復旧、まだ余震は続いているし、物流などが正常化するのも
いましばらくかかりそうですが、たいした被害もなく我が家は無事です


    ・・・


タイトルは、今週3日間におこった出来事を列記してみた、やれやれだ

故郷や転勤生活のなかで、震度5クラスの揺れは何度も経験してきたけれど
震源地が近かったせいか、このたびの揺れの激しさは初めて体験するものだった

経験から、揺れと同時に停電するのは「でかい」と解っていたので、すぐに
隣に置いてある鳥かご2個(箱に入って布をかけてある)を両手で強く抱きしめ
兎に角はじめは、弱っているコッチのショック死だけを心配した..............

小鳥は地震を何よりも怖がるし、コッチは心臓が弱っているから

暗闇のなか、ものすごい地震の音や揺れや、あちこちで物が落下して割れる音を聞きながら
だめかもしれないと思いつつ、安心させようと必死で声をかけていた、と思う(記憶がおぼろ)

でも、弱まるどころか更に何段階か揺れが強まったとき、自分の経験値を大きく上回ったことを悟る
とたんに猛烈に恐怖した、死ぬのはコッチだけじゃなく、自分「も」かもしれないと...............


結果的に揺れが収まってみれば、被害なんて食器が割れて停電して断水したダケだし
コッチは生きて枝豆たべてるし、あたしもおっともピンピンしてケガもしてない、問題なし


だけど、あの瞬間の「恐怖」は初めての感覚だったので、しばらく動悸がおさまらなかった
それでもここ厚別区は震度5弱だったらしい、おかしいな、そんなもんじゃなかったんだけどな

液状化で大変な清田区は隣の区、反対側の隣の江別市は震度6だったらしいし
震源地が近いというのは本当に恐ろしいもんだなって、震度じゃわかんないなって思った

ちなみにおっと実家や妹宅のある東区は震度6、それぞれテレビが倒れてぶっ壊れたようだ


停電も、まさか全道で停電してるなんて想像もできなかったから、遅くとも半日くらいで
復旧すると思っていた、東北の震災のときでも16時間くらいだったし...............

それが甘い考えだと知ってからが大慌てで、なぜならマンションは断水状態になるから

常に備蓄している飲料水の類は、余裕で1週間は暮らせるだけあるけど、生活用水はお手上げだ
ちょうど前の晩、台風が通過したせいか防災のことを考え「浴槽に水を溜めとかなきゃ」なんて
思っていたのに実行せず寝ちまった、いまさら悔やんでも仕方がないけど地団太を踏みまくる

幸いこの地域は断水してなくて、誰かが敷地内に水道を2か所みつけ(のちに大家からも指示)
おっとが1日に何往復も運び上げてくれる(階段)大奮闘、という幸運に恵まれる(感謝)

あと心配なのは冷蔵庫の中身くらい、それと何時ものことだけど興奮と余震で眠れなくなること
案の定、2晩(当日は3時間睡眠)ほとんど眠れず、余震を怖がるオカメ達を宥めるのに忙しいし

でも通電して入浴できた昨夜は「ど」爆睡、オカメ達にも1回しか声がけできんかった(すまん)


とま~こんなぐあいで本日に至る




それにしても、またしても悪夢ふたたび、という思いが拭えない

東北の震災のときは横浜だったけど、あのときの事はあまり思い出したくない
それなのに、スーパーやホームセンターやガソリンスタンドの行列を見るたび
なんだかまたあの世界に戻ってきてしまったようで、ものすごく気落ちしていく

停電中、真っ暗な街並み、暗い室内、夕焼けや夜空がいつもより美しいこと、静かなこと
どれもこれも嫌な思い出と結びつき、必要以上に気分が落ちていく.................

だけどよく考えたら

命を落とした方たちや被災してる方々に比べたら、我が家は被害なんて無かったわけだし
東北のときのように、放射能が漏れてるわけでも、水道水が汚染されてるわけでもない

物資が不足するどころか閉店してしまったのは痛いけど、停電が復旧したら徐々に戻るだろう
防災に関してもそれなりに準備していたので、慌てることもなかった................

節電や計画停電に関しても、経験があるので不安じゃないし、今は寒くも暑くもないから楽勝だ
鬱々するほうがどうかしている、贅沢にもほどがある、そう思いなおし復活する(単細胞だし)

すこし心配なのは余震の小ささだ、数は多いけれどやけに弱い
東北のときは、離れていたのに余震がもっとずっと大きかった

やだな~また大きく揺れたら、怖い



それにしても、道民は「灯り」をあまり持っていないことに驚く



うちは居間や食卓、台所、洗面所、トイレの各部屋を照らすぶんは用意してあった(電池も)






暗いなか、周辺のマンションや民家、ベランダから身をのりだして他の部屋を覗いてみたけど
煌々と明るいのは我が家くらいだった、びっくり、みんな良くてボンヤリ薄明かりがある程度

真っ暗な窓もいっぱいあった、まさかみんな留守ではあるまいに
あとスマホの光が動いてるくらいで、本当に真っ暗で驚いた

関東と北海道で、こんなに防災意識が違っていたなんてちょっとショックだったけど
そういう自分だって、関東を離れたとたん、忘れたわけじゃないけど防災意識は薄れた

非常用のリュックも携帯ラジオも、段ボールに詰めたまんま押入れの奥だったし
今までの癖で、飲料水やガスや生活用品など「買いだめ」はしてあったものの(おっと担当)
食料品(きばな担当)に関しては、関東にいたころより甘かった、レトルトも缶詰も少なかった(猛省)

よもや越して数か月で、こんな大地震にあうとは思ってもみなかったしな
よく「忘れたころに」とは言うけれど、あたしの場合は「甘くみたころに」だった



今回のことでまた色々と勉強になった(まだするだろうが)

新たに買いそろえたい物もあるし、水をはじめ備蓄品に対しても考え直そうと思う
まだ終わったわけじゃないから、気を緩めず暮らしていこうと思う...........

幸運を噛みしめ感謝しながら



おまけ.................

・・・引っ越し直後の台所・・・


これが上のようなことになるとは..........



コメント (6)
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