さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
いたずらもよくしたなあ。
捕まえてきた虫を、穴を掘って入れて、持ってきていたお茶を飲むのを我慢して、その穴の中に流し込んだりして遊んだ。
いま思うと、かわいそうなことをしていたことだ。
わたしだけでなく、子供はあんがい残酷なもんだなあ。
さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
いたずらもよくしたなあ。
捕まえてきた虫を、穴を掘って入れて、持ってきていたお茶を飲むのを我慢して、その穴の中に流し込んだりして遊んだ。
いま思うと、かわいそうなことをしていたことだ。
わたしだけでなく、子供はあんがい残酷なもんだなあ。
さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
悪い人っているもんだなあ。
そう、よく行っていた瓜小屋で、一人で番をしていたときのこと。
ちょうどスイカの収穫の頃で、てて親は 採れたものを町まで売りに行っていた。
暑い昼下がりのことで、わたしは小屋に寝ころんでいたが、見知らぬ小父さんが、「スイカをもらいに来たよ」と親しげに話し掛けてきたのよ。
わたしが、てて親が出掛けているので分からないと言うと、
「お父さんには話しているので、一つもらって行くよ」
と言って、町にある料亭の名前を言いました。
そこは、これまでにも てて親がウリやスイカを売りに行っていた所なので、わたしは安心して畑を見てもらいました。
小父さんは、てて親がわざわざ残していた一番大きなスイカを取ると、持ってきていた風呂敷に包んで、「お金は、店の帳場に取りに来るように言っていたと、お父さんに伝えてくれ」と言って、にこにこしながら帰って行った。
てて親が帰って来たのでそのことを伝えると、不思議そうに首を振りながらその料亭へ出掛けて行ったけれど、「うちが、畑までスイカをもらいに行くことなんかない」という返事だったそうです。
子供が一人で番をしていると思って、あの小父さんは気の良さそうな顔をして、まだ小さなわたしをだまして盗んでいったのよ。
あの時のくやしさは、今でも忘れられないなあ。
さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
子供の頃には 天気予報なんてなかったよ。
テレビはもちろん家にはラジオもなかった。新聞はあったが、さて、毎日配達なんかされていなかったんじゃないかな。
それでも てて親はお天気を当てるのが うまかったよ。
「ほら、西山さんにあんなに黒い雲がかかったから、こりゃあ、ひどい雨がやってくるぞ」と、てて親が言うと、ものの三十分も経たないうちに、土砂降りになったもんだよ。
まあ、三日も四日も先のことは分からなかったんだろうが、翌日のお天気なんかは、雨だけでなく 風の強さや暑さ寒さなども、よく当てていたよ。
わたしが、どうして分かるんか、と尋ねると、雲の様子と風の匂いに気を配っていたら、大概お天気なんか分かるもんだよ、と言っていた。
特に 西山さんの様子は、この辺りの天候を知るのに一番大切なんだ、とも言っていたなあ。
さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
実家あたりでの生活用水は、井戸水か山からの水だった。
わたしの家には井戸があったので、主にその水を使っていたが、井戸のない家も少なくなかった。
その人たちは、山から引いている水場から 水を汲んできていた。
西山さんに連なる山の裾野からは、湧水がたくさんあり、そこから竹や木で作った樋で引いてきて、あちこちに水場が作られていた。
さあ、一か所で 十世帯位は使っていたのと違うかな。
わたしの家は どの水場とも離れていたのであまり利用しなかったが、そのまま飲む場合には、井戸水より 遥かにおいしかった。
家の井戸水は まずいなあ、とずっと思っていたけれど、大阪に出てきてからは、「ああ 田舎の井戸水は おいしかったなあ」と、よく思ったもんだよ。
さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
瓜小屋で一人の時は退屈するので、よくいたずらしたなあ。
スイカのあまり大きなものでなく、てて親が覚えていないようなのをちぎって、中を半分ほどくりぬいて、きりぎりすを二、三匹入れてふたをするんよ。
それを、てて親に見つからないように、よその畑の中に隠しておいて、次の日には、きっと きりぎりすは大きくなっているはずだと思って取りに行くと、皮を食い破ってみんな逃げてしまっていた。
まあ、きりぎりすも必死だったんだろうねぇ。
さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
てて親や はは親について畑へよく行ったが、たいして手伝うことなどなかったなあ。
まだ小さかったから、クワなど使えないし、水くみなどとても無理だった。
まあ、よくした畑の手伝いといえば 野菜の虫とりだった。
青虫や毛虫を取るんだから、そりゃあ気持ち悪いよ。瓶に泥を入れて、竹箸で虫を掴んではその中に入れるんだ。
両親が近くの持ち山に薪を取りに行ったりすると、わたしは 一人で広い畑の虫とりを任されるんだが、それ、こんな仕事はすぐ嫌になってしまう。それで、飽きてくると、畑の隅で 持ってきていた人形を使って一人でままごと遊びのようなものをしたもんだよ。
うちの山からは畑全体がよく見えるんで、わたしが人形で遊び始めると、畑の一角で動かなくなるのが両親に丸分かりなんだよね。
はは親は、「畑のあの辺りには虫がたくさんいたらしく、咲は全然動いていなかったなあ」 と、笑うんよ。
「ああ、あの辺りは虫が固まって ぎょうさんいたわ」と、わたしがこたえると、「そうか、そうか、そんなにたくさんいたのか」 と、てて親も はは親も大笑いしていた。
わたしは、うまくだませたと思っていたんだけれど、そんなことはないわなあ。
さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
てて親と瓜小屋へ行くのは楽しかった。
家の所帯は兄に譲っていたが、瓜小屋のある一画の畑は てて親が管理していた。ここで作る ウリやスイカやナスなどを一部売って得るものだけが、てて親の小遣いだった。
中でもスイカは一番お金になると言っていたが、ある時、大雨が続き畑全体が水に浸かってしまったことがあった。
ちょうどスイカが収穫する時期になっていて、それが大雨にプカリプカリと浮かび上がり、やがて一列になって畑の向こうへ流れ出ていった。
わたしは それがとてもおかしくて、大雨の怖さも忘れて、手を叩いて大喜びしていたよ。
でも、折角のスイカが台無しになり、てて親は辛かっただろうねぇ。
さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
小さい時から 家の手伝いはいろいろやらされたよ。
兄嫁さんには よくもそんなに次々と用事を見つけ出せるなあ と思うほど用事を言いつけられた。
もっとも、わたしも ずるをしたり 逃げ出したりして、あまり役には立っていなかったとも思うけれどね。
朝は ご飯が終わると、学校に荷物を置いて来て、そら 家は運動場に ひっついているんだから すぐでしょ。それから 二番目の鐘が鳴るまで 手伝いをしていた。
ああ、いろいろなことをしたが、たいていは野菜の整理だったけれど、ネギの皮をむくことが多かった。里では 白ネギなんか作らないから、いつも大きな青ネギの 白根の部分の土の付いている一番外側の皮をむき、青い部分でも枯れているようなものを取り除くのよ。
そう、いま思いだしてみると、いつもいつも ネギの皮をむいていたように思うなあ。どうして あんなにたくさんネギを作っていたのかなあ。
さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
子供の頃 里では 猫は大切にされていた。
おカイコなどもいて、ネズミ対策が大切だったから、ね。どこかで子供が生まれるという話が伝わると、あちらこちらから貰い手があり、生まれる前に貰われていく先が決まっていたよ。
何匹生まれてくるか分からないのにねぇ。
兄が、山の方の知り合いから、大きくなった猫を貰ってきて、逃げ出さないようにして紐にくくって家の中で飼っていたのよ。みんなで可愛がり、交替でご飯の残りに汁をかけて食べさせたりして、結構なついていた。
わたしにも、ゴロニャン、ゴロニャンとなついてきて、可愛い猫だった。
かなり日が経って、もう大丈夫だろうと、兄が猫の紐を解いてやると、しばらくキョロキョロとあたりを見回し、部屋の隅を嗅いだりしていたが、突然玄関戸の隙間から表に飛び出し、結局それっきり帰って来なかった。
一、二日は近くを探したりもしたが、きっと山の方の家に帰ってしまったんだろう、ということになってしまった。
大きくなった猫は、新しい飼い主には、なかなか慣れないようだなあ。
さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
そりゃあ 子供の頃は いっつも着物だったよ。服なんて、戦争が始まるまで着た覚えがないなあ。
小学校の頃は、下着はお腰だけで いま思うと 冬でも寒い恰好をしていた。
ああ、寒い寒いとは言っていたけれど、そんなものだと思っていたから 別に辛いなどとは思わなかったな。
履き物は下駄。それも てて親が手作りしたもので 今ならとても履けるようなものではなかった。
お祭りやお正月には、買ってきた下駄を履かせてくれたが、そりゃあ うれしかった。
運動会でも着物だよ。まあ下駄では走らなかったわね。運動会の時は草履か裸足。裸足の子が結構多かったように思う。
着物に裸足でかけっこするの おかしいかい。そうかなあ。でも みんながそうだから、別におかしくもなんともないよ。