衆議院選挙は、本日告示となり、27日の投開票にむけての選挙戦がスタートしました。
もっとも、テレビでは何度も党首会談とか記者会見といった名前のもとに、党首を中心に、テレビでの露出が何倍も増えています。
また、当地においても、明らかに選挙カーといえる車が、候補予定者の名前を堂々と伝えていますし、ポストにはチラシが投入されています。
確かに、衆議院選挙での投票を勧誘していないから合法ということなのでしょうが、テレビ出演も街頭演説もチラシも、衆議院選挙を意識しているからこそ行われているのであって、明らかな事前運動だと思うのです。もちろん、厳格な法が定められていて、これらの行為は法的に問題ないのでしょうが、事前運動として選挙違反に問われるのは、よほど悪質な物なのでしょうね。
それにしても、今回の選挙、「金権政治」「裏金議員」「政治と金」といった言葉が、あまりにも多すぎて、食傷気味です。
自民党内で長年に渡って起きていた、パーティー券にまつわる不適切な処理は、厳しく糾弾されなくてはならないし、例えほとんどが不起訴になったとしても、該当者全員が脱税事件として調査されるべきだと思うのですが、この件に限らず、国会議員や首長などにまつわる事件そのものが、特権により守られすぎではないかと、部外者の一人としては感じています。
しかし、国政選挙の最大のテーマが、「金にまつわる問題」かのように見えるのは、実に情けないことです。国政を担う国民の代表を選ぶ選挙なのですから、外交・内政共に語るべき多くの課題があるように思うのですが、それらは、ついでに述べられているように見えてしまいます。
こんな名文句があるそうです。
曰く、「それにつけても 金の欲しさよ」という文句です。
この文句は、狂歌はもちろん、名高い俳句や短歌の後ろに、この文句を付けると、本来の意味を大きく変え、しかも、えも言われぬ味が出るそうです。
もちろん、個人で和歌(短歌)を詠む場合も、上の句さえ少々頭をひねれば、下の句に「それにつけても 金の欲しさよ」と付けさえすれば、多くの庶民の共感を呼ぶ名作になるようですよ。
そういえば、かつて、和歌の世界で、「秋の夕暮れ」という語を使ってはならない、という時代があったそうです。限られた流派だけのことかもしれませんが、かなり厳しく禁じられたようです。
「秋の夕暮れ」が詠みこまれている和歌は、著名なものだけでも数多く伝えられていますし、多くの人が使うだけの魅力のある美しい言葉だと思うのですが、何故それを禁じたのかといいますと、ごく平凡な内容の和歌であっても、「秋の夕暮れ」で結びさえすれば、それなりの風格が出てしまう「魔法の句」なので、歌人として修行する上で障害になるという意味もあったようです。
「それにつけても 金の欲しさよ」も、「秋の夕暮れ」も、もしかすると「金権政治云々」といった言葉も、確かに「魔法の句」のような力を持っているのかもしれませんが、多用しますと、自らの成長も、やはり、もしかすると、品格さえ低下させるかもしれませんよ。
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