雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

雲となりけん

2021-07-07 07:55:46 | 新古今和歌集を楽しむ

     あはれ君 いかなる野べの 煙にて
             むなしき空の 雲となりけん

              作者  弁乳母

( NO.821  巻第八 哀傷歌 )
       あはれきみ いかなるのべの けぶりにて
                 むなしきそらの くもとなりけん


☆ 作者は、三条天皇の皇女禎子内親王の乳母として知られる、宮廷女房、歌人である。生没年は未詳。

☆ 歌意は、「 ああ わが君は どのような野辺の 火葬の煙として 虚空の 雲になられたのでしょうか 」と、亡き天皇(後朱雀天皇)を悼んだものである。

☆ 作者の生没年は未詳であるが、皇女禎子に仕えていたこと、結婚した相手が公卿であること、歌合の記録が残されていることなどから、大まかな生没年を推定するのは簡単だが、筆者程度で入手できる記録を精査してみると難しい部分も浮上してくる。

☆ 作者 弁乳母(ベンノウバ)の本名は藤原明子。父は加賀守藤原順時であり、母は肥後守紀教経の娘である。いずれも受領クラスの家系であり、中級貴族の出自といえよう。なお、紫式部の娘である大弐三位も弁乳母と呼ばれることがあるが別人である。
作者の誕生年は未詳であるが、確実とされている記録もある。
① 1013
年に禎子内親王の乳母として出仕したこと。
② 年度は未詳であるが、参議藤原兼経と結婚している。子息の顕綱 ( 1029 - 1103 ) の誕生年を考えると、室となったのは 1029 年前後と推定できる。
③ 1078 年に、内裏歌合に出詠したことが確認されていて、これが作者の動静が残されている最後のものとされる。

☆ 上記の三点を基に作者の生涯を探ろうというのは、いかにも無理があるが、それでもかなりの推定が出来る。
なかでも、①にある「禎子内親王の乳母として出仕」したことが、多くの疑問を与えてくれる。
父の順時は、藤原北家とはいえ傍流であり受領クラスの貴族であるが、その娘が内親王の乳母に採用されたことを考えると、意外と皇室に近いあたりで活動している家柄だったのかもしれないと想像してしまうのである。もちろん、作者の学識と容姿なども優れていたのであろうが。
そして、作者が乳母として出仕したとき何歳だったのか、ということが大きな疑問として浮上してくるのである。
ふつう、この時代の「乳母」といえば、高貴な方の乳児に母乳を与えるために仕える女性のことであって、当然いくつかの条件がある。母乳が出る健康な女性であること、信頼に足る家柄の女性であること、さらには容姿や教養も条件とされたはずである。特に、皇女の乳母ともなれば、その条件は並大抵のものではあるまい。ただ、「母乳が出る」為には、出産間もない頃であることが必要になってくる。そのためには、この時作者は出産間もないことになり、従って、少なくみても十五歳位になっていることになる。
そうだとすれば、③の時点では、八十歳を過ぎていたことになる。弁乳母の行年を、八十過ぎとしている説もあるようなので、この論議も成立するかもしれない。
もう一つの考え方は、「乳母」には、母乳を与える役ではなく、養育にのみあたる女性もいたらしいので、もしかすると、作者はそちらだったのかもしれない。ただ、そうすれば、人柄や教養をより強く求められることになり、十五歳やそこらでは無理な気がする。

☆ 作者が、参議藤原兼経の室となり顕綱を儲けたのは 1029 年のことである。兼経の父は、大納言道綱の三男であるが、道長が養父になっている。
三条天皇の内親王禎子は、1027 年に皇太子敦良親王(後の後朱雀天皇)に入内した。禎子誕生の頃は、父の三条天皇と祖父にあたる権力者藤原道長との仲はしっくりしていなかったが、その後、禎子は道長に可愛がられたようで、皇太子に入内できたのも道長の支援があったからである。
この年度を考えると、もしかすると作者はこの頃に禎子内親王のもとを辞したのかもしれない。そして、兼経の室となったのも、道長の意向が働いていたかもしれない。

☆ 作者 藤原明子は、中級貴族の姫として誕生したが、その生涯は天皇家に近いあたりが生活の場であり、禎子内親王(後の後朱雀天皇后皇后、陽明門院)や道長の庇護も受けて、存分にその才能を開花させた生涯であったのではないだろうか。歌人としては、家集もあり、勅撰和歌集には29首が採録されている。
夫となった兼経との結婚生活は十五年ほどで先立たれているが、二人の間の子である顕綱の子孫は、後に九条家につながり、その血統は今上天皇にまでつながっているのである。
心豊かな生涯を送った女性であったように思われるのである。

     ☆   ☆   ☆



 


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