雅工房 作品集

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道命阿闍梨伝 ・ 今昔物語 ( 12 - 36 )

2017-10-06 09:26:19 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          道命阿闍梨 伝・ 今昔物語 ( 12 - 36 )

今は昔、
道命阿闍梨(ドウミョウアジャリ・なお、阿闍梨については、時代などにより、指導僧や官職の一つとされるが、のちには各宗派で勝手に称号を用いた。従って、一般的には「高僧」という感覚でよいと思われる。)という人がいた。
この人は、下賤の家柄の者ではない。傅(フ・東宮の補導役。多くは大臣が兼ねた。)の大納言道綱と申す方の子である。そして、天台座主慈恵(ジエ)大僧正の弟子であった。
幼くして比叡山に上り、仏の道を修業し、法華経を信奉して身から離すことがなかった。初め、心を専一にして、他念を交えることなく法華経を読誦したが、一年に一巻を誦し(暗誦の意味か?)八年で一部を誦し終わった。とりわけ、その声は微妙(ミミョウ・たとえようもなく美しいさま。)にして聞く人は誰もみな頭を下げて尊んだ。

ある時、阿闍梨は法輪寺に籠って、礼堂(ライドウ・礼拝堂。金堂の前にあって、本尊仏を礼拝するための堂。)に居て法華経を誦していたが、たまたま一人の老僧もこの寺に籠っていた。
この老僧が御堂において、「堂の庭に、身分のある気高く立派な人々が隙間がないほど集まっていて、みな合掌して堂に向かって座っておられる。老僧は不思議に思って、恐れ恐れ近寄って、一人の従者に『ここにおいでなのは、どなたでしょうか』と尋ねると、『これは、金峰山(ミタケ)の蔵王、熊野の権現、住吉の大明神、松尾の大明神などが[ 欠字あり。「法華経」といったような語か?]聞くために、このところ、毎夜、このように来ておられるのです』と答えた」という夢を見た。そこで目が覚めて、[ 欠字あり。「見れば」か?]道命阿闍梨が礼堂におって、声朗々と法華経の六の巻を誦していたのである。
老僧は、「すると、この経を聴聞するために、多くのやんごとなき神たちは来ておられたのだ」と思うと、限りなくなく尊く思われ、立ち上がって涙を流しながら礼拝し、神々が聴聞していた堂の庭のことを思うと恐ろしくなり、立ち去ってしまった。

そして又、一人の女がこの堂に籠っていた。強い物の怪に取りつかれて籠っていたのである。何ヶ月も苦しんでいたが、どうすることも出来なかった。
ところが、この病んでいる女は、この阿闍梨が誦経しているのを聞いているうちに、たちまち悪霊が現れて、「我はお前の夫だ。強いてお前を苦しめようと思うことはないのだが、我が身の苦しみが堪え難かったので、やむを得ずお前に取りついて苦しめることになったのだ。我は生前、諸々の悪事を行い、生き物を殺したり、仏の物を盗んだりした。塵ほどの善根も作っていない。そのため、地獄に堕ちて、苦しむこと絶える間がない。だが、今、この道命阿闍梨が法華経を読むのを聞いて、地獄の苦しみを免れ、たちまちに軽い苦を受けることになった。いわゆる蛇身に生まれ変わったのだ。(蛇道は地獄より罪が少し軽い者が転生する苦界、とされる。)もし、また彼の経を聞けば、きっと蛇の身を棄てて、善所(ゼンショ・・転生する六道のうちの天上・人間の二道。)に生まれることが出来るだろう。お前は、速やかに我をあの阿闍梨の所に連れて行って、経を聞かせてくれ」と言う。
女はこれを聞いて、阿闍梨の住んでいる所を聞いて、そこに参って経を聞かせてやろうとした。
阿闍梨はこれを聞いて、熱心に、この霊蛇のために法華経を誦すると、再び霊があられて、「我は再びこの経を聞くことが出来たので、蛇身を免れて、天上に生まれることが出来た」と言った。
その後は、この女は全く病むこともなく、長寿を保った。

また、道命阿闍梨が書写山の性空聖人(ショウグウショウニン)に結縁(ケチエン・仏縁を結ぶこと)するために、その山に行き聖人に会い、後の世の契りを結び、夜は近くの僧房に行って休息した。
亥時(イノトキ・午後十時頃)頃になって、阿闍梨は法華経を誦した。すると、僧房の軒の方で、経を誦し始めてから終わるまで、人の忍び泣きする気配があった。時々、手を押しする念珠の音も聞こえる。
「いったい誰がこのように泣いているのだろう」と思って、経を誦し終わって、そっと遣戸(ヤリド・引き戸)を細目に開けて覗いてみると、性空聖人が阿闍梨が経を誦するのを聞いて、尊び、僧房の軒の下にかがんで、泣きながら聞いていたのである。
それを見た阿闍梨は[ 欠字あり。「すぐさま」といった語か? ]板敷より転がり下りて、聖人の前に畏まった。
この阿闍梨の読経の声は、つやと張りがあり、[ 欠字あり。不詳。]あり、その尊さは並ぶものがなかった。

それは、読経だけでなく、話術も機知に富んでいて、人々を惹きつけ面白かった。
中宮(人物特定できず。)の許に阿闍梨が参上した時、お側の女房が「引経(ヒキキョウ・声を長く引いて、ゆるやかに誦する経)では、どういう所が尊いのでしょうか」と尋ねた。阿闍梨は、「琵琶、鐃(ニョウ・法会の打楽器で、小さな鉦の類。)、銅鈸(ドウバチ・法会の打楽器で、銅製の二枚の円板を打ち合わせる。)といったところが引くには尊いのです」と答えると、女房は大笑いした。
(この部分なかなか分りにくいのですが、「『引く』と『弾く』を掛けていて、演奏の琵琶と、法会の打楽器を並べた洒落」ということのようです。)

また、陸奥守源頼清朝臣という人が、左近大夫(サコンノダイブ・左近衛の三等官。五位。)でとても不遇であった時、この阿闍梨は父の傅の大納言の関係で親しくしていて、その関係で頼清は常日頃阿闍梨の僧房に出入りしていた。
そうした時、その僧坊で頼清が粥を食べたとがあったが、粥が汁ばかりだったので、「この御房では、粥というのは汁だったのですなあ」と言うと、阿闍梨は、「道命の房では粥は汁ですよ。あなたの御家では、飯が固いでしょうなあ」と言ったので、その場にいた人たちは、顎をはずして大笑いした。
このような、罪のない冗談ばかり言っていた。

さて、この阿闍梨が亡くなった後、生前特に親しくしていた人が、「阿闍梨はどういう所に生まれ変わったのか」と思っていると、その人が夢を見たが、「ある大きな池のほとりに来ると、蓮が今を盛りに咲いていて池に満ち溢れていた。池の中に経を読んでいる声が聞こえる。よく聞けば、故道命阿闍梨の声であった。そこで、不思議に思い、車から降りて池の中を見ると、あの阿闍梨が手に経を握って、口では経を誦して、船に乗ってやって来た。その声は生きていた時の十倍の大きさである。阿闍梨は、『私は生前、三業(サンゴウ・・身・口・意から生ずる罪障。業のすべて)を整えず、五戒を保たず、好き勝手に罪を作った。中でも、天王寺の別当であった間、自然に寺の物を盗用していた。その罪により浄土に生まれることが出来なかったが、法華経を読み奉ったその功徳によって、三悪道(地獄・餓鬼・畜生の三道。)に堕ちずに、この池に住み法華経を読み奉っています。全く苦しみはない。これから二、三年この池で過ごした後は、兜率天(トソツテン・人界より上で、欲界の天。内院は弥勒の浄土で、外院は眷属の天人が住んでいる。)に生まれるはずです。昔、親しくしていただいたことが忘れられず、今やって来て告げるのです』と言った」というものであった。

夢覚めた後、大変感動を覚え、この事を人に語ったのを伝え聞いて、
語り伝へたるとや。

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