聖人の生き様 ・ 今昔物語 ( 13 - 5 )
今は昔、
摂津国に慶日(キョウニチ・出自等不詳)という僧がいた。幼くして比叡山に登って出家し、顕教・密教の法文を学びいずれも十分習得し、外典(ゲデン・内典に対する語で、仏教経典以外の典籍。主に道教、儒教の書籍を指す。)についても精通していた。
ところが、いつしか道心が強く起こり、すぐさま本山(モトヤマ・比叡山を指す)去り生国に戻って、菟原(ウバラ・芦屋市付近?)という所に籠居して、方丈(ホウジョウ・一丈四方。約3m四方。)の庵室を造って、その中で日夜に法華経を読誦し、三時(早朝・日中・日没の三回)には懺法(センポウ・六根の罪過を懺悔する修法)を修行し、その合間には天台の止観(シカン・摩訶止観の略。法華経注釈書の一つ。)を学んでいた。
庵の内には、経典以外の物はなく、三衣(サンエ・僧の個人所有が許された三種の袈裟)よりほかに着る物はない。また、庵の辺りに女人が来ることがなかった。まして女人と会って話をすることなどあるはずがなかった。もし、食物を与え衣服を進呈しようとする人があると、貧しい人を捜し出してそれを与え、自分のために用いようとはしなかった。
ところで、この聖人(慶日)のいる所には、時々不思議なことがあった。雨が降ってとても暗い夜、聖人が庵を出て厠へ行こうとすると、庵の中には誰もいないはずなのに、聖人の前には灯を持った人がおり、後ろには笠を差しかける人がいる。これを見た人が誰なのかと思って近寄って見ると、灯もなく笠もない。聖人にはお供はなく、一人で歩いている。
ある時には、美しく飾り付けた馬に乗った長老の上達部(カンダチメ・三位以上の公卿と四位の参議の総称。)と思われる人が聖人の庵にやって来た。いったいどなただろうと行ってみると、馬もなく人もいない。きっとこれは、天界の諸天や冥界の神仏などが、聖人守護のために来られたのか、と人々は疑うのであった。
やがて、聖人は最期に臨んで、身に病なく、ただ一人庵の内で西に向かって声高く法華経を読誦した。その後で、定印を結んで定(ジョウ・禅定。一切の雑念を払い、瞑想して悟りの境地に入ること)に入るが如くに命が絶えた。
しかし、近所の人々は聖人が死んだことを知らず、ただ、庵の中で百千人の声がしていて、聖人を慕い悲しんで泣き合っている声がしていた。近隣の人たちはこれを聞いて驚き怪しんで、庵に行ってみると、人ひとりいなかった。ただ、聖人が、定印を結んだままで死んでいた。庵の内には、かぐわしい香りが満ちていた。
そこで、聖人がいつになく高い声で法華経を読誦しているのに合わせて、庵の内で多くの人の泣き悲しむ声が聞こえていたのは、護法童子たちが聖人の死を惜しんで悲しみ泣いていたのかと、人々は疑ったのである。
聖人が亡くなった時には、空には音楽が聞こえていた。
されば、聖人は疑いなく極楽に往生した人である、
とぞ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
今は昔、
摂津国に慶日(キョウニチ・出自等不詳)という僧がいた。幼くして比叡山に登って出家し、顕教・密教の法文を学びいずれも十分習得し、外典(ゲデン・内典に対する語で、仏教経典以外の典籍。主に道教、儒教の書籍を指す。)についても精通していた。
ところが、いつしか道心が強く起こり、すぐさま本山(モトヤマ・比叡山を指す)去り生国に戻って、菟原(ウバラ・芦屋市付近?)という所に籠居して、方丈(ホウジョウ・一丈四方。約3m四方。)の庵室を造って、その中で日夜に法華経を読誦し、三時(早朝・日中・日没の三回)には懺法(センポウ・六根の罪過を懺悔する修法)を修行し、その合間には天台の止観(シカン・摩訶止観の略。法華経注釈書の一つ。)を学んでいた。
庵の内には、経典以外の物はなく、三衣(サンエ・僧の個人所有が許された三種の袈裟)よりほかに着る物はない。また、庵の辺りに女人が来ることがなかった。まして女人と会って話をすることなどあるはずがなかった。もし、食物を与え衣服を進呈しようとする人があると、貧しい人を捜し出してそれを与え、自分のために用いようとはしなかった。
ところで、この聖人(慶日)のいる所には、時々不思議なことがあった。雨が降ってとても暗い夜、聖人が庵を出て厠へ行こうとすると、庵の中には誰もいないはずなのに、聖人の前には灯を持った人がおり、後ろには笠を差しかける人がいる。これを見た人が誰なのかと思って近寄って見ると、灯もなく笠もない。聖人にはお供はなく、一人で歩いている。
ある時には、美しく飾り付けた馬に乗った長老の上達部(カンダチメ・三位以上の公卿と四位の参議の総称。)と思われる人が聖人の庵にやって来た。いったいどなただろうと行ってみると、馬もなく人もいない。きっとこれは、天界の諸天や冥界の神仏などが、聖人守護のために来られたのか、と人々は疑うのであった。
やがて、聖人は最期に臨んで、身に病なく、ただ一人庵の内で西に向かって声高く法華経を読誦した。その後で、定印を結んで定(ジョウ・禅定。一切の雑念を払い、瞑想して悟りの境地に入ること)に入るが如くに命が絶えた。
しかし、近所の人々は聖人が死んだことを知らず、ただ、庵の中で百千人の声がしていて、聖人を慕い悲しんで泣き合っている声がしていた。近隣の人たちはこれを聞いて驚き怪しんで、庵に行ってみると、人ひとりいなかった。ただ、聖人が、定印を結んだままで死んでいた。庵の内には、かぐわしい香りが満ちていた。
そこで、聖人がいつになく高い声で法華経を読誦しているのに合わせて、庵の内で多くの人の泣き悲しむ声が聞こえていたのは、護法童子たちが聖人の死を惜しんで悲しみ泣いていたのかと、人々は疑ったのである。
聖人が亡くなった時には、空には音楽が聞こえていた。
されば、聖人は疑いなく極楽に往生した人である、
とぞ語り伝へたるとや。
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