初夏を思わせる暑い日となった下三橋遺跡第三次発掘現地説明会。
広大な土地でセッカが空高く舞い上がり、オオヨシキリが賑やかに囁いている。
説明開始時刻の10時前に行ったら既に第一班がスタートしていた。
朝早くから大勢来られたので始められたそうです。
平成17年9月の第二次発掘現説のときは羅城(らじょう)跡が発掘されたことから1400人の古代史ファンが集まったが今回はおよそ800人。
やはり「羅城」の響きや門柱跡痕跡に目がいくのでしょう。
しかし、今回の発掘は歴史教科書の改訂が求められるほどの大きなエポックメーキングなんですけどね。
なにがというと、100年前からの従来説によると平城京は九条大路までだったと。
ところが今回の発掘で十条まで大路があったとほぼ確定された点です。
近年の発掘で藤原京でも十条までだったと認識されてきている。
いわゆる「大藤原京」説だ。
藤原京から北へ真っ直ぐ下つ道を辿っていくと平城京に到達する。
平城京が最終的に九条までとした理由は定かでないが十条大路まで造営されたことには間違いない。
今回、十一条推定地も調査されたが大路痕跡は認められなかったということで、当初設計では十条であった可能性が高い。
登載画像は十条条間北小路。
後世の耕作で大半が削られて消滅しているが、これは建設当時では微高地であったことを物語っている。
(H19. 6.16 Kiss Digtal N撮影)