マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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続、下三橋遺跡第三次発掘現説

2007年07月06日 09時10分13秒 | 民俗あれこれ
江戸時代に建設されたたこだ池堤。

建設時にお地蔵さんが出没したといわれそこに書かれたあった年代で判明したそうです。

この池の底には十条大路が東西に続いているのだろうが今では発掘できない。

(H19. 6.16 Kiss Digtal N撮影)

続、下三橋遺跡第三次発掘現説

2007年07月06日 09時07分33秒 | 民俗あれこれ
十条大路にたどり着いたら第一班が終わった直後。

なんや遅いやないかと観光ボランティアガイドさんらにいわれてしまった。

私もそうだが観光案内するときには現地を見ることが大切なんだよなーとおっしゃる。

初めて検出された十条大路で従来、京の南端とされていた九条定説が覆された。

出土場所は九条大路の南約530m先のたこだ池堤東側。

九条、十条間は平城京遷都後の20年間に廃絶されたものとみられている。

(H19. 6.16 Kiss Digtal N撮影)


続、下三橋遺跡第三次発掘現説

2007年07月06日 09時02分33秒 | 民俗あれこれ
発掘遺構では粘土採掘穴や人為的に粘土で埋められた大きな穴ぼこ、それに密集土杭が30基も見つかっている。

いくつかの土杭では多数の土器が出土されたが祭祀道具に用いられたものかどうかは今後の調査に期待される。

(H19. 6.16 Kiss Digtal N撮影)

下三橋遺跡第三次発掘現説

2007年07月06日 08時59分52秒 | 民俗あれこれ
初夏を思わせる暑い日となった下三橋遺跡第三次発掘現地説明会。

広大な土地でセッカが空高く舞い上がり、オオヨシキリが賑やかに囁いている。

説明開始時刻の10時前に行ったら既に第一班がスタートしていた。

朝早くから大勢来られたので始められたそうです。

平成17年9月の第二次発掘現説のときは羅城(らじょう)跡が発掘されたことから1400人の古代史ファンが集まったが今回はおよそ800人。

やはり「羅城」の響きや門柱跡痕跡に目がいくのでしょう。

しかし、今回の発掘は歴史教科書の改訂が求められるほどの大きなエポックメーキングなんですけどね。

なにがというと、100年前からの従来説によると平城京は九条大路までだったと。

ところが今回の発掘で十条まで大路があったとほぼ確定された点です。

近年の発掘で藤原京でも十条までだったと認識されてきている。

いわゆる「大藤原京」説だ。

藤原京から北へ真っ直ぐ下つ道を辿っていくと平城京に到達する。

平城京が最終的に九条までとした理由は定かでないが十条大路まで造営されたことには間違いない。

今回、十一条推定地も調査されたが大路痕跡は認められなかったということで、当初設計では十条であった可能性が高い。

登載画像は十条条間北小路。

後世の耕作で大半が削られて消滅しているが、これは建設当時では微高地であったことを物語っている。

(H19. 6.16 Kiss Digtal N撮影)