マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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続、理科フィールドin滝坂の道

2007年07月24日 10時02分57秒 | 自然観察会
巣立ち後の巣穴。

さてなんの野鳥の巣穴でしょうか。

すろと、サンコウチョウの声がする。

再びバードコールの出番だ。

そのあと、オオルリの♀が盛んに鳴いている。

じーっと観察していてもその場から動かない。

相当警戒しているようだ。

たぶん巣穴が近くにあるのだろう。

(H19. 6.30 Kiss Digtal N撮影)


続、理科フィールドin滝坂の道

2007年07月24日 09時58分53秒 | 自然観察会
帰り道は迂回路の周遊道路。

距離は長いので時間がかかるが歩きやすいのでこのコースを選択する。

亜炭層や軽石の層を教えていただく。

知らないで歩いていたら気がつかないでしょうね。

亜炭は炭になりきれなかった(炭化程度が低い)というが炭同様に燃えやすい燃料。

(H19. 6.30 Kiss Digtal N撮影)

続、理科フィールドin滝坂の道

2007年07月24日 09時54分18秒 | 自然観察会
ここで解散となって弁当を広げた家族や、再び滝坂の道を下り戻っていく家族たち。

私たちも食事にしましょうと腰を下ろす。

すると、うめちゃんが声をあげた。

マネジャーのズボンが血に染まっているでと。

そうなんやさっきからなんやらヌルヌルした感じがしてたんや。

捲り上げるとそこは血だらけ。

ヤマビルに吸われてしまった。

注意していたが最後にやられてしまった。

M先生は腰が血だらけになっていた。

数人の子どもらも被害を受けたという。

滝坂の道はクルマが発達する前は徒歩で武士や商人が柳生まで歩いていた。

その時代は長靴などはないので草鞋でしょうし、ズボンもない時代。

昔の人はヤマビル対策をどうしてたんでしょうね。

江戸時代までは遡らなくとも昭和はじめまで食料や日用品などの流通のために徒歩で行き来しいて道。

ヤマビルの最盛期は5月ころから10月まででしょうか。

多い時期は迂回路を行ったのでしょうか。

それともこの時期は避けていたのか。

虫除けスプレーのない時代だし、いろいろ考えてみると生活文化の視点から当時のヤマビル対策を知る(民俗研究になっちゃうかな)と、自然観察から離れますが観察対策として参考になるのではと思います。


(H19. 6.30 Kiss Digtal N撮影)