遺跡発掘現説に行った帰り道。
ふだんは通ることもない野垣内町の墓地。
なにやら不思議な光景に出くわした。
墓地の中にニ基の石鳥居が鎮座する。
来世墓地石鳥居(明神鳥居)と呼ばれるもので等覚門と正覚門を意味するそうだがおそらく全国的にみても珍しい形式ではないでしょうか。
鳥居にはそれぞれ安永六丁酉歳(1777)、文化七庚午歳(1810)造立と刻銘されていたと記されている。
羅城門は京城門とも呼ばれた門。
羅城門は「ライセイ門」と呼ぶのが正しいといわれており、その「ライセイ門」にあたることから来世(ライセイ)墓と名付けられたであろう。
来世(ライセイ)墓の名は羅城墓の転化で江戸時代初期の寛永九年(1632)にできたと伝わる。
(H19. 6.16 V603SH撮影)
ふだんは通ることもない野垣内町の墓地。
なにやら不思議な光景に出くわした。
墓地の中にニ基の石鳥居が鎮座する。
来世墓地石鳥居(明神鳥居)と呼ばれるもので等覚門と正覚門を意味するそうだがおそらく全国的にみても珍しい形式ではないでしょうか。
鳥居にはそれぞれ安永六丁酉歳(1777)、文化七庚午歳(1810)造立と刻銘されていたと記されている。
羅城門は京城門とも呼ばれた門。
羅城門は「ライセイ門」と呼ぶのが正しいといわれており、その「ライセイ門」にあたることから来世(ライセイ)墓と名付けられたであろう。
来世(ライセイ)墓の名は羅城墓の転化で江戸時代初期の寛永九年(1632)にできたと伝わる。
(H19. 6.16 V603SH撮影)