マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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池田町広大寺池タイマツ行事

2008年09月10日 07時35分22秒 | 奈良市へ
昭和28年発行の帯解町郷土誌では「池田のタイマツ」行事と紹介されています。

そのタイマツに付随して行われていたのが太鼓踊り。

昭和9年に復興したあと昭和15年に途絶えています。

太鼓踊りは雨乞い踊りでその昔柴屋町の奥の院こと龍象寺の天井に描かれている龍の絵が関係しているという。

夜な夜な抜け出した龍は広大寺池水を飲みにいってたそうな。

知った和尚は出ていかんように金網を張った。(※ 釘を挿したとか鱗を三枚塗りつぶした説もある)

ところがその祟りか死人がでたので供養のためにタイマツ行事をはじめたとされる。

あるいは池には龍が住んでいて村人を殺したので松明をたいて龍にヤイトをすえたとか、タイマツの煙で雨雲がついてくるので雨乞いしたとも。

土地ではタイマツ行事は池の水難者の供養、雨乞い、五穀豊穣、悪疫退散祈願の意味合いがあるそうで。

9年に発刊された太鼓踊りの歌本には「勇踊之歌 大字池田」(いわゆるなもで踊り)と書かれているそうで、近隣の山村町のヒデ踊(シデとも)歌を参考にした可能性があるという。

タイマツ行事の際に講の方がカセットで流していた(と思われる)のはその太鼓踊りの歌ではなくお念仏だったと後に知人から教わった。

(H20. 8.15 Kiss Digtal N撮影)

広大寺池先祖御供送り

2008年09月10日 07時32分28秒 | 奈良市へ
奈良市池田町は興福寺門跡一乗院を領主とする池田莊と呼ばれた地で荘園集落の姿を伝えており、東側には満々と水を貯えている灌漑溜池の広大寺池がある。

池の西側の堤には昨夜に行われたタイマツ行事の燃えかす痕がある。

今朝、各家から持ち出されたご先祖さんに供えた御供が燃やされて煙が立ち昇っている。

ここには新仏のアラタナも燃やされている。

そこへひと組のご夫婦が御供を持って来られた。

残り火があるところに置いて燃やすんだという。

御供を燃やし煙とともにご先祖さんが天に昇っていくというもので、盆棚焼香の習わしが今でも続いている。

(H20. 8.15 Kiss Digtal N撮影)