夏の夜、十津川村の各地区で行われる盆踊り。
なかでも武蔵、小原、西川の三地区では房を付けたバチに太鼓、色彩が綺麗な扇に笹竹に取り付けた切子燈籠を手にした踊り子ら。
近世に流行った風流踊りが伝承されている一連の踊りは「大踊り」と呼ばれるもので国指定の重要無形民俗文化財。
かってはお寺のお堂で踊られていたが現在は学校の校庭になっている。
13日が小原、14日は武蔵、15日には村南西部の西川で行われる。
今夜は15日、陽が落ちるころ西川中学校の校庭に設えた踊りの場に集まってくる。
永井、重里の方ら中心に結成された大踊り保存会は約20名。
八月の一日から毎夜にわたってナラシの練習をしてきた。時間の割り振りは後継者育成を考えて子どもの練習を主体にしているそうだ。
西川では、昭和36年ころは160人もの子どもらがおったという中学生は現在27人。
小学生の30人を加えても当時の人数にはとうてい満たない。
当時はスクールバスもなかった時代。
通学できない90人ほどは寮生活だった。
家族と離れた寂しさから寮を抜け出し子もおったといい、そのときは山まで探しにいったと懐古される踊り子さん。
(H20. 8.15 Kiss Digtal N撮影)
なかでも武蔵、小原、西川の三地区では房を付けたバチに太鼓、色彩が綺麗な扇に笹竹に取り付けた切子燈籠を手にした踊り子ら。
近世に流行った風流踊りが伝承されている一連の踊りは「大踊り」と呼ばれるもので国指定の重要無形民俗文化財。
かってはお寺のお堂で踊られていたが現在は学校の校庭になっている。
13日が小原、14日は武蔵、15日には村南西部の西川で行われる。
今夜は15日、陽が落ちるころ西川中学校の校庭に設えた踊りの場に集まってくる。
永井、重里の方ら中心に結成された大踊り保存会は約20名。
八月の一日から毎夜にわたってナラシの練習をしてきた。時間の割り振りは後継者育成を考えて子どもの練習を主体にしているそうだ。
西川では、昭和36年ころは160人もの子どもらがおったという中学生は現在27人。
小学生の30人を加えても当時の人数にはとうてい満たない。
当時はスクールバスもなかった時代。
通学できない90人ほどは寮生活だった。
家族と離れた寂しさから寮を抜け出し子もおったといい、そのときは山まで探しにいったと懐古される踊り子さん。
(H20. 8.15 Kiss Digtal N撮影)