到着の挨拶を終えるとすぐさま如来さまのご回在だ。
本尊の十一尊天得如来掛図を担いで村内30軒を一軒一軒ずつ巡っていく。
村の役員さんは秋の実りの穂が色付いた苣原の田園地を一行の道先案内で先導を走り回っていく。
カーン、カーン、カン、カーンと鉦を叩いていくと山間に響き渡る。
ご回在の家では掛け軸を掲げ仏壇にお供えなどをして如来さんを迎える。
お家に入るやいなやお勤めが始まった。
各家は特一、御一統、名代、僧中と呼ばれるお掛かりと立廻向に区分(お布施寄進)されている。
お掛かりはご本尊の掛図を箱から出して広げ掲げるが、立廻向は箱から出さずに仏壇の付近に立てかける。
過去帳読みあげ、先祖回向、家内安全など祈願する。
それが終われば掛図を箱に戻し、家人が背中を丸めて「オチョウダイ」と呼ばれる如来さんのご加護を授かる。
背中に如来さんを載せて「身体堅固 南無阿弥陀仏」を唱えられる。
如来さんの力で守って戴くという儀式だ。
西から北の山間へ、御一統のお家では休憩の接待。
一服してから下って東へ、何度か接待を受けて最後に南へと向かう4時間半の行程は汗が流れ落ちる。
日中の照りは厳しい。如来さんを担ぐ人の首周りのザブトンは汗が染み込んでいる。
100日間のご回在中、9月15日(旧敬老の日)と彼岸の日はトモさんに休息をしてもらう休みの日だ。
奉仕の方にも休みを与えるご加護だという。
(H20. 9. 7 Kiss Digtal N撮影)
本尊の十一尊天得如来掛図を担いで村内30軒を一軒一軒ずつ巡っていく。
村の役員さんは秋の実りの穂が色付いた苣原の田園地を一行の道先案内で先導を走り回っていく。
カーン、カーン、カン、カーンと鉦を叩いていくと山間に響き渡る。
ご回在の家では掛け軸を掲げ仏壇にお供えなどをして如来さんを迎える。
お家に入るやいなやお勤めが始まった。
各家は特一、御一統、名代、僧中と呼ばれるお掛かりと立廻向に区分(お布施寄進)されている。
お掛かりはご本尊の掛図を箱から出して広げ掲げるが、立廻向は箱から出さずに仏壇の付近に立てかける。
過去帳読みあげ、先祖回向、家内安全など祈願する。
それが終われば掛図を箱に戻し、家人が背中を丸めて「オチョウダイ」と呼ばれる如来さんのご加護を授かる。
背中に如来さんを載せて「身体堅固 南無阿弥陀仏」を唱えられる。
如来さんの力で守って戴くという儀式だ。
西から北の山間へ、御一統のお家では休憩の接待。
一服してから下って東へ、何度か接待を受けて最後に南へと向かう4時間半の行程は汗が流れ落ちる。
日中の照りは厳しい。如来さんを担ぐ人の首周りのザブトンは汗が染み込んでいる。
100日間のご回在中、9月15日(旧敬老の日)と彼岸の日はトモさんに休息をしてもらう休みの日だ。
奉仕の方にも休みを与えるご加護だという。
(H20. 9. 7 Kiss Digtal N撮影)
天理市岩屋から藤井、桜井市の笠、宇陀市の榛原山辺三(宗祐寺)に室生三本松、そして三重県名張へ。
ここから大和に戻って笠間峠を登り室生下笠間から笠間川を遡り室生小原、そして都祁の白石から天理市の福住、苣原から奈良市の椿尾、高樋へと巡る六日間のご回在の旅。
通年は9月3日に大阪平野の本山大念仏寺をでて大和各地を巡り12月19日に戻ってくる大和御回在は92日間。
3年に一度は大和の山中入りでご回在されるので100日間となる。
ご回在の一行は紫衣の唱導師(しょうどうし)、黄衣の目代(もくだい)、収納(しゅうのう)とお勤め戦力の若手4名の黒衣僧中(そうじゅう)で僧は7名。
禅門(ぜんもん)と呼ばれる如来さんを担ぐ人、鉦を叩く人、寄進浄財を預かる人と運転手の4名(トモと呼ばれる講員)は僧侶とともにマイクロバスでやってくる。
今日7日は福住の住職が加わり天理市苣原の御回在。
平成11年までは僧侶のお泊まり(入浴も)接待が行われていたが、たいそうなことだと廃止されている。
大和山中のご回在の旅、車もない時代は歩いて山を登る難行程となることから3年に一度。
泊まりが伴う旅だった。
電車が行き交う時代もそれは変わらなかったが、車社会となった現代は平野本山に一旦戻ることが可能になったことから徐々に泊まりはなくなってきた。
僧と夜中まで飲み明かしたことを今でも覚えているでと懐かしそうに話す村人。
(H20. 9. 7 Kiss Digtal N撮影)
ここから大和に戻って笠間峠を登り室生下笠間から笠間川を遡り室生小原、そして都祁の白石から天理市の福住、苣原から奈良市の椿尾、高樋へと巡る六日間のご回在の旅。
通年は9月3日に大阪平野の本山大念仏寺をでて大和各地を巡り12月19日に戻ってくる大和御回在は92日間。
3年に一度は大和の山中入りでご回在されるので100日間となる。
ご回在の一行は紫衣の唱導師(しょうどうし)、黄衣の目代(もくだい)、収納(しゅうのう)とお勤め戦力の若手4名の黒衣僧中(そうじゅう)で僧は7名。
禅門(ぜんもん)と呼ばれる如来さんを担ぐ人、鉦を叩く人、寄進浄財を預かる人と運転手の4名(トモと呼ばれる講員)は僧侶とともにマイクロバスでやってくる。
今日7日は福住の住職が加わり天理市苣原の御回在。
平成11年までは僧侶のお泊まり(入浴も)接待が行われていたが、たいそうなことだと廃止されている。
大和山中のご回在の旅、車もない時代は歩いて山を登る難行程となることから3年に一度。
泊まりが伴う旅だった。
電車が行き交う時代もそれは変わらなかったが、車社会となった現代は平野本山に一旦戻ることが可能になったことから徐々に泊まりはなくなってきた。
僧と夜中まで飲み明かしたことを今でも覚えているでと懐かしそうに話す村人。
(H20. 9. 7 Kiss Digtal N撮影)