マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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多坐弥志理都比古神社宮送り

2008年11月02日 08時33分26秒 | 田原本町へ
八朔の日に神さんの木札を授かり宮迎えをされた味間と小槻の永代総代さんは二十日後に柳の木に括り付けた根、穂付き稲とともに田原本町多の多坐弥志理都比古(みしりつひこ)神社に還ってくる。

今日は秋礼祭の本祭で宮送りの神事が執り行われる。

本来は両家が揃っての神事だが今年はダブルブッキングの関係で味間の総代さんは早めに来られた。

かつては徒歩道中だったが現代はクルマで訪れる宮送り。

当主は前々日に当主のお家で祭祀された神さんの木札を高々ともち、おともの方は竹に御幣を取り付けた稲柳を持つ。

拝殿で一礼し宮司に手渡された稲柳は祭壇に置かれて神事が始まる。

拝殿に座すると宮司一拝、祓えの儀、祝詞奏上など神事が執り行われ、そのあと当主は宮司とともに静かに神殿前に歩む。

その間、当主は木札を高々と掲げている。

遷しました神さんが無事に戻ってこられたことを神殿向かって奉告される。

再び拝殿に登り、宮司からお神酒をいただき宮送りの儀式を終える。

秋祭りといえば太鼓台がでたり氏子社中や参拝者などで賑やかな情景を描くのだが、多坐弥志理都比古神社の秋例祭は永代総代だけで厳かに行われるもので特徴的な祀りの様相だ。

祭壇に供えられた左右のモチ。

右は味間の総代家が供えた杉皮の上に九つ並べられたモチ。

左は小槻の総代が供えたモチで杉板に載せられている。

祭壇には五枚重ねとなっているモチ皿。

多氏に関わりのあったとされる味間と小槻の両家が供えられたもので、多氏らの神八井耳命(かむやいみみ)の末裔の数であろうとされる十九枚が持ち寄られる。

一枚に九つ載せたモチのお供えは、天理市海知町の倭恩知神社で行われるシンカン祭りの花御供と同じ形態で民俗行事的に興味が引かれる。

(H20. 9.20 Kiss Digtal N撮影)