旧正月のとんど、或いは二ノ正月のとんどと云って1月31日から2月初めにかけて行われる地域がある。
1月15日のとんどは小正月のとんど。
前日の14日の夕刻から翌日の15日の朝にかけて行われる地域は数多い。
2月を二回目の正月としてとらえた二ノ正月。
前日の1月31日の夕刻から翌日の2月1日の朝にかけて行われるとんど日である。
大和郡山市城町の東城(ひがしんじょ)の主水山(もんどやま)はかつて1月31日であったが、現在は正月の新年会後の日曜日になった。
城町の西城(にしんじょ)も同じようである。
小林町ではかつて2月1日のニノ正月であったが第二日曜に移った。
今日においても1月31日にとんどをしているのは4か所。
小南町、丹後庄町、額田部町に矢田町である。
31日に行っている矢田町の地区。
横山地区は9日にしていたが現在は中断している。
垣内地区で行われるとんどは2か所。
垣内地区の垣内と西の垣内西である。
ほぼ同一時間帯で行われる。
垣内西は度々にわたってアライグマが出没するそうだ。
カチ、カチの音をだすからすぐに判るらしい。
圃場付近に集まってきた9軒の村の人たちは始めに竹組みをする。
近場で刈り取ってきた竹である。
中心部を組んで回りに葉付きの笹竹や藁束を埋めていく。
内部には大量のマメガラを入れたと話す。
「マメガラはよく燃えるから入れた」と云う。
正月を飾った家々の〆飾りも据える。
とんどの火点けの時間は決まっていない。
とんどを組み終えて村人が揃ってからだ。
火を点ける方角はアキの方向。
この年は南南東である。
アキの方角は一般的に恵方と呼ばれているが稀にアキの方角という地域がある。
アキの方角は歳徳神が在しているとされる方角。
村に福徳を呼び込むというありがたい方角である。
かつては日が暮れてから火点けをしていたが現在は午後の3時前後。
火のついた藁束を持ってとんどに火点けをするのは村の長老のAさん。今でも現役の農業を営む。
ぐるりととんど周りに火を移していく。
またたくまに火は広がって炎が昇っていく。
この日は無風状態。
天に向かってまっすぐに燃え上がる炎になった。
ポーン、ポーンと爆ぜる竹の音が周囲にこだまする。
燃え盛るとんどの火は熱い。
避けるように後方へと後ずさり。
5分も過ぎれば火の勢いも落ちてくる。
とんどの火が落ち着けば書き初めの書を竹に挿して火に翳す。
落ちたと云っても熱気は変わらずである。
字が上手になるという風習に孫が書いたという書を翳せばあっという間に天へ昇っていく。
下火になってきたとんど。
頃あいを見計らって持ち出した餅焼きの網。
以前は先を尖がらした竹に挿してモチを焼いていた。
焼けたとんどの火は家に持ち帰って竃の火に移した。
その火で夜に炊くのはアズキガユ。
翌朝はその火で雑煮を作った。
これを二ノ正月の雑煮と呼んでいた。
海老入りのドヤモチやコモチを焼く。
ドヤモチと呼ばれるモチはコゴメとモチ米が半々で搗いた。
とんどで焼いたモチを食べれば歯が痛くならないと云う。
この日もお世話になったN氏。
かつて奥吉野の民俗探訪で保仙先生とともに旅した人だ。
今年の惣谷狂言や篠原踊りも先生らと出かけたと云う。
著書にも掲載した両行事を存じているご仁。
惣谷狂言で飾られるモチバナの木はヤナギでなくてホウノキ(朴の木)が正しかったと話してくださる。
本来はホウノキであるが植生が少なくなって代用にヤナギの木を使っていたようだ。
牛に纏わる話題もしてくださる。
牛の縄は藁で編んだ。
牛の道具の縄は鞍からきているという。
紺色の縄というのは綿か麻である。
それはオイナワと呼ぶ縄で「ちゃいちゃい」と引っ張れば後退したそうだ。
ハナギ(鼻木)はハナガイ(鼻繋)とも呼ばれるタヅナ(手綱)だそうだ。
(H25. 1.31 EOS40D撮影)
1月15日のとんどは小正月のとんど。
前日の14日の夕刻から翌日の15日の朝にかけて行われる地域は数多い。
2月を二回目の正月としてとらえた二ノ正月。
前日の1月31日の夕刻から翌日の2月1日の朝にかけて行われるとんど日である。
大和郡山市城町の東城(ひがしんじょ)の主水山(もんどやま)はかつて1月31日であったが、現在は正月の新年会後の日曜日になった。
城町の西城(にしんじょ)も同じようである。
小林町ではかつて2月1日のニノ正月であったが第二日曜に移った。
今日においても1月31日にとんどをしているのは4か所。
小南町、丹後庄町、額田部町に矢田町である。
31日に行っている矢田町の地区。
横山地区は9日にしていたが現在は中断している。
垣内地区で行われるとんどは2か所。
垣内地区の垣内と西の垣内西である。
ほぼ同一時間帯で行われる。
垣内西は度々にわたってアライグマが出没するそうだ。
カチ、カチの音をだすからすぐに判るらしい。
圃場付近に集まってきた9軒の村の人たちは始めに竹組みをする。
近場で刈り取ってきた竹である。
中心部を組んで回りに葉付きの笹竹や藁束を埋めていく。
内部には大量のマメガラを入れたと話す。
「マメガラはよく燃えるから入れた」と云う。
正月を飾った家々の〆飾りも据える。
とんどの火点けの時間は決まっていない。
とんどを組み終えて村人が揃ってからだ。
火を点ける方角はアキの方向。
この年は南南東である。
アキの方角は一般的に恵方と呼ばれているが稀にアキの方角という地域がある。
アキの方角は歳徳神が在しているとされる方角。
村に福徳を呼び込むというありがたい方角である。
かつては日が暮れてから火点けをしていたが現在は午後の3時前後。
火のついた藁束を持ってとんどに火点けをするのは村の長老のAさん。今でも現役の農業を営む。
ぐるりととんど周りに火を移していく。
またたくまに火は広がって炎が昇っていく。
この日は無風状態。
天に向かってまっすぐに燃え上がる炎になった。
ポーン、ポーンと爆ぜる竹の音が周囲にこだまする。
燃え盛るとんどの火は熱い。
避けるように後方へと後ずさり。
5分も過ぎれば火の勢いも落ちてくる。
とんどの火が落ち着けば書き初めの書を竹に挿して火に翳す。
落ちたと云っても熱気は変わらずである。
字が上手になるという風習に孫が書いたという書を翳せばあっという間に天へ昇っていく。
下火になってきたとんど。
頃あいを見計らって持ち出した餅焼きの網。
以前は先を尖がらした竹に挿してモチを焼いていた。
焼けたとんどの火は家に持ち帰って竃の火に移した。
その火で夜に炊くのはアズキガユ。
翌朝はその火で雑煮を作った。
これを二ノ正月の雑煮と呼んでいた。
海老入りのドヤモチやコモチを焼く。
ドヤモチと呼ばれるモチはコゴメとモチ米が半々で搗いた。
とんどで焼いたモチを食べれば歯が痛くならないと云う。
この日もお世話になったN氏。
かつて奥吉野の民俗探訪で保仙先生とともに旅した人だ。
今年の惣谷狂言や篠原踊りも先生らと出かけたと云う。
著書にも掲載した両行事を存じているご仁。
惣谷狂言で飾られるモチバナの木はヤナギでなくてホウノキ(朴の木)が正しかったと話してくださる。
本来はホウノキであるが植生が少なくなって代用にヤナギの木を使っていたようだ。
牛に纏わる話題もしてくださる。
牛の縄は藁で編んだ。
牛の道具の縄は鞍からきているという。
紺色の縄というのは綿か麻である。
それはオイナワと呼ぶ縄で「ちゃいちゃい」と引っ張れば後退したそうだ。
ハナギ(鼻木)はハナガイ(鼻繋)とも呼ばれるタヅナ(手綱)だそうだ。
(H25. 1.31 EOS40D撮影)