桜井市山間の北白木に鎮座する高龗(オカミ)神社。
祭祀を勤めるのは座の六人衆。
長老は太夫とも呼ばれる一老だ。
この日の行事は二月当屋である。
かつては当屋の家で行われていた。
朝の4時半に家を出てでかけた大阪の鶴橋。
長谷寺まで歩いていって、そこからは近鉄電車だ。
鶴橋市場に行って買った生サバは魚の汁が零れないようにブリキ函に入れた。
二人の当屋が風呂敷に包んで背中にかたげて持ち帰ったと話す長老たち。
生サバは湯がいてザルで水切りした。
醤油で煮込んで味付けしたサバは当屋家のご馳走。
鰻や茶わん蒸しにすき焼き、焼き肉料理でもてなす家は区長だった。
ごっつおと呼ばれる料理にはアゲサンもあった。
朝、昼、晩の食事膳は施主である当屋の接待。
何十年も前のことだという当屋の座はいたれりつくせりで「白木のくいだおれや」と隣村の子供たちが云っていたそうだ。
今では当屋の営みではなく神社での行事となったがやってくるのは六人衆と施主の当屋である。
この日に手伝う当屋は昨年の11月10日に行われたオトサシ(私祭)で受け当屋に引き継がれたものだと思っていた。
実はそうではなかった。
北白木の当屋は3年間も勤めるのである。
オトサシで受け当屋に引き継いだのは北白木の神さんであったのだ。
「3年間も当屋を勤めるのは北白木だけだろう」と話すが県内事例ではミナライ、本トーヤ、アトトーヤと呼称を替えてそれぞれの年中行事を役目する処も数多くみられる。
北白木の当屋は翌年の1月下旬に行われる名付けでようやく終える。
その座で当屋がよばれるメシがある。
それを「オイダシメシ」と呼ぶそうだ。
二月当屋のお供えは2種類ある。
一つはセンベイモチと呼ばれる平べったい12枚のモチを重ねた御供。
もう一つの2種類のオシゴクは11月9日に行われた宵宮座のお供えと同じオシゴクである。
モチは前日に当屋が搗いたそうだ。
一升枡に新米のご飯を詰め込んで作る。
一つは枡の形そのもので真四角。
多く盛らずに平な形のオシゴクは笹の葉を敷いた膳に置く。
周りに盛った2枚の皿がある。
一つはゴンボ(ゴボウ)にトーフを添える。
もう一つはサンショの実である。
サンショの皿にはヤキジオ(焼き塩)も盛る。
太いカシの木の箸を添えて本殿に供える。
末社に供えるオシゴクの形は本社とは異なり三角形である。
同じようにご飯を詰める一升枡。
縁に寄せて蓋で押す。
三辺三方の三角型のオシゴクは特殊な形である。
手を合わせるわけでもなく社務所で時間稼ぎ。
十数分後には御供を下げて直会が始まる。
注文しておいたパック詰め料理を席に配る。
二月当屋の座にはアオマメのクルミモチもある。
ゴマメとも呼ぶアオマメは石臼ですり潰していた。
数個ずつ口に入れて挽いていた。
時間がかかったクルミ作り。
今ではミキサーで一気に作ってしまうと話す。
できあがったクルミはシロモチを包みこむようにしてできあがる。
それを肴にお神酒をいただく座中。
クルミの味は香りが良い。
甘さが欲しいから食べたい量だけの砂糖を塗していただく。
かつてはクルミモチでなくゴボウにクルミを掛けて供えていた。
ゴボウの長さは20cm程度。
そこにクルミを掛けるのであった。
チョウソーセージのゴボウとも呼ばれるクルミは「ヌタ」と呼んでいたが、話の内容からその形状は田原本町多観音堂で供えていた「ボダイボダイ」と呼ばれる牛蒡喰い行事の様相と同じようである。
今では供えることをしなくなった天理市藤井町の鬼打ちのお供えも同じであった。
クルミのゴボウは村の人たちが重箱に詰め込んで持ち帰った。
行列ができるほどの人だかり。
それだけにたくさんのクルミのゴボウを作ったと話す。
ちなみに前述した醤油で煮込んだサバは二月当屋座を終えれば1軒、1軒に配ったそうだ。
当時は30戸もあった北白木。
配るだけでも時間がかかったことを覚えていると長老は話す。
ニューメンの汁椀もよばれる直会の場。
しばらくの歓談を終えて供えたセンベイモチも配られる。
一人二枚ずつのセンベイモチは六人衆に持って帰ってもらう。
(H25. 2. 2 EOS40D撮影)
祭祀を勤めるのは座の六人衆。
長老は太夫とも呼ばれる一老だ。
この日の行事は二月当屋である。
かつては当屋の家で行われていた。
朝の4時半に家を出てでかけた大阪の鶴橋。
長谷寺まで歩いていって、そこからは近鉄電車だ。
鶴橋市場に行って買った生サバは魚の汁が零れないようにブリキ函に入れた。
二人の当屋が風呂敷に包んで背中にかたげて持ち帰ったと話す長老たち。
生サバは湯がいてザルで水切りした。
醤油で煮込んで味付けしたサバは当屋家のご馳走。
鰻や茶わん蒸しにすき焼き、焼き肉料理でもてなす家は区長だった。
ごっつおと呼ばれる料理にはアゲサンもあった。
朝、昼、晩の食事膳は施主である当屋の接待。
何十年も前のことだという当屋の座はいたれりつくせりで「白木のくいだおれや」と隣村の子供たちが云っていたそうだ。
今では当屋の営みではなく神社での行事となったがやってくるのは六人衆と施主の当屋である。
この日に手伝う当屋は昨年の11月10日に行われたオトサシ(私祭)で受け当屋に引き継がれたものだと思っていた。
実はそうではなかった。
北白木の当屋は3年間も勤めるのである。
オトサシで受け当屋に引き継いだのは北白木の神さんであったのだ。
「3年間も当屋を勤めるのは北白木だけだろう」と話すが県内事例ではミナライ、本トーヤ、アトトーヤと呼称を替えてそれぞれの年中行事を役目する処も数多くみられる。
北白木の当屋は翌年の1月下旬に行われる名付けでようやく終える。
その座で当屋がよばれるメシがある。
それを「オイダシメシ」と呼ぶそうだ。
二月当屋のお供えは2種類ある。
一つはセンベイモチと呼ばれる平べったい12枚のモチを重ねた御供。
もう一つの2種類のオシゴクは11月9日に行われた宵宮座のお供えと同じオシゴクである。
モチは前日に当屋が搗いたそうだ。
一升枡に新米のご飯を詰め込んで作る。
一つは枡の形そのもので真四角。
多く盛らずに平な形のオシゴクは笹の葉を敷いた膳に置く。
周りに盛った2枚の皿がある。
一つはゴンボ(ゴボウ)にトーフを添える。
もう一つはサンショの実である。
サンショの皿にはヤキジオ(焼き塩)も盛る。
太いカシの木の箸を添えて本殿に供える。
末社に供えるオシゴクの形は本社とは異なり三角形である。
同じようにご飯を詰める一升枡。
縁に寄せて蓋で押す。
三辺三方の三角型のオシゴクは特殊な形である。
手を合わせるわけでもなく社務所で時間稼ぎ。
十数分後には御供を下げて直会が始まる。
注文しておいたパック詰め料理を席に配る。
二月当屋の座にはアオマメのクルミモチもある。
ゴマメとも呼ぶアオマメは石臼ですり潰していた。
数個ずつ口に入れて挽いていた。
時間がかかったクルミ作り。
今ではミキサーで一気に作ってしまうと話す。
できあがったクルミはシロモチを包みこむようにしてできあがる。
それを肴にお神酒をいただく座中。
クルミの味は香りが良い。
甘さが欲しいから食べたい量だけの砂糖を塗していただく。
かつてはクルミモチでなくゴボウにクルミを掛けて供えていた。
ゴボウの長さは20cm程度。
そこにクルミを掛けるのであった。
チョウソーセージのゴボウとも呼ばれるクルミは「ヌタ」と呼んでいたが、話の内容からその形状は田原本町多観音堂で供えていた「ボダイボダイ」と呼ばれる牛蒡喰い行事の様相と同じようである。
今では供えることをしなくなった天理市藤井町の鬼打ちのお供えも同じであった。
クルミのゴボウは村の人たちが重箱に詰め込んで持ち帰った。
行列ができるほどの人だかり。
それだけにたくさんのクルミのゴボウを作ったと話す。
ちなみに前述した醤油で煮込んだサバは二月当屋座を終えれば1軒、1軒に配ったそうだ。
当時は30戸もあった北白木。
配るだけでも時間がかかったことを覚えていると長老は話す。
ニューメンの汁椀もよばれる直会の場。
しばらくの歓談を終えて供えたセンベイモチも配られる。
一人二枚ずつのセンベイモチは六人衆に持って帰ってもらう。
(H25. 2. 2 EOS40D撮影)