昨日に降った雪が積もっている奈良市誓多林町。
平坦ではなく東の山中の村である。
田んぼは真っ白で街道もところどころ凍っている。
バリバリと車体を擦る音がする。
今年は積雪が多い寒い日が続く。
誓多林町は白砂川の上流から上誓多林、中誓多林、下誓多林地区が東西に点在している。
この日は中誓多林の十九夜さん。
本来なら19日であるが集まりやすいその日に近い日曜日にしている。
勤める婦人は4人。
随分と少なくなったが今でも続けていると云う。
かつては村のお寺の萬福寺でしていた。
八柱神社の社務所は村人が寄りあう公民館である。
施設ができてからは公民館に移った。
如意輪菩薩の掛軸を掲げるようにはできていない公民館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ed/7ae5d5974a383ddac19d184c6c9f2f2d.jpg)
窓側に寄せて掛けた掛軸は最近になって表装し直した。
美しい姿の如意輪観音菩薩の隣に掲げた掛軸がある。
平成21年4月にN氏が製作された自筆の観世音菩薩像に般若心経の唱文を添えた掛軸も掲げた。
二幅の如意輪観世音菩薩の掛け軸の前に机を据えて仏飯やお菓子などを供えた。
灯明に火を点けて唱える和讃は十九夜和讃。
板張りの広い室内に響き渡る女人の唱和。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/06/be1bcef489851658bc07277753731ad3.jpg)
およそ5分間の和讃は最後に南無観世音菩薩を三回唱えて手を合わせた。
それからの時間は婦人たちの会食の場になる。
以前はイロゴハンを炊いて食べていたが、頼んでおいたパック詰め料理に汁椀を配膳して席に着く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/57/12e3dad7e236cc4c442811001dc2ab99.jpg)
一年に一度の十九夜さんの日は語らいの場である。
かつては12月にもしていたと云う十九夜さん。
場は畳敷きの座敷だった。
囲炉裏に入れた割木を燃やして暖をとっていた。
観音さんは子供の神さんでもあるからと云って、和讃を終えるころに子供が集まってきたそうだ。
一方、上誓多林の十九夜さんは平成23年2月に取材させていただいたことがある。
上誓多林も中誓多林と同様に19日に近い日曜日であった。
ここでは明治二十七年や昭和二十九年の十九夜和讃本が残されている。
中誓多林の和讃本は昭和30年と57年に記されたものである。
<昭和30年10月の十九夜和讃本>
「我昔所造諸悪業
皆由無始貪顚□
従身語意之□生
一切□今皆□悔
南無帰依佛
南無帰依法
南無帰依□」
「きいみよう ちよらい 十九夜に
由来を くわしく 尋ぬれぞ
によいりん ぼさつの せいがんに
雨めのふる夜も ふらぬ よも
いかなる眞んの くらき よも
いとはず たがわず きたいひなく
十九夜 み堂へ まいるべし
とらの 二月 十九日
十九夜 念佛 はじまりて
十九夜 念佛 もうすなり
南無阿彌陀佛 阿彌陀佛
ずいぶん あらたよ しよじんし
おうしょう しょうじの ふだをうけ
死して 浄土へ 行くさきは
妙法蓮華の 花 さきて
十方 はるかよ しずまりて
吹きくる風も おだやかに
天より 如意輪 観世音
玉のてんがい さしあげて
八萬余丈の 血の池も
かるさの 池と 見て とほる
六観音の そのうちに
如意輪ぼさつの 御慈悲よ
あまねく しゆじょうを すくわんと
六道 しやじやよ おたちあり
かなしき 女人の あわれさは
今朝迄 すみし 早やにごる
ばんぜが 下の 池の水
すすいで こぼす たつときわ
天も地神も 水神も
ゆるさや 給へや 観世音
十九夜 み堂へ いる人は
長がく さんずの 苦をのがれ
極楽浄土へ いちらいす
まんだが池の ななじよも
いつしか 心が 浮かみける
けふ 十九夜を しきとくよ
南無阿彌陀佛 あみだ佛
如意輪 めいども 有がたや
じしんの 親たち ありありと
すくわせ 給へや 観世音
即身成佛 南無阿彌陀
南無如意輪 観世音菩薩
種種 重罪 五逆 消滅
自他 平等 即身成佛
南無観世音菩薩」
<昭和57年11月の十九夜和讃本>
「きみよぅちょうらい 十九夜の
ゆらいを くわしくたづぬれば
によいりんぼさつの せいぐわんに
雨のふる夜も ふらぬ夜も
いかなるしんの くらき夜も
いとわず たがわず きらいなく
とらの二月の 十九日
十九夜みどうへ まいるべし
十九夜ねんぶつ はじまりて
十九夜ねんぶつ もうすなり
南無あみだぶつ あみだぶつ あみだぶつ
ずいぶに あらたに しょうじんし
をしよう しよじの ふだをうけ
死して じょうどへ ゆくときに
みようほうれんげの 花咲きて
十方はるかに しづまりて
ふきくる風も おだやかに
天より によいりん くわんぜおん
たまの天がい さしあげて
八まんよじゅんの 血の池も
かるさの池と みてとおる
大くわんおんの そのうちに
によいりんぼさつの おじひにて
あまねくしゅじょうも すくわんと
六どしじうおうに おたちあり
かなしき によにんの あわれさは
けさまですみしは はやにごる
南無あみだぶつ あみだぶつ あみだぶつ
ばんじがしたの 池の水
すすいでこすは たつときは
天も 地神も 水神も
ゆるさせたまえや くわんぜおん
十九夜 みどうへ 入る人は
長く三づの 苦をのがれ
ごくらく浄土へ 一らいす
まんだら池の ないしよも
いづるこころも うかれける
今日十九夜と しきとくに
によがみ いとも ありがたく
自身の おやたち あれありと
即身成佛 南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛」
(H25. 2.17 EOS40D撮影)
平坦ではなく東の山中の村である。
田んぼは真っ白で街道もところどころ凍っている。
バリバリと車体を擦る音がする。
今年は積雪が多い寒い日が続く。
誓多林町は白砂川の上流から上誓多林、中誓多林、下誓多林地区が東西に点在している。
この日は中誓多林の十九夜さん。
本来なら19日であるが集まりやすいその日に近い日曜日にしている。
勤める婦人は4人。
随分と少なくなったが今でも続けていると云う。
かつては村のお寺の萬福寺でしていた。
八柱神社の社務所は村人が寄りあう公民館である。
施設ができてからは公民館に移った。
如意輪菩薩の掛軸を掲げるようにはできていない公民館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ed/7ae5d5974a383ddac19d184c6c9f2f2d.jpg)
窓側に寄せて掛けた掛軸は最近になって表装し直した。
美しい姿の如意輪観音菩薩の隣に掲げた掛軸がある。
平成21年4月にN氏が製作された自筆の観世音菩薩像に般若心経の唱文を添えた掛軸も掲げた。
二幅の如意輪観世音菩薩の掛け軸の前に机を据えて仏飯やお菓子などを供えた。
灯明に火を点けて唱える和讃は十九夜和讃。
板張りの広い室内に響き渡る女人の唱和。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/06/be1bcef489851658bc07277753731ad3.jpg)
およそ5分間の和讃は最後に南無観世音菩薩を三回唱えて手を合わせた。
それからの時間は婦人たちの会食の場になる。
以前はイロゴハンを炊いて食べていたが、頼んでおいたパック詰め料理に汁椀を配膳して席に着く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/57/12e3dad7e236cc4c442811001dc2ab99.jpg)
一年に一度の十九夜さんの日は語らいの場である。
かつては12月にもしていたと云う十九夜さん。
場は畳敷きの座敷だった。
囲炉裏に入れた割木を燃やして暖をとっていた。
観音さんは子供の神さんでもあるからと云って、和讃を終えるころに子供が集まってきたそうだ。
一方、上誓多林の十九夜さんは平成23年2月に取材させていただいたことがある。
上誓多林も中誓多林と同様に19日に近い日曜日であった。
ここでは明治二十七年や昭和二十九年の十九夜和讃本が残されている。
中誓多林の和讃本は昭和30年と57年に記されたものである。
<昭和30年10月の十九夜和讃本>
「我昔所造諸悪業
皆由無始貪顚□
従身語意之□生
一切□今皆□悔
南無帰依佛
南無帰依法
南無帰依□」
「きいみよう ちよらい 十九夜に
由来を くわしく 尋ぬれぞ
によいりん ぼさつの せいがんに
雨めのふる夜も ふらぬ よも
いかなる眞んの くらき よも
いとはず たがわず きたいひなく
十九夜 み堂へ まいるべし
とらの 二月 十九日
十九夜 念佛 はじまりて
十九夜 念佛 もうすなり
南無阿彌陀佛 阿彌陀佛
ずいぶん あらたよ しよじんし
おうしょう しょうじの ふだをうけ
死して 浄土へ 行くさきは
妙法蓮華の 花 さきて
十方 はるかよ しずまりて
吹きくる風も おだやかに
天より 如意輪 観世音
玉のてんがい さしあげて
八萬余丈の 血の池も
かるさの 池と 見て とほる
六観音の そのうちに
如意輪ぼさつの 御慈悲よ
あまねく しゆじょうを すくわんと
六道 しやじやよ おたちあり
かなしき 女人の あわれさは
今朝迄 すみし 早やにごる
ばんぜが 下の 池の水
すすいで こぼす たつときわ
天も地神も 水神も
ゆるさや 給へや 観世音
十九夜 み堂へ いる人は
長がく さんずの 苦をのがれ
極楽浄土へ いちらいす
まんだが池の ななじよも
いつしか 心が 浮かみける
けふ 十九夜を しきとくよ
南無阿彌陀佛 あみだ佛
如意輪 めいども 有がたや
じしんの 親たち ありありと
すくわせ 給へや 観世音
即身成佛 南無阿彌陀
南無如意輪 観世音菩薩
種種 重罪 五逆 消滅
自他 平等 即身成佛
南無観世音菩薩」
<昭和57年11月の十九夜和讃本>
「きみよぅちょうらい 十九夜の
ゆらいを くわしくたづぬれば
によいりんぼさつの せいぐわんに
雨のふる夜も ふらぬ夜も
いかなるしんの くらき夜も
いとわず たがわず きらいなく
とらの二月の 十九日
十九夜みどうへ まいるべし
十九夜ねんぶつ はじまりて
十九夜ねんぶつ もうすなり
南無あみだぶつ あみだぶつ あみだぶつ
ずいぶに あらたに しょうじんし
をしよう しよじの ふだをうけ
死して じょうどへ ゆくときに
みようほうれんげの 花咲きて
十方はるかに しづまりて
ふきくる風も おだやかに
天より によいりん くわんぜおん
たまの天がい さしあげて
八まんよじゅんの 血の池も
かるさの池と みてとおる
大くわんおんの そのうちに
によいりんぼさつの おじひにて
あまねくしゅじょうも すくわんと
六どしじうおうに おたちあり
かなしき によにんの あわれさは
けさまですみしは はやにごる
南無あみだぶつ あみだぶつ あみだぶつ
ばんじがしたの 池の水
すすいでこすは たつときは
天も 地神も 水神も
ゆるさせたまえや くわんぜおん
十九夜 みどうへ 入る人は
長く三づの 苦をのがれ
ごくらく浄土へ 一らいす
まんだら池の ないしよも
いづるこころも うかれける
今日十九夜と しきとくに
によがみ いとも ありがたく
自身の おやたち あれありと
即身成佛 南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛」
(H25. 2.17 EOS40D撮影)