10年ほど前に学徒さんに教えてもらった天理市兵庫町の将軍祭。
兵庫町は新泉町に鎮座する大和神社の北方数百メートルにある旧村。
春祭りで名高いちゃんちゃん祭が行われる大和神社の郷中にあたる旧村である。
ちゃんちゃん祭における重要な役目を担う龍の口舞を所作するのが兵庫町だ。
兵庫町の氏神社から大和神社に向かう道。
南池を越える辺りは小字宮ノ口。
氏神さんが鎮座する地は小字牛頭を兵庫住民はコミヤサン(小宮さん)と呼んでいる。
素戔嗚尊こと須佐之男命を祀る素盞嗚神社のことであるが、かつては牛頭天王社であったと思われる。
弘化五年(1848)戌申二月吉日に建之された燈籠には「須佐之男命」が刻まれている。
願主に嘉兵衛の名があった。
境内に建つ大神宮には「天下泰平御地頭御武運長久」の刻印がある。
文政十一年(1828)子十月吉日に建之した大神宮は兵庫の地頭が寄進したようである。
兵庫町は東垣内、新建(しんたち)、西垣内、西新町、北新町の5垣内。
もともとは東垣内、新建、西垣内の旧村60戸であったが、JR桜井線長柄駅の西方に新町ができてから100戸の集落になった。
節分後の日曜日の朝。
公民館に集まった兵庫の旧村60軒の氏子のほとんどは農家組合に属している。
行事に使われる造りものを分担して作っていく。
「須佐之男命」の版木を摺ってお札を作る組、幣串を作る組、ススンボの竹で矢を作る組、ウメの木で弓を作る組、竹を編んで鬼の的を作る組、それぞれが同時並行で作っていく。
モチワラでチンマキ(チマキとも)を作る組もある。
「これが一番難しいんじゃ」と云いながら作っていく。
矢は切り込みを入れた矢羽根を挿し込んで40本も作る。
二股に編むチンマキは昨年秋に収穫したモチゴメである。
これを20本作る。
「須佐之男命」のお札はネコヤナギ(この年はカワヤナギ)の木に括りつける。
これも20本。
兵庫町の農家は20軒。
その数だというそれぞれの作りものは5月のゴールデンウイークの頃に作る苗代に花を添えて立てるという。
その場には大和神社で行われる御田植祭で所作される松苗とともに立てるそうだ。
1時間ほどで揃えた将軍祭の作りもの。
出来あがったそれらは素盞嗚神社の拝殿に供える。
村の神主役が勤めるお祓いの神事である。
拝殿に登るのは神主役と区長の二人。
氏子たちは境内で神事を見守る。
そうして神事を終えれば一同は宮ノ口辺りのゲートボール場横の田んぼに鬼の的を設える。
薦を敷いて四方に幣串を立てる。
両脇には笹を立てて中央に鬼の的を吊るす。
矢を射るのは区長の役目である。
天、地、東、西、南、北に1本ずつ矢を射る。
最後に鬼の的を目がけて矢を射る。
この年の的はなかなかぶち抜くことができない。
的に貼った紙は模造紙の厚紙。
矢が通ることなく弾かれてしまう。
何度も何度も矢を射る区長。
数回もチャレンジしてぶち抜いた鬼の的。
的に穴が開いて拍手喝さい。
村から悪霊を追い出すことができたのである。
兵庫町の年初行事である将軍祭は親しみを込めて将軍さんとも呼ばれている。
「荘厳」の呼び名もあるようだが正式名称は初魂祭(しょこんさい)である。
天理市荒蒔町の勝手神社で行われる将軍さんと呼ぶ行事がある。
当地ではトコロ、ミカン、串柿、キンカン、落花生、栗、輪切りダイコンなどを御供する行事である。
かつては松葉に牛玉宝印も供えたという行事はオコナイとも呼んでいた荘厳さんであったようだ。
兵庫町も荒蒔町も寺行事の荘厳さんが訛って将軍さんの呼び名になったのではないだろうか。
公民館を挟んで南に素盞嗚神社、北側に神護寺がある。
大和神社の神宮寺の一つに挙げられるお寺だったそうだ。
現在は融通念仏宗であるが、かつては真言宗であった。
神護寺の行事は伝わっていないが、神護寺と素盞嗚神社における神仏混合の行事であったかも知れない。
鬼打ちを終えた一同は素盞嗚神社へ戻って直会。
お神酒やスルメとクシガキ御供を下げていただく。
直会が終われば神社で祈祷したチンマキ、2本の矢、お札を括りつけたカワヤナギを持ち帰る。
一連の行事を終えれば公民館で寄りあう村の初集会に移る。
集会に配膳されるパック詰めの料理。
それ以外に大釜で炊いた粕汁もよばれる。
粕汁は頭屋の振る舞い料理である。
会食の接待もする頭屋はホンドーヤ(本頭屋)と受けトーヤ(受け頭屋)のそれぞれ二組。
夫婦揃って接待をする。
鬼打ちをされたK区長は受けトーヤでもあった。
ホンドーヤの任期は一年間で、この日が最後のお勤めである。
翌日に受けトーヤへ引き継ぐ(史料によれば前日迄に)という。
トーヤ(頭屋)はオヤトーヤ(親頭屋)とコトーヤ(子頭屋)の2軒。
兄頭屋、弟頭屋とも呼ぶ親頭屋と子頭屋である。
玄関前に分霊を祀るお仮屋を建てるちゃんちゃん祭の頭屋でもある。
頭屋家の子供が頭人児になる。
近年は生まれる子供も少なくなった。
頭屋家においてもあてがう子供はいない。
その場合は親戚筋等から借りてでも行っていると話す粕汁作りに徹するK受けトーヤ。
ダイコン、ニンジン、コンニャク、シャケ、アゲに合わせ味噌で仕立てる粕汁は酒粕をどっさり入れたそうだ。
昔はシャケ(鮭)でなくサバだったと話す粕汁は外で食べても美味しい。
トーヤの心遣いでおかわり2杯もよばれてしまうほどの美味さである。
翌日は神護寺でセチ(節会)が行われる。
そのときも粕汁を振る舞うという。
トーヤの回りは同一垣内の戸数の関係で40年に一度。
現在は新町に入居した人も村入りする。
西垣内に属する回りになるという。
3月23日に行われるちゃんちゃん祭の宮入りには煎った大豆を親頭屋・子頭屋とも二合持参して大和神社に奉納する。
それにはなぜか醤油をかけて塗しておく。
そこにトリコ(餅の取り粉)も塗すが理由は判らないと話す。
(H25. 2.10 EOS40D撮影)
兵庫町は新泉町に鎮座する大和神社の北方数百メートルにある旧村。
春祭りで名高いちゃんちゃん祭が行われる大和神社の郷中にあたる旧村である。
ちゃんちゃん祭における重要な役目を担う龍の口舞を所作するのが兵庫町だ。
兵庫町の氏神社から大和神社に向かう道。
南池を越える辺りは小字宮ノ口。
氏神さんが鎮座する地は小字牛頭を兵庫住民はコミヤサン(小宮さん)と呼んでいる。
素戔嗚尊こと須佐之男命を祀る素盞嗚神社のことであるが、かつては牛頭天王社であったと思われる。
弘化五年(1848)戌申二月吉日に建之された燈籠には「須佐之男命」が刻まれている。
願主に嘉兵衛の名があった。
境内に建つ大神宮には「天下泰平御地頭御武運長久」の刻印がある。
文政十一年(1828)子十月吉日に建之した大神宮は兵庫の地頭が寄進したようである。
兵庫町は東垣内、新建(しんたち)、西垣内、西新町、北新町の5垣内。
もともとは東垣内、新建、西垣内の旧村60戸であったが、JR桜井線長柄駅の西方に新町ができてから100戸の集落になった。
節分後の日曜日の朝。
公民館に集まった兵庫の旧村60軒の氏子のほとんどは農家組合に属している。
行事に使われる造りものを分担して作っていく。
「須佐之男命」の版木を摺ってお札を作る組、幣串を作る組、ススンボの竹で矢を作る組、ウメの木で弓を作る組、竹を編んで鬼の的を作る組、それぞれが同時並行で作っていく。
モチワラでチンマキ(チマキとも)を作る組もある。
「これが一番難しいんじゃ」と云いながら作っていく。
矢は切り込みを入れた矢羽根を挿し込んで40本も作る。
二股に編むチンマキは昨年秋に収穫したモチゴメである。
これを20本作る。
「須佐之男命」のお札はネコヤナギ(この年はカワヤナギ)の木に括りつける。
これも20本。
兵庫町の農家は20軒。
その数だというそれぞれの作りものは5月のゴールデンウイークの頃に作る苗代に花を添えて立てるという。
その場には大和神社で行われる御田植祭で所作される松苗とともに立てるそうだ。
1時間ほどで揃えた将軍祭の作りもの。
出来あがったそれらは素盞嗚神社の拝殿に供える。
村の神主役が勤めるお祓いの神事である。
拝殿に登るのは神主役と区長の二人。
氏子たちは境内で神事を見守る。
そうして神事を終えれば一同は宮ノ口辺りのゲートボール場横の田んぼに鬼の的を設える。
薦を敷いて四方に幣串を立てる。
両脇には笹を立てて中央に鬼の的を吊るす。
矢を射るのは区長の役目である。
天、地、東、西、南、北に1本ずつ矢を射る。
最後に鬼の的を目がけて矢を射る。
この年の的はなかなかぶち抜くことができない。
的に貼った紙は模造紙の厚紙。
矢が通ることなく弾かれてしまう。
何度も何度も矢を射る区長。
数回もチャレンジしてぶち抜いた鬼の的。
的に穴が開いて拍手喝さい。
村から悪霊を追い出すことができたのである。
兵庫町の年初行事である将軍祭は親しみを込めて将軍さんとも呼ばれている。
「荘厳」の呼び名もあるようだが正式名称は初魂祭(しょこんさい)である。
天理市荒蒔町の勝手神社で行われる将軍さんと呼ぶ行事がある。
当地ではトコロ、ミカン、串柿、キンカン、落花生、栗、輪切りダイコンなどを御供する行事である。
かつては松葉に牛玉宝印も供えたという行事はオコナイとも呼んでいた荘厳さんであったようだ。
兵庫町も荒蒔町も寺行事の荘厳さんが訛って将軍さんの呼び名になったのではないだろうか。
公民館を挟んで南に素盞嗚神社、北側に神護寺がある。
大和神社の神宮寺の一つに挙げられるお寺だったそうだ。
現在は融通念仏宗であるが、かつては真言宗であった。
神護寺の行事は伝わっていないが、神護寺と素盞嗚神社における神仏混合の行事であったかも知れない。
鬼打ちを終えた一同は素盞嗚神社へ戻って直会。
お神酒やスルメとクシガキ御供を下げていただく。
直会が終われば神社で祈祷したチンマキ、2本の矢、お札を括りつけたカワヤナギを持ち帰る。
一連の行事を終えれば公民館で寄りあう村の初集会に移る。
集会に配膳されるパック詰めの料理。
それ以外に大釜で炊いた粕汁もよばれる。
粕汁は頭屋の振る舞い料理である。
会食の接待もする頭屋はホンドーヤ(本頭屋)と受けトーヤ(受け頭屋)のそれぞれ二組。
夫婦揃って接待をする。
鬼打ちをされたK区長は受けトーヤでもあった。
ホンドーヤの任期は一年間で、この日が最後のお勤めである。
翌日に受けトーヤへ引き継ぐ(史料によれば前日迄に)という。
トーヤ(頭屋)はオヤトーヤ(親頭屋)とコトーヤ(子頭屋)の2軒。
兄頭屋、弟頭屋とも呼ぶ親頭屋と子頭屋である。
玄関前に分霊を祀るお仮屋を建てるちゃんちゃん祭の頭屋でもある。
頭屋家の子供が頭人児になる。
近年は生まれる子供も少なくなった。
頭屋家においてもあてがう子供はいない。
その場合は親戚筋等から借りてでも行っていると話す粕汁作りに徹するK受けトーヤ。
ダイコン、ニンジン、コンニャク、シャケ、アゲに合わせ味噌で仕立てる粕汁は酒粕をどっさり入れたそうだ。
昔はシャケ(鮭)でなくサバだったと話す粕汁は外で食べても美味しい。
トーヤの心遣いでおかわり2杯もよばれてしまうほどの美味さである。
翌日は神護寺でセチ(節会)が行われる。
そのときも粕汁を振る舞うという。
トーヤの回りは同一垣内の戸数の関係で40年に一度。
現在は新町に入居した人も村入りする。
西垣内に属する回りになるという。
3月23日に行われるちゃんちゃん祭の宮入りには煎った大豆を親頭屋・子頭屋とも二合持参して大和神社に奉納する。
それにはなぜか醤油をかけて塗しておく。
そこにトリコ(餅の取り粉)も塗すが理由は判らないと話す。
(H25. 2.10 EOS40D撮影)