5年ぶりに訪れた桜井市脇本の二月朔座。
当時は座の儀式の途中で場を離れる私的な事情があった。
いつかは見届けたいと思っていた。
たまたま訪れた脇本の区長家。
家の前を通り過ぎる総代にであった。
この日は宮座の8人が頭屋家に招かれて会食をされることから歩いていた総代さん。
今年の頭屋家の座式は狭いことから遠慮しようと思っていた矢先に出合った区長。
三重県から座行事の食事の在り方を拝見したいと申し出があって待ち合わせをしていると話す。
帰ろうと思っていたが区長のひと声。
「一緒に行こう」である。
千載一遇、合い乗りの取材は急なお願い。
頭屋家はこれまでにも脇本の行事取材で存じていたS氏であった。
ありがたく承諾を受けての緊急取材である。
頭屋家主人の息子が勤める頭人(ト-ニン)が天秤棒で担ぐ餅桶は平成10年12月に当時の一老が寄進された祭り道具。
神職、一老とともに春日神社に向かう。
二段重ねの鏡餅を供えて神事が行われる。
次に訪れたのはイワクラさんと弁天さん。
かつて弁天さんは奥の谷間にあった。
歩行することが困難な地であったことから社をイワクラさんの地に移した。
イワクラさんはその名の通りの岩蔵(座)である。
ふと見上げれば崖面に掘られたイワクラさんが見える。
三社の巡拝を終えて戻ってきた頭屋家。
平成元年12月に新調された幕を張る。
寄進した一老や頭屋中の名がある。
鏡餅やコモチを火で炙って表面に焦げ目をつけるのは手伝いさんの役目。
頭屋家の親戚筋にあたる人だ。
手伝いの男性は都祁吐山のN氏。
昨年に亡くなられた社守の跡目を継いだと云う社守さんだった。
4月に行われる恵比須神社の春祭りである御田子行事において「伊勢の山の御田打つ男 しがらみのかさきて 植えようじょ 植えようじょ」と高らかに謡うオンダの台詞を口上しなければならないと話す。
焦げ目が出来あがれば頭屋家での神事が始まる。
神棚に設えた分霊には太い注連縄が掛けられている。
昨年の10月に頭屋受けをされて宮遷しした頭屋家の神さんである。
神棚には米寿祝いの名札もある。
この日は地区の長寿を祝う場でもある。
神事を終えて入室を許していただき座敷に上がらせてもらった。
座の席は決まっている。
中央に区長が座って、左右に神職と一老である。
頭屋衆の席は座受けした順に交互に座って下座に頭人(トーニン)が着く。
座の膳はパック詰め料理があるが、初めに配られるのは神饌御供した二段重ねの鏡餅である。
先ほど焦げ目をつけたばかりの鏡餅である。
次に配るのが雑煮である。
豆腐、サトイモ、ダイコンを入れた雑煮は白味噌仕立て。
焦げ目をつけたコモチも入れた雑煮である。
脇本の頭屋中における座料理はお正月。
二月も正月としている座中料理の雑煮のモチは一旦、椀から取り出す。
皿に盛ったキナコに塗すのである。
テレビ放映された「ケンミンショー」で馴染みのある雑煮モチの食べ方だ。
マメ挽き器で挽いたアオマメはキナコにした。
僅かに豆の香りが漂うキナコをつけてそのまま食べる人もあれば再び雑煮椀に浸けて食べる人もいる。
作法に決まりはないらしい。
座中がよばれる雑煮は鏡餅とともに神棚にも供えた。
神さんにも食べてもらうのである。
お神酒を座中に注ぎ回る頭屋さん。
息子の頭人は会食するが頭屋は接待役に徹する。
しばらくすれば大皿に盛ったゴボウを座中に配膳する頭屋。
ハリハリと呼ぶアオノリを振り掛けた太めのゴボウである。
配膳といっても食べる皿ではない。
二段重ねの鏡餅に載せるのだ。
これを一献の儀式だと云う。
パック詰め料理でお酒をいただく座の場は会話が弾む。
お酒をなんども注ぐ頭屋と手伝い。
40分も経過した時間帯になれば、酔い加減に合わせて二献の儀の厚めのコンニャクを配膳する。
これも鏡餅に載せるのである。
かつてのコンニャクは包丁で切れ目を入れてぐにゃっと撚りして巻いたと話す座中。
「それは女器や」と云う。
頭屋も手伝いも一切口にすることなく何度も何度もお酒を注ぎ回って歓談の場を奨める。
それから30分後に差し出された三献の儀はカズノコ。
鏡餅に三つの献立を盛ったのである。
「これで判ったやろう。ゴボウは男、コンニャクは女、カズノコはたくさんの子供ということだ」と口々に話す座中。
まさに座中の子孫繁栄を願った三献の献立であった。
昔はゴボウにクズ(葛)塗していたそうだが今はアオノリ。
食べやすくしたようだ。
座中の繁栄を願った料理のゴボウは婦人たちが食べていたと笑顔で話す。
以前の座では三献の料理だけで酒を飲んでいたそうだが現在はパック詰め料理が酒の肴である。
座の宴もたけなわ。
始まってから2時間後のことだ。
お銚子をたくさん運ぶ頭屋。
区長がもつ椀に並々と注ぐお酒。
そうして始まった謡いの高砂である。
謡いは総代だ。
一時廃れていた謡いを復活させたいと数年前から習ったと云う。
区長、神職、一老への順に回されて椀の酒を飲む。
その都度注ぎ足されるお銚子の酒は毎回溢れるほどの満杯の酒である。
座受けした順に座る座中へ注ぐ酒の回し飲みに際した謡いは鶴亀から猩猩(しょうじょう)に移っていった。
座中の一人は椀の酒を底まで飲みほして拍手喝さい。
高砂は目出度い謡い。
鶴亀は棟上げや増築の際に謡われる。
猩猩は酔いの謡い。
飲んでも、飲んでも、さらに飲むのだと総代が語る。
最後に頭人も飲んで千秋楽で終えた二月の朔座の座儀は、本来ならこの場で次の頭屋決めをする神籤があった。
数年前からは辞退する家が多くなったことから籤を引くどころか、頼みの頭屋となった。
当時はホラ貝を吹いて町内を巡り、クジ引きする合図に吹き回ったそうだ。
そのホラ貝は鉄輪の器とともに座中箱に残されている。
鉄輪の器(直径15cm・高さ8cm)は秋祭りに供えていた御供のハチマキメシ作りに用いる道具。
オコワを蒸した米飯をこれに詰め込んだ。
ムシメシとも呼んでいたハチマキメシの周囲には稲藁を三重に巻いていたというのは10年も前のことだ。
二月を旧の正月として捉えていた脇本の二月朔座(ついたちざ)はこうして終えて散会した。
三献された鏡餅はと言えば食べずに座中が持ち帰るのであった。
脇本が正月に飾る神社の大注連縄はかつて旧の正月七日であったそうだ。
「それでは年越し、初詣に参っても注連縄がない」と村人から意見がでて年末になったと云う。
ちなみに祭りの宮送りの際に唄う伊勢音頭は「送りの唄」である。
(H25. 2. 3 EOS40D撮影)
当時は座の儀式の途中で場を離れる私的な事情があった。
いつかは見届けたいと思っていた。
たまたま訪れた脇本の区長家。
家の前を通り過ぎる総代にであった。
この日は宮座の8人が頭屋家に招かれて会食をされることから歩いていた総代さん。
今年の頭屋家の座式は狭いことから遠慮しようと思っていた矢先に出合った区長。
三重県から座行事の食事の在り方を拝見したいと申し出があって待ち合わせをしていると話す。
帰ろうと思っていたが区長のひと声。
「一緒に行こう」である。
千載一遇、合い乗りの取材は急なお願い。
頭屋家はこれまでにも脇本の行事取材で存じていたS氏であった。
ありがたく承諾を受けての緊急取材である。
頭屋家主人の息子が勤める頭人(ト-ニン)が天秤棒で担ぐ餅桶は平成10年12月に当時の一老が寄進された祭り道具。
神職、一老とともに春日神社に向かう。
二段重ねの鏡餅を供えて神事が行われる。
次に訪れたのはイワクラさんと弁天さん。
かつて弁天さんは奥の谷間にあった。
歩行することが困難な地であったことから社をイワクラさんの地に移した。
イワクラさんはその名の通りの岩蔵(座)である。
ふと見上げれば崖面に掘られたイワクラさんが見える。
三社の巡拝を終えて戻ってきた頭屋家。
平成元年12月に新調された幕を張る。
寄進した一老や頭屋中の名がある。
鏡餅やコモチを火で炙って表面に焦げ目をつけるのは手伝いさんの役目。
頭屋家の親戚筋にあたる人だ。
手伝いの男性は都祁吐山のN氏。
昨年に亡くなられた社守の跡目を継いだと云う社守さんだった。
4月に行われる恵比須神社の春祭りである御田子行事において「伊勢の山の御田打つ男 しがらみのかさきて 植えようじょ 植えようじょ」と高らかに謡うオンダの台詞を口上しなければならないと話す。
焦げ目が出来あがれば頭屋家での神事が始まる。
神棚に設えた分霊には太い注連縄が掛けられている。
昨年の10月に頭屋受けをされて宮遷しした頭屋家の神さんである。
神棚には米寿祝いの名札もある。
この日は地区の長寿を祝う場でもある。
神事を終えて入室を許していただき座敷に上がらせてもらった。
座の席は決まっている。
中央に区長が座って、左右に神職と一老である。
頭屋衆の席は座受けした順に交互に座って下座に頭人(トーニン)が着く。
座の膳はパック詰め料理があるが、初めに配られるのは神饌御供した二段重ねの鏡餅である。
先ほど焦げ目をつけたばかりの鏡餅である。
次に配るのが雑煮である。
豆腐、サトイモ、ダイコンを入れた雑煮は白味噌仕立て。
焦げ目をつけたコモチも入れた雑煮である。
脇本の頭屋中における座料理はお正月。
二月も正月としている座中料理の雑煮のモチは一旦、椀から取り出す。
皿に盛ったキナコに塗すのである。
テレビ放映された「ケンミンショー」で馴染みのある雑煮モチの食べ方だ。
マメ挽き器で挽いたアオマメはキナコにした。
僅かに豆の香りが漂うキナコをつけてそのまま食べる人もあれば再び雑煮椀に浸けて食べる人もいる。
作法に決まりはないらしい。
座中がよばれる雑煮は鏡餅とともに神棚にも供えた。
神さんにも食べてもらうのである。
お神酒を座中に注ぎ回る頭屋さん。
息子の頭人は会食するが頭屋は接待役に徹する。
しばらくすれば大皿に盛ったゴボウを座中に配膳する頭屋。
ハリハリと呼ぶアオノリを振り掛けた太めのゴボウである。
配膳といっても食べる皿ではない。
二段重ねの鏡餅に載せるのだ。
これを一献の儀式だと云う。
パック詰め料理でお酒をいただく座の場は会話が弾む。
お酒をなんども注ぐ頭屋と手伝い。
40分も経過した時間帯になれば、酔い加減に合わせて二献の儀の厚めのコンニャクを配膳する。
これも鏡餅に載せるのである。
かつてのコンニャクは包丁で切れ目を入れてぐにゃっと撚りして巻いたと話す座中。
「それは女器や」と云う。
頭屋も手伝いも一切口にすることなく何度も何度もお酒を注ぎ回って歓談の場を奨める。
それから30分後に差し出された三献の儀はカズノコ。
鏡餅に三つの献立を盛ったのである。
「これで判ったやろう。ゴボウは男、コンニャクは女、カズノコはたくさんの子供ということだ」と口々に話す座中。
まさに座中の子孫繁栄を願った三献の献立であった。
昔はゴボウにクズ(葛)塗していたそうだが今はアオノリ。
食べやすくしたようだ。
座中の繁栄を願った料理のゴボウは婦人たちが食べていたと笑顔で話す。
以前の座では三献の料理だけで酒を飲んでいたそうだが現在はパック詰め料理が酒の肴である。
座の宴もたけなわ。
始まってから2時間後のことだ。
お銚子をたくさん運ぶ頭屋。
区長がもつ椀に並々と注ぐお酒。
そうして始まった謡いの高砂である。
謡いは総代だ。
一時廃れていた謡いを復活させたいと数年前から習ったと云う。
区長、神職、一老への順に回されて椀の酒を飲む。
その都度注ぎ足されるお銚子の酒は毎回溢れるほどの満杯の酒である。
座受けした順に座る座中へ注ぐ酒の回し飲みに際した謡いは鶴亀から猩猩(しょうじょう)に移っていった。
座中の一人は椀の酒を底まで飲みほして拍手喝さい。
高砂は目出度い謡い。
鶴亀は棟上げや増築の際に謡われる。
猩猩は酔いの謡い。
飲んでも、飲んでも、さらに飲むのだと総代が語る。
最後に頭人も飲んで千秋楽で終えた二月の朔座の座儀は、本来ならこの場で次の頭屋決めをする神籤があった。
数年前からは辞退する家が多くなったことから籤を引くどころか、頼みの頭屋となった。
当時はホラ貝を吹いて町内を巡り、クジ引きする合図に吹き回ったそうだ。
そのホラ貝は鉄輪の器とともに座中箱に残されている。
鉄輪の器(直径15cm・高さ8cm)は秋祭りに供えていた御供のハチマキメシ作りに用いる道具。
オコワを蒸した米飯をこれに詰め込んだ。
ムシメシとも呼んでいたハチマキメシの周囲には稲藁を三重に巻いていたというのは10年も前のことだ。
二月を旧の正月として捉えていた脇本の二月朔座(ついたちざ)はこうして終えて散会した。
三献された鏡餅はと言えば食べずに座中が持ち帰るのであった。
脇本が正月に飾る神社の大注連縄はかつて旧の正月七日であったそうだ。
「それでは年越し、初詣に参っても注連縄がない」と村人から意見がでて年末になったと云う。
ちなみに祭りの宮送りの際に唄う伊勢音頭は「送りの唄」である。
(H25. 2. 3 EOS40D撮影)