一週間前に立ち寄った天理市藤井町。
東山間にある地域は福住を中心によく雪が積もる。
この年の12月は特に多かった。
前日に降り積もった雪は気温が低くなかなか溶けない。
旧家の井戸に積もった雪が冷たいようだ。
雪はその後も降った。
降り積もれば急坂な山道は危険状態。
スタッドレスタイヤであっても登ることが難しい。
下りであればもっと怖いと思っていた前夜。
朝、起きてみれば快晴だった。
天気予報はわずかに外れたと思ってお日さんに感謝する。
藤井町の民家で行われている「カラスノモチ」を知ったのは平成23年1月のことだった。
宮本六人衆の一人であるN家の前庭の木にあったカラスノモチである。
年末の12月30日は家のモチを搗く。
残りモチを小さくちぎって木の枝の先に挿す。
モチは12個。
を四角い升に入れて庭に出る。
「カラコ カラコ モチやるわ ザクロ三つと替えことしょ」と囃しながら枝にくっつけるというものだ。
カラスノモチは、かつて集落に大勢の子供がいた時代は各戸で行われていたと云う。
今ではこうしたカラスノモチをしているのは上垣内のN家だけのようである。
貴重な風習を知ってお願いしていたカラスノモチの在り方の取材である。
この日も昨日に降った雪が積もっていた藤井町。
野原に白い雪がある。
「あんたが来るのを待っていたよ」と話す奥さん。
午前中は正月のモチを搗いていた。
残りのモチを細かくちぎって五合枡に入れる。
五合枡は一升枡の半分。
ますます繁盛する願いで五合枡に入れていると話す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/56/a06da50d3651efc30c98a139fa7abd93.jpg)
カラスノモチを枝にくっつけるのはお孫さん。
小さいころからお爺さんに頼まれていつもしていると話す。
N家は平成22年10月に行われた三十八神社の祭り当家。
宵宮お渡りの際に出仕されたお孫さんは数え年が18歳。
トーニンを勤めた彼は21歳。
成人に達していたが、今でも子供扱い。
カラスノモチをくっつける役目をしている。
くっつける際に発声する「カラコ カラコ モチやるわ 12のモチと ザクロ三つ替えことしょ」の囃し詞。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/25/1ca010d3fb6fb5f1871e573a72551c92.jpg)
「こうやってするんだ」とお爺ちゃんが孫に伝えるカラスノモチの作法である。
どういう意味があるのか、おまじないであるのか、判らないカラスノモチの囃し詞である。
例年であれば、くっつけるカラスノモチは12個であるが、旧暦閏年となれば13個。
旧暦であれば「大」の月がふた二月ある一年の月数である。
平成24年の12月に取材した奈良市中誓多林のテンノウサンのカラスドンノモチもそうしているが、「ザクロ三つ」の台詞は見られない。
いずれにしても旧暦13という数値は江戸時代から継承されている家の風習に違いない。
平成24年の4月、旧都祁村の小山戸で聞き取ったカラスノモチにも台詞があった。
小山戸では木の枝でなく、クワの上にモチを12個入れて、クリの木かカキの木の下に置いたと云っていた。
その際に唱えた囃し詞は「カラスコイ モチヤルゾ ジャクロミッツト カイコトショ」である。
「ジャクロ」はザクロ。
ここでも三つ交換する囃し詞である。
昭和63年に天理市楢町が発刊された『楢町史』によれば、カラスノモチは13個。
囃し詞は「カラスこい、カラスこい」とゴンゲンさまの遣いのカラスにモチをやっていたと書いてあった。
昭和36年に発刊された『桜井市文化叢書 民俗編』によれば、正月のモチ搗きを終えて、そのモチをカラスに撒くと書いてあった。
一つのモチを割いて枡に入れる。
そのモチを山や畑の木に挿す。
飛んできたカラスにはモチを放り投げることもするカラスノモチは平年なら12個で、閏年であれば13個にする。
その際には「カラスこい モチやるわ 一つのモチを 十二に割って おまえにゃ一つ おれには二つ ザクロ三つとかいことしょ 宙でとったら皆やるわ」と唄を歌うと書いてあった。
大字は桜井市の吉隠(よなばり)或いは宇陀市榛原の角柄(つのがら)辺りであろうか。
場所は違えども、いずれもザクロ三つと交換する詞である。
ザクロ三つの謎は解けなかったが、N家で正月のモチをよばれることになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/fe/90f7379508b7998b5994729eeba6a287.jpg)
モチはネコモチの形にしたドヤモチだ。
ドヤモチは二番口にでる「アオ」のお米。
臼挽きしたあとで選別をする。
下に落ちた青い米はクズ米にした。
山間で陽の当たらないひ弱な米だったと話す米を「コゴメ」と呼んでいた。
モチ米と「アオ」を混ぜて搗いたのを「ドヤモチ」と呼ぶ。
切ったドヤモチを焼く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/1b/6cba6798c4b27e73df91ad1f634d9ce2.jpg)
水に浸けてキナコと砂糖を塗していただく。
甘みがあってホロ苦さをもつドヤモチは美味しいと感じるのだが、かーさんももうひとつだと云う。
大阪府南河内郡滝谷不動で生まれた私のおふくろは87歳。
私が子供のころに度々遊んでいた母家は萱葺き家の旧家だった。
おふくろが子供のときのことだと話す正月のモチ搗き。
正月直前の日だったというから30日であろう。
モチは鏡餅、小餅にコゴメを入れたボロモチ。
藤井町で聞いたドヤモチの呼び名を滝谷不動ではボロモチだった。
コモチには干しエビ、ゴマ、クロマメを入れて蒸したモチ米。
それを杵で搗いていた。
子供だったので丸めては食べていた。
特に好きだったというのがボロモチだったと話すおふくろ。
遺伝子は継いでいた。
おふくろが思い出した昔話は続く。
稲の穂を付けた藁で編んだ紐に括りつけて干した。
それはカキモチだ。
「早よやらな」と云われて柔らかいうちに包丁で切ったモチを絡めた。
モチ搗きが終われば残ったモチを千切ってヤナギの木の枝にくっつけた。
子供がするモチつけはいっぱいつけた。
その様相は白いモチが花のような感じだったことを思い出した。
話しの情景はおそらくオコナイ行事にあるモチバナ。
床の間に飾ったモチバナは正月明けに焼いて食べたそうだ。
そんな話を聞くのは始めてだ。
おふくろも云った。
「始めて話したんだ」と云うおふくろは87歳。
もっと多くのことを知りたいと思った実家の母家の風習。
モチバナが滝谷不動においてもあったことを知るのである。
そのボロモチではなく藤井井で貰ったボロモチを食べたおふくろ。
塩味が利いて何もつけないほうが美味しいと云った。
N家のモチ作り。
かつてはイノコのクルミモチもしていた。
アオマメをすり潰したクルミ。
正月13日に鬼打ち行事をされる三十八神社のお供えにあった。
箸の高さぐらいに組んだ井桁組みの牛蒡。
上からすり潰したアオマメかけていたお供えは随分前に途絶えたようだ。
6月30日はハガタメのモチ、7月1日はハッゲッショのモチを食べていた。
ドロイモを擦って砂糖と炭酸を入れた。
ユウ(ユズ)の葉はアオマメとともにホウラクで煎った。
ユウの香りがするキナコも作っていた。
彼岸のときには団子を作る。
昔はカラスキで粉をはっていた。
できた団子は餡を乗せてツバキの葉に置き家に供えると話すN家のモチ談義はつきない。
(H25.12.20 EOS40D撮影)
(H25.12.28 EOS40D撮影)
東山間にある地域は福住を中心によく雪が積もる。
この年の12月は特に多かった。
前日に降り積もった雪は気温が低くなかなか溶けない。
旧家の井戸に積もった雪が冷たいようだ。
雪はその後も降った。
降り積もれば急坂な山道は危険状態。
スタッドレスタイヤであっても登ることが難しい。
下りであればもっと怖いと思っていた前夜。
朝、起きてみれば快晴だった。
天気予報はわずかに外れたと思ってお日さんに感謝する。
藤井町の民家で行われている「カラスノモチ」を知ったのは平成23年1月のことだった。
宮本六人衆の一人であるN家の前庭の木にあったカラスノモチである。
年末の12月30日は家のモチを搗く。
残りモチを小さくちぎって木の枝の先に挿す。
モチは12個。
を四角い升に入れて庭に出る。
「カラコ カラコ モチやるわ ザクロ三つと替えことしょ」と囃しながら枝にくっつけるというものだ。
カラスノモチは、かつて集落に大勢の子供がいた時代は各戸で行われていたと云う。
今ではこうしたカラスノモチをしているのは上垣内のN家だけのようである。
貴重な風習を知ってお願いしていたカラスノモチの在り方の取材である。
この日も昨日に降った雪が積もっていた藤井町。
野原に白い雪がある。
「あんたが来るのを待っていたよ」と話す奥さん。
午前中は正月のモチを搗いていた。
残りのモチを細かくちぎって五合枡に入れる。
五合枡は一升枡の半分。
ますます繁盛する願いで五合枡に入れていると話す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/56/a06da50d3651efc30c98a139fa7abd93.jpg)
カラスノモチを枝にくっつけるのはお孫さん。
小さいころからお爺さんに頼まれていつもしていると話す。
N家は平成22年10月に行われた三十八神社の祭り当家。
宵宮お渡りの際に出仕されたお孫さんは数え年が18歳。
トーニンを勤めた彼は21歳。
成人に達していたが、今でも子供扱い。
カラスノモチをくっつける役目をしている。
くっつける際に発声する「カラコ カラコ モチやるわ 12のモチと ザクロ三つ替えことしょ」の囃し詞。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/25/1ca010d3fb6fb5f1871e573a72551c92.jpg)
「こうやってするんだ」とお爺ちゃんが孫に伝えるカラスノモチの作法である。
どういう意味があるのか、おまじないであるのか、判らないカラスノモチの囃し詞である。
例年であれば、くっつけるカラスノモチは12個であるが、旧暦閏年となれば13個。
旧暦であれば「大」の月がふた二月ある一年の月数である。
平成24年の12月に取材した奈良市中誓多林のテンノウサンのカラスドンノモチもそうしているが、「ザクロ三つ」の台詞は見られない。
いずれにしても旧暦13という数値は江戸時代から継承されている家の風習に違いない。
平成24年の4月、旧都祁村の小山戸で聞き取ったカラスノモチにも台詞があった。
小山戸では木の枝でなく、クワの上にモチを12個入れて、クリの木かカキの木の下に置いたと云っていた。
その際に唱えた囃し詞は「カラスコイ モチヤルゾ ジャクロミッツト カイコトショ」である。
「ジャクロ」はザクロ。
ここでも三つ交換する囃し詞である。
昭和63年に天理市楢町が発刊された『楢町史』によれば、カラスノモチは13個。
囃し詞は「カラスこい、カラスこい」とゴンゲンさまの遣いのカラスにモチをやっていたと書いてあった。
昭和36年に発刊された『桜井市文化叢書 民俗編』によれば、正月のモチ搗きを終えて、そのモチをカラスに撒くと書いてあった。
一つのモチを割いて枡に入れる。
そのモチを山や畑の木に挿す。
飛んできたカラスにはモチを放り投げることもするカラスノモチは平年なら12個で、閏年であれば13個にする。
その際には「カラスこい モチやるわ 一つのモチを 十二に割って おまえにゃ一つ おれには二つ ザクロ三つとかいことしょ 宙でとったら皆やるわ」と唄を歌うと書いてあった。
大字は桜井市の吉隠(よなばり)或いは宇陀市榛原の角柄(つのがら)辺りであろうか。
場所は違えども、いずれもザクロ三つと交換する詞である。
ザクロ三つの謎は解けなかったが、N家で正月のモチをよばれることになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/fe/90f7379508b7998b5994729eeba6a287.jpg)
モチはネコモチの形にしたドヤモチだ。
ドヤモチは二番口にでる「アオ」のお米。
臼挽きしたあとで選別をする。
下に落ちた青い米はクズ米にした。
山間で陽の当たらないひ弱な米だったと話す米を「コゴメ」と呼んでいた。
モチ米と「アオ」を混ぜて搗いたのを「ドヤモチ」と呼ぶ。
切ったドヤモチを焼く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/1b/6cba6798c4b27e73df91ad1f634d9ce2.jpg)
水に浸けてキナコと砂糖を塗していただく。
甘みがあってホロ苦さをもつドヤモチは美味しいと感じるのだが、かーさんももうひとつだと云う。
大阪府南河内郡滝谷不動で生まれた私のおふくろは87歳。
私が子供のころに度々遊んでいた母家は萱葺き家の旧家だった。
おふくろが子供のときのことだと話す正月のモチ搗き。
正月直前の日だったというから30日であろう。
モチは鏡餅、小餅にコゴメを入れたボロモチ。
藤井町で聞いたドヤモチの呼び名を滝谷不動ではボロモチだった。
コモチには干しエビ、ゴマ、クロマメを入れて蒸したモチ米。
それを杵で搗いていた。
子供だったので丸めては食べていた。
特に好きだったというのがボロモチだったと話すおふくろ。
遺伝子は継いでいた。
おふくろが思い出した昔話は続く。
稲の穂を付けた藁で編んだ紐に括りつけて干した。
それはカキモチだ。
「早よやらな」と云われて柔らかいうちに包丁で切ったモチを絡めた。
モチ搗きが終われば残ったモチを千切ってヤナギの木の枝にくっつけた。
子供がするモチつけはいっぱいつけた。
その様相は白いモチが花のような感じだったことを思い出した。
話しの情景はおそらくオコナイ行事にあるモチバナ。
床の間に飾ったモチバナは正月明けに焼いて食べたそうだ。
そんな話を聞くのは始めてだ。
おふくろも云った。
「始めて話したんだ」と云うおふくろは87歳。
もっと多くのことを知りたいと思った実家の母家の風習。
モチバナが滝谷不動においてもあったことを知るのである。
そのボロモチではなく藤井井で貰ったボロモチを食べたおふくろ。
塩味が利いて何もつけないほうが美味しいと云った。
N家のモチ作り。
かつてはイノコのクルミモチもしていた。
アオマメをすり潰したクルミ。
正月13日に鬼打ち行事をされる三十八神社のお供えにあった。
箸の高さぐらいに組んだ井桁組みの牛蒡。
上からすり潰したアオマメかけていたお供えは随分前に途絶えたようだ。
6月30日はハガタメのモチ、7月1日はハッゲッショのモチを食べていた。
ドロイモを擦って砂糖と炭酸を入れた。
ユウ(ユズ)の葉はアオマメとともにホウラクで煎った。
ユウの香りがするキナコも作っていた。
彼岸のときには団子を作る。
昔はカラスキで粉をはっていた。
できた団子は餡を乗せてツバキの葉に置き家に供えると話すN家のモチ談義はつきない。
(H25.12.20 EOS40D撮影)
(H25.12.28 EOS40D撮影)