奈良市の今市町。
広大寺池より西方に広がる田んぼの一角に挿してあった輪っかの注連縄があった。
それは竹に掛けてあった。
ダイダイかミカンか判らないが、注連縄であるには違わない。
そう思った不思議な物体を初見したのは平成23年の2月5日であった。
風雨にさらされたウラジロやユズリハも見られたその場は2カ所。
付近で農作業をしていたご婦人の話しによれば、そこは苗代を作る田だと云っていた。
床の間に飾る注連縄と同様にオシメサンと呼んでいた婦人は、竹に掛けた注連縄を立てた人は存知しない。
どなたが、どのような意味をもって立てたのか判らない。
平成24年の1月5日にも訪れた今市の田んぼ。
前年に拝見した同じ場所にあった田んぼの注連縄は七、五、三の輪っかであった。
この日も田んぼの主と会えなかった。
「大晦日の前日辺りにしているのでは」の一言を聞いて採訪していたが、そこにはなかった。
翌日の朝も畑に行ったがそれはなかった。
止めてしまったのではと思っていた。
念のためと考えて5日にやってきた今市の田んぼである。
この辺りをいつも散歩されていた男性の話しによれが、苗代をされる時期まで立っているという。
田植えが終われば、その苗代辺りに放置されていたと話していた。
そう、その場は2カ所とも苗代床であったのだ。
田んぼの主を探してみるも結局は判らなかった。
毎日出かけるわけにもいかない田主の探訪は続いて平成25年の3月14日にも訪れた。
その辺りを歩いてみる。
ガマ池手前の田んぼにあった注連縄。
3例目の発見である。
追ってその年の4月29日。
苗代作りをされていた田主にようやく巡り合った。
注連縄の本質を知りたくて3年間も通った今市の田んぼの出合いである。
苗代作りをされていた田主は、大晦日の夕方、日が落ちる直前に立てていると話していた。
輪っかの注連縄は玄関、蔵、便所、農道具にトラクターまで数多く作っておく。
何週間も前から作っておいたうちの一つを田んぼに立てているのだと話していた。
その時間に着いて待っていた今市の田んぼ。
軽トラに乗ってやってきた。
車から降りて、すぐさま竹ごと挿した。
数秒間のできごとである。
竹を挿した場は苗代をする処であった。
高く背を伸ばすような格好の葉付きの笹竹。
下部に輪っかの注連縄とウラジロを垂らしている。
竹の先は削って尖らし、ミカンを挿していた。
夕陽が挿し込む時間帯は逆光だ。
中央のミカン色が眩しい。
豊作を願う苗代場の注連縄立て。
手を合わせることもなく足早に去っていった。
挿した田主曰く、「あっちは2軒のYDさんで、こっちはYMさんや」と話していた。
昔は何軒もされていたが「これくらいになった」と云っていた。
それらを探して今市の田んぼの注連縄巡り。
一つは笹の葉もなくミカンを挿してユズリハを括りつけた輪っかの注連縄だった。
すぐ傍にもあった二つ目はユズリハではなく、ウラジロである。
ここも苗代の場である。
北側にたしかあったはずだと思って足を伸ばした田んぼには枯れ草がはびこっていた。
ミカンもなく笹にウラジロだけであった。
傍には前年の枯れた竹が残っている。
南側へ戻って池近く。
ここでは枯れた竹一本を立てて、七・五・三の輪っか注連縄を水平に、ウラジロを添えて水引で括っていた。
前年に拝見したときはミカンもあったと思うが・・・。
簡略化したものと思われるが、ここの田主とはお会いできていない。
傍にあったのは竹に挿したミカンにユズリハ、ウラジロに輪っかの注連縄だ。
合計で6カ所にもあった今市の田んぼの注連縄。
立てる人たちの時間はまちまち。
すべての人にお聞きして待っておれば不審者扱い間違いなしになるであろう。
再び戻って私が思う一番恰好が良いMさんが挿した注連縄の立ち姿にしばらく見惚れていた。
(H25.12.31 EOS40D撮影)
広大寺池より西方に広がる田んぼの一角に挿してあった輪っかの注連縄があった。
それは竹に掛けてあった。
ダイダイかミカンか判らないが、注連縄であるには違わない。
そう思った不思議な物体を初見したのは平成23年の2月5日であった。
風雨にさらされたウラジロやユズリハも見られたその場は2カ所。
付近で農作業をしていたご婦人の話しによれば、そこは苗代を作る田だと云っていた。
床の間に飾る注連縄と同様にオシメサンと呼んでいた婦人は、竹に掛けた注連縄を立てた人は存知しない。
どなたが、どのような意味をもって立てたのか判らない。
平成24年の1月5日にも訪れた今市の田んぼ。
前年に拝見した同じ場所にあった田んぼの注連縄は七、五、三の輪っかであった。
この日も田んぼの主と会えなかった。
「大晦日の前日辺りにしているのでは」の一言を聞いて採訪していたが、そこにはなかった。
翌日の朝も畑に行ったがそれはなかった。
止めてしまったのではと思っていた。
念のためと考えて5日にやってきた今市の田んぼである。
この辺りをいつも散歩されていた男性の話しによれが、苗代をされる時期まで立っているという。
田植えが終われば、その苗代辺りに放置されていたと話していた。
そう、その場は2カ所とも苗代床であったのだ。
田んぼの主を探してみるも結局は判らなかった。
毎日出かけるわけにもいかない田主の探訪は続いて平成25年の3月14日にも訪れた。
その辺りを歩いてみる。
ガマ池手前の田んぼにあった注連縄。
3例目の発見である。
追ってその年の4月29日。
苗代作りをされていた田主にようやく巡り合った。
注連縄の本質を知りたくて3年間も通った今市の田んぼの出合いである。
苗代作りをされていた田主は、大晦日の夕方、日が落ちる直前に立てていると話していた。
輪っかの注連縄は玄関、蔵、便所、農道具にトラクターまで数多く作っておく。
何週間も前から作っておいたうちの一つを田んぼに立てているのだと話していた。
その時間に着いて待っていた今市の田んぼ。
軽トラに乗ってやってきた。
車から降りて、すぐさま竹ごと挿した。
数秒間のできごとである。
竹を挿した場は苗代をする処であった。
高く背を伸ばすような格好の葉付きの笹竹。
下部に輪っかの注連縄とウラジロを垂らしている。
竹の先は削って尖らし、ミカンを挿していた。
夕陽が挿し込む時間帯は逆光だ。
中央のミカン色が眩しい。
豊作を願う苗代場の注連縄立て。
手を合わせることもなく足早に去っていった。
挿した田主曰く、「あっちは2軒のYDさんで、こっちはYMさんや」と話していた。
昔は何軒もされていたが「これくらいになった」と云っていた。
それらを探して今市の田んぼの注連縄巡り。
一つは笹の葉もなくミカンを挿してユズリハを括りつけた輪っかの注連縄だった。
すぐ傍にもあった二つ目はユズリハではなく、ウラジロである。
ここも苗代の場である。
北側にたしかあったはずだと思って足を伸ばした田んぼには枯れ草がはびこっていた。
ミカンもなく笹にウラジロだけであった。
傍には前年の枯れた竹が残っている。
南側へ戻って池近く。
ここでは枯れた竹一本を立てて、七・五・三の輪っか注連縄を水平に、ウラジロを添えて水引で括っていた。
前年に拝見したときはミカンもあったと思うが・・・。
簡略化したものと思われるが、ここの田主とはお会いできていない。
傍にあったのは竹に挿したミカンにユズリハ、ウラジロに輪っかの注連縄だ。
合計で6カ所にもあった今市の田んぼの注連縄。
立てる人たちの時間はまちまち。
すべての人にお聞きして待っておれば不審者扱い間違いなしになるであろう。
再び戻って私が思う一番恰好が良いMさんが挿した注連縄の立ち姿にしばらく見惚れていた。
(H25.12.31 EOS40D撮影)