マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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室生下笠間のオンボさん

2014年05月18日 07時56分08秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
室生の下笠間。

昨年の正月明けに訪れた民家の庭先に砂盛りが三つあった。

「これって何ですか」と尋ねれば「オンボサンや」と答えた婦人。

それは一体どういうものなのか。

確かめたくて、忙しい御主人と奥さんに無理を云ってお願いして撮らせてもらった。

20日に予め作っていた手編みの注連縄を玄関に取り付けて、オンボサン作りに移った。

3本の杭を地面に打ち付けてオンマツ、メンマツ、葉付きのカシの木を括りつける。



その順は玄関からみての並びで3本に掛けたのは注連縄で、その間にウロジロをやユズリハを取り付ける。



右端に立てたカシの木の「オンボサン」だけには房垂れのある注連縄と紙垂れを付けた注連縄を掛ける。

砂盛りはそれらの作業を終えてからだ。

おもむろに始めた砂撒き。



山砂を撒くのは場を清めるためだと云う。

「オンボサンは当家の男の数だけや」と云ってカシの木の2本を立てた。



オン松・メン松は家の門松に違わないが、「オンボサン」は何故に祭ってきたのか。

「昔からずっとやっているが、意味は判らん」と云う当家の隣家にも見られたが、注連縄は張っていなかった。

話しによれば、どれほど家がされているか判らないが、カキ、クリ、ホウソ、フクラシ(フクラギとも)、ナラなどさまざまのようである。

正月三日間立てておいた「オンボサン」は翌日の四日には倒す。

倒したカシの木は家で一年間も保管しておく。

一年前のカシの木は枯れて、正月三日間の火焚きに使っていた。

「昔はもっと大きかったから三日間の火焚きはそれで充分やった」と云う竃の火焚きに再利用していたのである。

昨年に拝見した穴があった砂盛りの在り方は、僅かであるが、ようやく光が見えてきた。

ご主人の正月飾りはまだ続く。

前庭にあるお稲荷さんにもオン松・メン松を立てる。

手編みして作った小注連縄は玄関の他、農器具、トイレなどにも数多く掛ける。



調ったところで拝見したトシハジメの膳。

座敷の神さんの前に置かれているのはイタダキサンだ。

お正月の迎えた午前0時、若水を汲んできた家長は財産目録や通帳を膳に乗せて、アキの方角に向かい両手で頭の上に捧げて拝むトシハジメの膳である。

同家では暮れの28日に正月に供えるモチを作る。

翌日の29日は「苦」が付く日なのでモチはこしらえない。

七つのモチを並べた膳には長い髭のような根があるトコロイモやゴマメの田作りもある。

昔は雑魚を川で採って来てそれを炊いていたと話していたのは奥さんだ。

この時間帯は春覚寺で一切講のお念仏をしている。

ミカンは葉付きのコウジミカンが2個。

クリは3個である。

いつもニコニコ、仲睦まじくの語呂合わせの10個の串ガキも置いてある。



輪っかの注連縄で飾ったウラジロを添えた膳はイタダキサン、ダイジングウサン、ダイコクサン、エビスサン、サンポウコウジンサン、センゾサン、ミズコサン、イナリサンなど8品もある。

例年こうして作っておいた膳でトシハジメを祝う。

柱に掛けてあった「カケダイ」と呼ぶ干した2尾のタイ。



ダイコクサンとエビスサンに供える。

まさに恵比須さんが釣った鯛のようで、豊作始めとされる11日に食べる家があったが、同家では田植え始めと4月末頃の田植え仕舞いに食べるそうだ。

(H25.12.31 EOS40D撮影)