田原本町阪手北に鎮座する八阪神社。
2月中旬辺りの日曜日に華鎮祭行事が行われる神社である。
阪手北は村屋坐弥冨都比売神社の郷社の一つ。
守屋尚広宮司が村屋坐弥冨都比売神社と同じようにゾウガイの注連縄を掛けていると話していた。
一昨日、昨日の両日に亘って訪問したが村人の姿もなく、注連縄飾りも見られなかった。
もしやと思ってこの日も訪れた八阪神社。
拝殿前に立ててあった簾型の注連縄があった。
狛犬の処に竹箒が立ててある。
どうやら作業中のようである。
しばらく待っておれば村人がやってきた。
宮役員と3人のトーヤ(トーヤ・向こう三軒両隣の2人)である。
話しを伺えば、門松、注連縄飾りをしている最中だったと云う。
阪手北は村屋坐弥冨都比売神社の郷中。
「村屋坐弥冨都比売神社が本家で、阪手北は分家の宮さんやから正月飾りはこの日にしている」と云う。
早朝から作業をしていたそうだ。
始めに手掛けたのが注連縄作り。
3人のトーヤが編んで作る注連縄は、88歳の長老から手ほどき教わりながら作っていたと云う。
守屋尚広宮司が呼んでいた村屋坐弥冨都比売神社の注連縄はドウガイの名があるが、阪手北の人たちは「単に、注連縄や」と話していた。
左右に杭を打ちって二本の葉付き竹を立てる。
そこに注連縄を張って砂盛りをしていた。
その場を一旦離れていた宮役員はトーヤ家で準備していた梅、松、葉ボタンを運んで戻ってきたのだ。
中断していた作業は再び始まった。
砂盛り部分に梅、松、葉ボタンを添える。
さらにスーパーで買ってきたウラジロ・クシガキ、ダイダイことミカンを中央に飾りつけてできあがった門松と注連縄飾り。
正月飾りはそれだけでなく、小注連縄も掛ける。
小注連縄もスーパーで買ってきたもの。
昔は手作りであったが、編むことができなくなって、今では市販品になったそうだ。
小注連縄は庚申さんの石、郷神さんと呼ぶ大神宮、大師堂、西と東の地蔵堂に東の神さんと呼ばれる森市神社、公民館などに取り付ける。
これですべての正月飾り作業を終えた。
郷神さんの呼び名であれば、7月16日にお祭りがあるのではと思って尋ねてみた。
結果は「ある」である。
昼過ぎぐらいに大神宮にお神酒を供えているようだ。
華鎮祭の行事は平成16年に訪れたことがある。
村屋尚広宮司が的場に向かって祭文(嘉永年間)を詠みあげる。
次に梅の弓を用いて女竹で作った矢を放つ。
的は黒い三重丸。
五人組が矢を放つケイチン行事の作法である。
村屋家三代に亘って華鎮の祭文詠みを見てきたのは大正四年生の長老である。
村の行事は細部に亘って存じておられる。
阪手北の旧村戸数は30戸。
上から下へと廻る当主(トーヤ)。
息子、孫が家の廻り。
一巡すれば再び戻って当主(トーヤ)となるそうだ。
平安時代に橿原の今井からきたという長老家。
注連縄作りには培った技術をいつまでも教えなくてはと話す。
華鎮祭は村行事。
それとは別に神社行事に神職が登場しない明神講の行事もあると云う。
トーヤ(当家)は3人。
一人がオヤトーヤで、新入りとミトドケが就く。
軒数が少ないから5、6年の廻りになると云う。
明神講の神さんと呼ばれるヤシロをトーヤ家に祀る。
毎月の1日、15日はお神酒を供える。
一年間も祀っていたヤシロは10月のマツリに次のトーヤに受け継ぐ儀式をすると云う。
(H25.12.30 EOS40D撮影)
2月中旬辺りの日曜日に華鎮祭行事が行われる神社である。
阪手北は村屋坐弥冨都比売神社の郷社の一つ。
守屋尚広宮司が村屋坐弥冨都比売神社と同じようにゾウガイの注連縄を掛けていると話していた。
一昨日、昨日の両日に亘って訪問したが村人の姿もなく、注連縄飾りも見られなかった。
もしやと思ってこの日も訪れた八阪神社。
拝殿前に立ててあった簾型の注連縄があった。
狛犬の処に竹箒が立ててある。
どうやら作業中のようである。
しばらく待っておれば村人がやってきた。
宮役員と3人のトーヤ(トーヤ・向こう三軒両隣の2人)である。
話しを伺えば、門松、注連縄飾りをしている最中だったと云う。
阪手北は村屋坐弥冨都比売神社の郷中。
「村屋坐弥冨都比売神社が本家で、阪手北は分家の宮さんやから正月飾りはこの日にしている」と云う。
早朝から作業をしていたそうだ。
始めに手掛けたのが注連縄作り。
3人のトーヤが編んで作る注連縄は、88歳の長老から手ほどき教わりながら作っていたと云う。
守屋尚広宮司が呼んでいた村屋坐弥冨都比売神社の注連縄はドウガイの名があるが、阪手北の人たちは「単に、注連縄や」と話していた。
左右に杭を打ちって二本の葉付き竹を立てる。
そこに注連縄を張って砂盛りをしていた。
その場を一旦離れていた宮役員はトーヤ家で準備していた梅、松、葉ボタンを運んで戻ってきたのだ。
中断していた作業は再び始まった。
砂盛り部分に梅、松、葉ボタンを添える。
さらにスーパーで買ってきたウラジロ・クシガキ、ダイダイことミカンを中央に飾りつけてできあがった門松と注連縄飾り。
正月飾りはそれだけでなく、小注連縄も掛ける。
小注連縄もスーパーで買ってきたもの。
昔は手作りであったが、編むことができなくなって、今では市販品になったそうだ。
小注連縄は庚申さんの石、郷神さんと呼ぶ大神宮、大師堂、西と東の地蔵堂に東の神さんと呼ばれる森市神社、公民館などに取り付ける。
これですべての正月飾り作業を終えた。
郷神さんの呼び名であれば、7月16日にお祭りがあるのではと思って尋ねてみた。
結果は「ある」である。
昼過ぎぐらいに大神宮にお神酒を供えているようだ。
華鎮祭の行事は平成16年に訪れたことがある。
村屋尚広宮司が的場に向かって祭文(嘉永年間)を詠みあげる。
次に梅の弓を用いて女竹で作った矢を放つ。
的は黒い三重丸。
五人組が矢を放つケイチン行事の作法である。
村屋家三代に亘って華鎮の祭文詠みを見てきたのは大正四年生の長老である。
村の行事は細部に亘って存じておられる。
阪手北の旧村戸数は30戸。
上から下へと廻る当主(トーヤ)。
息子、孫が家の廻り。
一巡すれば再び戻って当主(トーヤ)となるそうだ。
平安時代に橿原の今井からきたという長老家。
注連縄作りには培った技術をいつまでも教えなくてはと話す。
華鎮祭は村行事。
それとは別に神社行事に神職が登場しない明神講の行事もあると云う。
トーヤ(当家)は3人。
一人がオヤトーヤで、新入りとミトドケが就く。
軒数が少ないから5、6年の廻りになると云う。
明神講の神さんと呼ばれるヤシロをトーヤ家に祀る。
毎月の1日、15日はお神酒を供える。
一年間も祀っていたヤシロは10月のマツリに次のトーヤに受け継ぐ儀式をすると云う。
(H25.12.30 EOS40D撮影)