蔵堂の守屋宮司から聞いていた遠田町の正月飾りは簾型の注連縄。
その様子を拝見いたしたく12月28日、29日、30日の三日間も訪れた。
結果はなかったのである。
おそらく31日であろうと思って、元旦の日に出かけた天理市の遠田町。
東外れには子守神社がある。
遠田町にはもう一つの神社がある。
集落中央に鎮座するのが春日神社だ。
小社であるが奇麗に清掃されていた。
この日にはあった簾型の注連縄は垂らした簾の間隔は広い。
まばらな状況であるが簾型には違いない。
拝殿に掲げていた注連縄の両側。
葉付きの笹竹で支えている。
この形式はあまり見られない。
中央にはダイダイ。
半紙に包んだカタスミ、米も見られた。
それと同じ形式の注連縄は観音堂にも立ててあった。
それぞれ砂を盛って松・竹・梅は門松だ。
同じ門松は、行者堂、庚申石、地蔵石仏などの前にもある。
ずらりと並べた景観が美しい。
幹回りが太い大木はムクの木。
今でも実をつけると話す近所の婦人。
毎月17日には「十七はん」をしていると云う。
17日は観音さんの日。
観音講の婦人たちは夜6時半に集まって西国三十三番のご詠歌を唱えていると云う。
番外に遠田町もあると云われる観音講の営みは2月もあるそうだ。
ちなみに31日に門松・注連縄を作ったのはマエと呼ばれる前年トーヤとトーヤの二人。
宮守さんもしていたようだ。
トーヤの勤めは毎月1日と15日。
その日に清掃をされていたのであろう。
婦人が云ったドロイモ喰い。
炊いたのか、蒸したのか判らないが、そのドロイモを子守神社付近にある竹を伐採して串にする。
ドロイモを竹に挿して味噌をつけて食べる芋(喰い)講があるようだが何時か判らない。
もしかとすればだが、と思った日は芋名月かも知れない。
(H26. 1. 1 EOS40D撮影)
その様子を拝見いたしたく12月28日、29日、30日の三日間も訪れた。
結果はなかったのである。
おそらく31日であろうと思って、元旦の日に出かけた天理市の遠田町。
東外れには子守神社がある。
遠田町にはもう一つの神社がある。
集落中央に鎮座するのが春日神社だ。
小社であるが奇麗に清掃されていた。
この日にはあった簾型の注連縄は垂らした簾の間隔は広い。
まばらな状況であるが簾型には違いない。
拝殿に掲げていた注連縄の両側。
葉付きの笹竹で支えている。
この形式はあまり見られない。
中央にはダイダイ。
半紙に包んだカタスミ、米も見られた。
それと同じ形式の注連縄は観音堂にも立ててあった。
それぞれ砂を盛って松・竹・梅は門松だ。
同じ門松は、行者堂、庚申石、地蔵石仏などの前にもある。
ずらりと並べた景観が美しい。
幹回りが太い大木はムクの木。
今でも実をつけると話す近所の婦人。
毎月17日には「十七はん」をしていると云う。
17日は観音さんの日。
観音講の婦人たちは夜6時半に集まって西国三十三番のご詠歌を唱えていると云う。
番外に遠田町もあると云われる観音講の営みは2月もあるそうだ。
ちなみに31日に門松・注連縄を作ったのはマエと呼ばれる前年トーヤとトーヤの二人。
宮守さんもしていたようだ。
トーヤの勤めは毎月1日と15日。
その日に清掃をされていたのであろう。
婦人が云ったドロイモ喰い。
炊いたのか、蒸したのか判らないが、そのドロイモを子守神社付近にある竹を伐採して串にする。
ドロイモを竹に挿して味噌をつけて食べる芋(喰い)講があるようだが何時か判らない。
もしかとすればだが、と思った日は芋名月かも知れない。
(H26. 1. 1 EOS40D撮影)