平成19年の7月7日に訪れたことがある葛城市太田。
当時はあまり知られていなくて参拝者は少なかった。
神事もなくタナバタさんに立てた笹飾りだけがあった。
そこに登場したのは地元で生まれ育った若者たちだった。
地元であげられる花火大会には眼中にもなく、七夕に捧げる短冊に願いを込めて書いていた。
その姿が美しくて思わずシャッターを押して撮らせてもらった写真は平成22年の7月7日に発行された産経新聞でシリーズ連載していた「やまと彩祭」で紹介した。
その後の平成23年も訪れた太田のタナバタサンは打って変わって賑やかになっていた。
葛城市のカワイ子ちゃんであるマスコットキャラクターの蓮花ちゃんに子供たちも大喜びしていた光景が、今後の展開になるであろう、と思っていた。
それから5年後のこの年。
平成28年も再訪したが、久しぶりの棚機神社鎮座地へ向かう進入路を見誤って南阪奈道路を走っていた。
トンネルを越えたら、そこは大阪の太子町。
時間は十分に間に合う。
Uターンはせずに大阪と香芝市を跨る「どんずるぼう(屯鶴峯)」の峠道を迂回して戻ってきた。
鎮座地下の畑は綺麗に整備されていた。
そこへ到着する軽トラ。
荷台に載せていたのは保育園児や幼稚園児に小学生の子供たちが短冊に願いを込めた七夕の飾り。
在所太田にある関係機関にお願いして子供たちが飾った七夕飾りのお下がりを頂戴してきた。
荷台から一人ずつ境内に運んでいく人たちは葛城市の職員。
境内には地域活性化の願いを込めて、村の有志が平成4年に立ち上げた棚機神社保存会の人たちが待っていた。
もちろんその保存会の人たちも運んでいく。
七夕飾りを立てる場所は予め決まっている。
細いパイプを埋め込んだ処に立てて向きを調製する。
そのころには参拝者が続々と登ってきた。
この日は平日の木曜日。
授業を終えた子どもたちを迎えてくれたのはマーライオンではなく、獅子頭である。
とは云ってもミニチュア版の獅子頭。
お賽銭を投入してくれたら頭だけであるが、獅子神楽を舞ってくれる。
棚機神社は境内奥にある本殿。
小さな石造りの祠にお供えやローソクも置いていた。
その前に立つ大木は大杉。
そこには保存会の人たちが飾った短冊がある。
「國常立神霊代 豊雲錦神霊代 足玉」とか「神産巣曰神霊代 八握劍」、「大□遅神霊代 六戸辡神霊代 蜂比禮」などに混じって「子供たちに良き母たち 嘆きつつ願いし 我が心なり」を詠んだ句文もある。
何人かの保存会の人たちのお顔を見渡したが、私が新聞記事を書いたときにお世話になった会長はおられない。
話しを聞くことはなかったが、高齢ゆえ引退されたと思うのである。
キョロキョロしていたとき、逆に私の名前を呼ぶ男性がおられた。
端正な顔立ちの男性はK区長だった。
区長とお会いしたのは平成26年10月7日。
通りがかった山麓線。
稲刈りをしていた処にハザカケの竿があった。
刈っているのであれば竿に架けると思って停車した。
かくかくしかじか・・ということでハザカケ作業を撮らせてもらった区長であるが、あれから2年もお会いしていないのに私のことを覚えておられたのが嬉しい。
保存会が立ち上がるまでの神社は雑草に覆われた荒地のようだったらしい。
平成4年から始められた棚機神社のタナバタサン。
当初の2、3年は長尾神社の宮司を迎えて神事を行っていたと吉川雅章宮司がいう。
その後は関係者を中心とする村行事。
七夕飾りを立てていた。
平成13年になって村起こしを願ったイベント開催。
そのときはたいそうにぎわって新聞にも取り上げられた。
平成19年に訪れたときは神事もなく七夕飾りだけが立っていた。
それから4年後の平成23年に訪れたときは蓮花ちゃんもやってくる状況になっていた。
一旦は寂れかけていた太田のタナバタサンは市のバックアップもあって盛り上がりをみせるようになった。
翌年の平成24年には「棚機物語」と題して由来を書いた板書を掲げた。
それから2年後の平成26年にはやや朽ちかけていた木製の鳥居を新造し建て替えて、扁額の「棚機宮」も新しくなった。
それと同時に神事も復活されて宮司は再び出仕。
翌年の平成27年には氏子が造った獅子頭も登場するようになった。
そこまで盛り上がっていたとは知らずに訪れたタナバタサンに大勢の参拝者がやってくる。
子どもを連れた母親は神さんに向かって手を合わせる。
子どもたちは星が降ってくるかのように・・とでも思ったのか見上げる。
短冊に書いてあった一枚の願い事に「太田の子供が増えますように」があった。
たぶんに間違いなく太田は子だくさんになっていくことだろう。
神事に並ぶ保存会の人たち。
宮司拝礼、祝詞奏上、参拝者の祓、玉串奉奠など粛々と祭典される。
玉串奉奠には2年ぶりにお会いした区長やふんどし姿になった葛城市相撲館の「けはや座」館長のお相撲さんに地元でイベントを盛り上げるプロレス人も・・。
神事を終えたらタナバタサンの奉納芸能。
目玉は昨年に続いて2度目の登場になる獅子舞の奉納である。
獅子頭や着衣などは手造り。
所作、演技も独自に学んだ奉納獅子神楽は、玄人はだしの演技に益々目が離せなくなった。
(H28. 7. 7 EOS40D撮影)
当時はあまり知られていなくて参拝者は少なかった。
神事もなくタナバタさんに立てた笹飾りだけがあった。
そこに登場したのは地元で生まれ育った若者たちだった。
地元であげられる花火大会には眼中にもなく、七夕に捧げる短冊に願いを込めて書いていた。
その姿が美しくて思わずシャッターを押して撮らせてもらった写真は平成22年の7月7日に発行された産経新聞でシリーズ連載していた「やまと彩祭」で紹介した。
その後の平成23年も訪れた太田のタナバタサンは打って変わって賑やかになっていた。
葛城市のカワイ子ちゃんであるマスコットキャラクターの蓮花ちゃんに子供たちも大喜びしていた光景が、今後の展開になるであろう、と思っていた。
それから5年後のこの年。
平成28年も再訪したが、久しぶりの棚機神社鎮座地へ向かう進入路を見誤って南阪奈道路を走っていた。
トンネルを越えたら、そこは大阪の太子町。
時間は十分に間に合う。
Uターンはせずに大阪と香芝市を跨る「どんずるぼう(屯鶴峯)」の峠道を迂回して戻ってきた。
鎮座地下の畑は綺麗に整備されていた。
そこへ到着する軽トラ。
荷台に載せていたのは保育園児や幼稚園児に小学生の子供たちが短冊に願いを込めた七夕の飾り。
在所太田にある関係機関にお願いして子供たちが飾った七夕飾りのお下がりを頂戴してきた。
荷台から一人ずつ境内に運んでいく人たちは葛城市の職員。
境内には地域活性化の願いを込めて、村の有志が平成4年に立ち上げた棚機神社保存会の人たちが待っていた。
もちろんその保存会の人たちも運んでいく。
七夕飾りを立てる場所は予め決まっている。
細いパイプを埋め込んだ処に立てて向きを調製する。
そのころには参拝者が続々と登ってきた。
この日は平日の木曜日。
授業を終えた子どもたちを迎えてくれたのはマーライオンではなく、獅子頭である。
とは云ってもミニチュア版の獅子頭。
お賽銭を投入してくれたら頭だけであるが、獅子神楽を舞ってくれる。
棚機神社は境内奥にある本殿。
小さな石造りの祠にお供えやローソクも置いていた。
その前に立つ大木は大杉。
そこには保存会の人たちが飾った短冊がある。
「國常立神霊代 豊雲錦神霊代 足玉」とか「神産巣曰神霊代 八握劍」、「大□遅神霊代 六戸辡神霊代 蜂比禮」などに混じって「子供たちに良き母たち 嘆きつつ願いし 我が心なり」を詠んだ句文もある。
何人かの保存会の人たちのお顔を見渡したが、私が新聞記事を書いたときにお世話になった会長はおられない。
話しを聞くことはなかったが、高齢ゆえ引退されたと思うのである。
キョロキョロしていたとき、逆に私の名前を呼ぶ男性がおられた。
端正な顔立ちの男性はK区長だった。
区長とお会いしたのは平成26年10月7日。
通りがかった山麓線。
稲刈りをしていた処にハザカケの竿があった。
刈っているのであれば竿に架けると思って停車した。
かくかくしかじか・・ということでハザカケ作業を撮らせてもらった区長であるが、あれから2年もお会いしていないのに私のことを覚えておられたのが嬉しい。
保存会が立ち上がるまでの神社は雑草に覆われた荒地のようだったらしい。
平成4年から始められた棚機神社のタナバタサン。
当初の2、3年は長尾神社の宮司を迎えて神事を行っていたと吉川雅章宮司がいう。
その後は関係者を中心とする村行事。
七夕飾りを立てていた。
平成13年になって村起こしを願ったイベント開催。
そのときはたいそうにぎわって新聞にも取り上げられた。
平成19年に訪れたときは神事もなく七夕飾りだけが立っていた。
それから4年後の平成23年に訪れたときは蓮花ちゃんもやってくる状況になっていた。
一旦は寂れかけていた太田のタナバタサンは市のバックアップもあって盛り上がりをみせるようになった。
翌年の平成24年には「棚機物語」と題して由来を書いた板書を掲げた。
それから2年後の平成26年にはやや朽ちかけていた木製の鳥居を新造し建て替えて、扁額の「棚機宮」も新しくなった。
それと同時に神事も復活されて宮司は再び出仕。
翌年の平成27年には氏子が造った獅子頭も登場するようになった。
そこまで盛り上がっていたとは知らずに訪れたタナバタサンに大勢の参拝者がやってくる。
子どもを連れた母親は神さんに向かって手を合わせる。
子どもたちは星が降ってくるかのように・・とでも思ったのか見上げる。
短冊に書いてあった一枚の願い事に「太田の子供が増えますように」があった。
たぶんに間違いなく太田は子だくさんになっていくことだろう。
神事に並ぶ保存会の人たち。
宮司拝礼、祝詞奏上、参拝者の祓、玉串奉奠など粛々と祭典される。
玉串奉奠には2年ぶりにお会いした区長やふんどし姿になった葛城市相撲館の「けはや座」館長のお相撲さんに地元でイベントを盛り上げるプロレス人も・・。
神事を終えたらタナバタサンの奉納芸能。
目玉は昨年に続いて2度目の登場になる獅子舞の奉納である。
獅子頭や着衣などは手造り。
所作、演技も独自に学んだ奉納獅子神楽は、玄人はだしの演技に益々目が離せなくなった。
(H28. 7. 7 EOS40D撮影)