マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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矢部の塀中のカンピョウ干し

2017年01月06日 06時54分36秒 | 民俗あれこれ(干す編)
田原本町の矢部に来るのは何年ぶりだろうか。

初めて訪れたのは平成17年の5月5日

翌年の平成18年も同一日

綱掛け行事の取材であった。

平成17年は村人に教えてもらった6月26日も訪れた。

杵都岐(きづき)神社で行われるさなぶり行事である。

村のすべての田植えが終われば行われる豊作祈願である。

当時取材したときの記録を辿っていた。

取材中は気がつかずに取り損ねていたナエサンを思い出した。

あれから11年も経った。

ナエサンはその後も供えているのだろうか。

それを拝見したく訪れた。

11年前の26日は日曜日。

固定の祭事日だったように思えるが、ふと不安になって今年も日曜である26日に訪れた。

ところが神社には提灯が掲げられていない。

終ったのか、それとも・・。

矢部には彼岸に西国三十三番のご詠歌を唱える観音講の行事がある。

唱える場は神社がある広場の一角に建つ観音堂だ。

観音講は17日でもなく毎月の第三土曜日。

平成23年の3月19日6月18日に取材させていただいた。

そのときに話してくれたカンピョウ干し。

講中の婦人が家にあるからと云ってわざわざ持ってきてくれたカンピョウをありがたくいただいた。

そのころまでは集落の西にある処にカンピョウを干していたのを見たことがある。

その後も何度か訪れたが、干す竿さえ見ることはなくなった。

今はどこの家もしていないのだろうとこの日の行事取材は諦めて集落を抜けようとした。

そのときだ。

目に入った白い簾が青空に映えていた。

これまで見たことのないお家である。

塀の向こうに高く揚げた白い簾。

これを見逃してはなるまいとUターン。

その家の前に軽トラを停めていた男性に声をかけた。

昨今は珍しくなったカンピョウ干しの様相を撮らせてもらいたくお願いした。

畑に出るので・・ということで短時間の撮影で済ませたい。

話しを聞かせてもらいつつ撮らせてもらう二度干しのカンピョウ。

ある程度までは竿に挙げて干す。

一旦は下ろして二度干しは新聞紙に広げて干す。



田原本町の多(おお)で取材した婦人もそうしていた。

こうしてカンピョウを干しておくと黄色くなり、やがては薄茶色になるが、水に戻したら真っ白な色になるという。

青空に広がるカンピョウも、と思ってシャッターを押したらエラーが出た。

エラー番号は「Err 01」。

致命的なエラーで一眼レフカメラを諦めて携帯電話の画像だけでも、と思ってシャッターを押す。

カンピョウの原材料はユウガオの実。

畑で栽培したユウガオの実がでかくなれば収穫する。

皮を剥いて細く長い短冊状にする。

当主のNさんは自作の皮剥き器をもっている。

大きさも替えて何個か作った。

一番使いやすいのは手に馴染む大きさである。

刃はカミソリの刃である。



これも一緒に撮っても構わないと云われて撮らせていただく。

この日に揚げたカンピョウは朝から始めた。

今朝の7時、天気予報をみておれば本日快晴。

それで判断する作業である。

梅雨の晴れ間に干すことを決めたと云う。

本来であれば晴れ間が続く日にカンピョウの皮を剥いて干す。

これまで取材した人たちは皆そういう。

晴れ間のぐあいを判断して畑に出かける。

この日に収穫したユウガオの実の大きさは長さが60cmで径は30cmにもある。

手造りしていたカミソリで皮を剥いて干す。

カミソリは一般に売っているのはもっと小さい。

手に馴染まない大きさは使いにくい。

長めの道具も作ってみたがこれもまた馴染まない。

何個か作ったなかでこれが一番のデキという皮剥き道具は木片。

中央辺りを少しずらすかのように凹削り。

カミソリを入れられるように切り込みを入れる。

厚めのカミソリを嵌めて切り込み具合を調製する。

カンピョウの皮があたる部分には竹の皮を巻く。

そうすることで滑りが良くなる、ということだ。

カンピョウの皮の幅は2~3cm。

皮を剥く前にする作業は輪切りである。

その幅で切断する装具はスイカ包丁。

厚切りの円盤がこうしてできる。

それを一枚ずつ、手で抱えながら皮を剥く。

剥いた皮は柔らかい。

これを庭に立てた物干しのような形の干し竿に架ける。

干す竿には名前はない。

滑車利用の干す道具もあるが、一人で作業するには揚げることが難しい。

昔しに使っていた物干しの再利用を発案した。

一番低いところに架けた竿にカンピョウを垂らす。

左、右と位置を替えながら竿揚げをする。

土台は重たい物干しは風に強い。

大風が吹いても倒れないが、万が一を考えて漬物石も再利用した。

ところが物干しの竿を架ける棚は最上部にはない。

木片をてっぺんに取り付けた。

両端、均等になるように取り付けた。

水平に架ける竿も再利用。

その竿には藁束で覆っている。

崩れないように紐で括った。

藁束は干したカンピョウが滑って落ちないようにという意味もあるが、剥きたてのカンピョウは水分を含んでいるのでそうはならない。

むしろ、清潔感、と思ったが、そうではない。

干したカンピョウが竿にくっ付かないようにしているのだと話す。

前述したが、竿は一挙に揚げるのではなく、左、右とそれぞれ交互に一段ずつ上げていく。

そうすることでできる一人作業。

嫁入りしたお嫁さんは御所市の出身。

初めて見た光景に「これって、何っ」って云ったそうだ。

カンピョウは作るが当主自身は食べない。

皆にあげて喜んでもらっている。

なんせ予約する人もおられるようで人気者。

昔しはなにかにつけて「トッキョリ」に作って食べていた巻き寿司にカンピョウは欠かせない。

今では料理を作るのは節分の日だけだと云う。

家で作る巻き寿司に欠かせないのはもう一つある。

ミツバである。

私も同じ思い。

同じ世代を感じる食文化に盛り上がる。

カンピョウはできうる限り、風にあたるように揚げたい。

雨が降れば大急ぎで下ろす。降りそうな気配を感じる日は揚げない。

たまたまのこの日に遭遇したカンピョウ干しは同村に数軒がしているらしい。

ただ、時期が早いのか、今年はまだ見ていないと云う。

ところで村行事のさなぶりは前週の6月19日の日曜日に行ったそうだ。

ナエサンは一把。

育苗する苗はモチゴメと決まっている。

今年もそうしたと云う。

観音講のお勤めに法要をしていた安楽寺のK住職は膝の具合で引退された。

後継者は親戚筋にあたる坊婿が継いで晋山式を受けたそうだ。

膝は不自由な身である先代住職は相も変わらず自転車に乗って走り回っているというから元気なんだ、と思った。

新しく加入する人がいなくて、と云っていた観音講。

加入もなく、一人抜け、二人抜けて私が取材していたときの講中は全員が引退したと云う。

なんとか引き継いだのは寺の奥さんと檀家の女性の4人。

様変わりになって継続しているが、以前のような営みではなくなったそうだ。

ちなみに矢部でも2月の初午のときにはハタアメもしていたという。

貰いに行きなと云われて廻っていたが止めたそうだ。

ハタアメの風習は見られないが、ハツホ講の行事があると云う。

当主の家も入れて8軒で営むハツホ講。

7月7日の行事はハツホサン。

この角を曲がった向こうにハツホさんがある。



その前にミシロ(筵が訛った)を敷いて寄り合った。

その日の夕方、小田原提灯をぶらくってローソクに火を灯す。

あもう炊いた(甘くなった表現)ソラマメを供えた。

ハツホサンを祀っている家がある。

4軒が参拝してザルカゴに入れて分けてくれた。

50年前のことである。

現在のハツホサンは7組(9組と隣組)が寄り合う。

ハツホサンは「八王子」が「ハツオサン」に訛ったようである。

(H28. 6.26 SB932SH/EOS40D 撮影)