小山戸で行われた夏神楽のおせんどう取材を終えて同旧都祁村の上深川に向かう道中である。
南之庄の国津神社あたりの田畑を眺めながら集落に入った。
たぶんここだけであろうと思う茅葺民家があった。
夏日であった日であるがアジサイ花が咲いていた。
ここを通る道は旧白石街道。
屋敷周りにある黒い腰板に白壁土塀に屋敷門。
風情を感じた民家を撮らせてもらった。
ここより西へ少し動く。
左手に見える石垣造りの家であるが、家屋はその石垣の高さで見えない。
上を見てもなにもない。
下を見れば何かがある。
白い色の小幣が2本。
パイプに挿してあることを考えれば常にそうしていることだろう。
なにゆえの幣であるのか。
お祓いをするにしては常々、いつもそうしているということだ。
この日は急がねばならない。
滞在時間が長くなっては間に合わない。
付近に人がおらずに今回は断念。
近くに来るようなことがあれば、ぜひとも尋ねてみたい幣の在り方である。
そのことについては後日(平成28年10月9日)に判明した。
小幣を立てていた場所より数軒向こうの家におられた婦人の話しによれば、宮参りに行く際にここへ立てるというのである。
お宮参りは地域の氏神さん。
国津神社である。
お宮参りはその神社でしてもらう。
そこで待つ村神主に祓ってもらうという。
何故にここなのかはわからないが、昔からこの場にしているという。
村神主は存知しているKさんだ。
今度、お会いしたら教えてもらおうと機会を狙っていた。
その日から十日目辺り(平成28年10月20日)。
榛原の平井や萩原小鹿野で聞き取りを終えて帰路につく。
その道中になる旧都祁村。
たぶんに居てはると思って立ち寄った。
気になる小幣はやはり国津神社に向かうときに通る辻に挿す宮参りの祓いの幣になるそうだ。
Kさんが村神主を務めて2年目になる。
これまで5人の子どもの宮参りのご祈祷をしたという。
南之庄で生まれた子どもはご祈祷をしてもらいたい場合は村神主に頼む。
それは孫のお爺さんやお婆さんが気づいてお願いするものだという。
祖父母でなくとも両親がお願いする場合もあるらしいが、だいたいが祖父母。
村で暮らしてきたからお願いするのは忘れない。
南之庄で行われている宮参りの在り方は他所では聞いたことがない。
たぶんにない、と思うのだ。
実は宮参りの小幣を挿す処はもう一カ所あるという。
ここより数十メートル。
神社寄りの道にあるという。
それも確かめたくなったが、この件を聞き終わったのは夕暮れの時間帯。
上出の人らが参るときにはその場所に小幣を挿して国津神社に参るそうだ。
要するに住んでいる垣内の位置からより近い小幣立てに挿すというわけだ。
挿す人は男の人の役目になるという。
なぜに南之庄ではこのような習俗があるのだろうか。
それはともかく宮参りの人たちが村の街道を歩いておれば、それを見つけた人は大慌てで祝いのヒモセンを付けるそうだ。
誰がいつ頃に宮参りするのか、村に伝わっているのだろう。
村が誕生を祝っている宮参りの在り方は極めて珍しく、Kさんに取材をお願いした。
役期間中であればいいのだが・・・といえば引継ぎ事項にいれておくと・・。
(H28. 7. 3 EOS40D撮影)
南之庄の国津神社あたりの田畑を眺めながら集落に入った。
たぶんここだけであろうと思う茅葺民家があった。
夏日であった日であるがアジサイ花が咲いていた。
ここを通る道は旧白石街道。
屋敷周りにある黒い腰板に白壁土塀に屋敷門。
風情を感じた民家を撮らせてもらった。
ここより西へ少し動く。
左手に見える石垣造りの家であるが、家屋はその石垣の高さで見えない。
上を見てもなにもない。
下を見れば何かがある。
白い色の小幣が2本。
パイプに挿してあることを考えれば常にそうしていることだろう。
なにゆえの幣であるのか。
お祓いをするにしては常々、いつもそうしているということだ。
この日は急がねばならない。
滞在時間が長くなっては間に合わない。
付近に人がおらずに今回は断念。
近くに来るようなことがあれば、ぜひとも尋ねてみたい幣の在り方である。
そのことについては後日(平成28年10月9日)に判明した。
小幣を立てていた場所より数軒向こうの家におられた婦人の話しによれば、宮参りに行く際にここへ立てるというのである。
お宮参りは地域の氏神さん。
国津神社である。
お宮参りはその神社でしてもらう。
そこで待つ村神主に祓ってもらうという。
何故にここなのかはわからないが、昔からこの場にしているという。
村神主は存知しているKさんだ。
今度、お会いしたら教えてもらおうと機会を狙っていた。
その日から十日目辺り(平成28年10月20日)。
榛原の平井や萩原小鹿野で聞き取りを終えて帰路につく。
その道中になる旧都祁村。
たぶんに居てはると思って立ち寄った。
気になる小幣はやはり国津神社に向かうときに通る辻に挿す宮参りの祓いの幣になるそうだ。
Kさんが村神主を務めて2年目になる。
これまで5人の子どもの宮参りのご祈祷をしたという。
南之庄で生まれた子どもはご祈祷をしてもらいたい場合は村神主に頼む。
それは孫のお爺さんやお婆さんが気づいてお願いするものだという。
祖父母でなくとも両親がお願いする場合もあるらしいが、だいたいが祖父母。
村で暮らしてきたからお願いするのは忘れない。
南之庄で行われている宮参りの在り方は他所では聞いたことがない。
たぶんにない、と思うのだ。
実は宮参りの小幣を挿す処はもう一カ所あるという。
ここより数十メートル。
神社寄りの道にあるという。
それも確かめたくなったが、この件を聞き終わったのは夕暮れの時間帯。
上出の人らが参るときにはその場所に小幣を挿して国津神社に参るそうだ。
要するに住んでいる垣内の位置からより近い小幣立てに挿すというわけだ。
挿す人は男の人の役目になるという。
なぜに南之庄ではこのような習俗があるのだろうか。
それはともかく宮参りの人たちが村の街道を歩いておれば、それを見つけた人は大慌てで祝いのヒモセンを付けるそうだ。
誰がいつ頃に宮参りするのか、村に伝わっているのだろう。
村が誕生を祝っている宮参りの在り方は極めて珍しく、Kさんに取材をお願いした。
役期間中であればいいのだが・・・といえば引継ぎ事項にいれておくと・・。
(H28. 7. 3 EOS40D撮影)