マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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矢部・ハツホ講のハツホサン参り

2017年01月18日 09時51分49秒 | 田原本町へ
ハツホ講のハツホサン参りがあると教えてもらったのはカンピョウ干しを拝見した日だった。

干して居られたご主人に教えてもらって訪れた田原本町矢部。

ご主人が住まいする組にハツホ講が祀っているハツホサンの祠がある。

同組には他にも家中で祭っているハツホサンもあるらしいが、8軒からなるハツホ講が祭っているのは集落内にある辻に建っている八王子社である。

同社は東垣内のハツホ講の人たちで、毎年のこの日に行事を行ってきた。

かつては社の前の道にミシロ(筵が訛った)を敷いて寄り合って般若心経を唱えていたという。

八王子社は一般的に読めば「ハチオージ」或は「ハチオウジ」である。

それが訛って「ハツオージ」或は「ハツオウジ」になった。

さらに訛って八王子社を「さん」付けして「ハツオサン」。

さらに訛って「ハツホサン」になったと考えるのが妥当かと思える。

講の名も八王子講から「ハツホ講」に変化したのであろう。

文書若しくは講帳簿があれば確認できるが・・・。

間違ってはならないのが、「初穂」である。

「初穂」はたしかに「ハツホ」と呼ぶが、秋の収穫に先だって神さんに捧げる稲穂のことである。

従ってハツホ講のお供えに「初穂料」は存在しない。

当番の人はカンピョウ干しをされていたN家。



到着した私たちに気を配ってくださり、早めに供えの準備に取り掛かってくれた。

家庭で使っている小型のテーブルが祭壇になる。

社が建つ地は筋道より少し高いところにある。

やむなくテーブルに高さ調整にブロックを置く。

しばらくすれば家から持ち出した提灯をもつご婦人方がやってくる。



提灯は家の提灯。

それぞれ家特有の家紋がある。

この家紋を「ジョウモン」と呼んでいた。

「ジョウモン」を充てる漢字は何であろうか。

「常紋」それとも「定紋」・・・。

調べてみれば家紋に定紋(じょうもん)と替紋(かえもん)の二種類があるそうだ。

定紋は表の紋で替紋は裏紋。

家紋は一種だけでなく何種ももつことができるらしい。

らしいが続くが専門家でもないので、らしい表現にとどめる。

家を代表する公式な紋を家紋と呼び、勲功や婚姻などで新しく加えられた家紋を替紋、或は控え紋と呼ぶようだが、それによる上下の格差はない。

提灯家紋の話題はそれぐらいにするが、秋祭りのヨミヤにも登場するという。

これは例年のことであるが、特別なときにも提灯は登場する。

婦人の話しによれば棟上げなどで大工さんを送るときにも使うそうだ。

棟上げには御幣を持って送ったという。

また、目出度い結納のときにも・・。

家の幕は二色。

下が紺色で上は白色だったという。



神饌はコンブにスルメ。

シイタケ、ナスビ、トマトにこの日は特別にN家が栽培した黒スイカまである。

お供えも整えたころ、あちらこちらからやってきたご婦人たちはめいめいが提灯をぶら下げる。

いずれも提灯は村では小田原提灯と呼んでいたが、形が違う。

どちらかと云えば丸型・ナツメ型提灯・・・それとも瓜成り提灯。

吊るす道具は竹製。

持ち手付きの提灯(送り提灯)は運ぶのが便利である。

そこから突き出る自在カギ。

それで垂らした紐にさっと引っかけられるから吊りやすい。

ネットで調べてみれば、手持ちする竹製部分の呼び名は「ひばし」。

八女ちょうちんのHPでは「送り提灯」と呼ぶようだ。

8軒並んだ提灯は新しいものもあれば古くから使われてきた風合いをもつものもある。

やや小さ目のローソクを挿して火を点ける。



サカキを飾った社にも火を灯す。

一同が揃ったところで導師が一歩前にでる。

これより始めるのが般若心経。



一巻唱えて「やーて やーて」で終えた。

かつてのお供えに「あもう炊いた(甘くなった表現)ソラマメ」を供えていた。

直会の場は社前に敷いたゴザ。

村の人らは筵が訛った「ミシロ」を敷いて寄り合っていたそうだ。

座布団はそれぞれが持ち込み。

夏は暑いから扇風機の風もいったと話す。

夜10時ぐらいまではこの場で過ごしていたという。

同じ日には別の講があって、その講中が祭っているハツホサンをしているらしい。

講中は4軒。

参拝した4軒はザルカゴに入れたソラマメを分けてくれたそうだ。

東垣内の7組は8軒のハツホ講であるが、7組には1軒で営む講もあるという。

他の組になるが、そこにも1軒で営む講もあるらしい。

それはともかく、かつての在り方にお供えは炊いたソラマメの他、くず餅にお寿司などいろいろあった。。

御供のお下がりに子供たちが狙っていたのはお菓子にソラマメだったそうだが、今は見ることのない少子化。

集落内に入り込む車の往来に場を動かねばならない状態になる。

「ハッタサンはよう雨が降る。参拝するときは雨も上がっているが・・」と回顧される婦人もいる。

ソラマメはオタフクマメだったようだ。

前年に収穫したマメは干す。

冷やして保存する。

ハツホサンが近づけば水に入れて戻す。

砂糖を入れて崩れないように炊く。

これが難しいという調理法。

塩で味付けして食べられる状態に調理する。

大皿に盛ったソラマメを供える。

御供は下げてみなで分け合って食べた。

調理が難しく、若いもんは、ようせんから、と云って、数年前にしなくなったそうだ。



般若心経を唱えた一行は提灯、御供下げなどを手分けして運ぶ。

神酒口そのままのお神酒も運ぶ。

向かう先は村の会所である矢部公民館。

冷暖房が利いているし、車の心配も要らない。

安心して婦人会ならぬ女子会ができるという。

運んできた提灯はどこに引っかけるか。



面白いことに白板の棚である。

灯りを消してローソクを灯すわけにはいかないが、珍しい光景を見た。

神饌御供のコンブやスルメは鋏切り。

手分けして配膳する席にはお寿司盛り合わせパックもある。

お酒ではなくお茶で乾杯するのも女子会。

一時的とはいえ、家の用事から解放された婦人たちのにこやかな顔にお礼を伝えて退室した。

(H28. 6.26 EOS40D撮影)
(H28. 7. 7 EOS40D撮影)