ハツホ講のハツホサン参りに訪れた際に通る集落道に神社がある。
田原本町矢部に鎮座する杵都岐神社である。
この日は鳥居横に提灯を立てていた。
提灯があるということは祭りごとがある。
で、なければ提灯など立てるわけがない。
そう、思ってハツホ講の人たちに聞けば、この日から始まった祇園祭の提灯だというのだ。
矢部の祇園祭は7月7日から15日まで続く。
田原本町で一番の盛り上がりを見せる祇園祭は本町通りの津島神社。
今でこそ第三土曜、日曜になったが本来の祇園祭は7日から14日まであった。
ところが矢部では一日多い15日までだという。
神事は7月10日。
午後2時より田原本町の多に鎮座する多坐弥志理都比古神社の多宮司が斎主を務めて斎行される。
神事はたぶんに一般的だと思えるが、毎日に行われるのは燈明灯しである。
灯すのは夕方の日暮れ時。
決まった時間はないが、7日からの毎夜に一日当番で灯すのは班分けした1組から10組の村人たち。
日程数と一致しない組数が不思議だが、おそらくいずれかの組は分割していると思われる。
ハツホサンの行事に直会をされていた矢部公民館を退室して伺っていた祇園祭の燈明灯しを拝見しようと思って神社に向かった。
距離は向かうほどの距離もなく十数メートル。
うっすらと灯りが見えた。
拝殿前に立つ燭台。
何本も灯せるような構造に数本のローソク火があった。
何人かの人が動いた。
時間帯は午後7時15分。
手にはローソクとマッチ箱。
この日から始った祇園祭の燈明灯である。
立ち去られた直後の状況を撮らせていただく。
話しに聞いていた13カ所はどれがどれなのか判らないが、神社左手にある小社は四つ。
それぞれに何本ものローソクに火を灯していた。
右端は「八王神社」。
暗がりで神社名を判別できなかった小社を一つ飛ばして「榎木神社」。
左端に「愛宕神社」とある。
拝殿の右側に建つ石碑的なものがある。
それは金比羅神社。
ここにもローソクを灯していた。
境内というか広場と呼んでいいのか判らないが北地に建つ観音堂にもローソクを灯している。
これで13カ所・・ではなくもっとありそうだ。
後述する迫りくる夕焼けの情景を撮ってから足を伸ばした。
南にある辻に、である。
そこは地蔵尊もあれば5月5日に行われる綱掛け行事に綱を張ったツナカケ場である。
時間帯は午後7時半を過ぎていた。真っ暗な状況であるが、地蔵尊もツナカケ場もローソクを立てた痕跡はなかった。
「ツナカケサン」の場辺りに住んでいるM婦人の話しによれば当番の組によってはする組としない組があるらしい。
Mさんが住む組は目と鼻の処にあるので間違いなくここでも燈明を灯しているという。
先ほどに神社辺りの灯籠とか小社に燈明灯しをしていた婦人たちはここまでやってこなかったようだと話していた。
祇園祭の燈明灯しの在り方を話してくださったM婦人は他にも行事が矢部にあると云う。
一つは矢部といえば決まって返ってくる行事は「ツナカケ」である。
それは取材したこともあるので存じている。
他にはといえばさなぶり行事。
これもまた存じているが・・、といえば3月1日の厄払いである。
その日は搗いたモチを知り合いなどに配るらしい。
男性の厄の年齢は42歳、60歳に88歳の本厄。
88歳の米寿祝いに手形を押す。
シャモジも祝いに配る。
県内事例によく見かける祝いの在り方は矢部にもあったのだ。
2月3日はトシコシ。
いわゆる節分の年越しである。
夕方になればめいめいが煎った大豆を氏神さんなど10カ所に供える。
地蔵尊もツナカケ場もそうである。
大豆を供えると同時にローソクも立てる。
大豆の数量は各家によって異なる。
例えば家族構成が6人であれば豆は6個。
8人家族であれば8個という具合になる。
節分に馴染みのあるヒイラギイワシを挿す家も多いようだ。
10月17日は杵都岐神社のヨミヤ。
村の人たちはハツホサンに拝見した家の提灯をもってきて参拝する。
着物姿で参る人もいるらしい。
(H28. 7. 7 EOS40D撮影)
田原本町矢部に鎮座する杵都岐神社である。
この日は鳥居横に提灯を立てていた。
提灯があるということは祭りごとがある。
で、なければ提灯など立てるわけがない。
そう、思ってハツホ講の人たちに聞けば、この日から始まった祇園祭の提灯だというのだ。
矢部の祇園祭は7月7日から15日まで続く。
田原本町で一番の盛り上がりを見せる祇園祭は本町通りの津島神社。
今でこそ第三土曜、日曜になったが本来の祇園祭は7日から14日まであった。
ところが矢部では一日多い15日までだという。
神事は7月10日。
午後2時より田原本町の多に鎮座する多坐弥志理都比古神社の多宮司が斎主を務めて斎行される。
神事はたぶんに一般的だと思えるが、毎日に行われるのは燈明灯しである。
灯すのは夕方の日暮れ時。
決まった時間はないが、7日からの毎夜に一日当番で灯すのは班分けした1組から10組の村人たち。
日程数と一致しない組数が不思議だが、おそらくいずれかの組は分割していると思われる。
ハツホサンの行事に直会をされていた矢部公民館を退室して伺っていた祇園祭の燈明灯しを拝見しようと思って神社に向かった。
距離は向かうほどの距離もなく十数メートル。
うっすらと灯りが見えた。
拝殿前に立つ燭台。
何本も灯せるような構造に数本のローソク火があった。
何人かの人が動いた。
時間帯は午後7時15分。
手にはローソクとマッチ箱。
この日から始った祇園祭の燈明灯である。
立ち去られた直後の状況を撮らせていただく。
話しに聞いていた13カ所はどれがどれなのか判らないが、神社左手にある小社は四つ。
それぞれに何本ものローソクに火を灯していた。
右端は「八王神社」。
暗がりで神社名を判別できなかった小社を一つ飛ばして「榎木神社」。
左端に「愛宕神社」とある。
拝殿の右側に建つ石碑的なものがある。
それは金比羅神社。
ここにもローソクを灯していた。
境内というか広場と呼んでいいのか判らないが北地に建つ観音堂にもローソクを灯している。
これで13カ所・・ではなくもっとありそうだ。
後述する迫りくる夕焼けの情景を撮ってから足を伸ばした。
南にある辻に、である。
そこは地蔵尊もあれば5月5日に行われる綱掛け行事に綱を張ったツナカケ場である。
時間帯は午後7時半を過ぎていた。真っ暗な状況であるが、地蔵尊もツナカケ場もローソクを立てた痕跡はなかった。
「ツナカケサン」の場辺りに住んでいるM婦人の話しによれば当番の組によってはする組としない組があるらしい。
Mさんが住む組は目と鼻の処にあるので間違いなくここでも燈明を灯しているという。
先ほどに神社辺りの灯籠とか小社に燈明灯しをしていた婦人たちはここまでやってこなかったようだと話していた。
祇園祭の燈明灯しの在り方を話してくださったM婦人は他にも行事が矢部にあると云う。
一つは矢部といえば決まって返ってくる行事は「ツナカケ」である。
それは取材したこともあるので存じている。
他にはといえばさなぶり行事。
これもまた存じているが・・、といえば3月1日の厄払いである。
その日は搗いたモチを知り合いなどに配るらしい。
男性の厄の年齢は42歳、60歳に88歳の本厄。
88歳の米寿祝いに手形を押す。
シャモジも祝いに配る。
県内事例によく見かける祝いの在り方は矢部にもあったのだ。
2月3日はトシコシ。
いわゆる節分の年越しである。
夕方になればめいめいが煎った大豆を氏神さんなど10カ所に供える。
地蔵尊もツナカケ場もそうである。
大豆を供えると同時にローソクも立てる。
大豆の数量は各家によって異なる。
例えば家族構成が6人であれば豆は6個。
8人家族であれば8個という具合になる。
節分に馴染みのあるヒイラギイワシを挿す家も多いようだ。
10月17日は杵都岐神社のヨミヤ。
村の人たちはハツホサンに拝見した家の提灯をもってきて参拝する。
着物姿で参る人もいるらしい。
(H28. 7. 7 EOS40D撮影)