マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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木之本のゴウシンサン

2017年02月04日 09時21分12秒 | 天理市へ
天理市庵治町のムカシヨミヤを探していた。

それは見つからずにゴウシンサン(郷神)をされていることがわかった庵治町。

それが判ったのは平成26年の7月16日だった。

県内事例でおそらく地蔵盆の次に多い地域行事だと思っている。

庵治町ではゴウシンサンと呼ばれているが、県内事例で見られる呼称が圧倒的に多い大神宮さん。

地区によっては太神宮を充てる処もあるが、詠み名はだいたいが「ダイジングサン」である。

いずれも地区に建つ大神宮若しくは太神宮石塔に竹を立て注連縄を張る。

お供えなどをして地区の人たちが参拝をされるのであるが、地域によっては「ダイジングサン」でなく「ゴウシンサン」の呼び名である。

2年間を経て再び訪れた庵治町。

目的となる石塔に行けば数人の婦人たちがお供えの準備をしていた。

ここは旧木之本に建つ太神宮。

その傍には八王子社の石塔も建つ。

お供えをしていたのは太神宮ではなく八王子社である。

ずっと昔から、そうしているという。

太神宮は北垣内にある。

庵治町には北垣内、南垣内の他、西に出垣内がある。

また、溝端(みぞばた)、内垣内(うちおおじ)、茶垣内(ちゃがいと)に春日などの7垣内に分かれているようだ。



この太神宮並びに八王子社が建つ場に石灯籠があった。

正面に「神」の文字が刻まれている燈灯しのようだ。

それに「安永五□□年(1776)□□ 庵治村木之本 十二月」の文字で判った。

ここが旧木之本である。



お洗米に塩。

ブドウやモモ、リンゴ、カボチャ、トウモロコシにシイタケ、スルメ。

神饌御供をお盆に盛って供える。

ローソクも立てて準備を整えたころは揃ってやってきた婦人たちが南の方から歩いてきた。

お声をかけて挨拶したら、あんたの顔は覚えている・・・。

えっ、である。

2年前にお会いした婦人は数人。

行事を終えて解散した直後に私がやってきたのだ。

ムカシヨミヤとか春日神社(春日大明神)などのことを聞いたが判らなかったが、ここでゴウシンサンをしていたと云うのだ。

そのときのやり取りを覚えている婦人は数人。

よー来てくれはったと喜んでくれたのが嬉しい。

婦人たちは10人あまりもいるおばあちゃん講、もしくは老人会と呼んでいる人たちだ。

名前は老人会であるが、「私ら、若いもんが継ぐように・・」と話す言葉に意気込みを感じた。

毎月の13日、14日辺りはおしゃべりにカラオケを旧公民館でしていると云う。

この日は晴天だが雨天の場合はここではお祭りができないから旧公民館でしているという。

そういう日であっても般若心経の一巻を唱えているという婦人たち。

かつて太神宮さんにもお供えをしていたというゴウシンサン。

夜になれば提灯をぶら下げた。

ローソクの火を点けて灯していた。

昔は青年団が務めていた祭りの日。

大昔は下ツ道と呼ばれていた街道。

そこに夜店があったらしい。

今月の地蔵さんにも夜店はあったが、今はない。

当時に売っていたものにケガニがあった。

ケガニをいっぱい入れた籠で売りに来ていた。

カキゴオリもあって賑やかだったと回顧される。



ちなみに木之本の「ゴウシンサン」を充てる漢字は「郷神」さんであった。

祭りに欠かせない道具などを収納している箱に「郷神」の文字があった。

垣内のゴウシンサンもあれば氏神社の伊勢降神社の行事も話してくださる婦人たち。

伊勢降神社は隣村の田原本町八田にも同名の神社がある。

八田が男の神さん、庵治町は女の神さんであると云われている。

男の神さんはマツリのときに通ったという言い伝えがあるらしい。

庵治町に鎮座する伊勢降神社のマツリは10月の第一土曜が宵宮で翌日の第一日曜がマツリになるという。

宮司は石上神宮の神職。

マツリのときには生きたコイを供えていた。

村には大島紬の和服を着て参る五人衆制度がある。

洗い、新装に手間や費用もかかることがある和服は近年になって礼服に移したようだ。

(H28. 7.16 EOS40D撮影)