前日は長時間に亘る6回目になる「私がとらえた大和の民俗」写真展の打合せ。
テーマの“住”に難儀しているカメラマンが半数。
この日は2回目になる打合せ。
自分自身のテーマに写真を明確に示したのは私の他にSさん、Nさん、Mさん、Mさん。
2テーマから絞り込みをかけるのはUさんやNさん。
テーマが決まらないから、まだ写真は提示できない。
松井さんは欠席だが絞り込んできた。
写真3点は決まったがテーマタイトルがまだなMさん。
3点を選んでテーマタイトルを決めようとするMさん。
欠席されたSさんも苦しんでいるようだ。
みなは生みの苦しみに悩まされているようだ。
人それぞれ、さまざまな思いでテーマをどうするかに悩まれている。
私と云えば紆余曲折。
今回のテーマは「火廼要慎(ひのようじん)」に決めたが、ここまでくるにはそうとう悩んだものである。
前年の12月打ち上げに決まった6回目のテーマ。
どこへも行けない身体だった自宅療養中は考える時間がたっぷりあった。
たぶんに“住”が決定されることだろうと家で吉報を待っていたら、その通りになった。
そのころに描いていたテーマは神さまが住まいするオカリヤを揚げていた。
式年造替で建替え工事される期間は別のところでお住まいになる。
仮屋である。
造替だけでなくマツリにおいて一時的にお旅所に向かわれる場合もある。
そのときは一時的に作ったオカリヤに移られる。
また、神さんを収めたヤカタの場合もある。
ヤカタは次のトウヤ家に移るような場合もある。
廻り地蔵さんはそういう形態である。
神さんは神棚に納められる場合もある。
一時的であろうが、神さんが住まいする処に違いはない。
神さまがあれば、仏さまの事例もある。
とはいっても仏像ではなく、先祖さんだ。亡くなられたら墓に移る。
移る場合にチョーローソクの道しるべというような風習がある。
仏さんの草鞋や指標ともなる卒塔婆もあれば迎えの六地蔵もある。
被写体はさまざま。
仏さんは動く。
盆ともなればオショウライサンとなって下りて来る。
迎えは線香とか藁松明。
先祖さんを迎えたら仏壇におられるということになる。
では、そのときの先祖さんは墓地にいないのか・・・、である。
迎えた家は仏壇の前にそれこそ先祖さんを示した位牌を並べる。
県内でよくみられるお盆の在り方に仏さんの住まいを・・と考えてみた。
それとは別にオクドサンとも呼ばれている竃もどうかと考えてみた。
住まいに火がなければ食事はできない。
そう思って揚げてみたこれまで撮った写真。
田原の里の現役のオクドサンに室生下笠間で撮らせてもらったこれまた現役のオクドサン。
旧月ヶ瀬村の動態保存されている菊家茅葺家も考えてみたが、どうもしっくりいかない。
写真を並べてみてもインパクトを感じないのだ。
ふっと頭をよぎったのは「火」である。
山間などで度々目にした旧家の茅葺民家。
茅葺でなくとも屋根の下あたりにある「水」の文字装飾。
火事にならないような祈りの建造物。
取材した宇陀の佐倉にあったコイノボリ柱跡撮影のときに話してくれた堂辻の婦人。
棟上げの際に納めた棟木の材料はミズキの木だったという。
火事にならないように「水」に願いをかけたミズキの木だそうだ。
重伝建に揚げられていなくとも県内各地の家々にみられる「うだつ」がある。
類焼を避けるためにも煙が隣家にいかないように構造化された「うだつ」を充てる漢字に「卯建」とか「宇立」がある。
これらを紹介した写真を並べてみてもこれまたインパクトがない。
ないというより上手く表現ができないのが断念の理由だ。
住まいする建物の構造的なものを民俗的主観からどのような映像を描くか・・。
「火」で思い起こすのは火事そのもの。
起こしてもならないし、類焼被害もかなわん。
もしもの万が一に少しでもタシになるのが損害保険の火災保険。
おふくろは長年に亘って販売していた外務員だった。
我が家も借家の場合は家財保険に加入していた。
自宅を建てたときになって初めて掛けた保険金は火災保険。
保険なんて必要ないという声を聞くことはあるが・・・起こしてしまえばたいへんなことになると思った私は絶対に必要である決断して掛けていた。
保険を掛けることによって戒めていたのである。
火災保険で思いだした生まれ故郷の住まい。
市営住宅は戦後に建った戦時被災者用の住宅地。
一階建ての木造住宅で暮らしていた。
一段上がったコンクリートの土間。
右手に居間。
左手が炊事場だった。
そこに貼ってあった「火の用心」。
大阪市消防署が発行したと思っている火と避けのお札は自治会が各戸に配っていた。
開け閉めする玄関の真上には逆さまに書いた「十二月十二日」のお札があった。
おばあちゃんが書いて貼っていたお札は泥棒避け。
どちらも家を守ってくれる護符である。
そうだ、これがある。
県内の伝統行事の取材に家の在り方と云うか、風習といえようかの祈りのお札がある。
このような家を守るお札は建屋の内部。
たいがいのモノは玄関の真上。
尤も「十二月十二日」のお札は窓やドアのすべてに貼って泥棒が入ってこないようにおく。
そこには米寿祝いのテガタ(手形版)もある家がある。
そういう家は表玄関に飾っているのは同じく米寿祝いの飯杓子。
どちらも祝いの印の飾り物家を守るものでもない。
泥棒除けではないが、悪魔というか鬼が入ってこないように挿しておく鬼(災)避けヒイラギイワシも形態もある。
守り、祈るお札などは他にもありそうだが「火の用心」に着目した。
「水」の飾りや「うだつ」も火の用心。
「うだつ」から思いだした土蔵。
火事になっても土蔵に置いてあったものは焼けずに済んだという話は度々耳にする火防の土蔵である。
外から開けることしかできない厚み密閉性のある扉で入室するがこれもまた写真にし難い。
火災保険も写真で表現するには難しいから外す。
考えてみれば愛宕さんのお札があった。
愛宕さんは京都の愛宕神社。
愛宕さんに参って拝受してきた護符がある。
村の行事に愛宕さんなど神社や寺に代参をしてお札をもらって帰って村に配る地域は多い。
火伏の神さんのお札が家々どころか集落全体を守る祈りの札。
場合によっては村の辻に愛宕さんの石塔を立ててオヒカリを灯す廻り当番を設けている村もある。
愛宕さんの行事で名高い橿原市八木町の愛宕祭がある。
かつて町内で火事が発生した。
それからは愛宕さんを地区38カ所に亘って祭っている。
八木町では祠(神社)に提灯を掲げ、神饌などを供えて「阿太古祀符火迺要慎」と書かれたお札や愛宕大神の掛け軸を祀っている。
中世以来、戦火に巻き込まれてきた八木は、火事に見舞われないように火防(ひぶせ)の神さんとして崇められてきた京都の愛宕さんを信仰してきた。
近世江戸時代は火事が多くなり、町家・庶民に信仰が広まった。
奈良県下には愛宕さんを信仰する愛宕講がある。
それは数軒規模ではなく地域ぐるみとして行われている。
1軒の家から発生した火事は風に煽られて類焼、そして大火となれば町を焼き尽くす。
そんな被害を受けたくないから愛宕さんにすがった、ということである。
県内の行事に出かける町や村には消防団がある。
火消しの人たちが活躍することもない地域でありたいが・・・。
消防団の倉庫には必ずといっていいほど火の用心のお札に火消し道具がある。
ついつい拝見してしまう消防団の倉庫。
お札に示された文字は何であるか、である。
奈良市消防署もあれば愛宕さん発行の護符もある。
それらは村の代参がもらってきたものもあれば自治会経由で配られたものがある。
お札はいつまでも貼っておくことはない。
神社や寺で拝受したお札は年に一度のトンドで燃やして焼納める。
貼ったままにしておく家は圧倒的に多いが、祈祷札を含めて纏めて保管する箱がある。
玄関などに設置した災避け札もあれば、そういったお札を纏めて入れる箱がある。
事例的には極端に少ない。
トンドで焼くまでのお札の行方を紹介するのも面白いが事例が少なくて会話が発展しないと判断してお蔵入り。
お札は祈り。
次の行為は警告である。
つまりは火の用心カチカチで拍子木を打って地区を廻る自衛である。
暗くなってから拍子木をもった子供たちが地区を巡って火の用心をする。
「マッチ一本火事のもと」大声をかけてふれまわる。
大阪の市営住宅に住んでいた時も年末にみられた自治会の自衛的行為。
全国的な光景であるが、子供ではなく男性が古い太鼓を打ってふれ廻る地域があった。
橿原市の古川町で行われている夜警の様相はインパクトがあると思って決まりの一枚。
警告をしても火事は発生する可能性はゼロとはならない。
万が一、発生したときは何が有効的といえば初期消火である。
街道筋や旧家で見たことがある石造りかコンクリート製の防火用水。
村々では防火用水の池がある。
これらを挙げるのも良いが、ふと思いだしたのが斑鳩町の西里にあった民家一軒ごとに置かれていた火防の防火用水バケツ。
色はもちろん消防車と同じ赤色。
注意を引く色である。
2月4日に訪れたならまちの一角。
奈良市の高御門町にある家の門扉前に置いてあったバケツである。
色はくすんでいたが、元々は目立つ赤色の「消火用」バケツである。
バケツには満々と水を溜めている。
その情景に遭遇して斑鳩町の西里集落の映像が蘇った。
西里の各家では高御門町と同じように門屋前や門扉辺りに消火用バケツが置いてあった。
西里集落の中央には火伏せの神さんである愛宕さんの石塔がある。
同地区の総会に決まった人は正月明けに京都の愛宕神社に参ってお札をもらってくる代参の仕組みがある。
門屋に置いてあった消防バケツは火事を起こしてはならないという地域全体を守る防火活動の一貫である。
どの家も防火バケツを置くようにしたのは愛宕さんとは関係なく、集落の火の用心の決議事項。
バケツ一つで火事を消すのではなく、火事は起こさないという防火の心構えは高御門町にもあった。
住民の話しによればあるお家が起こしたボヤ騒ぎ。
自治会が決議した事項が消防用水バケツの各戸設置である。
ならまちの一角にある高御門町には町歩きをする観光客が多い。
消防バケツはまったく意識もせずに闊歩する。
足元にこういうモノがあると訴えたい写真を撮っていた。
上手くは撮れなかったが前回に数枚を提示したが、カメラマンの目をとらえることはなかった。
そこで思いだしたのが安政五年(1858)の龍吐水。
160年前の消防道具はまさに時代を語る民俗でもある。
もう一つは城下町旧家に遺されていた火消しの道具だ。
旧家は甲府から殿さんともに郡山に越してきた武家。
紹介したい写真はどれにするか、である。
龍吐水をとらえた写真は大晦日に家の廻りにぐるりと架ける注連縄張りが主役。
うだつもある家だが脇役になった龍吐水は判り難いので却下。
旧家の火消しの道具がお気に入りだったが、博物館的写真だと指摘されてこれもまた却下。
そんなあれやこれやで撮りなおしに再訪した高御門町。
狙いは雨が止んだ街道をとらえてみたいと思っていたが、梅雨は明けた。
曇り空でもない日なら行くしかない。
とにかく時間がないから打合せの翌朝に走った。
行き交う人々の姿を入れて撮る場所はどこにするか。
初めて訪れたときの印象は強烈だった。
どちらかといえばバケツ中心。
でっかく取り上げて、町を闊歩する観光客狙い。
地元住民の生活感もだしたいと思うが、そんな計算通りに出没するどおりはない。
しかもこの日はごみ収集日。
景観的には悪条件。
そこは避けてバケツが三つも配置できる場所で人を待つ。
ご婦人が歩く。
坂道に自転車を押す男性も行く。
車や単車など荷物を運ぶ様相も撮る。
生活感があれば民俗になる。
消防用水バケツだけの斜視なら生活感は感じない写真になる。
ねばっていかねばと思っていたら日除けパラソルをさしていたご婦人二人が下ってきた。
何枚か、シャッターを切った。
撮った写真はシルエット風。
目の前に歩んできた婦人が着ていた服装は花柄。
さしていたパラソルも花柄。
おそろいですねと声をかけたら若い女性が応えてくれるが、もう一人の女性はわれ関せず。
若い女性曰く、母親なんですという。
お国は中国。
カメラを手にしていた父親とともに奈良の観光。
案内役になったのが娘さん。
なんでも神奈川県の大学で「民俗」を学んでいたそうだ。
消防バケツの話しが判る女性は日本語が堪能。
その都度に両親へ通訳をされる。
いい出会いは寺の前。
そこにあった瓦製のバラの花。
もしかとして牡丹かもと云ったのは日本暦が十数年の娘さん。
ここで別れて撮影位置を換える。
百メートルぐらいしか行き来しなかった街道の民俗を撮っていたが、これといった収穫はなかったがバラの花を象った門が目に入った。
(H28. 7.21 EOS40D撮影)
テーマの“住”に難儀しているカメラマンが半数。
この日は2回目になる打合せ。
自分自身のテーマに写真を明確に示したのは私の他にSさん、Nさん、Mさん、Mさん。
2テーマから絞り込みをかけるのはUさんやNさん。
テーマが決まらないから、まだ写真は提示できない。
松井さんは欠席だが絞り込んできた。
写真3点は決まったがテーマタイトルがまだなMさん。
3点を選んでテーマタイトルを決めようとするMさん。
欠席されたSさんも苦しんでいるようだ。
みなは生みの苦しみに悩まされているようだ。
人それぞれ、さまざまな思いでテーマをどうするかに悩まれている。
私と云えば紆余曲折。
今回のテーマは「火廼要慎(ひのようじん)」に決めたが、ここまでくるにはそうとう悩んだものである。
前年の12月打ち上げに決まった6回目のテーマ。
どこへも行けない身体だった自宅療養中は考える時間がたっぷりあった。
たぶんに“住”が決定されることだろうと家で吉報を待っていたら、その通りになった。
そのころに描いていたテーマは神さまが住まいするオカリヤを揚げていた。
式年造替で建替え工事される期間は別のところでお住まいになる。
仮屋である。
造替だけでなくマツリにおいて一時的にお旅所に向かわれる場合もある。
そのときは一時的に作ったオカリヤに移られる。
また、神さんを収めたヤカタの場合もある。
ヤカタは次のトウヤ家に移るような場合もある。
廻り地蔵さんはそういう形態である。
神さんは神棚に納められる場合もある。
一時的であろうが、神さんが住まいする処に違いはない。
神さまがあれば、仏さまの事例もある。
とはいっても仏像ではなく、先祖さんだ。亡くなられたら墓に移る。
移る場合にチョーローソクの道しるべというような風習がある。
仏さんの草鞋や指標ともなる卒塔婆もあれば迎えの六地蔵もある。
被写体はさまざま。
仏さんは動く。
盆ともなればオショウライサンとなって下りて来る。
迎えは線香とか藁松明。
先祖さんを迎えたら仏壇におられるということになる。
では、そのときの先祖さんは墓地にいないのか・・・、である。
迎えた家は仏壇の前にそれこそ先祖さんを示した位牌を並べる。
県内でよくみられるお盆の在り方に仏さんの住まいを・・と考えてみた。
それとは別にオクドサンとも呼ばれている竃もどうかと考えてみた。
住まいに火がなければ食事はできない。
そう思って揚げてみたこれまで撮った写真。
田原の里の現役のオクドサンに室生下笠間で撮らせてもらったこれまた現役のオクドサン。
旧月ヶ瀬村の動態保存されている菊家茅葺家も考えてみたが、どうもしっくりいかない。
写真を並べてみてもインパクトを感じないのだ。
ふっと頭をよぎったのは「火」である。
山間などで度々目にした旧家の茅葺民家。
茅葺でなくとも屋根の下あたりにある「水」の文字装飾。
火事にならないような祈りの建造物。
取材した宇陀の佐倉にあったコイノボリ柱跡撮影のときに話してくれた堂辻の婦人。
棟上げの際に納めた棟木の材料はミズキの木だったという。
火事にならないように「水」に願いをかけたミズキの木だそうだ。
重伝建に揚げられていなくとも県内各地の家々にみられる「うだつ」がある。
類焼を避けるためにも煙が隣家にいかないように構造化された「うだつ」を充てる漢字に「卯建」とか「宇立」がある。
これらを紹介した写真を並べてみてもこれまたインパクトがない。
ないというより上手く表現ができないのが断念の理由だ。
住まいする建物の構造的なものを民俗的主観からどのような映像を描くか・・。
「火」で思い起こすのは火事そのもの。
起こしてもならないし、類焼被害もかなわん。
もしもの万が一に少しでもタシになるのが損害保険の火災保険。
おふくろは長年に亘って販売していた外務員だった。
我が家も借家の場合は家財保険に加入していた。
自宅を建てたときになって初めて掛けた保険金は火災保険。
保険なんて必要ないという声を聞くことはあるが・・・起こしてしまえばたいへんなことになると思った私は絶対に必要である決断して掛けていた。
保険を掛けることによって戒めていたのである。
火災保険で思いだした生まれ故郷の住まい。
市営住宅は戦後に建った戦時被災者用の住宅地。
一階建ての木造住宅で暮らしていた。
一段上がったコンクリートの土間。
右手に居間。
左手が炊事場だった。
そこに貼ってあった「火の用心」。
大阪市消防署が発行したと思っている火と避けのお札は自治会が各戸に配っていた。
開け閉めする玄関の真上には逆さまに書いた「十二月十二日」のお札があった。
おばあちゃんが書いて貼っていたお札は泥棒避け。
どちらも家を守ってくれる護符である。
そうだ、これがある。
県内の伝統行事の取材に家の在り方と云うか、風習といえようかの祈りのお札がある。
このような家を守るお札は建屋の内部。
たいがいのモノは玄関の真上。
尤も「十二月十二日」のお札は窓やドアのすべてに貼って泥棒が入ってこないようにおく。
そこには米寿祝いのテガタ(手形版)もある家がある。
そういう家は表玄関に飾っているのは同じく米寿祝いの飯杓子。
どちらも祝いの印の飾り物家を守るものでもない。
泥棒除けではないが、悪魔というか鬼が入ってこないように挿しておく鬼(災)避けヒイラギイワシも形態もある。
守り、祈るお札などは他にもありそうだが「火の用心」に着目した。
「水」の飾りや「うだつ」も火の用心。
「うだつ」から思いだした土蔵。
火事になっても土蔵に置いてあったものは焼けずに済んだという話は度々耳にする火防の土蔵である。
外から開けることしかできない厚み密閉性のある扉で入室するがこれもまた写真にし難い。
火災保険も写真で表現するには難しいから外す。
考えてみれば愛宕さんのお札があった。
愛宕さんは京都の愛宕神社。
愛宕さんに参って拝受してきた護符がある。
村の行事に愛宕さんなど神社や寺に代参をしてお札をもらって帰って村に配る地域は多い。
火伏の神さんのお札が家々どころか集落全体を守る祈りの札。
場合によっては村の辻に愛宕さんの石塔を立ててオヒカリを灯す廻り当番を設けている村もある。
愛宕さんの行事で名高い橿原市八木町の愛宕祭がある。
かつて町内で火事が発生した。
それからは愛宕さんを地区38カ所に亘って祭っている。
八木町では祠(神社)に提灯を掲げ、神饌などを供えて「阿太古祀符火迺要慎」と書かれたお札や愛宕大神の掛け軸を祀っている。
中世以来、戦火に巻き込まれてきた八木は、火事に見舞われないように火防(ひぶせ)の神さんとして崇められてきた京都の愛宕さんを信仰してきた。
近世江戸時代は火事が多くなり、町家・庶民に信仰が広まった。
奈良県下には愛宕さんを信仰する愛宕講がある。
それは数軒規模ではなく地域ぐるみとして行われている。
1軒の家から発生した火事は風に煽られて類焼、そして大火となれば町を焼き尽くす。
そんな被害を受けたくないから愛宕さんにすがった、ということである。
県内の行事に出かける町や村には消防団がある。
火消しの人たちが活躍することもない地域でありたいが・・・。
消防団の倉庫には必ずといっていいほど火の用心のお札に火消し道具がある。
ついつい拝見してしまう消防団の倉庫。
お札に示された文字は何であるか、である。
奈良市消防署もあれば愛宕さん発行の護符もある。
それらは村の代参がもらってきたものもあれば自治会経由で配られたものがある。
お札はいつまでも貼っておくことはない。
神社や寺で拝受したお札は年に一度のトンドで燃やして焼納める。
貼ったままにしておく家は圧倒的に多いが、祈祷札を含めて纏めて保管する箱がある。
玄関などに設置した災避け札もあれば、そういったお札を纏めて入れる箱がある。
事例的には極端に少ない。
トンドで焼くまでのお札の行方を紹介するのも面白いが事例が少なくて会話が発展しないと判断してお蔵入り。
お札は祈り。
次の行為は警告である。
つまりは火の用心カチカチで拍子木を打って地区を廻る自衛である。
暗くなってから拍子木をもった子供たちが地区を巡って火の用心をする。
「マッチ一本火事のもと」大声をかけてふれまわる。
大阪の市営住宅に住んでいた時も年末にみられた自治会の自衛的行為。
全国的な光景であるが、子供ではなく男性が古い太鼓を打ってふれ廻る地域があった。
橿原市の古川町で行われている夜警の様相はインパクトがあると思って決まりの一枚。
警告をしても火事は発生する可能性はゼロとはならない。
万が一、発生したときは何が有効的といえば初期消火である。
街道筋や旧家で見たことがある石造りかコンクリート製の防火用水。
村々では防火用水の池がある。
これらを挙げるのも良いが、ふと思いだしたのが斑鳩町の西里にあった民家一軒ごとに置かれていた火防の防火用水バケツ。
色はもちろん消防車と同じ赤色。
注意を引く色である。
2月4日に訪れたならまちの一角。
奈良市の高御門町にある家の門扉前に置いてあったバケツである。
色はくすんでいたが、元々は目立つ赤色の「消火用」バケツである。
バケツには満々と水を溜めている。
その情景に遭遇して斑鳩町の西里集落の映像が蘇った。
西里の各家では高御門町と同じように門屋前や門扉辺りに消火用バケツが置いてあった。
西里集落の中央には火伏せの神さんである愛宕さんの石塔がある。
同地区の総会に決まった人は正月明けに京都の愛宕神社に参ってお札をもらってくる代参の仕組みがある。
門屋に置いてあった消防バケツは火事を起こしてはならないという地域全体を守る防火活動の一貫である。
どの家も防火バケツを置くようにしたのは愛宕さんとは関係なく、集落の火の用心の決議事項。
バケツ一つで火事を消すのではなく、火事は起こさないという防火の心構えは高御門町にもあった。
住民の話しによればあるお家が起こしたボヤ騒ぎ。
自治会が決議した事項が消防用水バケツの各戸設置である。
ならまちの一角にある高御門町には町歩きをする観光客が多い。
消防バケツはまったく意識もせずに闊歩する。
足元にこういうモノがあると訴えたい写真を撮っていた。
上手くは撮れなかったが前回に数枚を提示したが、カメラマンの目をとらえることはなかった。
そこで思いだしたのが安政五年(1858)の龍吐水。
160年前の消防道具はまさに時代を語る民俗でもある。
もう一つは城下町旧家に遺されていた火消しの道具だ。
旧家は甲府から殿さんともに郡山に越してきた武家。
紹介したい写真はどれにするか、である。
龍吐水をとらえた写真は大晦日に家の廻りにぐるりと架ける注連縄張りが主役。
うだつもある家だが脇役になった龍吐水は判り難いので却下。
旧家の火消しの道具がお気に入りだったが、博物館的写真だと指摘されてこれもまた却下。
そんなあれやこれやで撮りなおしに再訪した高御門町。
狙いは雨が止んだ街道をとらえてみたいと思っていたが、梅雨は明けた。
曇り空でもない日なら行くしかない。
とにかく時間がないから打合せの翌朝に走った。
行き交う人々の姿を入れて撮る場所はどこにするか。
初めて訪れたときの印象は強烈だった。
どちらかといえばバケツ中心。
でっかく取り上げて、町を闊歩する観光客狙い。
地元住民の生活感もだしたいと思うが、そんな計算通りに出没するどおりはない。
しかもこの日はごみ収集日。
景観的には悪条件。
そこは避けてバケツが三つも配置できる場所で人を待つ。
ご婦人が歩く。
坂道に自転車を押す男性も行く。
車や単車など荷物を運ぶ様相も撮る。
生活感があれば民俗になる。
消防用水バケツだけの斜視なら生活感は感じない写真になる。
ねばっていかねばと思っていたら日除けパラソルをさしていたご婦人二人が下ってきた。
何枚か、シャッターを切った。
撮った写真はシルエット風。
目の前に歩んできた婦人が着ていた服装は花柄。
さしていたパラソルも花柄。
おそろいですねと声をかけたら若い女性が応えてくれるが、もう一人の女性はわれ関せず。
若い女性曰く、母親なんですという。
お国は中国。
カメラを手にしていた父親とともに奈良の観光。
案内役になったのが娘さん。
なんでも神奈川県の大学で「民俗」を学んでいたそうだ。
消防バケツの話しが判る女性は日本語が堪能。
その都度に両親へ通訳をされる。
いい出会いは寺の前。
そこにあった瓦製のバラの花。
もしかとして牡丹かもと云ったのは日本暦が十数年の娘さん。
ここで別れて撮影位置を換える。
百メートルぐらいしか行き来しなかった街道の民俗を撮っていたが、これといった収穫はなかったがバラの花を象った門が目に入った。
(H28. 7.21 EOS40D撮影)