たまたま明日香村下平田の地蔵まつりに合流した二人の写真家。
今年も奈良県立民俗博物館で「私がとらえた大和の民俗」写真展に出典する。
今年の大テーマは「住」だ。
“みかん蔵”をテーマに挙げたSさんの話しによれば、8月24日に明日香村から山を越えた大淀町西増の地蔵さんに野菜造りの御供があるという。
これは必見になりそうだと思って現地を下見しておく。
大淀町には「増(まし)」の漢字を充てている大字が3カ所もある。
一つは紹介してくれた「西増」だ。
もう一つは「中増」。
三つ目が「増口」である。
元々の「増」はなんとなく・・・。
増に入る口は「増口」。
奥の奥にある「増」が「中増」。
そこより西寄りが「西増(にしまし)」と想定するのだが・・・。
入口と想定した「増口」から北上する。
本来ならばそうしたいが明日香村から当地にやってきた。
芦原トンネルを抜けて東西を走る旧街道を行く。
旧街道といっても現代に敷かれた車道である。
畑屋から比曽に馬佐を抜けたら「増」の「西増」。
実は誤ってというか、見逃して東へと向かっていた。
ここら辺りだと思った地は「増原」だった。
何故か住居表示に出てこない「増原」で彷徨う。
ここより西の方角にあると気づいて車を走らせる。
谷筋両側にある道を登る。
とても狭い道は里道を広げたのであろうか。
対抗車を避けるには多分に苦労するだろうと思った。
「西増」の地蔵さんは数か所あるとSさんが話していた。
そこがどこなのか詳しくは聞いていない。
狭い道を走らせる車の窓から覗いて場を確かめるが・・・。
ぐるっと回って下りかけの道にあった地蔵さんの祠。
ここにあったが果たしてそうなのかである。
近くの畑から出てこられた婦人の話しによれば間違いないという。
帰ってきたご主人は吉野山の桜守。
なにかと話をしてくださる。
ご夫婦の話しによれば村に6、7カ所の地蔵尊がある。
その一カ所がK家の地蔵尊である。
この村では隣組の家々が立御膳作って供えて祭りをしているという。
時間帯は夕方。
陽が落ちるころに村の子供らを随行した専念寺の僧侶が村の地蔵尊を巡って廻り法要をしているという。
野菜造りの御供はそれぞれになるらしい。
(H28. 7.23 EOS40D撮影)
今年も奈良県立民俗博物館で「私がとらえた大和の民俗」写真展に出典する。
今年の大テーマは「住」だ。
“みかん蔵”をテーマに挙げたSさんの話しによれば、8月24日に明日香村から山を越えた大淀町西増の地蔵さんに野菜造りの御供があるという。
これは必見になりそうだと思って現地を下見しておく。
大淀町には「増(まし)」の漢字を充てている大字が3カ所もある。
一つは紹介してくれた「西増」だ。
もう一つは「中増」。
三つ目が「増口」である。
元々の「増」はなんとなく・・・。
増に入る口は「増口」。
奥の奥にある「増」が「中増」。
そこより西寄りが「西増(にしまし)」と想定するのだが・・・。
入口と想定した「増口」から北上する。
本来ならばそうしたいが明日香村から当地にやってきた。
芦原トンネルを抜けて東西を走る旧街道を行く。
旧街道といっても現代に敷かれた車道である。
畑屋から比曽に馬佐を抜けたら「増」の「西増」。
実は誤ってというか、見逃して東へと向かっていた。
ここら辺りだと思った地は「増原」だった。
何故か住居表示に出てこない「増原」で彷徨う。
ここより西の方角にあると気づいて車を走らせる。
谷筋両側にある道を登る。
とても狭い道は里道を広げたのであろうか。
対抗車を避けるには多分に苦労するだろうと思った。
「西増」の地蔵さんは数か所あるとSさんが話していた。
そこがどこなのか詳しくは聞いていない。
狭い道を走らせる車の窓から覗いて場を確かめるが・・・。
ぐるっと回って下りかけの道にあった地蔵さんの祠。
ここにあったが果たしてそうなのかである。
近くの畑から出てこられた婦人の話しによれば間違いないという。
帰ってきたご主人は吉野山の桜守。
なにかと話をしてくださる。
ご夫婦の話しによれば村に6、7カ所の地蔵尊がある。
その一カ所がK家の地蔵尊である。
この村では隣組の家々が立御膳作って供えて祭りをしているという。
時間帯は夕方。
陽が落ちるころに村の子供らを随行した専念寺の僧侶が村の地蔵尊を巡って廻り法要をしているという。
野菜造りの御供はそれぞれになるらしい。
(H28. 7.23 EOS40D撮影)