高樋町の宮総代から電話があった。
今年は造営の年。
この月の29日に一時的に仮住まいされている春日神社の神さんは本殿御遷座祭の夜に戻られる。
それまでは本殿を塗り替えている。
塗替えに、さて、困ったことがある。
あの部分にあった色付けが何色でどういう彩色であったか記録がないから相談にのってほしいというお願いだ。
これまで高樋町の神社行事を取材させてもらったことはあるが、本殿の彩色のすべてを細かく見たことがない。
見たことがないから細部はなおさら撮ってもいない。
さて、困ったのは私だ。
しかも、宮総代が云われる彩色部分がどこだかわからない。
相談に架けてきた電話の声を手さぐりに調べてみた。
それはもしかとすれば本殿前にある支えの柱ではないだろうか。
両端に突き出した部分である。
そこは四角いままのものもあればお寺本堂でよく見る「象」がある。
長いお鼻をもつ象さんの顔である。
細かい彫刻をしたものもあれば断面的にしたものもある。
彫刻はそれぞれ。
彩色もさまざまな形のそれは何という名称であるのか。
ネットを駆使して当てもなく探してみた結果である。
二つ目に神社様式をさがしてみる。
あっちもこっちも出てくる、出てくるありがたい情報に助かる。
本殿前にある建物構造は鳥居である。
垂木は支えである。
頭貫(ぬき)と呼ばれる水平材の両端は柱を突き抜けて飛び出している。
木材そのものの形の場合もあるが、彫刻などを施して彩色した装飾。
これらの形態は別として木の端にあることから木端(きばな)の呼び名がある。
いつしか充てる漢字は「木鼻(きばな)」になった。
それは装飾のなかに象の鼻を象った象鼻や獅子、獏などである。
いずれも動物の鼻が突き出るような恰好から、それを木で造った鼻ということで「木鼻」になったのであろう。
わかりやすく解説してくださるネットに感謝する。
宮総代や今ちょうどに彩色している大工さんに説明するには資料がいる。
そのうちの一部をプリントアウト。
もうひとつは鮮明ではないが、平成27年3月1日に取材した春日神社のハルマツリに撮った写真があった。
シキジが下げる松苗の後方に建つのが本殿。
木鼻部分の映像を拡大して持っていった。
神社に着けば職人さんが作業をしていた。
親方は宮総代と話をして近隣村にある春日神社を探したそうだ。
そこにあった木鼻を拝見して参考にする。
その映像はスマホに撮っていた。
さすがの棟梁である。
春日大社まで出かけて調べたというが・・・。
それはともかく高樋の春日神社の木鼻はそれらの情報とわずかに残っていた木鼻の彩色から想定しながら塗ったという。
私がもってきた昨年の写真と見比べても遜色ない。
間違ってはいなかった棟梁の見立てに拍手する。
念のためというか、後学のために旧五カ谷村にある近隣村の春日神社の状態も見ておこうと云った宮総代とともに車を走らせる。
一カ所は神社行事の取材はできていないが鎮座する神社が春日神社であることを認知している隣村の中畑である。
もう一カ所は五カ谷村でなく天理市になるが岩屋の春日神社である。
両社の状態を実見することで高樋町の在り方が理解できる、ということだ。
この映像は中畑町に鎮座する春日神社である。
様式は高畑とまったく違う。
柱、垂木のすべてが真っ白。
木鼻は象の形でもないような可愛さがある紋様である。
二つ目の映像は天理市岩屋に鎮座する春日神社である。
所在地は存知していないが神社下にある建物は入室したことがある。
その建物は融通念仏宗派の本願寺。
勤めている僧侶は室生下笠間にある春覚寺の住職も務めているSさんだ。
平成17年6月18日に撮らせてもらった虫送りの写真をさしあげようと思って訪ねた。
本堂庫裡で長話になったことを覚えている。
そのS住職とは今年の虫送りにもお会いした。
それはともかく岩屋の春日神社である。
本殿の塗りが真新しい。
近年において造営されたのであろう。
当社にも明確な形の木鼻があった。
なんとなく高樋に似ている雲形渦巻き模様であるが彩色は異なる。
こうして三社を見ればわかるように同じ様式ではなかったわけだ。
奈良県には春日神社が各地にある。
それらのすべてかどうかわからないが春日大社の払い下げ。
つまり今年がそうであるが、20年おきに行われる春日大社の式年造替は社殿を建て替える。
古い社殿は地方に建つ社殿に移築された。
その年代は記録されているのか存知しないが、写真家のKさんはそれを撮り続けていると話していた。
ちなみに春日神社調査に立ち寄った岩屋に旧暦閏年に行われる庚申さんの塔婆があったことに気づく。
これも記録と思って撮っておいた塔婆に願文がある。
ひとつは「奉修南無地蔵尊広大慈思 天下和順日月清明風雨以時災痛不起五穀成就」。
もう一つは「奉修南無青面金剛童子菩提 天下和順日月清明風雨以時災痛不起五穀成就」である。
三つめは「奉修南無愛□権現広大慈思・・・天下和順日月清明風雨以時災痛不起五穀成就」だった。
3本それぞれ慈悲する本尊が異なるが願いは同じである。
奉った日があれば特定できるのだが・・。
追って調べてみたい岩屋の閏庚申行事である。
(H28. 7.21 EOS40D撮影)
今年は造営の年。
この月の29日に一時的に仮住まいされている春日神社の神さんは本殿御遷座祭の夜に戻られる。
それまでは本殿を塗り替えている。
塗替えに、さて、困ったことがある。
あの部分にあった色付けが何色でどういう彩色であったか記録がないから相談にのってほしいというお願いだ。
これまで高樋町の神社行事を取材させてもらったことはあるが、本殿の彩色のすべてを細かく見たことがない。
見たことがないから細部はなおさら撮ってもいない。
さて、困ったのは私だ。
しかも、宮総代が云われる彩色部分がどこだかわからない。
相談に架けてきた電話の声を手さぐりに調べてみた。
それはもしかとすれば本殿前にある支えの柱ではないだろうか。
両端に突き出した部分である。
そこは四角いままのものもあればお寺本堂でよく見る「象」がある。
長いお鼻をもつ象さんの顔である。
細かい彫刻をしたものもあれば断面的にしたものもある。
彫刻はそれぞれ。
彩色もさまざまな形のそれは何という名称であるのか。
ネットを駆使して当てもなく探してみた結果である。
二つ目に神社様式をさがしてみる。
あっちもこっちも出てくる、出てくるありがたい情報に助かる。
本殿前にある建物構造は鳥居である。
垂木は支えである。
頭貫(ぬき)と呼ばれる水平材の両端は柱を突き抜けて飛び出している。
木材そのものの形の場合もあるが、彫刻などを施して彩色した装飾。
これらの形態は別として木の端にあることから木端(きばな)の呼び名がある。
いつしか充てる漢字は「木鼻(きばな)」になった。
それは装飾のなかに象の鼻を象った象鼻や獅子、獏などである。
いずれも動物の鼻が突き出るような恰好から、それを木で造った鼻ということで「木鼻」になったのであろう。
わかりやすく解説してくださるネットに感謝する。
宮総代や今ちょうどに彩色している大工さんに説明するには資料がいる。
そのうちの一部をプリントアウト。
もうひとつは鮮明ではないが、平成27年3月1日に取材した春日神社のハルマツリに撮った写真があった。
シキジが下げる松苗の後方に建つのが本殿。
木鼻部分の映像を拡大して持っていった。
神社に着けば職人さんが作業をしていた。
親方は宮総代と話をして近隣村にある春日神社を探したそうだ。
そこにあった木鼻を拝見して参考にする。
その映像はスマホに撮っていた。
さすがの棟梁である。
春日大社まで出かけて調べたというが・・・。
それはともかく高樋の春日神社の木鼻はそれらの情報とわずかに残っていた木鼻の彩色から想定しながら塗ったという。
私がもってきた昨年の写真と見比べても遜色ない。
間違ってはいなかった棟梁の見立てに拍手する。
念のためというか、後学のために旧五カ谷村にある近隣村の春日神社の状態も見ておこうと云った宮総代とともに車を走らせる。
一カ所は神社行事の取材はできていないが鎮座する神社が春日神社であることを認知している隣村の中畑である。
もう一カ所は五カ谷村でなく天理市になるが岩屋の春日神社である。
両社の状態を実見することで高樋町の在り方が理解できる、ということだ。
この映像は中畑町に鎮座する春日神社である。
様式は高畑とまったく違う。
柱、垂木のすべてが真っ白。
木鼻は象の形でもないような可愛さがある紋様である。
二つ目の映像は天理市岩屋に鎮座する春日神社である。
所在地は存知していないが神社下にある建物は入室したことがある。
その建物は融通念仏宗派の本願寺。
勤めている僧侶は室生下笠間にある春覚寺の住職も務めているSさんだ。
平成17年6月18日に撮らせてもらった虫送りの写真をさしあげようと思って訪ねた。
本堂庫裡で長話になったことを覚えている。
そのS住職とは今年の虫送りにもお会いした。
それはともかく岩屋の春日神社である。
本殿の塗りが真新しい。
近年において造営されたのであろう。
当社にも明確な形の木鼻があった。
なんとなく高樋に似ている雲形渦巻き模様であるが彩色は異なる。
こうして三社を見ればわかるように同じ様式ではなかったわけだ。
奈良県には春日神社が各地にある。
それらのすべてかどうかわからないが春日大社の払い下げ。
つまり今年がそうであるが、20年おきに行われる春日大社の式年造替は社殿を建て替える。
古い社殿は地方に建つ社殿に移築された。
その年代は記録されているのか存知しないが、写真家のKさんはそれを撮り続けていると話していた。
ちなみに春日神社調査に立ち寄った岩屋に旧暦閏年に行われる庚申さんの塔婆があったことに気づく。
これも記録と思って撮っておいた塔婆に願文がある。
ひとつは「奉修南無地蔵尊広大慈思 天下和順日月清明風雨以時災痛不起五穀成就」。
もう一つは「奉修南無青面金剛童子菩提 天下和順日月清明風雨以時災痛不起五穀成就」である。
三つめは「奉修南無愛□権現広大慈思・・・天下和順日月清明風雨以時災痛不起五穀成就」だった。
3本それぞれ慈悲する本尊が異なるが願いは同じである。
奉った日があれば特定できるのだが・・。
追って調べてみたい岩屋の閏庚申行事である。
(H28. 7.21 EOS40D撮影)