マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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下平田の地蔵まつり

2017年02月24日 08時48分23秒 | 明日香村へ
昭和62年7月に発刊された『季刊明日香風23号』の記事にこう書いてあった。

「7月23日に地蔵盆がある。その日は立て御膳が供えられる。当番の人は早朝からジャガイモを台に、トマト、ナス、キュウリ、トウガラシなどを串挿しにして作る。お参りに来る人はこれに御膳料を出してお供えをする」とある。

「立て御膳には、人の形を表現したユーモラスなものも見られる。この御膳に用いる野菜などは、他家の畑から盗んできても良いという」のもあった。

こうした祭りの状況は今でもそうなのか、確かめたくて訪れた。

場は前月の6月19日に訪れた明日香村大字平田の下平田。

地蔵まつりの会場は下平田の人たちが大切に守ってきた「参百年の伝統語る 耳なおし地蔵尊」だ。

下平田の「耳なおし地蔵尊」は耳がない。

そういうことから「耳なし地蔵」。

いつしか耳の病いにご利益があると云われるようになって「耳なおし地蔵」に名が転じたようだ。

この日は朝から集まった当番の組の人たちが境内どころか地蔵堂に拝殿と云われる会所などの大掃除。

朝9時から始まった作業は昼前に一旦は終える。

下平田は耳無地蔵尊がある地区を1区(地蔵垣内)。

その他に2区、3区、4区(寺垣内)の4組。

かつては5区もあったが現在は4区に統合された。

地蔵まつりはその4組が毎年交替しながら務めているから4年に一度の廻りである。

今年の当番組は2区が担っているという。

当番組の人たちは帰宅されて昼ご飯。

お腹を満たして再びやってくる時間帯は午後2時ころ。

拝殿と呼ばれる場に野菜が登場した。

その野菜を見て、さて、どうするか、である。

おもむろに手にした野菜はこうする、あーすると手が動く。

掴んだ野菜に竹串を挿す。



それを土台になるカボチャに挿して立てる。

何種類かの野菜を竹串にさしてはカボチャに挿す。

キュウリ、トマト、ミニトマト、ピーマン、トウガラシ、マンガンジ、長ナス、丸ナスにトウガンなど。

最近出たての新作カボチャもある。

何人かが作っていくから出来上がり具合はひとつとして同じものがない。

それぞれに表情がある野菜の造りもの。



できあがる都度、古くから使ってきた長机に並べていく。

今年の当番にあたっているおじいちゃんに混ざって孫息子に孫娘も作る。



出来あがればスマホで記念撮影。

友達らに送って見てもらうのだろう。

激写する二人の姿が可愛く見える。

野菜造りの御供は耳無地蔵尊や右隣の不動明王にも供えられて小休止。



しばらくの時間は一服されて一旦は帰宅する。

再びやってくるのは午後5時ころになる。

御供作りをしていた場は拝殿とも呼ぶ建物。

御供を並べることから御供所とか会所の名もあるようだが、確定的ではないようだ。

この場に置いてあった手作りの行燈。



「天に星」、「無病息災」、「商売繁盛」、「家内安全」、「水害息災」、「世界平和」、「交通安全」に「げんきでたいそうおわればべんきょうします 地蔵さま」とか「みんななかよくげんきであそべるようにまもってね」もある。

微笑ましい願掛けを書いた行燈の登場は夕刻の日暮れになれば灯りを点けるであろう。



下平田の地蔵まつりに僧侶は登場しない。

法要がないのである。



婦人会、子供会が催す縁日にその日限りの夜店売り場にわらびもちや串コンニャクがある。

一番先に完売したのは・・お好み焼きだったようだ。

夏場にぴったり最適なのは氷で冷やした飲み物。

手を入れた水槽はとても冷たい。

入れた瞬間にひやっとする。

イノコ祭りサンノンサン行事取材でお世話になった総代夫妻も会場にやってきた。

何年前かわからないが「昔は花火も上げていたが、神戸の震災で止めた。子供会などがこうして賑やかしをしてくれているが、かつては10店舗も並んでいた」という。

よくよく見れば耳なおし地蔵尊の前に石造りの何某があった。



蝋燭立てなどで埋もれている石に「春日講中」の刻印が見られる。

いつの時代に建てたのかわからない。

以前に総代が話していた講は行者講、大師講、こんぴら講であったが、春日講の名は出なかったように記憶する。

記録もないのか話題も出なかった下平田の春日講はどのような活動をしていたのであろうか。

奈良県庁文書の『昭和四年大和国神宮神社宮座調査』資料によれば、大字上平田に大宮講と春日講の講名記載があった。

下平田の氏神社は上平田に鎮座する八阪神社。

こことの関連性があるのでは、と思った。



当番の人が先にしておく御供は耳なおし地蔵尊だけでなく道路向こうに建つ「榎龍神」にも供える。

供えるのは神酒口に洗い米などだ。

ここでは野菜造りの御膳は見られない。

当番にあたっている

昼過ぎから始めた野菜造りの御膳は三段に組んだ棚にずらりと並ぶ。



そこにはそれぞれの御膳に名前を書いた札がある。

お参りに来た人たちは御供料を差し出せば受付が名を書く。

それを御膳下に挟むのである。

耳なおし地蔵さんのお参りは大字下平田の住民たち。

特に決まった時間はないが、だいたいが午後5時前後になるようだ。

夜店の出店時間がそうだから、合わせているのだろう。



お友達誘った子供連れもあれば、家族連れも・・・ぞくぞくと訪れる大字の人たち。

お爺ちゃん、お婆ちゃんに連れられた孫さんたちも多く見られる。



場合に寄れば身体事情で車いすに乗った人もやってくる。

まさに地域住民総勢がやってくるかのようなお祭り参拝である。

なかにはお孫さんたちが揃ったのか、夜店で買った冷たい飲料水を飲んでいた。



三人並んで飲んでいる顔がとても美味しそうに見える。

カメラ目線どころか視線を揃えてくれる女児たちが愛くるしい。

お参り前にしなければならないのが御膳料の奉納である。



それを受け取った当番の人はキンをひと打ち。

書いた名前札は野菜の造りものに表示。

名札は垂らして御膳奉納した人の名がわかるようにしている。

耳無地蔵尊や不動明王には燭台がある。

何列、何段かかぞえてはいないが100円払って購入したローソクに火を灯して燭台に立てる。

線香ももらえるが、バラバラにならないように紙で巻いていた。

小さなことであるが、村の心遣いがよくわかる。

大きな器のように決める金属製のキンに薄いというか幅の狭い処になにやら彫った刻印がある。

目を細めて見れば「元禄十四年辛巳(1701)暦三月十日 願主釋常智俗名□□」の刻印があった。

看板に偽りはなかった地元民が伝える三百年からの伝統がある耳無地蔵尊の歴史を語るキンの存在であるが、耳無地蔵尊との関係性を示すものはない。

参拝者は途切れることなく次々とやってくる。

最盛期の時間帯を見ることはできなかったが、夜8時ころまでのようだ。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)