今年も相も変わらずの水口参りに遁走している。
奈良県内の事例を求めて各地域を駆け回る。
山間では4月初めにする地域もみられるが数は少ない。
多くみられるのは盆地部の平坦である。
早い処では4月半ばという地域が多いが、最も多くされている時期は4月末から5月初めの連休のころ。
世間の人たちは遊びにでかけるGWであるが、農村はこの時期に焦点を合わせているかのように集中している。
例年は見られても再訪してみればやむを得ない事情で止めた処もある。
地域の都合ではなくお家の事情である。
その状況は常に見ておかなければならないと奈良県内各地を走り回っては白い幌を被せた苗代を探す。
そのころの時期の山間部は田植えが始まっている。
それも東山中にあたる地域でしかみられない田植え前の農家の儀式がある。
儀式といっても大層なことでない。
田植え機を入れて始めて田植えをする場にウエゾメ(植え初め)と呼ぶ儀式である。
地域、或はお家によって供え方は異なるが、これまで拝見してきたウエゾメにフキダワラを供える処がある。
田植え始めの場に12本のカヤを挿すとか、クリの枝木に幣を垂らすとか。
地域によっては初祈祷でたばったお札を立てるという地域もある。
また、すべての田植えを終えたときの在り方もある。
いわゆる植え終い(※仕舞いとも)である。
田植えに残しておいた苗さんである。
その苗を手にしてサシナエをしている人はよく見かけるが、残った苗さんをオクドサンに供える処がある。
そのときにもフキダワラを作って供えるお家がある。
また、田植え作業の休憩中に自宅で作ったフキダワラを食べることがある。
かつてというか、今では想像しがたい農作業中における小腹を満足させるケンズイ(間食)時間帯のフキダワラ喰い。
藁紐で括って腰にぶら下げて田んぼに出かけたと話す人もいたが、いずれも高齢者である。
近年、数か所においてその記録を録ってきた。
今ではしていないが、高齢者の記憶は文字で記録してきた。
昨年に状況を調べた結果は・・辛い現状である。
今年もそうであるのか現地を訪れる。
やはりである。
この日の午後は天理市の山田町(上山田・中山田・下山田)から山添村の北野のフキダワラ探し。
昨年に拝見した天理市山田町の下山田。
一軒のお家がしていたフキダワラはない。
ないどころでない。
例年していたハウスは荒れ放題。
廃れるどころか田植えもしていない現状に危機感を覚える。
大字北野はもちろん、ない。
訪ねた大字大塩の住民は奥さんが緊急入院でそれどころではない状態だった。
隣村の大字箕輪在住の女性は昨年までしていたという。
身体が思うように動けなくなったというのが理由である。
一年早ければ、と悔やまれるが、部外者の私が口にするわけにはいかない仕方のないことである。
平成2年11月に月ヶ瀬村(現奈良市月ヶ瀬)が発刊した『月ヶ瀬村史』にフキダワラのことを書いてあった。
大字の石打、尾山、長引の神社では苗代祭や種蒔祭を行っている。
旧月ヶ瀬村は三重県寄りの村落。
北に向かえば京都の南山城が近い。
米の豊作願いに収穫を感謝する行事は新年祭(祈年祭)から始まって収穫感謝祭(新嘗祭)で終える。
神社行事と連動するかのように農家自身で行われてきた家の習俗行事がある。
さびらきの名で呼ばれる田の植え初めの行事。
そのさびらきにフキダワラを田んぼで食べて祝った。
フキダワラは煎り豆のご飯をフキの葉に包んだものである。
また、さなぶりの名がある植えじまい(※終い若しくは仕舞い)に茹でたソラマメを食べる。
稔った稲を刈り終えたときも行事をしていた。
稲刈りに要した農具を祭るのである。
農具はカマ、ナタ、ノコギリなど。
それら纏めて箕に並べて炊いたセキハン(赤飯)を一升枡に盛って供える。
その場に供えて燈明を灯した。
いわゆる刈りじまい(※終い若しくは仕舞い)とか、カマ納めと呼ばれる儀式である。
大和郡山市の田中町の農家はこれを「カリヌケ」と呼んでいた。
収穫後には二股のダイコンと煎った大豆をえべっさん(エビス天)に供えるところもあったそうだ。
そこで思い出したのが奈良県ではなく、三重県である。
山添村からまっすぐ東へ名阪国道を走る目的地は三重県の伊賀市下阿波である。
昨年の平成28年8月17日にBSで放送されたBS-TBS放送の「美しい日本に出合う旅―三重で歴史散歩―家康と伊賀忍者の里・絶景の滝めぐり」という番組である。
サブタイトルに惹かれたわけでもない三重県の美しい日本にどういう出会いがあるのか、少しだけ興味があったので録画していた。
朝食時間の合間に見る録り溜めたビデオ映像。
その日の気分で録画した番組を決める。
この放送を見たのはずいぶん後だ。
1、2カ月も経ってからのことだったと思う。
何気なく見ていた番組に突然現れたフキダワラ。
出演している女性は煎った大豆を入れたご飯を炊いていた。
付近にあるフキを採ってきて茎軸の筋を引いていた。
何本かの筋を引いていた。
その様子は私のおばあさんもそうしていた。
ずいぶん前のことは記憶の片隅に残している。
私の子どものころの様子であるが、たぶんに私もしていたような気がする。
引いていた手が黒くなることを知ったのはそれから十数年も経ったころである。
引いた筋だけを残して本体の茎は取ってしまう。
フキは佃煮にしていたことも記憶にある。
おばあさんか、おふくろが煮ていたのか、それまでは覚えていないが味は記憶にある。
はっきり言って旨くない。
子どもの口には合わなかったが、いつしか大人になるにつれ旅の宿でだされる料理で味わうようになった。
山野草の味を覚えたのは信州、岐阜、或は福島などで泊まった民宿だったと思う。
それた話しは戻しておこう。
炊きあがったアツアツの煎り大豆入りのご飯をロート状にしたフキの葉に入れる。
一旦は椀に盛って、それをロート状にして持ったフキの葉に押し込む。
葉は全体を包み込むように端っこを絞る。
絞った先をフキの茎を引いた何本かの紐をくるくると巻いて締める。
形は丸い。
これまで私が拝見してきた奈良県のフキダワラにない形である。
フキダワラはその名の通りに「俵」型。
米俵を意識した包み方である。
俵型に握ったおにぎりもそうだが、どちらも豊作を願った形である。
地域によっては俵型でなく他のにぎり方。
フキダワラも同じように他の包み方。
その差は地域だけでなくお家の在り方によっても違いがでる。
決して誤りではなく、それもまたそこにとっては正統なのである。
フキダワラを作った女性は田植えを終えてすくすくと育った田んぼに向かう。
丸い型のザルに盛ったフキダワラは数個を選んで藁製のサンダワラに盛った。
その場で手を合わせて拝んでいたことからさぶらき、若しくはさびらきの作法であろう。
名称もまた地域差はあるが、いずれも農家における田植え初めの儀式である。
番組ナレーターが伝える言葉は「伊賀の郷土料理はお供え物。伊賀の里山で食べるご飯を紹介する」であった。
こうした一連のフキダワラの映像に喰いついた。
地区場所はテロップに表示された「三重県伊賀市下阿波」。
その地のどこかに住んでおられる女性を求めて車を走らせる。
山添村からおよそ40分弱。
カーナビゲーションにインプットした下阿波へは川沿いの県道163号線を走る。
ビデオ映像の景色は山間部辺り。
そう思って車を走らせる。
カーナビゲーションが指示したルートは村中の狭い道。
集落は目と鼻の先にあるが、狭くて車が入れない。
軽自動車であっても入れなさそうな道は不入の道である。
ゆるゆるバックして県道に戻った。
すぐ近くに二人の婦人がおられたので集落並びにフキダワラのことを聞いてみた。
そこは下阿波でもあるが、須原(すはら)の地。
80歳代の婦人がいうには子供のころの記憶。
キナコ飯を包んだフキダワラは午前10時に午後3時のケンズイ(間食)のときに食べていた、であった。
探してみても、今どきそんなことをしている人はおらんやろ、という。
そりゃそうである。
80歳代であれば子どものころは70年前になる。
継いでいる家はみられないという。
下阿波の集落はそこより少し戻った地。
県道を挟むように民家がある。
そこで尋ねてみては、と云われていくがどなたもいない。
たまたま来られたのは年老いた婦人と娘さん。
コイン型精米所に米袋を運んで精米する。
その人たちにも声をかけて聞いてみた結果は・・。
高齢の婦人が云うには娘はすることないが、かつておばあさんがしていたという。
本人も継がなかったが、おばあさんはフキダワラに包んだご飯を美味しそうに食べていたそうだ。
フキダワラを作っている人であれば料理好き。
〇〇さんかもしれないと云われて探してみる。
服部川に架かる橋を渡って真っすぐ。
どんつきを左折れしたら神社がある。
そこよりすぐ近くにある家を訪ねたらテレビに出演されていた婦人が家から現れた。
都合、ここまでやって来た経緯を伝えたら驚きの様子。
なんでもそのテレビ出演の前にも出たことがあるという。
番組はタレントが日本国じゅうの民家を巡って、お家の方が作った料理をよばれるBS-ジャパン制作の「トムさんの田舎のごちそう」という番組だ。
奈良県では奈良テレビ放送でたんまに放送していたので見覚えがある。
女性がこの番組に出演されたときもフキダワラがテーマ。
昔ながらの「野上がり食」に食べていたフキダワラを平成25年6月23日の放送に出演していたそうだ。
この年の田植えは訪れた2日前の5月5日にされた。
蕗の葉はまだまだ若い。
熱々のご飯を包んだら破れてしまうからしなかったという。
この日の自宅に生えている蕗の葉の状態を見ていわれた。
これならなんとかできるであろうということで数日後の11日を設定された。
その日は彼女の女性友だちが来訪する。
それに合わせて友だちに作り方を教えてあげようということで日にちが決まった。
そしてその日がやってきた。
先に到着したのは私だった。
この日のもてなしフキダワラ食事会のプレゼンターは主催者のMさん。
おもてなしを受ける人たちはMさんが繋げるFBトモダチ。
そのオフ会も兼ねているという。
この日のために考えてくださった献立メニューは4品。
お品書きを見せてくださる、1.フキダワラ、2.春野菜のハーブパン粉焼、3.みょうが芽のおよごし、4.ぎぼうし茎の炒め物。
“およごし”は聞き始めの言葉。
長野県の方言でゴマ和えのこと。
ゴマ和えは胡麻で汚すことから胡麻の“御汚し“の名が付いたと教えてくださる。
汚すというマイナス用語に”御“を付加したように思える”およごし“。
例えば”おつりがくる“の”釣り“に”御“を付けるのと同じように思える。
長野県がご出身のMさん。
長野県の上田高校に通っていたという。
ご縁があって長野県から遠く離れた当地に住まいされてさまざまな活動をされているようだ。
ちなみに先に簡単説明してくれた4品の料理ポイント。
フキダワラは煎った大豆を入れてご飯を炊く。
ご飯を蕗の葉で包む。
春野菜のハーブパン粉焼はパン粉を塗してオーブン焼き。
スナップエンドウやニンジン、ジャガイモ、パプリカ、アスパラに帆立のワイン塗しにパセリ、バジル、ニンニク、チーズ、塩、胡椒で味付けする。
茗荷芽のおよごしは茹でが決め手。
ぎぼうし茎の炒め物は塩揉み。
塩の量に揉み加減で味を決めるなどなど聞いているうちに、今日は素敵な日になりそうだと思った。
FBのトモダチに繋がる人たちは3人の若い女性。
伊賀市や名張市で有機農法をしている人たち。
お部屋でしばらく待っていたらやってきた。
取材に寄らせてもらっているゆえ3人に自己紹介。
本日の取材の主旨を伝えてご一緒させてもらうが、撮影は極力、お顔を写さないように最大限の努力をする。
本日の献立に料理をする材料集めがある。
ご自宅周辺にある食材を採取する。
本来、どのような土地に生えているのか、どういう具合に育っていくのか、自然農法に目覚め、学習されてきた女性たちに、教えもするMさん。
勉強は目で見るだけでなく、自らの手で触って感触を確かめ、場合によっては生の味も・・。
本日の料理はだんどりがある。
料理に詳しいMさんが若い女性に伝える場でもある。
まずは綺麗な大豆を選り分けする選別作業。
カメムシが齧った痕は黒くなる。
農薬を使わずに育てた自家製大豆だからカメムシも齧る。
つまりは虫も美味しいということ。
カメムシが若いとき、育ってきた大豆の汁を吸う。
その痕跡がある大豆は不味いという。
色具合で除ける。
薄い緑色の大豆は除外する。
細かいところだが、微妙な色具合で選別するには時間がかかる。
農薬を撒けば、それはラクであるが、無農薬大豆の選別作業は5倍の時間がかかるそうだ。
ちなみに老眼の私の目でははっきり認識できないが、ぐっと近づいたらその違いがよくわかる。
選別作業に並行して次の作業にも取り掛かる。
お米も自家生産。
一般的な炊き方と同じようにお米の量と適量の塩に水加減。
選別した綺麗な大豆をフライパンで煎る。
少し煎った大豆は軽量して炊くご飯の量に合わせて、再度煎る。
適当に木のしゃもじで混ぜて火を通す。
黒くなる手前で火を止める。
パン粉をボールに落してパセリ切り。
鋏で切って細かくする。
オリーブオイルを垂らして混ぜる。
一方、ざく切りしたニンジンとジャガイモは小鍋に入れて下茹で。
あっちもこっちもいろんな作業があるからカメラマンは忙しく動き回る。
その都度、メモにする調理方法も、である。
煎った大豆と云えば炊飯器のお釜に沈んでいる。
若干ぷかぷか浮く大豆は実が少ないから除けておく。
エクストラバージンオイルを混ぜたパセリ混ぜパン粉に生の帆立も入れて、次はお外に出て生野菜の収穫移動。
ぷっくら膨らんだスナップエンドウを採取する。
手で摘まんだだけで採れる。
私の大好きなスナップエンドウ。
この時期になれば道の駅とかで売っているから見つけては買ってくる。
調理はかーさん任せ。
私は食べる専門でいただくスナップエンドウ。
食べ方といえば塩は無用のマヨネーズオンリー。
噛んだらぶちゅっと飛び出す甘い汁。
皮も甘いし、発泡酒が実に美味しく飲める。
真っ赤な苺も収穫。
採れたて苺はデザートに・・。
持ち帰って調理を続行する春野菜のハーブパン粉焼。
下茹でしたニンジンとジャガイモにパプリカ。
見た目で美味しさが伝わる艶々の帆立。
その上にパラパラと落とすスナップエンドウは水洗いしておくが、忘れてならないスジ取りである。
生で食べても美味しいスナップエンドウ。
甘さがわかる。
生で食べて美味しければそうする。
茹でて美味しければ茹での料理。
炒めて美味しければそうする。
まずは自分の口で確かめて料理法を決める、というMさんの食育指針である。
春野菜のハーブパン粉焼は下にパセリ混ぜのパン粉を敷いた。
今度は上からも振りかける。
覆いかぶせるようにパン粉を落とす。
適当な長さに切ったアスパラやあしらいのプチトマトも盛ってバージンオイルをたっぷりまんべんなく落とす。
そうして最後に市販のとろけるミックスチーズもたっぷり盛る。
料理はこれで終わりでなく高性能のオーブン焼き。
焼きは機械任せ、である。
再び外に飛び出して山菜の収穫。
ご自宅周りに自生する茗荷の新芽にぎぼうし茎と蕗の収穫である。
ニョキニョキとこんなに新芽が出ているのは初めてだ。
曲げて、ポキッと折れるところがある。
ポキ、ポキと折って収穫する茗荷の新芽。
こりゃ美味いだろうな。
次はぎぼうし茎。
花の咲く時期はまだまだ。
初々しい葉の色であるが、料理に使うのは茎の部分。
これもポキっと折れる。
ワラビもゼンマイもそうだが、ポキッと折れる箇所が採れ位置。
それを知らずに根っこ辺りまでぐぐっと無理やりする人もいるが、いかに自然慣れしている、していないかの極みの別れ道。
近年、道の駅によく売られるようになっているが、どのような土地に生えているか出かけて探ってみるのが近道。
生えている土地が平たんなのか、それとも斜めなのか。
乾燥地か湿地帯か。
陽当たり、日陰に半日陰。
生息地周辺にどのような植物が植生しているか。
そういったことを現地で学習するのが大切だと思っている。
ただ、ときおりニュースに出る誤った認識で、或いは見間違い、判断誤りなどで食害事故に遭う情報にいつも困惑してしまう。
Mさんはしっかりとした見識をお持ちだし、経験も豊富である。
長野県ではぎぼうしをコウレッパと呼ぶ。
春の山野草の王者の一つにウルイがある。
これもまたぎぼうしの仲間のオオバギボウシ。
懐かしいと云えば嘘になるが、私は山野草がたまらなく好きである。
30歳前後のころからはまった趣味の一つ。
美味しいものがどこら辺りに自生しているか探しまわったことがある。
ただ、ウルイは東北地方に見られる山野草。
ネガマリタケも食べてみたいが、その地方まで出かけないと食べられないのが悔しい。
ちなみに私の山野草熱は市内で行われていた自然観察会の参加が発端。
学習本は市販の本。
1冊は昭和58年4月に主婦の友社が発刊した『山野草カラー百科』。
もう1冊は平成元年に日本放送協会が発刊した『別冊NHK趣味の園芸―山野草ハンドブック―』。
他にもシュンラン、カンランが充実していた山野草本をもっていたが、未だ行方不明。
どこに雲隠れしたやら、である。
セリの葉っぱにとてもよく似ているチャービルもあるという。
食の情報を教えながら大きな葉になった蕗の葉も採取していた。
両手では抱えられなくなった大量の収穫山野草に思わず笑みが毀れる。
お部屋に戻って再び調理に移る。
ぎぼうしも蕗も水洗いする。
ぎぼうし茎はさらに塩揉みをしておく。
茗荷は鍋で湯掻いておく。
そろそろ下準備ということではじまった蕗の茎の軸の筋取り。
蕗の茎を手にもって葉を下に。
茎の折口からちょっと摘まんで筋を指先掴み。
そのままざっと下ろす。
葉の付け根のところで停止する。
取った筋は切らずにそのままにして下に垂らす。
何本もの筋ができあがる。
こういう具合にして作ると若い女性たちに実演で示すお手本学習。
何枚もしていくうちに慣れて、手際も良くなる。
何枚かの蕗の軸取りをしている間に茗荷が茹で上がった。
湯気の上がった茗荷が美しい。
一方、茗荷の胡麻和えに欠かせない胡麻摺り作業。
昔懐かしいすり鉢にすりこ木。
ゴリゴリ、ゴリゴリと胡麻を摺って潰せば香ばしい匂いが立ち上がる。
汁気がでたところで湯掻いた茗荷を投入する。
ここからはお箸の出番。
混ぜて、混ぜて胡麻を和えてできあがる。
丁度そのころに炊きあがった大豆ご飯。
炊飯器の蓋を開けたら、まるで大豆の海である。
しゃもじで掻き混ぜて、これまたできあがり。
あとは蕗の葉に包むだけだ。
蕗の葉の軸取りは順調に捗っていた。
何枚も重ねた蕗の葉に細い軸の皮を付けたままの状態。
芯となる柔らかい茎は切りとって他の料理に使う。
ここからがフキダワラ作りの本番。
蕗の葉の中心部。
利き腕が右手の人は左手。
手のひらを広げるのではなくげんこつ。
ぐっと握りしめるのではなく、そっと広げる。
ぽっかり口があいたような感じ。
そこに蕗の葉の中心部を入れて窄める。
写真ではわかりやすいが、文で説明にするのはとても難しい。
要は蕗の葉を漏斗状にしてご飯を入れる壺のように形作るのだ。
壺口はやや広い。
広げた口に予め茶碗一杯に盛っていたアツアツの大豆ご飯をそっと落とす。
蕗の葉の大きさもあるからそれほど多くない量を窄めた蕗の葉に詰める。
そうして蕗の葉を丸めて包み込むように萎める。
葉の縁を寄せるような感じで萎めて、皮を削いだ軸片を紐代わりに結ぶ。
外れないように内に通して、一丁できあがり。
軸取り作業は皮を引いて剥ぎ取った紐状のもの。
大豆ご飯を包んだフキダワラがバラバラにならないよう括る道具であった。
M家で作られるフキダワラの形は丸っぽい茶巾袋のようである。
ところが、である。
2カ月もすれば第一子誕生予定の女性が云った言葉。
私の記憶にあるのは俵型。
たしかこんな形やったと思うといって実験的にそうされた。
私が奈良県内で拝見してきたフキダワラはまさにその形。
フキダワラはその名前の通り“蕗で作った俵”である。俵は米俵を模している。
つまりは豊作を願った形である。
三重県名張市にある「名張近鉄ガス」が料理教室で紹介するフキダワラ作りがある。
その形は俵型でなく茶巾袋型である。
三重県では田植えの農耕神事に供えられてきた蕗俵(フキダワラ)として紹介している三重県の郷土料理の一つである。
ほんのちょっと間で作り方を覚えた女性たちの手造りフキダワラ。
大きなザルに形を調えながら盛っていく。
六号の分量で炊いた大豆ご飯。
数えてみたら30個にもなったフキダワラの姿がとても魅力的に見える。
オーブンで焼いた春野菜のハーブパン粉焼ができたし、キンピラ風に炒めたぎぼうしにみょうが芽のおよごしも。
予定していたお品書き料理のすべてができあがった時間帯は午後1時。
できあがったご馳走は山小屋風のお家でよばれる。
3人の女性たちの満足なお顔で伝わる料理の美味しさ。
蕗の葉の香りがすごく良い。
アツアツの炊きたてご飯だから、蕗の葉の香りがより一層わかる。
三重県の郷土料理にあがっているフキダワラをメインに据えたこの日のもてなし食事会は大盛況。
ぎぼうしはアゲサン(油揚げ)と塩麹で炒めたもの。
美味いと一言。
茗荷は初春の味。
旬の味わいを新芽で味わうとは思ってもみなった。
オーブン焼きの春野菜ハーブパン粉焼きは美味すぎる。
特別にMさんが作った料理にピクルス漬けがある。
タケノコ、ニンジン、蕗の茎、黒豆は贅沢な一品。
デザートにこれまた自家栽培の苺。
無農薬の苺はとても甘くて美味しかった。
ゆったり寛がせてくれたもてなしの会を銘々しておこうと決まったその会名は「園飯」。
読み名はそのまんまの「そのまんま」に思わず拍手。
上手いこと名付けたものだと感心した。
(H29. 5.11 SB932SH撮影)
(H29. 5.11 EOS40D撮影)
奈良県内の事例を求めて各地域を駆け回る。
山間では4月初めにする地域もみられるが数は少ない。
多くみられるのは盆地部の平坦である。
早い処では4月半ばという地域が多いが、最も多くされている時期は4月末から5月初めの連休のころ。
世間の人たちは遊びにでかけるGWであるが、農村はこの時期に焦点を合わせているかのように集中している。
例年は見られても再訪してみればやむを得ない事情で止めた処もある。
地域の都合ではなくお家の事情である。
その状況は常に見ておかなければならないと奈良県内各地を走り回っては白い幌を被せた苗代を探す。
そのころの時期の山間部は田植えが始まっている。
それも東山中にあたる地域でしかみられない田植え前の農家の儀式がある。
儀式といっても大層なことでない。
田植え機を入れて始めて田植えをする場にウエゾメ(植え初め)と呼ぶ儀式である。
地域、或はお家によって供え方は異なるが、これまで拝見してきたウエゾメにフキダワラを供える処がある。
田植え始めの場に12本のカヤを挿すとか、クリの枝木に幣を垂らすとか。
地域によっては初祈祷でたばったお札を立てるという地域もある。
また、すべての田植えを終えたときの在り方もある。
いわゆる植え終い(※仕舞いとも)である。
田植えに残しておいた苗さんである。
その苗を手にしてサシナエをしている人はよく見かけるが、残った苗さんをオクドサンに供える処がある。
そのときにもフキダワラを作って供えるお家がある。
また、田植え作業の休憩中に自宅で作ったフキダワラを食べることがある。
かつてというか、今では想像しがたい農作業中における小腹を満足させるケンズイ(間食)時間帯のフキダワラ喰い。
藁紐で括って腰にぶら下げて田んぼに出かけたと話す人もいたが、いずれも高齢者である。
近年、数か所においてその記録を録ってきた。
今ではしていないが、高齢者の記憶は文字で記録してきた。
昨年に状況を調べた結果は・・辛い現状である。
今年もそうであるのか現地を訪れる。
やはりである。
この日の午後は天理市の山田町(上山田・中山田・下山田)から山添村の北野のフキダワラ探し。
昨年に拝見した天理市山田町の下山田。
一軒のお家がしていたフキダワラはない。
ないどころでない。
例年していたハウスは荒れ放題。
廃れるどころか田植えもしていない現状に危機感を覚える。
大字北野はもちろん、ない。
訪ねた大字大塩の住民は奥さんが緊急入院でそれどころではない状態だった。
隣村の大字箕輪在住の女性は昨年までしていたという。
身体が思うように動けなくなったというのが理由である。
一年早ければ、と悔やまれるが、部外者の私が口にするわけにはいかない仕方のないことである。
平成2年11月に月ヶ瀬村(現奈良市月ヶ瀬)が発刊した『月ヶ瀬村史』にフキダワラのことを書いてあった。
大字の石打、尾山、長引の神社では苗代祭や種蒔祭を行っている。
旧月ヶ瀬村は三重県寄りの村落。
北に向かえば京都の南山城が近い。
米の豊作願いに収穫を感謝する行事は新年祭(祈年祭)から始まって収穫感謝祭(新嘗祭)で終える。
神社行事と連動するかのように農家自身で行われてきた家の習俗行事がある。
さびらきの名で呼ばれる田の植え初めの行事。
そのさびらきにフキダワラを田んぼで食べて祝った。
フキダワラは煎り豆のご飯をフキの葉に包んだものである。
また、さなぶりの名がある植えじまい(※終い若しくは仕舞い)に茹でたソラマメを食べる。
稔った稲を刈り終えたときも行事をしていた。
稲刈りに要した農具を祭るのである。
農具はカマ、ナタ、ノコギリなど。
それら纏めて箕に並べて炊いたセキハン(赤飯)を一升枡に盛って供える。
その場に供えて燈明を灯した。
いわゆる刈りじまい(※終い若しくは仕舞い)とか、カマ納めと呼ばれる儀式である。
大和郡山市の田中町の農家はこれを「カリヌケ」と呼んでいた。
収穫後には二股のダイコンと煎った大豆をえべっさん(エビス天)に供えるところもあったそうだ。
そこで思い出したのが奈良県ではなく、三重県である。
山添村からまっすぐ東へ名阪国道を走る目的地は三重県の伊賀市下阿波である。
昨年の平成28年8月17日にBSで放送されたBS-TBS放送の「美しい日本に出合う旅―三重で歴史散歩―家康と伊賀忍者の里・絶景の滝めぐり」という番組である。
サブタイトルに惹かれたわけでもない三重県の美しい日本にどういう出会いがあるのか、少しだけ興味があったので録画していた。
朝食時間の合間に見る録り溜めたビデオ映像。
その日の気分で録画した番組を決める。
この放送を見たのはずいぶん後だ。
1、2カ月も経ってからのことだったと思う。
何気なく見ていた番組に突然現れたフキダワラ。
出演している女性は煎った大豆を入れたご飯を炊いていた。
付近にあるフキを採ってきて茎軸の筋を引いていた。
何本かの筋を引いていた。
その様子は私のおばあさんもそうしていた。
ずいぶん前のことは記憶の片隅に残している。
私の子どものころの様子であるが、たぶんに私もしていたような気がする。
引いていた手が黒くなることを知ったのはそれから十数年も経ったころである。
引いた筋だけを残して本体の茎は取ってしまう。
フキは佃煮にしていたことも記憶にある。
おばあさんか、おふくろが煮ていたのか、それまでは覚えていないが味は記憶にある。
はっきり言って旨くない。
子どもの口には合わなかったが、いつしか大人になるにつれ旅の宿でだされる料理で味わうようになった。
山野草の味を覚えたのは信州、岐阜、或は福島などで泊まった民宿だったと思う。
それた話しは戻しておこう。
炊きあがったアツアツの煎り大豆入りのご飯をロート状にしたフキの葉に入れる。
一旦は椀に盛って、それをロート状にして持ったフキの葉に押し込む。
葉は全体を包み込むように端っこを絞る。
絞った先をフキの茎を引いた何本かの紐をくるくると巻いて締める。
形は丸い。
これまで私が拝見してきた奈良県のフキダワラにない形である。
フキダワラはその名の通りに「俵」型。
米俵を意識した包み方である。
俵型に握ったおにぎりもそうだが、どちらも豊作を願った形である。
地域によっては俵型でなく他のにぎり方。
フキダワラも同じように他の包み方。
その差は地域だけでなくお家の在り方によっても違いがでる。
決して誤りではなく、それもまたそこにとっては正統なのである。
フキダワラを作った女性は田植えを終えてすくすくと育った田んぼに向かう。
丸い型のザルに盛ったフキダワラは数個を選んで藁製のサンダワラに盛った。
その場で手を合わせて拝んでいたことからさぶらき、若しくはさびらきの作法であろう。
名称もまた地域差はあるが、いずれも農家における田植え初めの儀式である。
番組ナレーターが伝える言葉は「伊賀の郷土料理はお供え物。伊賀の里山で食べるご飯を紹介する」であった。
こうした一連のフキダワラの映像に喰いついた。
地区場所はテロップに表示された「三重県伊賀市下阿波」。
その地のどこかに住んでおられる女性を求めて車を走らせる。
山添村からおよそ40分弱。
カーナビゲーションにインプットした下阿波へは川沿いの県道163号線を走る。
ビデオ映像の景色は山間部辺り。
そう思って車を走らせる。
カーナビゲーションが指示したルートは村中の狭い道。
集落は目と鼻の先にあるが、狭くて車が入れない。
軽自動車であっても入れなさそうな道は不入の道である。
ゆるゆるバックして県道に戻った。
すぐ近くに二人の婦人がおられたので集落並びにフキダワラのことを聞いてみた。
そこは下阿波でもあるが、須原(すはら)の地。
80歳代の婦人がいうには子供のころの記憶。
キナコ飯を包んだフキダワラは午前10時に午後3時のケンズイ(間食)のときに食べていた、であった。
探してみても、今どきそんなことをしている人はおらんやろ、という。
そりゃそうである。
80歳代であれば子どものころは70年前になる。
継いでいる家はみられないという。
下阿波の集落はそこより少し戻った地。
県道を挟むように民家がある。
そこで尋ねてみては、と云われていくがどなたもいない。
たまたま来られたのは年老いた婦人と娘さん。
コイン型精米所に米袋を運んで精米する。
その人たちにも声をかけて聞いてみた結果は・・。
高齢の婦人が云うには娘はすることないが、かつておばあさんがしていたという。
本人も継がなかったが、おばあさんはフキダワラに包んだご飯を美味しそうに食べていたそうだ。
フキダワラを作っている人であれば料理好き。
〇〇さんかもしれないと云われて探してみる。
服部川に架かる橋を渡って真っすぐ。
どんつきを左折れしたら神社がある。
そこよりすぐ近くにある家を訪ねたらテレビに出演されていた婦人が家から現れた。
都合、ここまでやって来た経緯を伝えたら驚きの様子。
なんでもそのテレビ出演の前にも出たことがあるという。
番組はタレントが日本国じゅうの民家を巡って、お家の方が作った料理をよばれるBS-ジャパン制作の「トムさんの田舎のごちそう」という番組だ。
奈良県では奈良テレビ放送でたんまに放送していたので見覚えがある。
女性がこの番組に出演されたときもフキダワラがテーマ。
昔ながらの「野上がり食」に食べていたフキダワラを平成25年6月23日の放送に出演していたそうだ。
この年の田植えは訪れた2日前の5月5日にされた。
蕗の葉はまだまだ若い。
熱々のご飯を包んだら破れてしまうからしなかったという。
この日の自宅に生えている蕗の葉の状態を見ていわれた。
これならなんとかできるであろうということで数日後の11日を設定された。
その日は彼女の女性友だちが来訪する。
それに合わせて友だちに作り方を教えてあげようということで日にちが決まった。
そしてその日がやってきた。
先に到着したのは私だった。
この日のもてなしフキダワラ食事会のプレゼンターは主催者のMさん。
おもてなしを受ける人たちはMさんが繋げるFBトモダチ。
そのオフ会も兼ねているという。
この日のために考えてくださった献立メニューは4品。
お品書きを見せてくださる、1.フキダワラ、2.春野菜のハーブパン粉焼、3.みょうが芽のおよごし、4.ぎぼうし茎の炒め物。
“およごし”は聞き始めの言葉。
長野県の方言でゴマ和えのこと。
ゴマ和えは胡麻で汚すことから胡麻の“御汚し“の名が付いたと教えてくださる。
汚すというマイナス用語に”御“を付加したように思える”およごし“。
例えば”おつりがくる“の”釣り“に”御“を付けるのと同じように思える。
長野県がご出身のMさん。
長野県の上田高校に通っていたという。
ご縁があって長野県から遠く離れた当地に住まいされてさまざまな活動をされているようだ。
ちなみに先に簡単説明してくれた4品の料理ポイント。
フキダワラは煎った大豆を入れてご飯を炊く。
ご飯を蕗の葉で包む。
春野菜のハーブパン粉焼はパン粉を塗してオーブン焼き。
スナップエンドウやニンジン、ジャガイモ、パプリカ、アスパラに帆立のワイン塗しにパセリ、バジル、ニンニク、チーズ、塩、胡椒で味付けする。
茗荷芽のおよごしは茹でが決め手。
ぎぼうし茎の炒め物は塩揉み。
塩の量に揉み加減で味を決めるなどなど聞いているうちに、今日は素敵な日になりそうだと思った。
FBのトモダチに繋がる人たちは3人の若い女性。
伊賀市や名張市で有機農法をしている人たち。
お部屋でしばらく待っていたらやってきた。
取材に寄らせてもらっているゆえ3人に自己紹介。
本日の取材の主旨を伝えてご一緒させてもらうが、撮影は極力、お顔を写さないように最大限の努力をする。
本日の献立に料理をする材料集めがある。
ご自宅周辺にある食材を採取する。
本来、どのような土地に生えているのか、どういう具合に育っていくのか、自然農法に目覚め、学習されてきた女性たちに、教えもするMさん。
勉強は目で見るだけでなく、自らの手で触って感触を確かめ、場合によっては生の味も・・。
本日の料理はだんどりがある。
料理に詳しいMさんが若い女性に伝える場でもある。
まずは綺麗な大豆を選り分けする選別作業。
カメムシが齧った痕は黒くなる。
農薬を使わずに育てた自家製大豆だからカメムシも齧る。
つまりは虫も美味しいということ。
カメムシが若いとき、育ってきた大豆の汁を吸う。
その痕跡がある大豆は不味いという。
色具合で除ける。
薄い緑色の大豆は除外する。
細かいところだが、微妙な色具合で選別するには時間がかかる。
農薬を撒けば、それはラクであるが、無農薬大豆の選別作業は5倍の時間がかかるそうだ。
ちなみに老眼の私の目でははっきり認識できないが、ぐっと近づいたらその違いがよくわかる。
選別作業に並行して次の作業にも取り掛かる。
お米も自家生産。
一般的な炊き方と同じようにお米の量と適量の塩に水加減。
選別した綺麗な大豆をフライパンで煎る。
少し煎った大豆は軽量して炊くご飯の量に合わせて、再度煎る。
適当に木のしゃもじで混ぜて火を通す。
黒くなる手前で火を止める。
パン粉をボールに落してパセリ切り。
鋏で切って細かくする。
オリーブオイルを垂らして混ぜる。
一方、ざく切りしたニンジンとジャガイモは小鍋に入れて下茹で。
あっちもこっちもいろんな作業があるからカメラマンは忙しく動き回る。
その都度、メモにする調理方法も、である。
煎った大豆と云えば炊飯器のお釜に沈んでいる。
若干ぷかぷか浮く大豆は実が少ないから除けておく。
エクストラバージンオイルを混ぜたパセリ混ぜパン粉に生の帆立も入れて、次はお外に出て生野菜の収穫移動。
ぷっくら膨らんだスナップエンドウを採取する。
手で摘まんだだけで採れる。
私の大好きなスナップエンドウ。
この時期になれば道の駅とかで売っているから見つけては買ってくる。
調理はかーさん任せ。
私は食べる専門でいただくスナップエンドウ。
食べ方といえば塩は無用のマヨネーズオンリー。
噛んだらぶちゅっと飛び出す甘い汁。
皮も甘いし、発泡酒が実に美味しく飲める。
真っ赤な苺も収穫。
採れたて苺はデザートに・・。
持ち帰って調理を続行する春野菜のハーブパン粉焼。
下茹でしたニンジンとジャガイモにパプリカ。
見た目で美味しさが伝わる艶々の帆立。
その上にパラパラと落とすスナップエンドウは水洗いしておくが、忘れてならないスジ取りである。
生で食べても美味しいスナップエンドウ。
甘さがわかる。
生で食べて美味しければそうする。
茹でて美味しければ茹での料理。
炒めて美味しければそうする。
まずは自分の口で確かめて料理法を決める、というMさんの食育指針である。
春野菜のハーブパン粉焼は下にパセリ混ぜのパン粉を敷いた。
今度は上からも振りかける。
覆いかぶせるようにパン粉を落とす。
適当な長さに切ったアスパラやあしらいのプチトマトも盛ってバージンオイルをたっぷりまんべんなく落とす。
そうして最後に市販のとろけるミックスチーズもたっぷり盛る。
料理はこれで終わりでなく高性能のオーブン焼き。
焼きは機械任せ、である。
再び外に飛び出して山菜の収穫。
ご自宅周りに自生する茗荷の新芽にぎぼうし茎と蕗の収穫である。
ニョキニョキとこんなに新芽が出ているのは初めてだ。
曲げて、ポキッと折れるところがある。
ポキ、ポキと折って収穫する茗荷の新芽。
こりゃ美味いだろうな。
次はぎぼうし茎。
花の咲く時期はまだまだ。
初々しい葉の色であるが、料理に使うのは茎の部分。
これもポキっと折れる。
ワラビもゼンマイもそうだが、ポキッと折れる箇所が採れ位置。
それを知らずに根っこ辺りまでぐぐっと無理やりする人もいるが、いかに自然慣れしている、していないかの極みの別れ道。
近年、道の駅によく売られるようになっているが、どのような土地に生えているか出かけて探ってみるのが近道。
生えている土地が平たんなのか、それとも斜めなのか。
乾燥地か湿地帯か。
陽当たり、日陰に半日陰。
生息地周辺にどのような植物が植生しているか。
そういったことを現地で学習するのが大切だと思っている。
ただ、ときおりニュースに出る誤った認識で、或いは見間違い、判断誤りなどで食害事故に遭う情報にいつも困惑してしまう。
Mさんはしっかりとした見識をお持ちだし、経験も豊富である。
長野県ではぎぼうしをコウレッパと呼ぶ。
春の山野草の王者の一つにウルイがある。
これもまたぎぼうしの仲間のオオバギボウシ。
懐かしいと云えば嘘になるが、私は山野草がたまらなく好きである。
30歳前後のころからはまった趣味の一つ。
美味しいものがどこら辺りに自生しているか探しまわったことがある。
ただ、ウルイは東北地方に見られる山野草。
ネガマリタケも食べてみたいが、その地方まで出かけないと食べられないのが悔しい。
ちなみに私の山野草熱は市内で行われていた自然観察会の参加が発端。
学習本は市販の本。
1冊は昭和58年4月に主婦の友社が発刊した『山野草カラー百科』。
もう1冊は平成元年に日本放送協会が発刊した『別冊NHK趣味の園芸―山野草ハンドブック―』。
他にもシュンラン、カンランが充実していた山野草本をもっていたが、未だ行方不明。
どこに雲隠れしたやら、である。
セリの葉っぱにとてもよく似ているチャービルもあるという。
食の情報を教えながら大きな葉になった蕗の葉も採取していた。
両手では抱えられなくなった大量の収穫山野草に思わず笑みが毀れる。
お部屋に戻って再び調理に移る。
ぎぼうしも蕗も水洗いする。
ぎぼうし茎はさらに塩揉みをしておく。
茗荷は鍋で湯掻いておく。
そろそろ下準備ということではじまった蕗の茎の軸の筋取り。
蕗の茎を手にもって葉を下に。
茎の折口からちょっと摘まんで筋を指先掴み。
そのままざっと下ろす。
葉の付け根のところで停止する。
取った筋は切らずにそのままにして下に垂らす。
何本もの筋ができあがる。
こういう具合にして作ると若い女性たちに実演で示すお手本学習。
何枚もしていくうちに慣れて、手際も良くなる。
何枚かの蕗の軸取りをしている間に茗荷が茹で上がった。
湯気の上がった茗荷が美しい。
一方、茗荷の胡麻和えに欠かせない胡麻摺り作業。
昔懐かしいすり鉢にすりこ木。
ゴリゴリ、ゴリゴリと胡麻を摺って潰せば香ばしい匂いが立ち上がる。
汁気がでたところで湯掻いた茗荷を投入する。
ここからはお箸の出番。
混ぜて、混ぜて胡麻を和えてできあがる。
丁度そのころに炊きあがった大豆ご飯。
炊飯器の蓋を開けたら、まるで大豆の海である。
しゃもじで掻き混ぜて、これまたできあがり。
あとは蕗の葉に包むだけだ。
蕗の葉の軸取りは順調に捗っていた。
何枚も重ねた蕗の葉に細い軸の皮を付けたままの状態。
芯となる柔らかい茎は切りとって他の料理に使う。
ここからがフキダワラ作りの本番。
蕗の葉の中心部。
利き腕が右手の人は左手。
手のひらを広げるのではなくげんこつ。
ぐっと握りしめるのではなく、そっと広げる。
ぽっかり口があいたような感じ。
そこに蕗の葉の中心部を入れて窄める。
写真ではわかりやすいが、文で説明にするのはとても難しい。
要は蕗の葉を漏斗状にしてご飯を入れる壺のように形作るのだ。
壺口はやや広い。
広げた口に予め茶碗一杯に盛っていたアツアツの大豆ご飯をそっと落とす。
蕗の葉の大きさもあるからそれほど多くない量を窄めた蕗の葉に詰める。
そうして蕗の葉を丸めて包み込むように萎める。
葉の縁を寄せるような感じで萎めて、皮を削いだ軸片を紐代わりに結ぶ。
外れないように内に通して、一丁できあがり。
軸取り作業は皮を引いて剥ぎ取った紐状のもの。
大豆ご飯を包んだフキダワラがバラバラにならないよう括る道具であった。
M家で作られるフキダワラの形は丸っぽい茶巾袋のようである。
ところが、である。
2カ月もすれば第一子誕生予定の女性が云った言葉。
私の記憶にあるのは俵型。
たしかこんな形やったと思うといって実験的にそうされた。
私が奈良県内で拝見してきたフキダワラはまさにその形。
フキダワラはその名前の通り“蕗で作った俵”である。俵は米俵を模している。
つまりは豊作を願った形である。
三重県名張市にある「名張近鉄ガス」が料理教室で紹介するフキダワラ作りがある。
その形は俵型でなく茶巾袋型である。
三重県では田植えの農耕神事に供えられてきた蕗俵(フキダワラ)として紹介している三重県の郷土料理の一つである。
ほんのちょっと間で作り方を覚えた女性たちの手造りフキダワラ。
大きなザルに形を調えながら盛っていく。
六号の分量で炊いた大豆ご飯。
数えてみたら30個にもなったフキダワラの姿がとても魅力的に見える。
オーブンで焼いた春野菜のハーブパン粉焼ができたし、キンピラ風に炒めたぎぼうしにみょうが芽のおよごしも。
予定していたお品書き料理のすべてができあがった時間帯は午後1時。
できあがったご馳走は山小屋風のお家でよばれる。
3人の女性たちの満足なお顔で伝わる料理の美味しさ。
蕗の葉の香りがすごく良い。
アツアツの炊きたてご飯だから、蕗の葉の香りがより一層わかる。
三重県の郷土料理にあがっているフキダワラをメインに据えたこの日のもてなし食事会は大盛況。
ぎぼうしはアゲサン(油揚げ)と塩麹で炒めたもの。
美味いと一言。
茗荷は初春の味。
旬の味わいを新芽で味わうとは思ってもみなった。
オーブン焼きの春野菜ハーブパン粉焼きは美味すぎる。
特別にMさんが作った料理にピクルス漬けがある。
タケノコ、ニンジン、蕗の茎、黒豆は贅沢な一品。
デザートにこれまた自家栽培の苺。
無農薬の苺はとても甘くて美味しかった。
ゆったり寛がせてくれたもてなしの会を銘々しておこうと決まったその会名は「園飯」。
読み名はそのまんまの「そのまんま」に思わず拍手。
上手いこと名付けたものだと感心した。
(H29. 5.11 SB932SH撮影)
(H29. 5.11 EOS40D撮影)