マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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定例化しそうな同窓会in梅田曾根崎のたよし

2018年06月20日 10時48分21秒 | 食事が主な周辺をお散歩
4月19日、4M2C-2017同窓会の案内状が届いた。

昨年末にしようと希望が揃った同窓会。

諸事情があったのか幹事の3人が決めた日程。

行事取材と重なっていなかったのが幸いだ。

それまでは何事も起こらないように無茶もせず、日ごろのリハビリ運動も欠かさず体調を整えていた。

届いた案内状は往復はがき。

返信にありがたくの文字を入れて参加に〇をした。

返信に近況を伝えてほしいと書いてあったので「心拍数は40拍前後ですが、フツーの生活をしています。大丈夫です。生きています。尤も毎日はブログ『マネジャーの休日余暇』で近況発表中」の通知分で送った。

それからは無しのつぶて。

今の世の中はメールどころかネットのSNSの世界で情報交換する時代なのにそれがない。

アナログ時代を生きてきた幹事の一人は携帯電話すら所持してない。

パソコンはあるらしいが発信はしない。

アドレスを知ったとしても登録はしない。

相手から空メールが届いてそれに返信するだけだ。

その空メールは常時見られるようにしているらしい。

そうでないと返事ができない。

まったく同じことをしている知人がいる。

しかもだ。

SNSに入ってはいるがややこしいIDやパスワードをいちいち入力するのが面倒なのでお気に入りに入れたまま。

いつしかパソコンが壊れて新規購入。

お気に入りに入れていたSNSアドレスは当然ながら、無い。

なければどうすればいいのか。

SNSのオーナーに頼んで、ご本人のIDやパスワードを教えてほしいという。

そりゃ無理だ。

手抜きをしている人。

お任せしている人はネットでの再会は絶対的に無理。

そうしてSNSから離脱した人が何人居るやら、である。

参加を返信してから1カ月。

起床状態や安静時の脈拍は相も変わらずの40拍以下。

治る見込みはまったくないが、家廻りを歩けば60拍前後で戻ってくる。

返信に書いた「大丈夫です。生きています」である。

待合せ場所は大阪梅田の阪神百貨店側の梅田陸橋。

大昔の映画に待ち合わす場に設定された石橋があった。

昨年流行った「君の名は。」ではなく、昭和28年9月に公開された「君の名は」である。

氏家真知子と後宮春樹が待ち合わせする石橋は東京銀座の数寄屋橋だった。

会えずに結局は・・・、なんていうストーリーとはまったく関係のない同窓会の待ち合わせ場所。

昨年は30分以上も路頭に迷って辿り着けず。

その橋の下から彼らを発見したときは感動もんだった。

こちらは見上げて遠くにいる同窓生たち。

手を振れば手を振ってくれたのが嬉しかった。

今年はそんなことにならないようにJR大阪駅の降り方に細心の注意をはらった。

西でもなく中央でもない。

東の改札口を念じて右良し、左良し、と指信号をしながら電車から降りた。

降りるまでは方向、方角がわかっているのだが、降りたとたんに方向、方角がわからなくなる。

人があまりにも多くて、東か西か、ここはどこなんだ、と思ってしまう。

それを示す表示もないから、乗ってきた電車がこう来たから、あっちやと指さした左に向きをとる。

途中にある階段には目もくれず、最後の最後にある階段を下りていく。

そこからはどうしていいのかわからない。

人の流れについていくしかない。

そう思って改札を出た処は南出口。



向こう側に立ち食いの麺屋がある。

暖簾に「麺家」の白抜き染め文字。

うどん・そばが290円~とある。

「麺家」は「大阪みどう」。

暖簾の向こう側に見えた席はテーブルもある。

家族で来るときは助かる。

それはともかく外に出る。

予め調べておいた出口にバスロータリーの位置。

ネットの地図では全体感が掴めないが、どうやら間違いなさそうだ。

すぐ近くにあった陸橋にあがるエスカレータ。

はっきりと見えなかったが、阪急-阪神を結ぶ陸橋に違いない。

そこから南にある大阪警察曽根崎署が見えない。

見えないのは工事中の陸橋に背高く幕を張っているからだ。

阪急百貨店はすぐそこ。

反対側にある曽根崎署から道路隔てた右にあるが、これもまたわかり難い。

阪神百貨店も工事中・・。

一年前の工事状況とちっともかわってないのでは、と思った。

今回は間違うこともなかったので早く着き過ぎた。

またもや流離うのではとう思って30分間の余裕時間を確保していたから、逆に余った時間はどうするか。



ここはどこなのかを後日にもわかるように撮っておきたいJR大阪駅。

熱い日差しを浴びて黒光りしていた。

この日の大阪中央部の気温は28.7度に目眩をしそうだ。



人はどこを目指しているのだろうか。

旅行客もおれば家族連れに友だち連れ、学生さん・・・。

人の流れを見るだけでふらーと、する。

待合場所は阪神百貨店側。

昨年の宴に参加した同窓生であればすぐわかる。

早かったせいか、誰も来ていないようだ。

そこへ階段を登ってきたのはM・Hだ。

学生時代は「くん」付けで呼んだことはなかった。

上からおーいと声かけたら気がついた。

そのときだ。彼を発見する直前である。

赤いシャツを着ている男性が立っていた。

見たような、見てないような・・・。

もしかとしたらと指をさせばO・Mだった。

大阪府立東住吉工業高校を昭和44年に卒業して以来、会ったことがないO・M。

48年ぶりに会って確かめ合う。

当時よりは痩せているように見える。

こっちは逆に中年太り。

身体を壊してからは若干の細目。

頭は本数が少ない白髪。

お互い年老いたもんだが、1年ぶりのM・Hの頭は真っ白。

毛がたくさんあるのが羨ましい。

そのうちに一人、二人とやってくる。

到着した幹事に参加人数を聞けば15人。

昨年は出席していたT・Kは欠席だ。

欠席理由はサッカーの試合。

彼はサッカー部のキャプテンだった。

試しに一日だけの入部。幹事のD・Kは辞めずにずっと続けていたが、体験した私はこりゃ無理だとわかった。

そこへやってきたO・M同様に48年ぶりに顔を合わしたK・SにS・T。



体形や染めもあるけど頭具合は昔の面影はない。

ないが、目の辺りはそのまんま。

まんまと云っても皺があるぐらいだ。

喋っている間に48年前の学生時代に戻っていく。

もう一人のO・Tは集合場所を誤ったのか、待っているわけにはいかず予約しているお初天神通りにある「たよし」曾根崎店を目指す。

田舎からでてきたおのぼりさん一行が撮影地に選んだJR大阪駅南口広場に架かる大型歩道橋の“スカイウォーク”。

阪神側が工事中だから中途半端な開通だ。

阪急東通り商店街を抜けて曾根崎のお初天神通りを歩いていたら、ようやく合流したO・T。



なんとか揃って入店した「たよし」にエレベータもエスカレートもない。

宴会場は3階。

昨年は危ないくらいの身体状況だったN・Mは苦も無く楽々上がっていく。

私も心配されたが、すいすい上がれる。

こりゃ調子が良い。

昼の宴会食は美味しくいただきたいと思って朝食は少々にしてきた。

「たよし」の宴食は実質が3時間の「2時間半飲み放題」の5千円。

瓶ビールで乾杯だ。

はじめに運ばれたのは5種盛りの造り。



マグロ、サーモン、ハマチ、タイに貝柱。

どれもこれも新鮮で美味い。

一口食べては話題が集中するのは近況よりも学生時代のことだ。

国語の先生は生徒に向かって右を指さす。

そうかと思ったら逆の左の生徒である。

いつ、それがやってくるのか予想もできない早業に面食らって答えが返せない。

私は国語の先生が解説してくれた走れメロスにメロメロになった。

本を読め、本を読めと云われて何冊も読んだという同窓生がいる。

そのおかげで多くの本を読書するようになったという同窓生もいる。

本を読んでどう思ったのか。

いわゆる読書感想であるが、田中、お前は走れメロスを読んで順当な答えしか返せないのかと云われたことがある。

信頼・友情、そんな甘いもんじゃない。

友情は走れメロスの主題ではない。

太宰治が云いたかったのは、裏切りやというのだ。

つまりは背信やという。

人間ちゅうのは常に友情で保っているのではない。

背信があるのが人生・・といったかどうかは疑わしいが、裏側に何があるのかを考えろといわれたときにドキっとした。

見かけではなく裏を読めということだ。

先生の顔は覚えているが、名前が思い出せない。

一年生のときの国語の先生はどこかの普通科の学校に移った。

デキの良い先生は異動の対象になったらしい。

他にもあの先生はこうやった。

この先生はこういうクセがあったのか、同窓生の記憶はさまざま。

そんな話題が沸騰中に配膳される豚しゃぶサラダ。

昨年に出た宴の食事はまったく同じだ。

そういや最初に出てくる先付けの椀物。

酔いがずいぶん回ったころに食べたが、これは何。

なんとなく茹でたエビにサラダドレッシングをかけたような感じだけど・・・。

とにかく飲む、飲む。

飲んではトイレ行き。

何度も移動するトイレ急行。

前回もそうだったが宴が始まって15分後にやってくる串カツ盛り。



串エビフライにネギを挟んだ牛カツ。

タレにつけて食べるが、「たよし」は一度漬けだよと仲居さんが触れ回る。

なぜかキャベツには手は出なんだ。

宴もたけなわになれば記念写真どころではない。

ぐだぐだになる前のフツー状態の顔ぶれを撮っておこうとこれまた三脚を据えて自動シャッター。

二日後に届いた記念の写真は素の顔で写っていた。

ビールは何本も換えを発注する。

「たよし」のシステムは空瓶をもって新品の瓶がやってくる。

空の状態を確かめる仲居さん。



指示もなしに運ばれる一品は豚のバーベキュー串焼き。

ピ-マンに太めの白ネギが間に挟まれている。

これはタレがいらない味付け串焼き。

おろしのダイコンが妙に合う。



トウモロコシは酔いも回れば食べにくい。

がっつり口にしたいと思うが、それは無理。

ということは私の身体が上々。



とにかくよく食べ、よく飲む。

そしてトイレ行きを繰り返す。

始まってから2時間45分。

〆の料理はこれもまた昨年同様の茶椀蒸しに海鮮丼。



わさびは入っていたのか、いなかったのか。

まったく記憶にないが、垂らした醤油で美味しかったことだけは覚えている。

最後はこれまた冷凍イチゴ。

でっかい冷凍イチゴは冷たい。

少しずつ齧るように食べた。

3時間も早い。

あっという間に楽しい宴が終わりの幕締め。

ではなく、今回は仲居さんからの話しもあっての延長戦。

延長時間が1時間ならば利用料金が5百円。

一同に相談したいと幹事から声がかかる。

5百円は中途半端。

千円一枚で2時間も延長できる部屋貸し。

食べ物はなくても酒が飲める。

そんなありがたいことはない。

遠慮は無用。

思いっきり昔話に花を咲かせようと2次会に移った。

おっと、私はといえば忘れてはならない昼食後の服用薬。

家から持ってきた軟便薬に2錠の利尿剤。

小便は体内から排出しないと身体は重たいどころか、息苦しくもなる。

おかげさんで、この日は既に効いている朝に服用した利尿剤の効果が発揮できている。

トイレに行く回数が物語っている。

量は少なくとも回数が増えれば合算。

身体が重たいか、軽いか。

その状態は軽い、である。

軽い状態に突入した延長戦。

移動する同窓生にO・Mが居る。

一番に思い出すのがプールで泳ぐ水泳訓練である。

彼の泳ぎは泳ぎどころではない。

泳ぐ以前に水そのものが怖いのである。

水に浸かるのは浴場と同じ。

同じであるが水が怖い。

先生が驚いた救難状態の彼。

手足をバタつかせて上下に動く。

もがき苦しむ彼の姿が目に焼き付いている。

その後はどうだったと問えば・・・今も同じだと云う。

克服はできなかったという。

辛いことを思い出させてしまって申しわけない。

手を握って詫びたが、水難事故の訓練映像とかを見るたびに私は思い出すだろう。

不得手なものを克服できる人もおれば無理なこともある。

矯正するには心理的な面から診るしかないと思っているが、彼にとっては今さらだ。

ところで話題はぐっと替わって連絡網だ。

お互いが知りたい携帯電話の番号。

発信しては確かめ合う。

応答があれば、その番号を登録すれば良い。

ところが部屋内ではなぜか数分もかかる。

架かってこないからまたもや発信する。

発信した回数が受信した。

何人もの同窓生が一つの携帯電話に架けるものだから、どの番号が誰であるのかわからなくなる。

ガラケーであれば着信した番号を表示させて名前等を登録する。

ところがスマホはそれができない。

番号を表示させようとすれば押すしかない。

ガラケーはそれでいいのだが、スマホはすぐに発信してしまう。

それが何度もするものだから受けた携帯にはスマホの晩後ばかりがでて困ったもんだ。

工業高校出の同窓生はマシンに強くても情報端末には不慣れなようだ。

そういや勤めていた情報処理会社の人たちもよく似たものも居る。

困ったもんだと思うのはほぼ同世代の人たちである。

そんなあれやこれやで爆笑会場に一枚の紙が登場した。

その紙にみんなが携帯電話の番号を手書きする。

そう、入力するのはあとからでいい。

私は携帯電話のカメラがメモ替わり。

その場で撮って、落ち着いたときに入力する。

そうしたが、誰も真似をするものはいなかった。

あれやこれやの大騒動に手招きしたY・J。

集合場所にやってきた姿はトレーニングだった。

恰好のえー運動靴を履いて颯爽と走ってきた。

その彼が手招きするのは、横に座っていたK・Kのお願いだ。

話しておきたいことがあると口を開いたそれは・・・。

あれは3年生のときだったと思う。

クラス対抗の体育祭に掲げるでっかい絵のことだ。

畳数畳分もある大絵画はクラスの協力を得て製作する。

製作日数はそれほど多くない。

体育祭が迫っていた塗り絵作業。

下書き、デッサンは私が担当した。

キャンパスに白地の紙を貼った。

そこに鉛筆かマジックか覚えてないが、下書きに線画する。

キャンパス表現は塗り絵の色で決まる。

ここは何色。

あそこはこの色。

指示をするために下書きした絵に合わせて塗り絵をしてもらう。

そのときに発した罵声。

それをK・Kに浴びせた。

浴びせた記憶はまったくない。

まったくないが、その作業をしていたK・Kにとっては何故に怒られるんや、ということだ。

怒ったわけは覚えていないが、焦っていたのだと思う。

焦りに遅々として進まない塗り絵。

一喝したのはそういうことだと思う。

思うが彼は納得できないだろう。

ただ、その作業を覚えていてくれたのがむちゃくちゃ嬉しかった。

私が3年間に唯一誇りたいのがこの大絵画である。

他のクラスよりももっと良いのを。

4M2Cの名に恥じないようどころか勝ちたかった。

大絵画のリーダーに指名したのは担任の先生だったか、それとも美術の先生だったか、覚えていない。

指名を受けたこと事態になんとかしたいと思ったことは確かだ。

一夜で考えたデッサン絵。

これでクラスの応援歌、ではなく応援の大絵画である。

舟でいえば大漁旗を思ったのかもしれない。

指名した先生は私の絵心を知っていたのだろうと思う。

普段は目立たない私に活をいれるためだったのかもしれない。

彼に怒ったのは事実であろう。

手を握って思い出してくれたことにありがとうと感謝した。

48年間も悩んできたK・Kが切ない。

当時は若かってそんな気持ちをもっていたことさえ知らずに生きてきた。

ほんとうに申しわけないことをした。

許してくれと手を握る。

いやいや怒られたということよりもその真相を知りたかっただけやという。

その会話を横で聞いていたY・Jは喜色満面になっておまえらすごいわと感動してくれたのもまた嬉し、である。

シナイをもっていたがシゴキでない。

その姿は誰しも覚えているH先生。

たしかバスケットの顧問んやったと思う。

悪戯したのか体育館を跨ぐ通路に正座させられたこともあるし、理由はまったく覚えていない水をたっぷり入れた2杯のバケツ持ち。

そのまま立っとれという感じやったなかぁ。

卒業後だったかと思う。

担任のK先生は新聞やテレビに取材を受けて顔がばっちり出ていたことがある。

当時の流行りだった初乗り切符一枚で一日かけて一筆書きのように大回りで周遊する電車乗りを実践していた。

ユニークだったのかその活動を取り上げられた。

利用できる区間は大阪などの大都市だけに限る。

大阪環状線から外れてどこまで行ったやらである。

その話しで思い出したのが、環状線一駅ずつ順繰りに乗り降りして一周するお遊びだ。

クラブにも入らず何もしない学友たちと帰る天王寺駅。

そこからそれぞれは別れていくのだが、一駅ずつ降りては乗るってのも面白いんじゃないと誰かが云いだした。

例えば3人としよう。

最初の駅は3人とも乗って次の駅に向かう。

次の駅で一人だけが降りる。

残りの2人は次の駅に向かう。

着いたらまた一人が降りる。

残った一人は次の駅で降りる。

その間、最初に降りた学友は次に来た電車に乗って次の駅を目指す。

着いたら降りる。

3人それぞれがそうしている。

最終的に落ち合う駅までそうして遊んだ。

人数が多いと出合う回数が増えるので面白かった。

他愛のない遊びにキャッキャと笑っていた帰宅クラブの学友たち。

環状線に乗る学友だったが、卒業後は音信不通になった。

元気で生きているやろか。

通学ルートはそれぞれ。

当初は南海本線住ノ江駅から乗って天下茶屋で乗り換え。

そこから天王寺駅に行く。

そこも乗り換えて当時走っていたチンチン電車に乗る。

阪堺電鉄の平野線である。

天王寺支線の天王寺駅前―阿倍野駅(斎場前)―苗代田―(※文ノ里―股ケ池)―田辺―駒川町―中野―西平野―平野停留所であったが、昭和55年11月27日の運行を最後に廃線となった。

沿線は廃線で見ることはできないが記憶の中で蘇る。

学校へ行く最寄りの駅は西平野。

近くにあった大阪府立東住吉高校の生徒たちも通学していた。

停留所駅からは田園地帯。

民家はなんぞがなかった広大な田園を見ながら通ったものだ。

いつしかルート替え。

阿部野橋駅から針中野駅まで乗車する近鉄電車にした。

針中野駅までだったが、沿線利用の生徒は多くてほぼ満員。

女子学校もあったので女生徒が多かったように思える。

駅からは徒歩。

平野線利用よりも距離は伸びたが、利用するクラスメートも多かったので結局はこっちになった。

もう一つのルートは自宅からの自転車通学。

大阪住之江から東へ一直線。

地元の小学校、中学校を卒業して高校も一緒になったS・Tも自転車通学だった。

ただ、雨天の場合は電車ルートにしたのは同じだ。

彼はずっとそうしていたが、私はいつしか近鉄電車―南海電車ルートに固定化した。

高校時代の話題は尽きない。

2時間も延長したのにもう終わり。

次回はいつにするかという前に3次会行き。

行こうとするが、宴会場に忘れ物がある。

どなたか履いてきた靴を忘れていませんか、と仲居さんが声をかけるも反応がない。



赤いスニーカーで来ていたのは誰だろうか。

降りていったら酔っぱらいの皆が集まっていた。

誰かが云った。

おーい、スリッパ履いているど、だ。

ありゃりゃの靴忘れはY・Jだった。

前回も入店したカラオケ店。



幹事の一人はあっちの店、こっちの店に入っては交渉ごと。

決めたら入るがここは前回利用のカラオケ。



換気がもうひとつの狭い部屋に12人も詰め込んだ結果は息苦しかったことを思い出す。

思い出しはしてもひょいひょいと階段を登ってしまう。

身体の調子がすこぶる良いのだ。

案内された唄部屋は14人がゆったり座れる。

換気も云いようだ。

ただ、O・Mは用事があったのか帰っていった。

もう一人が足らん。

Y・Jだ。

だいぶと酔っていたから、店を間違ったのかもしれない。

M・Hが探しに降りてみたが見つからない。

ベロベロではなかったからなんとか無事に帰ったと思う。

専用の端末で歌曲を選択するが、プッシュしても反応が悪い。

なんとかしたが、選曲が増えるにつれもう一台。

これがなんと充電切れで使用不能。

代替機を持ってきたが、これもまた本体との受信ができない。

なんとかせよ、のお店はカラオケGUY

カラオケジャンカラの姉妹店と聞いたが、ほんまか。

酔ったクラスメートじゃ違うような気がする。

まずはとD・KにK・Tが選曲した一曲は月光仮面。

ノリが良いからいつもそれにしているらしい。

選曲された楽曲は懐かしいものばかり。

誰でも知っている月光仮面のフレーズと同じ。

ついつい釣られて声を出して唄う。

こうであれば難なく声は出そうだ。

歌いたい楽曲を探してみるが歌手名も曲名も出てこない。

なーんも出てこないのではなく、ちょっとばかしのフレーズは出る。

フレーズは出ても歌詞が思い出せない。

喉から出そうになってもすぐに引っ込む。



ふと、出たフレーズが生駒山。

生駒山といえば河内節。

歌い手の名前が浮かばん。

で、あれば河内節をキーワードに繰ってみたら、でてきた。

河内けんか囃子でもなく、河内のおっさんの唄でもない。

中村美津子さんの河内おとこ節だった。

待ってましたの声はあがらなかった学友。

卒業してから48年目。

喉を披露するのは初めてに唄いなれた演歌節を気持ちよく唄えた。

一年前の私の身体は完全ではない。

歩くのもしんどかったし酒量も少なかった。

この日は気持ちが良いほど飲んで食べて、唄わせてもらった。

唄い始めて1時間半だったか。

K・Kが動いた。

動かざるを得ないのは衣服がびしょびしょであるからだ。

特にお尻はひどい状態になっていた。

苦言を伝えた幹事が動く。

やってきた店員に告げる室内クーラーからボトボト落ちる水滴。

いや、はじめは水滴だったかもしれないが、現状はボトボト落ち。

水道の蛇口が締まらなかった状態のような水量である。

クーラーの電源を切ってくださいというが、それでは室内は熱気に包まれる。

仕方ないからクーラー位置から少しでも離そうとソファを移動する。

どうやらクーラーの排水管が詰まっているようだ。

カラオケGUYは早急に治したのだろうか。

2時間、目いっぱい唄って声が出ない。

海、その愛も気持ちよく唄っていたが、高音部はあきまへん、だ。

たっぷり楽しんだカラオケ店を出て、お初天神通りにあった自動販売機を見る。



D・Kが云うには電車の切符が安くなるというもの。

毎回、利用して少しでも節約しているという自動販売機はJRや阪急電鉄の切符売り。

それも安売りのチケット販売のようだ。

金券ショップであれば閉店時間が早い。

飲んで帰る人の時間帯は閉店後の時間が圧倒的。

利用者が多い場所に設置しておけば間違いなく売れる。

尤も乗り降りする電車が合っておれば、の話しであるが、それにしても阪神電鉄はたったの一枚だった。

なにはともあれここで解散するJR大阪駅。

大和路快速に乗って帰ろうと思っていたが、天王寺駅行き電車が待っていた。

その方面に帰るO・T、F・M、M・Hの3人とともに乗車。

別れて大和路線に乗車した時間は午後8時32分。



およそ30分間の快速に乗って帰ったJR郡山駅。

最終バスはとうの昔に出ているので三都交通のタクシーで帰宅。

いやはや、であるが疲れはまったく感じない。

感じはなかったが翌朝の声はダダ枯れだった。

(H29. 5.21 SB932SH撮影)