矢田山にあるスーパーハッスル5で買い物をしていた。
そこに電話がなった。
かーさんからだ。
伝えた件はおふくろの容態。
なんでも午後になってから足が動かなくなったというのだ。
土曜日の5日は背中が痛かった。
日曜日の6日は腰の辺りが痛くなった。
土曜、日曜日は行きつけの整形外科病院の休診日。
その翌日の7日も痛かったが、酷い状態ではなかった。
それが午後ともなれば悪化した。
痛いのは腰辺りであるが、足が上がらなくなって身動きとれないといって電話があったという。
電話をするまでは何ともなかった。
朝も昼もおふくろ自身が料理を作って食べていたというのだから突然のようだ。
これは緊急事態。
すぐにでも整形外科病院に連れていって診てもらおうと思ったが、午後5時からの午後診療。
それまでは受け付けてくれない。
早めに行っても仕方がないので午後5時の受付をしてもらおうと出発時間を調整して出発した。
電話の一報があった時間帯は午後2時。
雨はショボショボ。
風なんてものほとんどないくらいだった。
第二阪奈道路経由で走る阪神高速道路もスイスイ走る。
台風5号が和歌山北部に上陸したのは午後3時半とニュースが伝えていた。
方角はどこに向かっているのだろうか。
後からわかったのは直撃だった地域は奈良市内。
午後6時の時間帯だった。
そんなことも知らずに大阪市内の住之江に着いたのは午後4時40分。
暴風雨状態になっていた。
車のドアを開けとたんに吹き込む風。
ドアも開け辛い。
団地道路に停めて市営住宅4階に住むおふくろを迎えに登った。
着替えて降りてこられる状態になれば電話をすると云っていたが、携帯は不通。
おふくろの住まいする自宅電話にすれば、今なら・・・。
大急ぎで階段を駆け上がる。
玄関ドアに待っていたおふくろとかーさん。
階段は大風で雨が吹き荒れる。
おふくろは、といえば歩ける状態ではない。
と、いってもおんぶするほどでもない。
片手に手を添えてそろりそろりと階段を降りる。
おふくろの左手は階段の壁に当てて伝い歩き。
ところが一歩の足が降りない。
何秒もかかって一歩。
次の足も同じようにずり足状態の一歩。
膝が上がらないのである。
階段の踊り場はまともに大風が吹き荒れる。
雨が容赦なく身体に吹き付ける。
傘をしてもらうが吹き飛ばされそうだ。
階段下りに何分かかったことか。
午後5時前になっていた。
団地建物から通路に停めている車に乗り込むのも時間がかかる。
傘は役に立たない大風。
3人とも雨でびしょ濡れだが、大粒でなかったのが幸いだ、と思った。
乗りこんだら走る。
ふと思った。
こんな状態なら午後診療は中止ではないだろうか。
診察券に書いてあった須見整形外科病院に電話をすれども出ない。
つまりは休診日を案内する留守電になっていた。
やはりそうであった。
時間は5時を過ぎていた。
旧26号線の国道沿いにある医院の建物は閉まっていた。
念のためと思って呼び鈴を押せば裏門から女医さん姿の人が現われた。
先生が不在なので、急な異状診療であったも受け付けられないという。
そりゃそうだろう。
もっと早くに電話を架けておれば状況は前もって判断できたが、もう遅しである。
おふくろもかーさんも特に電話しなくても、と思っていたそうだが、今さらどうでもいい。
とかく急ぐのは緊急医療。
医院近くに救急診療ができる病院がある。
何十年も前におふくろが入院診療していた友愛会病院であるが、実は家から離れたところに移転していた。
入口はどこになるのか。
予めネットで調べていたかーさんの記憶とカーナビゲーションが示す一方通行に沿って走らせたら時間外受付の門に着いた。
できるだけ車を寄せて、ここでも活躍する踏み台を車に横付け。
そこに足を降ろすおふくろ。
一歩、一歩に時間がかかる。
ここでも風や雨は容赦なく浴びせる。
停めた場所から3mほどの距離が遠い。
自動扉が開いて院内に入れば「どうしたんですか」と事務員が寄ってきた。
かくかくしかじかと伝えながらも院が設備している車いすに乗せる。
とにかくこれで一旦はほっとする。
救急病院だけに診察はしてくれる。
現時点はお尻の後ろの方が痛だるい、である。
自覚症状は足が踏ん張れない。
踏ん張れないから膝が上がらない。
問診票など必須事項を書いて提出する。
しばらくすればここへと案内されて救急診察室へ入っていく。
付き添いは不要と判断されたのか、こちらは待ち状態。その間に車を本来の病院駐車場に停めなくてはならない。
ここ駐車場は立体駐車場。
出入り口に停めても動きがない。
車を降りて事務室に行けばコクリこくりと居眠りしていた男性に「お願いします」と声をかけてやっと反応した。
ゲートが開いて前進していたら、ダメダメと静止する。
高さがチェックに引っかかったといって伸ばしていたアンテナを短くした。
再度前進して駐車する。
そうすれば手書きのメモが手渡される。
利用が終われば発券したこれを提示してくださいといって院内に飛び込む。
時間帯は午後5時半。
外は台風の影響でモロ風の雨。
医療関係者がひっきりなしに通過する時間外受付前。
関係者と思われる人たちは院外に出たとたんにワー、キャーである。
それはともかく診察ベッドごと運ばれた検査室。
MRI診断である。
検査結果がでたのは午後7時20分。
血液検査の結果もでている。
整形外科医師の診察結果は特に大きな問題はない、だ。
肋骨辺りをみても何もない。
あるのは自然治癒した石灰質化したものだけだ。
ただ、気になるのはこれですと見せてくれたH-FABPと心筋トロポニンTである。
その数値は表示されていないが、どちらも(+)H。
心筋梗塞もしくは動脈瘤乖離の疑いがあるという。
当医院には循環器内科はない。
診察のしようがないという。
ならば、明日の8日は3カ月単位で通院診療を受けている天理の病院行き。
受診科は循環器内科である。
もし、良ければ紹介状をお願いしたいと申し出た。
それなら本日の検査データとともに紹介状を書いてあげましょうということになった。
ありがたいことである。
お礼を述べてまだ暴風雨が吹き荒れる院外に出る。
停めていた駐車場に発券提示。
実はそれだけでなく患者送迎であればはじめの30分間は無料になる。
一般見舞いであればその30分が300円。
少しは助かるというわけだが、それには診療した領収書が証明になる。
これがありますと提示すれば300円が助かる。
明日は天理に行くとしてもこれは長引く可能性がある、と思った。
とにかくこの状態であればおふくろ独りにしておくことはできない。
急を要するが、一旦はおふくろの家に戻って泊まりに必要な荷物を運び出す。
救急病院に居たときに最低必要なモノモノを聞いていた。
それがどの場所にあるのかも聞いていたかーさんが室内に走る。
おふくろは、といえば、歩けないから私の車に居る。
ふっと思い出した忘れ物。
それを電話で伝える私。
アレもコレもと思いだしては電話で伝える。
時刻は午後8時15分になっていた。
この画像は車内に設置しているカーナビゲーション。
ワンセグテレビが台風の状況を伝えていた。
ようやく我が家に連れて帰られる。
帰りも阪神高速道路に第二阪奈道路利用。
走っている車は極端に少ない。
時間帯もそうであるが、台風が吹き荒れるのにわざわざ出かける人は居ないだろう。
こちらは緊急。
やむを得ない行動である。
我が家に到着した時間帯は午後9時10分。
夜食の準備どころではないので帰りがけに買った山陽マルナカの残り物惣菜。
食べたいといっていたおふくろ希望の巻き寿司は一本が残っていた。
にぎり寿司も惣菜もすべてが半額。
普段は高いから買うこともない惣菜類は何品か。
味わっていただいた今夜の晩飯は午後10時。
お風呂も入ってアルコール類も飲む。
いつもならビールも飲みたいというおふくろからはその声がなかった。
我が家に着いてほっとするおふくろ。
我が家の狭い廊下の壁に両手を添えて伝い歩きができたのが嬉しい。
外歩きは一人では無理がある。
介添えなくては歩けないようになってしまったおふくろはその晩、ぐっすり眠ったそうだが、これが要介護への始まりの一歩だった。
(H29. 8. 7 SB932SH撮影)
そこに電話がなった。
かーさんからだ。
伝えた件はおふくろの容態。
なんでも午後になってから足が動かなくなったというのだ。
土曜日の5日は背中が痛かった。
日曜日の6日は腰の辺りが痛くなった。
土曜、日曜日は行きつけの整形外科病院の休診日。
その翌日の7日も痛かったが、酷い状態ではなかった。
それが午後ともなれば悪化した。
痛いのは腰辺りであるが、足が上がらなくなって身動きとれないといって電話があったという。
電話をするまでは何ともなかった。
朝も昼もおふくろ自身が料理を作って食べていたというのだから突然のようだ。
これは緊急事態。
すぐにでも整形外科病院に連れていって診てもらおうと思ったが、午後5時からの午後診療。
それまでは受け付けてくれない。
早めに行っても仕方がないので午後5時の受付をしてもらおうと出発時間を調整して出発した。
電話の一報があった時間帯は午後2時。
雨はショボショボ。
風なんてものほとんどないくらいだった。
第二阪奈道路経由で走る阪神高速道路もスイスイ走る。
台風5号が和歌山北部に上陸したのは午後3時半とニュースが伝えていた。
方角はどこに向かっているのだろうか。
後からわかったのは直撃だった地域は奈良市内。
午後6時の時間帯だった。
そんなことも知らずに大阪市内の住之江に着いたのは午後4時40分。
暴風雨状態になっていた。
車のドアを開けとたんに吹き込む風。
ドアも開け辛い。
団地道路に停めて市営住宅4階に住むおふくろを迎えに登った。
着替えて降りてこられる状態になれば電話をすると云っていたが、携帯は不通。
おふくろの住まいする自宅電話にすれば、今なら・・・。
大急ぎで階段を駆け上がる。
玄関ドアに待っていたおふくろとかーさん。
階段は大風で雨が吹き荒れる。
おふくろは、といえば歩ける状態ではない。
と、いってもおんぶするほどでもない。
片手に手を添えてそろりそろりと階段を降りる。
おふくろの左手は階段の壁に当てて伝い歩き。
ところが一歩の足が降りない。
何秒もかかって一歩。
次の足も同じようにずり足状態の一歩。
膝が上がらないのである。
階段の踊り場はまともに大風が吹き荒れる。
雨が容赦なく身体に吹き付ける。
傘をしてもらうが吹き飛ばされそうだ。
階段下りに何分かかったことか。
午後5時前になっていた。
団地建物から通路に停めている車に乗り込むのも時間がかかる。
傘は役に立たない大風。
3人とも雨でびしょ濡れだが、大粒でなかったのが幸いだ、と思った。
乗りこんだら走る。
ふと思った。
こんな状態なら午後診療は中止ではないだろうか。
診察券に書いてあった須見整形外科病院に電話をすれども出ない。
つまりは休診日を案内する留守電になっていた。
やはりそうであった。
時間は5時を過ぎていた。
旧26号線の国道沿いにある医院の建物は閉まっていた。
念のためと思って呼び鈴を押せば裏門から女医さん姿の人が現われた。
先生が不在なので、急な異状診療であったも受け付けられないという。
そりゃそうだろう。
もっと早くに電話を架けておれば状況は前もって判断できたが、もう遅しである。
おふくろもかーさんも特に電話しなくても、と思っていたそうだが、今さらどうでもいい。
とかく急ぐのは緊急医療。
医院近くに救急診療ができる病院がある。
何十年も前におふくろが入院診療していた友愛会病院であるが、実は家から離れたところに移転していた。
入口はどこになるのか。
予めネットで調べていたかーさんの記憶とカーナビゲーションが示す一方通行に沿って走らせたら時間外受付の門に着いた。
できるだけ車を寄せて、ここでも活躍する踏み台を車に横付け。
そこに足を降ろすおふくろ。
一歩、一歩に時間がかかる。
ここでも風や雨は容赦なく浴びせる。
停めた場所から3mほどの距離が遠い。
自動扉が開いて院内に入れば「どうしたんですか」と事務員が寄ってきた。
かくかくしかじかと伝えながらも院が設備している車いすに乗せる。
とにかくこれで一旦はほっとする。
救急病院だけに診察はしてくれる。
現時点はお尻の後ろの方が痛だるい、である。
自覚症状は足が踏ん張れない。
踏ん張れないから膝が上がらない。
問診票など必須事項を書いて提出する。
しばらくすればここへと案内されて救急診察室へ入っていく。
付き添いは不要と判断されたのか、こちらは待ち状態。その間に車を本来の病院駐車場に停めなくてはならない。
ここ駐車場は立体駐車場。
出入り口に停めても動きがない。
車を降りて事務室に行けばコクリこくりと居眠りしていた男性に「お願いします」と声をかけてやっと反応した。
ゲートが開いて前進していたら、ダメダメと静止する。
高さがチェックに引っかかったといって伸ばしていたアンテナを短くした。
再度前進して駐車する。
そうすれば手書きのメモが手渡される。
利用が終われば発券したこれを提示してくださいといって院内に飛び込む。
時間帯は午後5時半。
外は台風の影響でモロ風の雨。
医療関係者がひっきりなしに通過する時間外受付前。
関係者と思われる人たちは院外に出たとたんにワー、キャーである。
それはともかく診察ベッドごと運ばれた検査室。
MRI診断である。
検査結果がでたのは午後7時20分。
血液検査の結果もでている。
整形外科医師の診察結果は特に大きな問題はない、だ。
肋骨辺りをみても何もない。
あるのは自然治癒した石灰質化したものだけだ。
ただ、気になるのはこれですと見せてくれたH-FABPと心筋トロポニンTである。
その数値は表示されていないが、どちらも(+)H。
心筋梗塞もしくは動脈瘤乖離の疑いがあるという。
当医院には循環器内科はない。
診察のしようがないという。
ならば、明日の8日は3カ月単位で通院診療を受けている天理の病院行き。
受診科は循環器内科である。
もし、良ければ紹介状をお願いしたいと申し出た。
それなら本日の検査データとともに紹介状を書いてあげましょうということになった。
ありがたいことである。
お礼を述べてまだ暴風雨が吹き荒れる院外に出る。
停めていた駐車場に発券提示。
実はそれだけでなく患者送迎であればはじめの30分間は無料になる。
一般見舞いであればその30分が300円。
少しは助かるというわけだが、それには診療した領収書が証明になる。
これがありますと提示すれば300円が助かる。
明日は天理に行くとしてもこれは長引く可能性がある、と思った。
とにかくこの状態であればおふくろ独りにしておくことはできない。
急を要するが、一旦はおふくろの家に戻って泊まりに必要な荷物を運び出す。
救急病院に居たときに最低必要なモノモノを聞いていた。
それがどの場所にあるのかも聞いていたかーさんが室内に走る。
おふくろは、といえば、歩けないから私の車に居る。
ふっと思い出した忘れ物。
それを電話で伝える私。
アレもコレもと思いだしては電話で伝える。
時刻は午後8時15分になっていた。
この画像は車内に設置しているカーナビゲーション。
ワンセグテレビが台風の状況を伝えていた。
ようやく我が家に連れて帰られる。
帰りも阪神高速道路に第二阪奈道路利用。
走っている車は極端に少ない。
時間帯もそうであるが、台風が吹き荒れるのにわざわざ出かける人は居ないだろう。
こちらは緊急。
やむを得ない行動である。
我が家に到着した時間帯は午後9時10分。
夜食の準備どころではないので帰りがけに買った山陽マルナカの残り物惣菜。
食べたいといっていたおふくろ希望の巻き寿司は一本が残っていた。
にぎり寿司も惣菜もすべてが半額。
普段は高いから買うこともない惣菜類は何品か。
味わっていただいた今夜の晩飯は午後10時。
お風呂も入ってアルコール類も飲む。
いつもならビールも飲みたいというおふくろからはその声がなかった。
我が家に着いてほっとするおふくろ。
我が家の狭い廊下の壁に両手を添えて伝い歩きができたのが嬉しい。
外歩きは一人では無理がある。
介添えなくては歩けないようになってしまったおふくろはその晩、ぐっすり眠ったそうだが、これが要介護への始まりの一歩だった。
(H29. 8. 7 SB932SH撮影)