おふくろが抱いている赤ちゃんは1番目の実弟。
2歳違いである。
1953年に撮られた写真であろう。
我が家はカメラを持ち合わせていない。
この時代はカメラを首からぶら下げた自称写真撮りがおった。
撮ったプリントを見せて、買わせていた。
そんな時代だった。
撮影地は護岸工事の進んでいない当時の大和川。
土手下は草ぼうぼうだった。
小学生のときはここが遊び場だった。
草を結んでひっかけのいたずらをしたこともあるし、砂地だった川堤に穴を掘って遊んだ。
砂地だったので崩れやすく危険と判って中断したこともある。
川はシジミもあれば、ウナギの稚魚も泳いでいた。
とにかく多かったのはゴリハゼだ。
網で掬って捕っていた。
小・中学生が集まって川の砂場で三角野球をして遊んだ。
どこからか探してきた畳を何枚か合わせて筏にして動かした。
割合、浅瀬だったので危険性は感じなかった。
とにかく遊びに熱中していた。
川の向こう側は堺市。
堤防向こう側に工場の煙突が見える。
(H27. 9. 7 SCAN/記)
2歳違いである。
1953年に撮られた写真であろう。
我が家はカメラを持ち合わせていない。
この時代はカメラを首からぶら下げた自称写真撮りがおった。
撮ったプリントを見せて、買わせていた。
そんな時代だった。
撮影地は護岸工事の進んでいない当時の大和川。
土手下は草ぼうぼうだった。
小学生のときはここが遊び場だった。
草を結んでひっかけのいたずらをしたこともあるし、砂地だった川堤に穴を掘って遊んだ。
砂地だったので崩れやすく危険と判って中断したこともある。
川はシジミもあれば、ウナギの稚魚も泳いでいた。
とにかく多かったのはゴリハゼだ。
網で掬って捕っていた。
小・中学生が集まって川の砂場で三角野球をして遊んだ。
どこからか探してきた畳を何枚か合わせて筏にして動かした。
割合、浅瀬だったので危険性は感じなかった。
とにかく遊びに熱中していた。
川の向こう側は堺市。
堤防向こう側に工場の煙突が見える。
(H27. 9. 7 SCAN/記)