8日に診察を受けたが特段の変化は見られない。
7日に診察してもらった友愛会病院の若い医師が云うには安静にしておけば負荷のかかっている部分が治るかも・・と云っていた。
つまりは安静にしてください、というわけだ。
その指示通りに我が家で安静状態していた。
安静と云っても寝込むのではなくソファに座っているか、座敷に敷いた座布団の違いはあるが、そこに座ってテレビを見ている状態。
ときにはウトウトしているときもあれば、ソファで横になっていることもある。
トイレに行くには廊下の壁に手を当てて伝い歩き。
特に変化もない。
つまりは回復の兆しがまったくない、ということだ。
それがだ。
奥の部屋でパソコン作業をしていた部屋に突然やってきたおふくろ。
傷みはまったくなくて、普通に歩けるようになってん、という。
膝もこれだけ上がるし、一本足で立つこともできると見せてくれる。
それを横でみていたかーさんは涙ぐむ。
安静の効果が出たと思ったが、実は湿布を貼ったというのだ。
そうか、それは良かったと思っていたがそれから1時間半後の午後6時半。
痛くなかった背中が痛だるいという。
その後も痛だるい箇所は時間が経つにつれて移動するんやという。
結局は元の木阿弥。
膝は上がらなくなった。
ついさっきの喜んだ顔は消えてしまった。
アレは一体何だったのか。
もしかとして2カ月前に倒れた後遺症。
市営住宅のゴミ捨て場はコンクリート。
角では打っていないが、頭を打った。
そのときは何でもなかったが、むち打ち症のように何か月も経ってから発症することもある。
もし、そうであれば脳に何かの障害があるのかもしれない。
そう思って翌日の10日は再来院の友愛会病院に行くことにした。
今日も同じように第二阪奈道路から阪神高速道路を走る。
ところがだ。第二阪奈道路の長いトンネルを抜けて阪神高速道路に入った直後の電光表示板の道路状況である。
ICでいえば水走辺りだ。
天保山から荒本区間が渋滞である。
その距離、たしか13km。
これはえらいことである。
渋滞に巻き込まれた時間は午前10時過ぎ。
9時半に家を出て途中でガソリン補給して第二阪奈道路を走ってきた。
阪神高速道路は神戸行きがとにかく多い。
平日なんてものは環状線まで抜け切るには30分以上もかかる。
たいがいは荒本手前で混みだすが、本日はもっと手前の水走より少し向こう辺りで渋滞に巻き込まれた。
荒本手前のところで近畿自動車道も考えてみたが、ここも渋滞状況。
距離は16kmにもおよぶ。
友愛会病院の受付時間に間に合うか、である。
助手席に居るかーさんに頼んで病院に電話をする。
その結果は午前11時半までに受付してください、である。
それを過ぎれば脳神経外科の診察は打ち切り。
整形外科は午後の診察になるという。
これはえらいこっちゃ。
その上、私の身体はもよおし状態。
緊迫の状態が始まった。
家で出るときにはトイレもしていたが、どうやら本日の利尿剤が利きだした。
田北病院で処方してもらった前立腺肥大症の薬。
6日より前立腺の緊張を緩めて尿を出しやすくするタムスロシン塩酸塩OD錠を服用している。
服用しだしてから尿道の痛みはすっかり消えて排尿もジョンジョロリンである。
その効果もあっての排尿は量が増えたような気がする。
短時間でもよおすようにもなった。
心臓病にとっても良い状況であるが排尿が頻繁であれば、困る場合がある。
トイレがすぐ近くにあるか、である。
高速道路の渋滞に巻き込まれりゃどうしようもない。
出口、若しくはSAまで我慢するしかない。
実は我慢も前立腺には支障を与えてしまうのだ。
困った大渋滞に無理やり車を停めて小便をしたい。
そう思うが、できるわけがない。
こういうときに備えてし尿便器を整えておかんとならんな、と思った。
荒本は料金所。
入口もあるから数車線に広がる。
一旦は広がったものの再び2車線になる。
つまりは渋滞の原因は神戸行きが多いというのもあるが料金所の問題もある。
もう一つの長田ICはこういう場合は閉鎖する。
ところが荒本は閉鎖しない。
車両を少なくして流路を確保する。
で、なければ車線を拡げるしかないのである慢性渋滞路線に泣く。
ところで荒本料金所を通過する際に表示された電光掲示板。
環状線までは25分とある。
これがほんまなら病院に着くのは午前11時15分。
間に合う可能性がある。
料金所を出ればスムーズではないがこれまでのトロトロ進みではなく、ツルツル進行具合。
流れが停まっていないのである。
これなら予想25分は間違いないだろう。
そう思って渋滞を乗り切った環状線に入った時間は午前10時55分。
環状線はラクラクスムーズ。
特に堺に向かう路線は車数が少なくスイスイである。
余裕時間もあって下りた住之江IC。
もう待てない排尿にコンビニ利用で助かった。
そこから数分で着く友愛会病院。
一方通行の道だけにぐるりと周回して玄関前の信号・横断歩道に入らざるを得ない。
と、いうのもおふくろは歩けない。
歩けないから病院の車いすを借用するしかない。
その車いすと愛車の横に並べるには信号手前では段差があって無理がある。
仕方なく玄関前の信号・横断歩道に停車しておふくろを降ろす。
受付はかーさんが付く。
私は2日前にも利用した院の立体駐車場に停める。
戻ってきたら受付にいない。
で、あれば奥の脳神経外科の受付だ。
そこに居た二人。
トイレにやっと行ける。
二日前の緊急時はいきなりの点滴があった。
後で医師に確認したら栄養剤でなく水分だというから元気が出るちゅうものでもない。
この日は点滴されることもなく待合室で待つ。
そのうち看護師さんがやってきて今から頭や脳の状態を探るレントゲンCTを撮りますと云われて放射線検査室へ。
受診表を受付に提出したらすぐに呼び出し。
その結果は・・・。
脳外科医師の診断は何も異常を示すものはない、という。
血管系、脳系、どれをとっても異常がない。
いったい何が足の動きを悪さしているのか。
この日の検査結果に次は整形外科医師の判断に持ちこまれた。
前回の検査の部位では肋骨辺りだけなので臀部、大腿骨辺りも検査することになった。
再び移動する放射線検査室。
その度に車いすえ移動する。
検査ベッドには車いすから降りてベッドに登る。
登るというよりもベッドに腰かけてから足を揚げて横たわる。
時間はかかるがなんとか横たわることができた。
それからは結果待ち。
名前を呼ばれて診察室に入る。
さっきに撮ったレントゲン画像を診られた。
剥離骨折もなく骨折ひびも見られない。
骨そのものは、年齢の割には丈夫のようであるが、隙間があり、そこにある神経が動くたびに何かに接触して痛みがあるのだろう。
それは高齢であればあるほど緩衝域がすり減って神経が微妙に当たることが多い。
91歳の今まで何もなかったこと自体が不思議である。
つまりは年齢相応の年寄り病。
筋肉の衰えに尽きる。
正式な病名はないが、云ってみれば老人病。
ただ、いろんな患者さんを診てきた医師がいうには91歳にしてははっきりとした口調で伝えられ、聞く耳も正常。
本日の日付け、曜日まで答えられる。
記憶力もある。
脳も血管系もまったく異常がない。
肋骨などの骨も骨粗しょう症にもなっていないが、現状維持は難しい。
老人にとっては年齢が増す度に衰える。
それなりの自覚・認識をもって暮らしていただきたい、というようなことを伝えられたが、本人もそうだが私ら家族はどうしたらいいのか。
私は4年間に亘って接骨鍼灸院に通う80歳以上の超高齢者をドア・ツードアで送迎していたドライバーをしていた。
患者さんが具体的にどのような診療をしていたかわからないがなんとなく筋肉マッサージだと思う。
終った帰りはすっきりして身体も気持ちもラクになったといって帰っていった。
それから数日後の通い。
元の木阿弥状態である。
患者さんは現状維持するのが精いっぱいで昔のような身体に戻らないのが辛いですけど、こうすることしかできなくて、と云っていたことを思い出す。
最高年齢者が99歳だった患者さんは杖も持たずにさっさと送迎車に乗っていた。
医師は云った。
百歳の人で同じような患者さんがいたが、それは稀で、大多数は衰えていくのが現実。
つまりは筋肉マッサージなんてものは金がかかるだけ無駄な行為。
気持ちだけなら行く必要性もないという。
私も実はそう思っていた。
ところで、今後は我が家に連れてくる屋内生活。
外を歩くのは無理だとしても我が家の室内なら安心であるが、今後のことを考えれば、介護専門にお願いすることになるのだが、そのときは医師にどうしてもらったらいいのか尋ねてみれば、最寄りの役所に相談してケアマネを決めるなりしてくださいと云う。
そうか。病的なことは他院への紹介状は書いてくれるが、介護は別問題だった。
(H29. 8.10 SB932SH撮影)
7日に診察してもらった友愛会病院の若い医師が云うには安静にしておけば負荷のかかっている部分が治るかも・・と云っていた。
つまりは安静にしてください、というわけだ。
その指示通りに我が家で安静状態していた。
安静と云っても寝込むのではなくソファに座っているか、座敷に敷いた座布団の違いはあるが、そこに座ってテレビを見ている状態。
ときにはウトウトしているときもあれば、ソファで横になっていることもある。
トイレに行くには廊下の壁に手を当てて伝い歩き。
特に変化もない。
つまりは回復の兆しがまったくない、ということだ。
それがだ。
奥の部屋でパソコン作業をしていた部屋に突然やってきたおふくろ。
傷みはまったくなくて、普通に歩けるようになってん、という。
膝もこれだけ上がるし、一本足で立つこともできると見せてくれる。
それを横でみていたかーさんは涙ぐむ。
安静の効果が出たと思ったが、実は湿布を貼ったというのだ。
そうか、それは良かったと思っていたがそれから1時間半後の午後6時半。
痛くなかった背中が痛だるいという。
その後も痛だるい箇所は時間が経つにつれて移動するんやという。
結局は元の木阿弥。
膝は上がらなくなった。
ついさっきの喜んだ顔は消えてしまった。
アレは一体何だったのか。
もしかとして2カ月前に倒れた後遺症。
市営住宅のゴミ捨て場はコンクリート。
角では打っていないが、頭を打った。
そのときは何でもなかったが、むち打ち症のように何か月も経ってから発症することもある。
もし、そうであれば脳に何かの障害があるのかもしれない。
そう思って翌日の10日は再来院の友愛会病院に行くことにした。
今日も同じように第二阪奈道路から阪神高速道路を走る。
ところがだ。第二阪奈道路の長いトンネルを抜けて阪神高速道路に入った直後の電光表示板の道路状況である。
ICでいえば水走辺りだ。
天保山から荒本区間が渋滞である。
その距離、たしか13km。
これはえらいことである。
渋滞に巻き込まれた時間は午前10時過ぎ。
9時半に家を出て途中でガソリン補給して第二阪奈道路を走ってきた。
阪神高速道路は神戸行きがとにかく多い。
平日なんてものは環状線まで抜け切るには30分以上もかかる。
たいがいは荒本手前で混みだすが、本日はもっと手前の水走より少し向こう辺りで渋滞に巻き込まれた。
荒本手前のところで近畿自動車道も考えてみたが、ここも渋滞状況。
距離は16kmにもおよぶ。
友愛会病院の受付時間に間に合うか、である。
助手席に居るかーさんに頼んで病院に電話をする。
その結果は午前11時半までに受付してください、である。
それを過ぎれば脳神経外科の診察は打ち切り。
整形外科は午後の診察になるという。
これはえらいこっちゃ。
その上、私の身体はもよおし状態。
緊迫の状態が始まった。
家で出るときにはトイレもしていたが、どうやら本日の利尿剤が利きだした。
田北病院で処方してもらった前立腺肥大症の薬。
6日より前立腺の緊張を緩めて尿を出しやすくするタムスロシン塩酸塩OD錠を服用している。
服用しだしてから尿道の痛みはすっかり消えて排尿もジョンジョロリンである。
その効果もあっての排尿は量が増えたような気がする。
短時間でもよおすようにもなった。
心臓病にとっても良い状況であるが排尿が頻繁であれば、困る場合がある。
トイレがすぐ近くにあるか、である。
高速道路の渋滞に巻き込まれりゃどうしようもない。
出口、若しくはSAまで我慢するしかない。
実は我慢も前立腺には支障を与えてしまうのだ。
困った大渋滞に無理やり車を停めて小便をしたい。
そう思うが、できるわけがない。
こういうときに備えてし尿便器を整えておかんとならんな、と思った。
荒本は料金所。
入口もあるから数車線に広がる。
一旦は広がったものの再び2車線になる。
つまりは渋滞の原因は神戸行きが多いというのもあるが料金所の問題もある。
もう一つの長田ICはこういう場合は閉鎖する。
ところが荒本は閉鎖しない。
車両を少なくして流路を確保する。
で、なければ車線を拡げるしかないのである慢性渋滞路線に泣く。
ところで荒本料金所を通過する際に表示された電光掲示板。
環状線までは25分とある。
これがほんまなら病院に着くのは午前11時15分。
間に合う可能性がある。
料金所を出ればスムーズではないがこれまでのトロトロ進みではなく、ツルツル進行具合。
流れが停まっていないのである。
これなら予想25分は間違いないだろう。
そう思って渋滞を乗り切った環状線に入った時間は午前10時55分。
環状線はラクラクスムーズ。
特に堺に向かう路線は車数が少なくスイスイである。
余裕時間もあって下りた住之江IC。
もう待てない排尿にコンビニ利用で助かった。
そこから数分で着く友愛会病院。
一方通行の道だけにぐるりと周回して玄関前の信号・横断歩道に入らざるを得ない。
と、いうのもおふくろは歩けない。
歩けないから病院の車いすを借用するしかない。
その車いすと愛車の横に並べるには信号手前では段差があって無理がある。
仕方なく玄関前の信号・横断歩道に停車しておふくろを降ろす。
受付はかーさんが付く。
私は2日前にも利用した院の立体駐車場に停める。
戻ってきたら受付にいない。
で、あれば奥の脳神経外科の受付だ。
そこに居た二人。
トイレにやっと行ける。
二日前の緊急時はいきなりの点滴があった。
後で医師に確認したら栄養剤でなく水分だというから元気が出るちゅうものでもない。
この日は点滴されることもなく待合室で待つ。
そのうち看護師さんがやってきて今から頭や脳の状態を探るレントゲンCTを撮りますと云われて放射線検査室へ。
受診表を受付に提出したらすぐに呼び出し。
その結果は・・・。
脳外科医師の診断は何も異常を示すものはない、という。
血管系、脳系、どれをとっても異常がない。
いったい何が足の動きを悪さしているのか。
この日の検査結果に次は整形外科医師の判断に持ちこまれた。
前回の検査の部位では肋骨辺りだけなので臀部、大腿骨辺りも検査することになった。
再び移動する放射線検査室。
その度に車いすえ移動する。
検査ベッドには車いすから降りてベッドに登る。
登るというよりもベッドに腰かけてから足を揚げて横たわる。
時間はかかるがなんとか横たわることができた。
それからは結果待ち。
名前を呼ばれて診察室に入る。
さっきに撮ったレントゲン画像を診られた。
剥離骨折もなく骨折ひびも見られない。
骨そのものは、年齢の割には丈夫のようであるが、隙間があり、そこにある神経が動くたびに何かに接触して痛みがあるのだろう。
それは高齢であればあるほど緩衝域がすり減って神経が微妙に当たることが多い。
91歳の今まで何もなかったこと自体が不思議である。
つまりは年齢相応の年寄り病。
筋肉の衰えに尽きる。
正式な病名はないが、云ってみれば老人病。
ただ、いろんな患者さんを診てきた医師がいうには91歳にしてははっきりとした口調で伝えられ、聞く耳も正常。
本日の日付け、曜日まで答えられる。
記憶力もある。
脳も血管系もまったく異常がない。
肋骨などの骨も骨粗しょう症にもなっていないが、現状維持は難しい。
老人にとっては年齢が増す度に衰える。
それなりの自覚・認識をもって暮らしていただきたい、というようなことを伝えられたが、本人もそうだが私ら家族はどうしたらいいのか。
私は4年間に亘って接骨鍼灸院に通う80歳以上の超高齢者をドア・ツードアで送迎していたドライバーをしていた。
患者さんが具体的にどのような診療をしていたかわからないがなんとなく筋肉マッサージだと思う。
終った帰りはすっきりして身体も気持ちもラクになったといって帰っていった。
それから数日後の通い。
元の木阿弥状態である。
患者さんは現状維持するのが精いっぱいで昔のような身体に戻らないのが辛いですけど、こうすることしかできなくて、と云っていたことを思い出す。
最高年齢者が99歳だった患者さんは杖も持たずにさっさと送迎車に乗っていた。
医師は云った。
百歳の人で同じような患者さんがいたが、それは稀で、大多数は衰えていくのが現実。
つまりは筋肉マッサージなんてものは金がかかるだけ無駄な行為。
気持ちだけなら行く必要性もないという。
私も実はそう思っていた。
ところで、今後は我が家に連れてくる屋内生活。
外を歩くのは無理だとしても我が家の室内なら安心であるが、今後のことを考えれば、介護専門にお願いすることになるのだが、そのときは医師にどうしてもらったらいいのか尋ねてみれば、最寄りの役所に相談してケアマネを決めるなりしてくださいと云う。
そうか。病的なことは他院への紹介状は書いてくれるが、介護は別問題だった。
(H29. 8.10 SB932SH撮影)