夕方になる前に着いておきたい地域がある。
旧五ケ谷村もしていると教えてもらったオショウライサン迎えである。
そのことを話してくださったのは奈良市興隆寺町に住むIさんだった。
藁の松明を門口に立てて火を点ける。
そして、家にある小鉦を打ちながら先祖さんを迎える。
夕刻と云っても時間幅は広い。
鉦の音色が聞こえてくれば間違いなくされている。
待っておれば巡り合うかも、と思ってバス停近くで待機していたが、気持ちが少しずつ萎えてきた。
確定的にされているお家がどこであるのか、それがわからずに待っていたら気が重たくなるのは当然であろう。
エンジンを始動して場を離れた。
下った旧五ケ谷村の旧道沿いにある高樋町の民家はどうなんだろうか、と思って神社下の駐車場に停めた。
ここでも鉦の音を待っていたが、あてのない状況待ちに時間ばかりが過ぎていく。
ここもまた待ちきれずに諦めて場を離れた。
駐車場から十数メートル。
開放していた車の窓。
鉦の音があればわかるようにしていた。
急な坂道を下っていった十数メートル。
車窓の向こうに人だかりが見えた。
その姿は、まさに先祖さんを迎えている状況である。
車は道端に緊急停車。
大急ぎで駆け付ける迎えの場。
ご家族に急なお願いをして撮らせてもらう。
息子さんと思われる人は燃やした藁火から線香に移していた。
その横では孫の女児が小鉦を撞木(しゅもく)で打っていた。
線香に火を移し終えたら、自宅に戻る。
先祖さんを迎えた線香の火が消えないようにそろりそろりと歩く。
さらに、お願いする当家の在り方取材も受けてくださった。
取材主旨を伝えて上がらせてもらう。
慌てていたからストロボは持ち合わせていない。
部屋中はやや暗い。息子さんは仏壇にあるローソクに火を移した。
小鉦はいつのまにか消えていた。
どうやら屋内に入る手前、玄関口までだったようだ。
先祖さんを迎えた線香は線香立てに。
手を合わせて拝んでいた。
仏壇のお供えはお盆のハクセンコウ。
一つは蓮を象った形である。
御供下に広げた大きな葉っぱは蓮の葉。
その周りにいっぱい並べている何かがある。
撮影時は気がつかなかったが、帰宅してから画像を拡大してみればヘタのある青柿だった。
長めの細い節のある植物は何だろうか。
それぞれが2本繋がりの形。
今まで見たことのない青物である。
輪切りした若干数の茄子もある。
短く切ったアサガラは2本ずつ。
先祖さんが食べるアサガラの箸とともに、小さめの蓮に盛っていた。
奥さんに話しによればかつては蓮の葉でなく、カボチャの葉を使用していたそうだ。
今は、スーパーで売っている蓮を買ってきて供えているという。
奥さんは陽のあたる廊下に移動した。
そこにあったのは大きな深鉢に盛った御供さん。
これは「ガキ(餓鬼)」さんのお供えだという。
仏壇と同じように花を立てて御供を盛る。
大きな蓮は皿代わり。
ヘタのある青柿にササゲ豆。
仏壇にあった節目のある植物は二股形のササゲ豆であった。
輪切りのキュウリも盛っていた御供に青りんごも。
ちなみに青柿はミズガキと呼ぶそうだ。
いずれも家で栽培している植物である。
七ツの穴を開けた輪切りの茄子は線香立て。
こうする方が安全性を保てるという。
線香を立てたらローソクにも火を点ける。
そして、ガキサンにお茶を入れた一杯を添える。
初盆(にいぼん或いははつぼん)の家では廊下に「アラタナ(新棚)」を建てる。
丸い形のアラタナに四角く杉の木の葉を被せるのが高樋町の習わし。
その習わし話しに教えてくださった生駒の習俗も。
生駒のどの地域か存じないが、ある村落ではアラタナを祭る家に村の人たちが参りにくるという。
その参拝の在り方に水に浸けた葉っぱで清めるという。
参拝者は身体を清めてから屋内にあがるのがしきたりである。
ちなみに水に葉を浸けて供養するのは一般的に水供養という作法である。
先祖さんをお迎えする時間帯は午後5時半ころ。
送りの15日は午後6時。
少しでも遅くまで家に居てもらいた送りの時間帯である。
話しをしてくれたのは旦那さんのEさん。
なんと氏神さんの行事に何度も世話になったMさんだった。
急な取材にお礼を述べて屋外に出たその向こうに、今まさに火を点けて燃やした藁火から線香に移していた二人がおられた。
こちらの二人にも急なお願いをして撮らせてもらった。
男性は昭和8年生まれのMさんは旧五ケ谷元自治連合会長。
その姿、矍鑠(かくしゃく)とされているMさんは娘さんと思われる女性とともに先祖さんを迎えていた。
当家もまた同じように小鉦を打っていたようだ。
E家もそうだが、家を出た辻で先祖さんを迎えていた。
線香は先祖さんなので家に連れていくが、燃やした藁火は火が消えたのを確認してから、捨てるというMさん。
先祖迎えの日は朝早ようにお寺さんが参ってくれたと話していた。
2軒の先祖迎えを取材して再び立ち寄った興隆寺町。
高台の方から鉦を打つ音が聞こえてきた。どこでされているのか、場だけでも知りたいと思って急な坂道を昇ったら見つかったが、遠慮して村を離れた。
高樋町では午後5時半ころ。
興隆寺町は6時ころにされていることがわかった。
当地へ来るまでに帯解街道にも先祖迎え。
山町の先祖迎えは線香を手にした婦人が東から西に向かって歩いていた。
そのときの時間帯は午後5時15分。
地域によって、或いは個々のお家の考えで時間はさまざまのようだ。
高樋町から帰路に選んだ集落道は天理市中之庄町。
鉦の音でも聞こえてきたら、と思って走らせたら通り過ぎた。
そのままずっと下れば森本町になる。
時間帯は午後6時半になっていた。
そこで遭遇した2人の老婦人。
車を停めて話しを聞けば、手にしている線香。
もう一つはホームレスと云ったのが印象的だったこれらの様相も記録と思って付記しておく。
(H29. 8.13 EOS40D撮影)
旧五ケ谷村もしていると教えてもらったオショウライサン迎えである。
そのことを話してくださったのは奈良市興隆寺町に住むIさんだった。
藁の松明を門口に立てて火を点ける。
そして、家にある小鉦を打ちながら先祖さんを迎える。
夕刻と云っても時間幅は広い。
鉦の音色が聞こえてくれば間違いなくされている。
待っておれば巡り合うかも、と思ってバス停近くで待機していたが、気持ちが少しずつ萎えてきた。
確定的にされているお家がどこであるのか、それがわからずに待っていたら気が重たくなるのは当然であろう。
エンジンを始動して場を離れた。
下った旧五ケ谷村の旧道沿いにある高樋町の民家はどうなんだろうか、と思って神社下の駐車場に停めた。
ここでも鉦の音を待っていたが、あてのない状況待ちに時間ばかりが過ぎていく。
ここもまた待ちきれずに諦めて場を離れた。
駐車場から十数メートル。
開放していた車の窓。
鉦の音があればわかるようにしていた。
急な坂道を下っていった十数メートル。
車窓の向こうに人だかりが見えた。
その姿は、まさに先祖さんを迎えている状況である。
車は道端に緊急停車。
大急ぎで駆け付ける迎えの場。
ご家族に急なお願いをして撮らせてもらう。
息子さんと思われる人は燃やした藁火から線香に移していた。
その横では孫の女児が小鉦を撞木(しゅもく)で打っていた。
線香に火を移し終えたら、自宅に戻る。
先祖さんを迎えた線香の火が消えないようにそろりそろりと歩く。
さらに、お願いする当家の在り方取材も受けてくださった。
取材主旨を伝えて上がらせてもらう。
慌てていたからストロボは持ち合わせていない。
部屋中はやや暗い。息子さんは仏壇にあるローソクに火を移した。
小鉦はいつのまにか消えていた。
どうやら屋内に入る手前、玄関口までだったようだ。
先祖さんを迎えた線香は線香立てに。
手を合わせて拝んでいた。
仏壇のお供えはお盆のハクセンコウ。
一つは蓮を象った形である。
御供下に広げた大きな葉っぱは蓮の葉。
その周りにいっぱい並べている何かがある。
撮影時は気がつかなかったが、帰宅してから画像を拡大してみればヘタのある青柿だった。
長めの細い節のある植物は何だろうか。
それぞれが2本繋がりの形。
今まで見たことのない青物である。
輪切りした若干数の茄子もある。
短く切ったアサガラは2本ずつ。
先祖さんが食べるアサガラの箸とともに、小さめの蓮に盛っていた。
奥さんに話しによればかつては蓮の葉でなく、カボチャの葉を使用していたそうだ。
今は、スーパーで売っている蓮を買ってきて供えているという。
奥さんは陽のあたる廊下に移動した。
そこにあったのは大きな深鉢に盛った御供さん。
これは「ガキ(餓鬼)」さんのお供えだという。
仏壇と同じように花を立てて御供を盛る。
大きな蓮は皿代わり。
ヘタのある青柿にササゲ豆。
仏壇にあった節目のある植物は二股形のササゲ豆であった。
輪切りのキュウリも盛っていた御供に青りんごも。
ちなみに青柿はミズガキと呼ぶそうだ。
いずれも家で栽培している植物である。
七ツの穴を開けた輪切りの茄子は線香立て。
こうする方が安全性を保てるという。
線香を立てたらローソクにも火を点ける。
そして、ガキサンにお茶を入れた一杯を添える。
初盆(にいぼん或いははつぼん)の家では廊下に「アラタナ(新棚)」を建てる。
丸い形のアラタナに四角く杉の木の葉を被せるのが高樋町の習わし。
その習わし話しに教えてくださった生駒の習俗も。
生駒のどの地域か存じないが、ある村落ではアラタナを祭る家に村の人たちが参りにくるという。
その参拝の在り方に水に浸けた葉っぱで清めるという。
参拝者は身体を清めてから屋内にあがるのがしきたりである。
ちなみに水に葉を浸けて供養するのは一般的に水供養という作法である。
先祖さんをお迎えする時間帯は午後5時半ころ。
送りの15日は午後6時。
少しでも遅くまで家に居てもらいた送りの時間帯である。
話しをしてくれたのは旦那さんのEさん。
なんと氏神さんの行事に何度も世話になったMさんだった。
急な取材にお礼を述べて屋外に出たその向こうに、今まさに火を点けて燃やした藁火から線香に移していた二人がおられた。
こちらの二人にも急なお願いをして撮らせてもらった。
男性は昭和8年生まれのMさんは旧五ケ谷元自治連合会長。
その姿、矍鑠(かくしゃく)とされているMさんは娘さんと思われる女性とともに先祖さんを迎えていた。
当家もまた同じように小鉦を打っていたようだ。
E家もそうだが、家を出た辻で先祖さんを迎えていた。
線香は先祖さんなので家に連れていくが、燃やした藁火は火が消えたのを確認してから、捨てるというMさん。
先祖迎えの日は朝早ようにお寺さんが参ってくれたと話していた。
2軒の先祖迎えを取材して再び立ち寄った興隆寺町。
高台の方から鉦を打つ音が聞こえてきた。どこでされているのか、場だけでも知りたいと思って急な坂道を昇ったら見つかったが、遠慮して村を離れた。
高樋町では午後5時半ころ。
興隆寺町は6時ころにされていることがわかった。
当地へ来るまでに帯解街道にも先祖迎え。
山町の先祖迎えは線香を手にした婦人が東から西に向かって歩いていた。
そのときの時間帯は午後5時15分。
地域によって、或いは個々のお家の考えで時間はさまざまのようだ。
高樋町から帰路に選んだ集落道は天理市中之庄町。
鉦の音でも聞こえてきたら、と思って走らせたら通り過ぎた。
そのままずっと下れば森本町になる。
時間帯は午後6時半になっていた。
そこで遭遇した2人の老婦人。
車を停めて話しを聞けば、手にしている線香。
もう一つはホームレスと云ったのが印象的だったこれらの様相も記録と思って付記しておく。
(H29. 8.13 EOS40D撮影)