季刊誌『やまとびと』の編集部からメールで連絡いただいた掲載写真提供の依頼である。
“過疎地域活性化推進施策の祭り・行事”の連載に向けて、これはと判断された奈良・大和一円に亘って行われていた“ハタアメ(旗飴)”もらい。
実施地域は稲荷神社が存在する地区。
神社はもちろんだが、商売人が営んでいるお店に祀っているお稲荷さんも同じようにしていたハタアメ御供。
お稲荷さんの行事といえば、祭事日は初午。
地域によってはニノ午にされる場合もある。
初午の日といえば、2月の最初の午の日。
全国各地の稲荷社で行われる五穀豊穣、商売繁盛を願う行事。
御供と云えばお稲荷さんが好む揚げさんや初午団子が挙げられるが、奈良・大和の一部の地域では、“ハタアメ(旗飴)”が登場する。
供えた“ハタアメ(旗飴)”は、子どもたちに配られる。
商売されているお家では、わざわざ“ハタアメ(旗飴)”を用意し、やってくる子どもたちに一本ずつあげる。
あちらこちらにある商売屋さんの家に出かけてもらいにくる子どもたち。
自転車に乗って地区を走り回る子どもたちもいた。
青年期から大人になるにつれもらいに行くことはなくなるが、地域文化に慣れ親しんだ先輩たちとともに行動した子どもたちがあとを継いでハタアメもらいに走り回っていた。
何代にも亘って連綿と続けてきた“ハタアメ(旗飴)”の習俗であるが、神社にやってくる子どもたちに一本ずつあげていた神社役員。
地域の子どもたちに配っていた氏子さんも笑顔になる習俗は突然のごとく奈良県全域が消えた。
長年に亘って製造してきた業者さんが事業を辞められたのであった。
子どもたちの毎年の愉しみが一斉に、ぱたりと消えた。
平成29年のことである。
一方、一斉に消えることなんて想像もしていなかった平成28年。
身体があまり動けなかった心不全症状もち。
車の運転も主治医から止められたころに自宅でできるものは、と思って調べ出したハタアメ文化の地域調査。
さまざまな情報からほぼ特定できた地域。
調査報告をしたため、ブログに公開した。
そのブログを目にしたハタアメ体験者がコメントを書いてくださった。
ほぼほぼ地域のわかるコメントに感謝するばかりだ。
その件も含めて季刊誌『やまとびと』に執筆される編集人と急な打ち合わせである。
編集人は、以前から存じている榛原高塚・八咫烏神社宮司の栗野義典氏である。
初めての出会いは、平成20年に遡る。
当時も兼務されていたやまとびと編集人。
今となってはもう見ることのできない旧西吉野村の城戸(じょうご)集落を巡るススキ提灯の写真である。
提供したススキ提灯の写真掲載は『やまとびと VOL34号』だった。
今回の依頼もまた写真提供である。
桜井市の三輪で行われた成願稲荷神社の三月初午を公開したブログ掲載写真をそっくりそのまま載せたい、という。
お役に立てるなら大いによろしくお願いします、である。
編集人の栗野氏が執筆するにあたって、私の知る限りの話題提供。
裏話もあれば、現状或いは想定されるハタアメが中断に至るまでのプロセス。
調査した地域分布にハタアメを思う気持ち。
仮に、複製ハタアメが作られた場合には、規範になる唯一3本が遺された実物の大切などの情報提供である。
たった3本だが、私の母親がたまたま遺してくれた貴重なハタアメ。
成願稲荷神社取材に神職からいただいた五色の旗がすべてそろったハタアメであるが、うち3本を実家のおふくろにあげていた。
1本は、おふくろが食べたのか、飴だけが消えていた。
が、2本は現状のまんま遺っていた。
旗の色は褪せていたが、印字した「成願稲荷神社」の文字がわかる代物は、大切に保存せねば、と自宅に保管した。
貴重なハタアメは誌面に載せることになった。『やまとびと』読者が一人でもご存知であれば編集部に連絡いただきたく掲載された。
ブログでは地区名を記載した地域分布は、視覚的にもわかるように編集人がマップ化してくださった。
その記事は、この年の平成30年、『やまとびと vol.87 冬(2018年)』を発刊された。
連載記事は2回目の「鎮守の杜のまつりの話 第2回 桜井市 お稲荷さんのお祭りと旗飴の話」である。
思いを伝えた素晴らしい文章。
写真を見たら、成願稲荷神社の三月初午をイメージするが、ここは思いを綴った“文”が大事だ。
ハタアメ記事の打ち合わせに、伝えておきたい民俗を編集人に話題提供もさせていただいた。
現状、行われている民俗行事の調査報告である。
奈良県内にある亥の子の調査。
所作、詞章、民俗語彙などの調査に大阪北部にも行っている。
民俗行事は、できるだけ多くの地域に出かけてそのあり方を見分する。
聞き取り、史料なども入手し、それらを俯瞰的視野で分析してみる。
見えない部分が他の地区で見つけた詞章でわかったこともある。
奈良県内の東部に見られる造営事業。
西の葛城や御所、五條にはそのあり方がない。
これも県全域を俯瞰してわかったこと。
尤も、発端は東に位置する神社に出仕される宮司と西の神社に出仕される見分が違ったことによる。
東にあるゾークと呼ばれる造営事業は、西にはまったく見られない。
三重県寄りか、大阪寄りかの地域文化の違いが奈良県に見られるということだ。
編集人も東側地域の宮司職。
たぶんにご存知の榛原各地に出仕される藤田宮司が見せてくださった分厚い本。
神職における造営のあり方も俯瞰してみれば、地域特性が見える、ということだ。
一例を揚げたゾークの鯛綱作法である。
吊るした鯛綱を曳く鯛曳きの作法は、例えば柳生、旧都祁村、山添村、桜井には存在しないが、榛原辺りに集中するのも驚きだった。
これも民俗行事の取材をしたことで知ったことだ。
たまたま発見した苗代田から調べた榛原玉立のオコナイ行事の“難除”。
僧侶は青龍寺の住職。
長峰行事の修正会のときにお会いした。
護符は祈祷札。
上流工程を調べることによって地域文化が見えてくる。
また、大和郡山市内で行われているトンドと地蔵盆は、今も継続されている地区を地図に落としたこともある。
今回のハタアメと同じように地図にスポットを落としてみれば、また見える範囲も拡がる。
たいそなことを申し上げたが、当方がアップしている当ブログのすべてを見てくださった方なら、もう見えているかもしれない。
民俗話題は拡がるばかりでお仕事の邪魔をしてしまう。
重い腰をあげて場を離れようとしたら、お土産にどうぞ、と差し出された袋。
中にあったお土産は、やまとびと謹製の清酒・酒粕入り笑酒(えぐし)飴。
持って帰ったソフトキャンデイを一口食べたかーさん。
これってほんまに美味しいとパクパクしたわけではないが、喋っている間に、もう一つの飴が口に・・。
先に味見したかーさんに笑顔がほころぶ。
そんなに美味しい飴は私も・・。
この笑酒飴、今まで味わったことのない風味。
酒好きでなくともとても美味しい。
なぜならかーさんは酒を飲めないが、かす汁は食べる。
もちろん私も好物のかす汁。
アルコール分を抜いた清酒、酒粕入りの笑酒(えぐし)飴。
この味に感動した。
(H30.11. 8 SB932SH撮影)
“過疎地域活性化推進施策の祭り・行事”の連載に向けて、これはと判断された奈良・大和一円に亘って行われていた“ハタアメ(旗飴)”もらい。
実施地域は稲荷神社が存在する地区。
神社はもちろんだが、商売人が営んでいるお店に祀っているお稲荷さんも同じようにしていたハタアメ御供。
お稲荷さんの行事といえば、祭事日は初午。
地域によってはニノ午にされる場合もある。
初午の日といえば、2月の最初の午の日。
全国各地の稲荷社で行われる五穀豊穣、商売繁盛を願う行事。
御供と云えばお稲荷さんが好む揚げさんや初午団子が挙げられるが、奈良・大和の一部の地域では、“ハタアメ(旗飴)”が登場する。
供えた“ハタアメ(旗飴)”は、子どもたちに配られる。
商売されているお家では、わざわざ“ハタアメ(旗飴)”を用意し、やってくる子どもたちに一本ずつあげる。
あちらこちらにある商売屋さんの家に出かけてもらいにくる子どもたち。
自転車に乗って地区を走り回る子どもたちもいた。
青年期から大人になるにつれもらいに行くことはなくなるが、地域文化に慣れ親しんだ先輩たちとともに行動した子どもたちがあとを継いでハタアメもらいに走り回っていた。
何代にも亘って連綿と続けてきた“ハタアメ(旗飴)”の習俗であるが、神社にやってくる子どもたちに一本ずつあげていた神社役員。
地域の子どもたちに配っていた氏子さんも笑顔になる習俗は突然のごとく奈良県全域が消えた。
長年に亘って製造してきた業者さんが事業を辞められたのであった。
子どもたちの毎年の愉しみが一斉に、ぱたりと消えた。
平成29年のことである。
一方、一斉に消えることなんて想像もしていなかった平成28年。
身体があまり動けなかった心不全症状もち。
車の運転も主治医から止められたころに自宅でできるものは、と思って調べ出したハタアメ文化の地域調査。
さまざまな情報からほぼ特定できた地域。
調査報告をしたため、ブログに公開した。
そのブログを目にしたハタアメ体験者がコメントを書いてくださった。
ほぼほぼ地域のわかるコメントに感謝するばかりだ。
その件も含めて季刊誌『やまとびと』に執筆される編集人と急な打ち合わせである。
編集人は、以前から存じている榛原高塚・八咫烏神社宮司の栗野義典氏である。
初めての出会いは、平成20年に遡る。
当時も兼務されていたやまとびと編集人。
今となってはもう見ることのできない旧西吉野村の城戸(じょうご)集落を巡るススキ提灯の写真である。
提供したススキ提灯の写真掲載は『やまとびと VOL34号』だった。
今回の依頼もまた写真提供である。
桜井市の三輪で行われた成願稲荷神社の三月初午を公開したブログ掲載写真をそっくりそのまま載せたい、という。
お役に立てるなら大いによろしくお願いします、である。
編集人の栗野氏が執筆するにあたって、私の知る限りの話題提供。
裏話もあれば、現状或いは想定されるハタアメが中断に至るまでのプロセス。
調査した地域分布にハタアメを思う気持ち。
仮に、複製ハタアメが作られた場合には、規範になる唯一3本が遺された実物の大切などの情報提供である。
たった3本だが、私の母親がたまたま遺してくれた貴重なハタアメ。
成願稲荷神社取材に神職からいただいた五色の旗がすべてそろったハタアメであるが、うち3本を実家のおふくろにあげていた。
1本は、おふくろが食べたのか、飴だけが消えていた。
が、2本は現状のまんま遺っていた。
旗の色は褪せていたが、印字した「成願稲荷神社」の文字がわかる代物は、大切に保存せねば、と自宅に保管した。
貴重なハタアメは誌面に載せることになった。『やまとびと』読者が一人でもご存知であれば編集部に連絡いただきたく掲載された。
ブログでは地区名を記載した地域分布は、視覚的にもわかるように編集人がマップ化してくださった。
その記事は、この年の平成30年、『やまとびと vol.87 冬(2018年)』を発刊された。
連載記事は2回目の「鎮守の杜のまつりの話 第2回 桜井市 お稲荷さんのお祭りと旗飴の話」である。
思いを伝えた素晴らしい文章。
写真を見たら、成願稲荷神社の三月初午をイメージするが、ここは思いを綴った“文”が大事だ。
ハタアメ記事の打ち合わせに、伝えておきたい民俗を編集人に話題提供もさせていただいた。
現状、行われている民俗行事の調査報告である。
奈良県内にある亥の子の調査。
所作、詞章、民俗語彙などの調査に大阪北部にも行っている。
民俗行事は、できるだけ多くの地域に出かけてそのあり方を見分する。
聞き取り、史料なども入手し、それらを俯瞰的視野で分析してみる。
見えない部分が他の地区で見つけた詞章でわかったこともある。
奈良県内の東部に見られる造営事業。
西の葛城や御所、五條にはそのあり方がない。
これも県全域を俯瞰してわかったこと。
尤も、発端は東に位置する神社に出仕される宮司と西の神社に出仕される見分が違ったことによる。
東にあるゾークと呼ばれる造営事業は、西にはまったく見られない。
三重県寄りか、大阪寄りかの地域文化の違いが奈良県に見られるということだ。
編集人も東側地域の宮司職。
たぶんにご存知の榛原各地に出仕される藤田宮司が見せてくださった分厚い本。
神職における造営のあり方も俯瞰してみれば、地域特性が見える、ということだ。
一例を揚げたゾークの鯛綱作法である。
吊るした鯛綱を曳く鯛曳きの作法は、例えば柳生、旧都祁村、山添村、桜井には存在しないが、榛原辺りに集中するのも驚きだった。
これも民俗行事の取材をしたことで知ったことだ。
たまたま発見した苗代田から調べた榛原玉立のオコナイ行事の“難除”。
僧侶は青龍寺の住職。
長峰行事の修正会のときにお会いした。
護符は祈祷札。
上流工程を調べることによって地域文化が見えてくる。
また、大和郡山市内で行われているトンドと地蔵盆は、今も継続されている地区を地図に落としたこともある。
今回のハタアメと同じように地図にスポットを落としてみれば、また見える範囲も拡がる。
たいそなことを申し上げたが、当方がアップしている当ブログのすべてを見てくださった方なら、もう見えているかもしれない。
民俗話題は拡がるばかりでお仕事の邪魔をしてしまう。
重い腰をあげて場を離れようとしたら、お土産にどうぞ、と差し出された袋。
中にあったお土産は、やまとびと謹製の清酒・酒粕入り笑酒(えぐし)飴。
持って帰ったソフトキャンデイを一口食べたかーさん。
これってほんまに美味しいとパクパクしたわけではないが、喋っている間に、もう一つの飴が口に・・。
先に味見したかーさんに笑顔がほころぶ。
そんなに美味しい飴は私も・・。
この笑酒飴、今まで味わったことのない風味。
酒好きでなくともとても美味しい。
なぜならかーさんは酒を飲めないが、かす汁は食べる。
もちろん私も好物のかす汁。
アルコール分を抜いた清酒、酒粕入りの笑酒(えぐし)飴。
この味に感動した。
(H30.11. 8 SB932SH撮影)