マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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再訪、谷瀬のハデ

2017年05月09日 09時14分56秒 | 民俗あれこれ(干す編)
9月11日に訪れてハデ場に刈り取った稲を架ける状況を取材させていただいたお家が気になって再訪した。

もしかとすれば男性が住まいする家は存じている人がいるかも知れない。

毎年届く年賀状の住所は谷瀬(たにぜ)。

ご主人はお会いしたときはすでに高齢だった。

住まいは吊り橋を渡った向こう側と話していた。

賀状に住所が書いてある。

ネットの地図で検索したら11日に訪れた家を示していた。

どんぴしゃの当たりである。

ハデ架けをしていた男性はたぶんに息子さん。

年齢的にそう思えた。

自宅に掲げる表札はまさにその通りだった。

お声をかけたら奥から声が聞こえる。

もしかとしたらOさんと云えば、私の顔を覚えているという。

懐かしい顔を見せてくれたご主人は国王神社の祭り取材でお世話になった元総代だった。

国王神社の祭りは平成21年11月1日に取材した。

お渡りの先頭を行くのが元総代のOさんだ。

ほぼ7年ぶりのご対面にびっくりしたという。

最愛の奥さんを亡くされたこともあって年賀状は取りやめたいと伝えていたが、なぜか気になるご主人には毎年送っていた。

それが功を奏したのであろうか、すぐさま記憶が蘇ったようだ。

この国王神社の大祭は連載していた産経新聞の「やまと彩祭」記事に掲載した。

祭りの謂れなど教えてくださった。

それを参考に平成22年11月10日発行の新聞に掲載した。

感謝の電話とともに新聞記事を送ったように記憶するが・・・。

実はというOさん。

11日の取材に応対していたのは息子さん。

定年退職をされて神職になられた。

国王神社の祭主もしているという。

先日に聞いていた谷瀬の芋名月の夜に供える場は門口のここだと話してくれる。

そうこうしているうち息子さんが戻ってきた。

実はお父さんとは国王神社の祭り取材でお世話になっていたことを伝えると驚いておられた。

ハダ場取材で繋がった不思議な縁は親子繋がり。

まことに不思議である。

この日も普段着姿で作業していた畑仕事からの戻りだった。

昨年の国王神社のお渡りは中止された。

上野地の公民館を出発して国王神社に向かうことはない。

風の便りでそう聞いていると云えば、今年は元の状態に戻すと云う。

お渡りは長丁場。

かなりの距離を巡行する。

途中で休憩する場が利用できなくなったことが中止の理由だったが、お渡りは復活すると云う。

久しぶりに拝見させもらうつもりだったが、事情で実現しなかった。

話しを伺った神職は旧大塔村の伝統行事にも出仕されている。

引退された前神職から継いで務めているという。

11月になればハデ場から降ろして脱穀と聞いている谷瀬をゆっくり巡る散歩道マップがある。

タイトルが「谷瀬の里はつり橋につづくゆっくり散歩道」。

大字の上野地から谷瀬の吊り橋を渡った先が谷瀬である。

渡ったついでに散歩してくださいと云うマップをもって歩くのも良かろう。

谷瀬側に就いたらトイレ休憩もできるつり橋茶屋がある。

そこからなだらかな道を歩けば集落に着く。

谷瀬は手前にある民宿杉の原がある平地地区に上地地区、中切地区、西坊地区の4地区。

道なりに歩いていけば大きな水車が見える。

新設された施設のようだ。



その手前にあるのは休憩もできる「こやすば」。

その名の通りちょっと休んでくださいというようなネーミング。

空き家民家を利用したこれもまた施設は奈良女子大の先生や学生が荒れていた民家を修復して利用できるようにしたらしい。

(H28. 9.15 EOS40D撮影)


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