マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

画面が真っ暗・月曜日の魔物

2013年12月21日 08時54分15秒 | つうしん
マカフィのウイルススキャンが始まっていた。

その動作は数時間かかる。

長いときには半日にも亘る。

上居に行く予定をしていたその日のことだ。

スキャンはほぼ毎週ある。

今のところウイルスは発見されていないが、全件をなめなきゃならない。

放置せざるを得ないと思ってそのままにしておいた。

帰宅したのは4時間後だ。

画面が真っ黒になっていた。

その状況はしばしばある。

何かを動作させておいて放置する。

そうであってもマウスを動作すれば復活する。

画面が復帰して映像が出るのだが、この日は戻らない。

いくらマウスをしても復帰しないのだ。

パソコンの画面は真っ暗であるが、システムの動作を表示するランプがチカチカしている。

ウイルススキャンの動作が継続していると判断した。

それにしてもおかしな症状だ。

ノートパソコンのゲートウエイには画面の明るさ調整をするスイッチが見当たらない。

待つしかないと思って、始まってから6時間も経過した。

ランプは点滅しない。

終わったのであろうと考えて強制終了をした。

電源オフを確認して再度押した電源スイッチ。

立ち上がる画面が出現した。

一体、なんであったのだろうか。

それが関係しているのか判らないが、19日の月曜日の朝、立ちあげた際の「Beach―ビーチ」はシステムのメンテナン中だった。

8時までしているメンテナンス。

仕事を終えて昼過ぎに立ちあげた。

真っ黒な画面は出現しなかったが、「Beach―ビーチ」にログインしても受けつけられない。

インターネットサーバーが繋がらないメッセージの「Internet Explorer ではこのページは表示できません」と表示される。

他のブログではそういう事象は出ない。

なんらかの事情でメンテナンスが済んでいないと思った。

翌日の朝も同じ事象が発生した。

時間がかかっていると思った。

仕事を終えたその日の昼過ぎにも同じ事象である。

どうもおかしい。

マカフィの更新が影響しているのであろうか。

「Beach―ビーチ」にある「お問い合わせ・通報」を押しても同じく「Internet Explorer ではこのページは表示できません」と出る。

明らかにおかしい。

仕方なく調べ上げた「Beach―ビーチ」システムサポートにメールを送った。

翌日には早速のご回答をいただいた。

運営事務局さまのご指示は「インターネットオプション設定のTLSの使用設定を適用」することであった。

今までしていたとおりのログインを試してみれば、グッドであった。

的確なご指示であったことに感謝申し上げる次第だ。

それにしても、あの真っ暗な画面は一体何であったのだろうか。

疑問は残ったままだ。

それから一週間後の26日だ。

またもやログインすれども、「Internet Explorer ではこのページは表示できません」が出力した。

インターネットオプションの詳細設定はどうなっているのか。

元に戻っているではないか。何故に戻ってしまうのだ。

セキュリティ項目にある「TLS 1.0を使用する」にもう一度「レ」点を入れて適用すれば立ちあがった。

何かが邪魔をしているのではないだろうと思うが、何かが判らない。

その一週間後の9月2日の月曜日の朝。

またもや同一事象が発生した。

確かめてみると「TLS 1.0を使用する」が外されている。

前日の日曜日の夜10時ころは何不自由なく使えていた。

「TLS 1.0を使用する」にもう一度「レ」点を入れて適用した。

月曜日には魔物が住みついていると思える三週間である。

その後も変わらない週明けの月曜日は毎度のこと。

日課ではなく、週課の作業になった。

(H25. 8.19、26・・・H25.9.2、9.9 記)

上居を訪ねて

2013年12月20日 09時16分51秒 | 明日香村へ
何を探していたのか記憶にないネット検索。

キーワードも覚えていないが、出現したのは明日香村の上居(じょうご)。

NPO法人のみなさんが村人に聞き取りされた上居の年中行事である。

民俗調査員が纏められたような記録は詳細記述に亘っている。

民俗探訪する上においては実に多くの示唆される内容である。

集落は史跡で名高い石舞台に近い小高い丘にある集落だ。

聞き取りされた史料にあった風日待ち。

8月18日とあったので、民俗探訪取材のキカッケになるやと思って出かけた。

行事の場は集落内にある上宮寺だろうと思って立ち寄った。

お寺の裏は墓地である。

そこから見下ろす石舞台が美しいと上居を案内する看板の立て札にそう書いてあった通りの景観に惚れ惚れする。

少し南側に視線をずらした。

そこは棚田が広がる明日香の田園。

そろそろ陽が沈む時間帯だ。

史料には弁当を持ちこんで会食をするというから夕刻であると思ったが、その兆しはなかった。

お寺で待っていても仕方がない。

村人の姿を発見して主旨を伝えた。

ご主人は村の人ではなく、息子さんがその家に住んでいるといって紹介してくださった。

当主は近年において村へ移住された男性。

兵庫県の出身だそうだ。

「こういうものを作っているんです」と座敷に誘ってくださった。

そこにはアコースティックギターが並べてあった。

オリジナル作品のフォークギターである。



懐かしいギターとは云っても私が愛用していたのはヤマハ製である。

二十歳のころに夢中になったフォークギター。

ガンガンひいて唄っていた。

ブルースハープも吹いていたが、なかなかモノには成らなかった。

そんな私であったが、村のコンサートに出演したことがある。

大阪の泉佐野市の日根野だ。

仕事場で友人が住んでいた村である。

よく遊びに出向いていた日根野の友人はエレキバンドを組んでいた。

バンド連中は青年団の仲間たち。

アンプから唸るエレキの音はロックだった。

一曲を唄うことになって舞台にあがった。

ソロである。

唄った曲は井上揚水の「傘がない」だった。

静寂だった観客を前にしてジャーン、ジャーン、ジャン。

イントロを引きながら、マイクに向かって「都会では・・・」。

足が震えていたことを思い出す。

完奏するまでの時間が長かったこと。

拍手が鳴りやまなかった。

その晩は青年団の連中と、ひと晩を飲み明かした。

そのとき初めて体験した冷や酒。

酒の味を覚えた二十歳のとき。

あとにも先にも舞台で演奏したのはその日だけだった。

そんな四十年も前のことを思い出せてくれた家は「明日香弦楽器」工房。

製作者の折坂諭氏の作業場である。

折坂氏はギターの他にウクレレやカリンバも作っている。

就業していた楽器商社を辞めて独立されて上居に住みかを構えた。

村人に温かく迎え入れられて入居したと云う。

氏が手にして鳴らした楽器はカリンバ。

上居に植生する竹を素材にして作ったカリンバの音色に感動する。



竹は一本、一本として同じものはない。

節目を削って器具を取り付けたオリジナルのカリンバは「あすかかりんば」と命名された。

作るだけでは惜しいと売り場を探した。

素材が明日香であることも認められて先月末から「明日香の夢市」で販売されることになった。

観光客がときおり買ってくれるらしい。

「あすかかりんば」は竹製のみならず、ヒノキ材を利用した楽器もある。

平成25年より製作活動を開始された「明日香弦楽器」のギター製品の数々。

「2013TOKYOハンドクラフトギターフェス」において出典された。

オーダー製作にも応じていると云う折坂家に置いてあった奉納板。

氏が云うには、その板が回ってくれば春日神社の境内を掃除し燈籠にローソクを灯す。

板は全戸が交替して勤める当番札であった。

そのような手作り楽器の話題を提供してくれた上居の新住民。

行事については総代に聞けばと紹介してくださった。

仕事を終えて帰宅された総代の話しによれば風日待ちは、どうやら八朔のようだ。

月末の日曜日に村の人が集まるのは鎮守社の春日神社。

この年は県土木の地元説明会も兼ねていることから遠慮を願われた。

マツリは10月19日であったが、現在は第三土曜日。

飛鳥坐神社の宮司の都合もあって、この年は26日になると云う。

朝は8時に集まって上宮寺境内で大量のモチを搗く。

千本杵ではなく杵と臼で搗くモチ搗きは午前中いっぱいかけて行う。

会所(仮宮の場)で食事をしたあとは「宮送り」。

トヤ(当屋)ら氏子たちが会所から春日神社に向かってお渡りをするそうだ。

村は18戸であったが、前述した折坂家が加わって19戸になった。

史料によればトヤをはじめとして3人が烏帽子を被って羽織袴姿(おそらく狩衣がトヤで他の人は素襖であろう)のお渡り。

「ごいのごいのごい」と唱和しながら歩くようだ。

マツリを終えればモチマキ。

大量のモチを撒くのであるが、一般の人も参加してもらって構わないという。

明日香を散策する観光客も立ち止まって受けるモチマキに大勢が群がるそうだ。

特に気になっていた庚申さんは、4年に一度のオリンピックの年の4月。

かつては旧暦の庚申であったと思われる行事は、おそらく稲渕と同様の「モウシアゲ」の呼称であろう。

1月にはネンネノキの塔婆をあげる初庚申や初祈祷と思われる「ムロクサン・ハゴウサン」もあるようだ。



墓地の六地蔵には竹で作ったローロク立てもある。

上居の行事・風習取材はあらためてお願いするとして帰路についた。

(H25. 8.19 SB932SH撮影)
(H25. 8.19 EOS40D撮影)

我が家に地デジテレビ

2013年12月19日 07時35分29秒 | つうしん
午前中は民俗行事の取材。午後は大阪住之江でお盆の里帰り。

なにかと忙しいが今夜もまたである。

昨日に注文した地デジテレビが我が家にやってくる。

時間指定は帰宅後にしてもらった19時以降。

設置料金は夜間になるので有料だ。

待てども電話がかかってこない。

待つこと1時間越え。20時を過ぎてようやく到着した。

二人がかりでセットする。

若い人は古いアナログテレビを担ぎ出す。

ところが門扉が開かない。

片側が開かずの門扉になっていた。

随分昔からである。

錆ついているのかどうか判らないが、そのままにしていた。

駐車していた愛車を出庫して難を逃れた。

どうでもいいようなことである。

設定はいとも簡単にされる。

受信電波は問題ない。

地デジにすれば大阪テレビや京都テレビが写るのかと、阪神タイガースの戦いを観たいかーさんが云った。

それは無理ですと応えて諦めた。

鮮明な画像が映し出される。

購入した地デジテレビはSHARP製のLC-32J9/B。ローボード内に納めるにはこれぐらいでなければならない。

幅は73.5cmで高さが46.3cmだ。

薄くなって軽量になった地デジテレビは動かしやすい。

テレビは一本脚ではなく、傾斜型のスラントデザイン。

座敷に座って観るには丁度良い。

これまで利用していたHDD・DVD内蔵の東芝RD-Z300も繋げてもらった。

それから出力する映像は奇麗だが、地デジ一本ではなんだかもやっている。

これを解決するにはHDMLコードを接続sないとならない。

そうなるやと思っていた。

その場合は直接担当者にお願いしてくさいと云われていた。

直払いでお願いしてセットしてもらった。

奇麗に写る地デジテレビはたいしたもんだと驚く。

感謝を込めて担当者にお礼を伝えた。

画像に満足するが、音声はもうひとつだ。



ステレオ放送であっても何かがおかしい。

アナログテレビは全面左右にスピーカーが付いていた。

サラウンド効果が良かったテレビであった。

音声を調整するスイッチがない。

どこを探しても見当たらない。

仕様なのかと思って半ば諦めかけた。

リモコンであらゆる機能を探してみたようやく見つかった音声の設定。

こんなところにあったんだ。

数日間、しばらく観続けたかーさんが云った。

よーいドンの番組で大和郡山が紹介されたそうだ。

そのとき思わず録画しようとしたが、録画はできない。

現状の録画は東芝RD-Z300の映像を介してでないとできない。

できないと云うよりもいちいち東芝RD-Z300の電源をあげてビデオ側に設定を替えなければならないのだ。

不自由さに根負けして外部HDDの購入を決めた。

丁度良いところにジョーシンのサービス券が送られてきた。

ありがたい500円割引券。

少しでも安くなればいいのである。

一週間後に設置した外部HDDはバッファロー製の1TB。

これで充分だ。

USBを接続して番組表から撮りたい番組を次々とセットする。

ただそれだけだが、ダビングはできない。

地デジが壊れて他機種のテレビに繋いでも写ることはない。

SHARP製のLC-32J9しか出力することができないが仕方ない。

録画して観る・消すということだ。

(H25. 8.17 SB932SH撮影)
(H25. 8.24 記)

お盆過ぎの里帰りはにぎり長次郎とりくろーおじさん

2013年12月18日 07時01分49秒 | 食事が主な周辺をお散歩
セットメニューはいろいろあるが、かつて食べた「花ひとひら」の寿司御膳や京にぎり「大原」がなくなっていた住之江のにぎり長次郎

随分と高めになったものだと思った。

それには赤だしがついているというが、一品ずつ食べたくなって注文する品々は、120円の生ゲソを4人前、380円の本マグロ赤身は2人前、270円の炙りサーモンも4人前で190円のつぶ貝も4人前だ。




120円の玉子にぎりも4人前にした。

しばらく小休止して再び頼んだにぎり寿司は、270円の真ダコを2人前、270円のサーモンも2人前、480円のシマアジは高価なので1人前とする。



これらは店内席にあるタッチパネルで注文する。



これまで入店したときにはなかった新しい注文手段。

あれやこれやと云いながら次々と注文するタッチング。

270円の漬けメバチマグロは2人前にした。



徐々に減っていく注文の品である。

しかしだ。



玉子のにぎりがあまりにも美味しかったので、熱々240円の一品である玉子の付きだしも一緒に頼んだ。

おふくろが食べたくなったと頼んだいなり寿司は120円。



味わい深い京風鯖寿司は270円で、ウナギ・サーモン・イカの三品を盛った炙り三昧は480円である。



これも美味しいだろうと思って注文したつぶ貝バター醤油焼きは190円。

バター風味が強くて寿司の味が判らない。

あっさり食べたいと長男が云ったオニオンサーモンは270円。

そろそろ食べたくなった魚の赤だしは180円。



とろとろの魚はブリであろうか。

これが美味すぎるのである。

同値段で豆腐の赤だしもあるが、これは美味い。

剣先イカゲソは270円。



120円の生ゲソでも美味しかったが、さらに美味い剣先のゲソである。



イカにはヤリイカもある。

190円だったので2人前を頼んだ。

白身も食べてみようと270円のタイも注文した。

ホッキ貝軍艦巻きは120円。

コリコリしたホッキ貝はサラダ味で美味しい。

190円のキュウリ細巻きを頼んだのはおふくろだ。

漬けものナスを食べたいと職人さんに声を掛けたが、それはない。

あるのは漬けものでない、生の泉州ナスである。

前回食べたおふくろ曰く、不味いであった。



最後に長男が頼んだ本マグロ中トロは580円。照りが違う。

締めて4人が食べた総額は9220円。

つい先日にも食べにいったおふくろは10%引きの割引券をもっていた。

それを使って払った金額は8298円。

くるくる寿司よりも安くて美味しくいただけて満腹である。

当店はクレジット支払いができる。

ありがたいお店である。

10月まで有効の3段階で5%、10%、15%引きの割引カードもある。

次回も来てみたいが・・・。

ゆったり寛いだ「にぎり長次郎」。

滞在時間は2時間を過ぎていた。

ここから数メートル北に新しいお店ができたと云うおふくろ。

そこは「りくろーおじさんの店」である。



名高いお店が住之江にやってきた。

お店はミストシャワーで迎えてくれる。

涼しいミストが気持ち良い。

店内はお客さんでぎっしり。

ケーキや人気のチーズケーキがある。

出来あがればカンカラカンの音がする。



店内には出来立てのパンも売っている。

どれもこれも美味しいそう。

カレーパンを中心に思わず買ってしまった。

買った品物は店内で食べることができるが満席だ。

ミストシャワーもある屋外にも席はあるが暑い。

飲み物はどうやらサービスのようだ。

ゆっくりする場もなくて諦めた。

(H25. 8.17 SB932SH撮影)

福貴畑の観音祭

2013年12月17日 09時16分05秒 | 平群町へ
杵築神社拝殿横に佇む平群町福貴畑の観音堂。

史料によれば、かつて西庄にあった薬師院の別院であったそうだ。

安置する本尊は平群町の文化財に指定されている聖観音座像。

檜の寄木造で高さは87cmにもなる。

像内部にあった墨書銘は「天文十七年(1548)八月十八日 空阿 宿院仏師源次」であったそうだ。

8月17日は福貴畑の観音さんの日。

観音堂内で行われる観音祭には神社役員に三郷町の巫女さんが参列される。

祭りをされる最中に聞こえてきたセミの声はツクツクボウシ。

大凡、お盆のころに聞こえてくるようだ。

一般的に行われる観音さんの日の営みは、在村の婦人らが勤める西国三十三番のご詠歌であるが、福貴畑では珍しく、巫女さんが導師を勤められる。

狭い堂内には8人も入れば満席になる。

始めに堂内で焚きあげる護摩焚き。

護摩木に火を点けて燃え上がる。

その場で立ちあがって神楽を舞う巫女さん。

県内各地の行事取材でたいへんお世話になっている巫女さんである。

鈴をシャンシャンと鳴らして舞う神楽の次は剣の舞いである。

二つの剣を持って交差するような独特の作法で舞う。

神楽舞を終えれば、鈴と剣を手にして役員たちをお祓いする身体堅固である。

文様などが気になっていた巫女さんの装束。

県内各地に出仕されている巫女さんの装束はそれぞれであることに気がついたからである。

ありがたく、ご享受してくださった白い上着の文様。

「舞衣(呼称はまいぎ若しくはまいぎぬ)」と呼ばれ、赤と緑の文様が特徴である。

舞衣の前に長く垂らした赤と緑を前胸あたりに結んで締めている。

赤と緑の文様は両肘・方袖や背中にもある。

それを「五紋」と呼んでいる。

「赤と緑の色は五色の垂れをつけた鈴から派生したのでは」と、巫女さんが話す。

ちなみに下着は前襦袢で、その上から白衣を身につける。

下半身に着用する袴は緋袴(ひばかま)で、白足袋を履く。

参考であるが、若槻の巫女さんの上着は「若松鶴柄」であるが、小泉の巫女さんの上着は「鶴」が舞う姿を描いた「千早(ちはや)」の舞衣である。

また、法貴寺の女児巫女が着用していたのは「菊柄」であった。

三郷町の巫女さんの舞衣は、独特の文様であったことにあらためて認識させていただいた。

この場を借りて感謝申し上げる次第である。

さて、観音祭の主となる営みは西国三十三番のご詠歌である。

五紋の上着を脱いで着座する巫女さん。

本尊前に立てたローソクに火を灯す。

席に座って本尊に向かいご詠歌を謡う。

巫女さんが鉦を打って、導師を勤められる。



福貴畑のご詠歌は三十三番までではなく、一番から十番で、一挙に短縮されて三十三番で終える。

かつては福貴畑に住む祖父の妹さんが巫女さんを勤めていた。

引退されたことで、先代から引き継いだご詠歌だと話す。

福貴畑の巫女家は途絶えたが、勧請縄掛けの際にお世話になったSさんが云うには300年間も継承していた巫女家系で、年に30回も龍田大社の巫女神楽に出仕していたそうだ。

生前、身につけていた装束は今でも大切に保管していると話すSさん。

母親が勤めていた福貴畑の観音祭は西国ご詠歌ではなく、神楽舞だけであったようだ。

「それでは寂しいからとご詠歌を始めるようになった」と話していたことを思い出す。

(H25. 8.17 EOS40D撮影)

ぶっと切れたアナログテレビは地デジに切り替え

2013年12月16日 07時52分34秒 | つうしん
平成19年9月に知人のⅠさんから貰ったテレビ。

いまや懐かしい形のアナログテレビだ。

図体はでかく、しかもずしりと重い。

地デジチューナーを介して観ることができる。

平成23年5月には地デジアンテナを設置して観続けてきた。

壊れるまでは新しいテレビは買わない。

そう思って使い続けたテレビの画像が見えなくなってきた。

特に文字が読めない。

野球中継の放送で出てくるあれだ。

小さな文字で戦況を示す点数が見えないから阪神が勝っているのか、それとも・・・。

老眼がひどくなってきたのと思っているかーさんはいらだつ。

特に「5」と「6」が判り難い。

「6対5」なのか、「5対6」なのか。

それとも「6対6」なのかさっぱり判らない。

イニングが終われば戦況が映し出されるので待てば良いのだが・・。

そんな日が続いた熱い夏。

いや違った暑い夏。

ぶっと、突然にテレビ画面が真っ黒になった。

寿命が尽きたのである。

電気屋さんのチラシを持ってきたかーさん。

テレビを置いているボードの幅と高さを調べていた。

その大きさしか入らないボード置き。

サイズは32インチしか入らないのである。

大急ぎで出かけたジョーシン大和郡山店。

あれやこれやと選ぶ余地もない見本の台数。

サイズ、価格、室内利用などの実情を伝えて決めたテレビはSHARP製。

色は黒と白を選べるが無難な黒にした。

持って帰ってセットアップするのも面倒だと思って配送・設置を頼んだ。

(H25. 8.16 SB932SH撮影)

八島町墓念仏のチャンカラカン

2013年12月15日 09時36分39秒 | 奈良市へ
すべての檀家参りを終えた八島町のチャンカラカンの講員たち。

これより向かう共同墓地は八島町と隣村の藤原町。

それぞれ50軒、80軒からなる墓地である。

21時にもなった夜間帯だ。

真っ暗な街道であるが、眼下に輝く平坦町内の街灯りが美しい。

太鼓持ちが担ぐ大・小の太鼓。

道中を歩きながら太鼓を打つ。

なだらかな坂道を東へ向かって歩く講員たちはシキビを持参してきた。

藤原町に入ってすぐの処で立ち止まった。

太鼓を下ろして、その場で打つ太鼓念仏。

打つ向こう側に藤原観音堂がある。

そこを通り抜けていく旧道。

そこには白山比(しらやまひめ)神社が鎮座する。

仏事であるゆえ、講員たちは神社を避けて通らなければならないと話す。

そこからしばらくすれば共同墓地に着く。

時間は21時23分であった。

墓地に入る前に打ち込む太鼓念仏。

下っていけば六地蔵が並ぶが、かつてはその場であったようだ。

ツチンドオロシを下った辺りは真っ暗である。



六地蔵の前で太鼓念仏を申して1曲の鉦念仏は「シゼン」の半分。

その場では「バンド」も申された。



墓地内を移動して戦没者を祀る石塔群の前で弔う太鼓念仏。

鉦念仏を数曲して向きを替えた。

墓地で7回も繰り返す墓念仏の最後は「ハクマイ」だったような気がする。



終わった時間は22時40分。

講員たちは我が家の墓にシキビを供えて鉦をカン、カンと打つ。

こうして墓念仏を終えた講員たちは会所に集まる。



そこの場で太鼓念仏、鉦念仏を申して長い一日を終えた。

お布施開きをして慰労する場になった。

檀家参りから墓念仏の歩行距離は9千歩だった。

(H25. 8.14 EOS40D撮影)

池田のタイマツ

2013年12月14日 09時08分28秒 | 奈良市へ
八島町の檀家参りのチャンカラカンが一旦小休止された時間帯。

隣村の池田町を訪れた。

高さは人の倍以上もあるタイマツ。

ほぼ寸胴型に組みあげた。

タイマツを作る時間帯は八島町で取材中だった。

一度は拝見したいものである。

池田町では何年か前から熊野神社の年中行事や公民館で行われる尼講が営む西国ご詠歌や数珠繰りも取材したことがある。

年中行事には御田植祭に珍しいシトギを供える行事もあれば、ササゲゴハン・茗荷と南瓜豆の串差しを供える八朔祭、豪華な盛りの当家御膳がある当家祭もあった。

これらは平成20年から21年にかけて中断された。

随分と寂しくなったものだと最後に当家を勤めたNさんが嘆いていた。

そのNさんが亡くなられたことを知ったのは、4月末に苗代作りをされていた隣町の今市住民のMさんからだ。

最後にお会いしたのは平成23年11月16日のことだ。

この年より始まった県立民俗博物館の主催事業である「私がとらえた大和の民俗」写真展

熊野神社の当家祭の当家御膳を作っている作業風景を記録した一枚の写真。

記念に図録をさしあげて喜んでいた顔は今でも心の中に焼きついている。

池田のタイマツを拝見しながら、そのときのことを思い出した。

タイマツのてっぺんに火を移すのはナタネの殻(現在は小麦藁)だ。

長い竹の棒の先端に括りつけている。

煙が出だして炎が噴き出した。

まさにタイマツの姿である。

ときおりポン、ポンと竹がはぜる音がする。

夕日があたり金色に輝く池田のタイマツが燃え続ける。

燃え上がった火がボロボロと下に落ちる。

そのとたんに倒れた大きなタイマツ。



倒れる方向によってその年の収穫を占ったそうだ。

あれほど大きなタイマツ燃え尽きるのは早い。

その場は翌朝に各家で祀られた先祖さんを燃やす場になる。

Nさんも先祖さんとなって昇天したのだろうか。

(H25. 8.14 EOS40D撮影)

八島町檀家参りのチャンカラカン

2013年12月13日 09時04分31秒 | 奈良市へ
8月14日の午後はすべての檀家の家を回ってお念仏をする奈良市八島町のチャンカラカン。

かつては36戸であった檀家も26戸になった。

新仏の家にはアラタナがありハシゴを掛けている。

客ダナを設けた家も映っていた。

そして、かつて家があったとされる広場で「ヤシキ念仏」。

夕方近くには戦没者墓地で「地獄・地獄」で、御陵の池の傍の地では「シゼン」の鉦念仏。

陽が落ちた夜は太鼓念仏。

広場に移ってゴザを敷き「ヤシキ念仏」。

最後の家でお布施開きとなる14日のお勤め。

すべての檀家参りを終えれば、道中で太鼓のウチコミ(打ちこみ)をしながら共同墓地へと向かう。

7回繰り返す「墓念仏」に最後は「ハクマイ」で終える。

墓地では持参したシキビをお墓に供えて各自が鉦を叩いて戻る。

それは23時ごろ。

長い夜であった。

「兄貴に生まれたおかげで苦労しなあかんねん」と語って結ばれた県立民俗博物館で開催された映像にあった八島町の講員は現在、15、6軒で営まれている。

チャンカラカンを申す融通念仏宗派の檀家各家をお盆に巡る八島の講員。

「八島鉦講」の文字を染めた揃いの法被を着て町中を巡る。

暑い盛りの時間帯である。

八島町は下と上の地区に分けて毎年交互に巡っている。

この年は下の地区から始まった。

講員の都合もあって当初は11人で出発した。

時系列にその記録をしておこう。

1. 申し合わせた時間に出合った最初の家はM家。

八島町の特徴であるムエンサンは軒下に吊るしている。

太鼓念仏の「念仏行者」が始まった。

鉦念仏は「バンド」である。

「バンド」の鉦念仏は長丁場。

14時から始まって終わったのは14時25分ころだ。



当家のムエンサンは軒下に吊るしている。

八島町の特徴である吊るしである。

キョウリ・ナシ・リンゴを供えて花を添えていた。

湯呑にオガラの箸もあるのはムエンサンに食べてもらうためであろう。

2. 次の家は昨夜の新仏の念仏も申されたⅠ家。

「念仏行者」と「シゼン」で終わったのは14時45分。

3. 次の家もⅠ家と同様に新仏の念仏も申されたY家。

「念仏行者」と「ハクマイ」で終わったのは15時10分。



大小の胴長太鼓を担ぐ。

手には檀家でいただいたお下がりを持つ。

重さはおよそ20kgの太鼓。

檀家すべてを巡る講員にとっては大切な役目だが、重さが堪えると云う。

4. 次の家のY家からは太鼓念仏だけを申して「「念仏行者」の1曲。



ほぼ4分間の太鼓念仏で終わったのは15時16分。

5. M家は15時20分。



八島の集落を巡る鉦講。

一軒、一軒を訪ねて念仏を申す。

6. Ⅰ家は15時42分。

7. M家は15時50分。



村内にある下地区のお地蔵さんには名はないが、申す太鼓念仏は打ちこみであてウタヨミはしない。

15時52分に終えて次の家に向かった。

8. M家は15時58分に終えた。

9. 次の家ではお布施もないが、太鼓念仏は打ちこみをする。

16時丁度のころには都合を付けて合流した講員。12人になった。

付近の融通念仏家にあがって太鼓念仏を申す。

10. Y家は16時 7分。

11. Ⅰ家は16時12分。

12. M家は16時18分。

13. Ⅰ家は16時25分。

14. Ⅰ家は16時30分。

15. 国道に出たⅠ家は16時38分。

いつの間にか講員は13人になっていた。

16. Ⅰ家は16時44分。

当家においてもトーシで吊るされたムエンサンにお供えがあった。



ハスの葉を敷いてウリ・カキ。アンモチも見られたムエンサンにはササゲマメやオガラの箸も置いてある。

吊るしのムエンサンはすべての檀家が祭っているようではなかった。

貴重なムエンサンを拝見し、思わず手を合わせた。

17. Ⅰ家は16時49分を終えて国道沿いの歩道をゆく講員たち。

そろそろ西日が差しかかるころだ。

数体が建ち並ぶ地蔵石仏。

六字名号ではないが、明らかに地蔵さんでもない石仏群である。

おそらくどこからか寄せた石仏群には湯呑が置かれている。

そこから南にすぐ近くにある尼寺は円照寺。

バス停留所前辺りのわずか前である。

隣村の山村の境界地であろう。



そこでも太鼓念仏と打ちこみを行う。

16時55分のころだ。

西日があたって影が長くなる時間帯。



国道を戻って再び集落に入った。

18. N家で念仏行者を終えた時間は17時10分ころ。

下地区での檀家参りを終えて一旦は小休止。

しばらくの時間は自宅に戻って一時的に休息をとる。

数えてみれば同性のM家、Ⅰ家が多い。

M家は5軒で、Ⅰ家は6軒もあった。

18時半から再開した檀家参りのチャンカラカンはこれより上の地区を巡る。



19. 太鼓念仏のリズムが心地よい。

およそ4分間の「念仏行者」を申したあとは小休止。

続いて鉦念仏の「シゼン」を終えた時間は18時59分であったⅠ家。

20. 次は元々村の人ではないが、奥さんは当地生まれ。

旦那さんとともに八島町に移住した融通念仏宗の家はK家。

行者念仏を申されて、終った時間は19時10分。

21. 次の家もⅠ家で19時18分。

22. 次の家のⅠ家は講員の会長宅だ。

行者念仏を申してもう1曲。

太鼓念仏の打ち込みをされた。



太鼓念仏の太鼓は大と小がある。

小太鼓はカンコと呼ぶ。

充てる漢字は間鼓だ。

間をとるバチは竹製。

しなりがあるバチで打ち続ける。

小休止を挟んで太鼓念仏を申す。

かつては当家の前にある広場であった。

その場にゴザを敷いて元々あった講家を弔うヤシキ念仏である。



Ⅰ家の座敷で行うようになったが、弔う屋敷跡に太鼓を置き直して念仏を申す。

ここではもう1曲が行われた。

南の山のほうにある地蔵さん(向山地蔵)に向かって、である。

かつてはそこへも出かけて念仏を申していたが、蚊が多い、暑いとかで場を替えたそうだ。

終えた時間は19時55分。

23. 次の家もⅠ家で20時 1分。

ムエンサンは玄関をあがった処に置いてあった。



ついさっきまでは吊るしていたというムエンサンには巻きずし、稲荷寿司などもお供えした豪華な盛りである。



念仏のお礼にお布施を手渡す。

24. 次の家もⅠ家で20時11分。

25. そして次の家もⅠ家で20時21分。



両家とも孫男児が団扇で煽いでくれる。

26. この年の檀家参りの最後は昨夜も勤めた新仏の家。

M家である。



逆縁であるゆえ太鼓念仏は「地獄・地獄」である。

小休止を挟んで弔った鉦念仏の「ハクマイ」で締めくくられた檀家参りを終えて共同墓地に向かった講員たちの姿を見送った時間は20時58分だった。

(H25. 8.14 EOS40D撮影)

夏はセブンイレブンの石臼挽き蕎麦粉のざる蕎麦

2013年12月12日 07時28分16秒 | あれこれテイクアウト
萱森から下ってきた平坦。

暑い照りがキツい。

焼けつくような暑さであるが、食欲はある。

食事処でゆっくりと食べている時間はない。

南へ行けばプライスカット天理店がある。

北に向かえばオークワ古市店がある。

どっちつかずの距離である。

少なくとも八島町に近い方が望ましいと思って幹線道路を北に向けて走る。

そうこうしているうちに時間が迫ってきた。

仕方なく入ったコンビニはセブンイレブン。

空腹を満たす冷たい弁当を探してみた。

昨今では冷たいカレーライスが流行っているらしい。

そのような品物はコンビニに置いていない・・と思う。

目に入ったのはザルソバだ。

これなら短時間で食事をすることができる。

ラベルの表記は「石臼挽き蕎麦粉のざる蕎麦」だ。

価格は305円。

中途半端な値段である。

出汁も付いているザルソバである。

付いていたワサビを絞り出して汁椀に入れる。

味はともかくネギはたっぷりある。

早速、箸で持ちあげた蕎麦。

どっさりとくっついてくる。

これが難儀なんである。

蕎麦を箸でほぐすように上げてみる。

プルプルと振ってみる。

くっついてくるものだから、口で銜えて引っぱってみる。

なんとか少量になった蕎麦をだし汁に浸ける。

ほうばるように口に入れた。

まぁまぁか。

あっという間の数分間で完食した。

だし汁が美味しかったので、全部飲んじゃった。

底からでてきた袋もの。

暑い夏向けに冷凍剤を入れてくれたんだ、と思ったら、そうではなかった。

くっついたザルソバを解きほぐす「水」であったのだ。

(H25. 8.14 SB932SH)