マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

十津川の川霧

2020年03月11日 08時57分48秒 | 十津川村へ
8月23日・24日に襲った台風20号のときは避難勧告。

台風21号が神戸に上陸した9月4日は避難指示。

避難泊は一日だったという十津川村風屋の住民。

テレビが報じる避難住民映像に映っていなかった。

村長自ら中継スタッフに答えるコメントは“人的被害はありません”だった。

安心はしたものの、気になる人的要素。

電話をかけたら元気な声がかえってきた。

平成23年8月25日に発生した台風12号の影響で8月30日から降り出した雨は9月5日までの総雨量は紀伊半島を中心の広範囲にもたらし、9月3日に・・・・。

台風、大雨になる度に、当時の映像がフラッシュバックさせるように放映される。

テレビは台風報道の度に大崩落が発生した平成16年の映像も映し出す。

それを見た視聴者があたかも、今もまた崩落が発生したと思い込む。

その度に宿泊予約がキャンセルされ、観光客がどんと減少する。

嘆く宿主を元気に・・・と思って予定通りの日程に宿泊する十津川村の風屋。

もうかれこれ40年以上にもなる毎年の宿泊地は民宿津川。

今夜は1年ぶりになる大宴会。

旧知の友とともに宿主も加わって飲む、喰う、語るは大いに盛り上がるだろう。

写真は日帰り温泉利用させていただく昴の湯行き途中にあった川霧。

写真など興味のない元会社の同僚たちとともに霧が浮かぶ大河を見ていた。

(H30. 9. 8 EOS40D撮影)

2018十津川遊びp1

2020年03月10日 11時40分38秒 | もっと遠くへ(十津川遊び編)
20時~21時少し前である。

台風20号到来に、十津川村や野迫川村は全村住民に避難勧告が発令された平成30年の8月23日。

雨量は200ミリ越えに風強し、である。

毎年、お世話になっている民宿のねーちゃんらとっくに避難していることだろう。

また、五條市の一部も避難勧告。

その一部とは旧大塔村である。

私が住まいする奈良県の平たん部。

大和郡山市内では風も雨も少ない。

翌日の24日であっても、避難勧告は発令されたままだ。

たまたま録画していた奈良テレビ放送の番組に滝川・風屋の16世帯31人に勧告テロップを表示していた。

滝川に住む知人のKさんが公開していた25日朝の滝川の濁流映像にこりゃいかん、である。

民宿津川さんに本日、25日の朝9時に緊急電話を入れたら、ねーちゃんが・・・・。

「大阪におったから状態知らんかったんょ」の返答に、あれまっ・・。

大阪から、滝川にやって来てわかった状況。

庭にある樹木1本が倒木していた程度の被害だという。

鮎が棲んでいる滝川は濁流。

どろどろ色に水かさが増していたが、溢れるところまで至ってない、とわかって、ほっ。

平成26年に起きた台風11号のときは、もう逃げないと危ないと思ったほどの濁流だった。

平成23年のときは、台風12号の影響で未曾有の有事。

そのときよりはまだマシだったようであるが、大雨の報道ニュースが伝えられる度に、いつも気になる十津川村。

みなさんが来られるときは、水も引いて綺麗になっていると思うよ、ということだが、川の表情はまた変化していることだろう。

参加するみなに通信文を送った。

「9月4日の現時刻は午後9時50分。雷の鳴る嵐のような雨状況。風屋・滝川の現避難状況もありますが、私の心の中に浮かぶ思いは陣中見舞い、です」。

翌日5日の通信文は2通。

経過状況に応じてみなに発信する。

「現時刻は午後3時。昨夜の奈良テレビニュースに中継で答えていた十津川村村長の談話では“人的被害はありません”でした。国土交通省が伝える“9月5日午後2時現在の台風21号による被害状況(8報)”におきましては、十津川に向けて通る国道の規制はなさそうです。一部に雨量規制がありますが、時間とともに落ち着くと判断します」

「滝川・風屋の18世帯避難指示は5日の9時に解除されました。つい先ほど民宿津川さんに電話をかけたところ、昨日は避難勧告の時点で避難していたからなーんもなかった、と言います。前回の台風20号のときの予約客はキャンセルばかりだったそうですが、今回は特に動きもなく・・。とにかく元気な声で安心してや、と。そういうことで、参加者は8人になりますが、お世話よろしくお願いしますと伝えました。天気予報ですが、曇りときどき雨の予報。万が一、雨が厳しくなるような場合は、“民宿津川さんの軒先でしいや(※ずいぶん前に体験したことのある対応です)、ということです」。

「今は午後5時現在。強風はやや収まりつつありますが、屋外に出られるような状況ではありません。周辺を含めて確認したくとも、身の安全確保が第一であります。テレビが伝える台風状況はほんの一部。被害は少しずつ判明しつつありますが、油断は禁物です。それにしても強風下の行為は危険行為。眼鏡がぶっとんだだけで、よくまぁ済んだもんだと思います。十津川の風屋・滝川・花園地区は朝9時半から避難指示が発令されたまま。8月23日、24日に襲った台風20号のときは避難勧告でしたが、今回の台風21号の場合は“指示”です。危険レベルが1ランク上がっています。報道でさえ、大阪全域どころか奈良も、被害状況はどこもつかめていない現状に「被害はどんなものものでしょうか」の問いに答えることは不可能です。被害の現況もつかめていない現段階で、十津川行きの中止か否か、決行とするのか。判断がくだせるものではありません。まずは、テレビ報道やネットなどで地区市町村情報などの動きご自身で収集され、状況をみなに伝えていただければ幸いです。被害の状況が大方わかった段階で判断しますが、過去の十津川遊びでは多少の雨降りでもアウトドアしたことがあります。最悪、民宿津川さんのお世話になるかと思いますが、本日は4日。出発前日の7日金曜日までは3日間もあります。雨の天気予報が崩れるよう、手を合わして天命を待つ・・・」と発信した。

台風21号は過ぎ去った。

十津川行きはGO!に決まった。

出発日は、9月8日。

集合地に時間をきめなくちゃならんが、参加者が9人となれば車の台数手配に調整ごとが要る。

参加者は、Uさん、Fさん、Aさん、Mさん、Sさん、W夫妻、私に初参加のKさん。

車の所有に近隣住まいなどを考慮して配車を調整する。

単独で来るのはW夫妻とSさん。

初参加のKさんはMさんの車に乗って・・・と想定したが、違った。

事情があって電車で出かける、という。

電車で、民宿津川までは行けない。

新宮行の奈良交通バスの運行はあるが、行きも帰りもバスの運行時間に左右される。

JR五條駅から少し歩いたところにある和歌山・新宮行きの奈良交通バスに乗り換え。

運行ダイヤは特急バス。

民宿津川さんに尤も近いバス停留所は風屋。

55停留所目にあたり、片道時間は2時間20分ほど。

便は1本。

朝8時出発の五條バスセンターに乗り継ぐ電車は・・。

Kさん、Mさんが出発する最寄り駅は京阪電車の石清水八幡宮駅。

朝5時4分に乗れば、JR五条駅に着く時間は朝7時42分。

駅からテクテク歩いて十分間に合う五條バスセンター。

風屋停留所に着く時間は午前10時半ころ。

片道だけにかかる時間は5時間半。

遠いのぉ。

じゃぁ、2人を、どこか中継地で待って同乗してやらんと・・・ぽつり。

車、足らんから、Sさん、申しわけないが、まだ近いJR五条駅で乗せたってくれんかいのぉ、と伝えたら体調が不調なため一人車で出かけたい、という返事。

万が一、不調が不良に転じて不参加となっても、他8人は、なんとかしよう、と思ったところに、ならば、と買って出たAさん。

愛車を出す、と言ってくれた。

それぇ、はやくいってょ~♪。

と、なればA号は、生駒から直接、近鉄大和高田駅前の国道筋でUさんとFさんを迎えたかったが、生憎の工事中。

逆に東側になるタクシー乗り場もあるロータリーを待ち合わせ地点に。

私はKさん、Mさんを迎える場を近鉄郡山駅で迎えることにして、京阪樟葉駅の出発時間と、待ち合わせ時間を設定した。

ちなみにこのころまだ工事中だった建物は何でしょうか。

2カ月後の11月21日、奈良のニュースが伝えていたショッピンモールがプレオープン。

店舗名はtonarieこと大和高田「トナリエ大和高田」だ。

グランドオープンは11月23日。

集合地点の地に建つ商業施設にどんなものを売っているのか、翌年の実施日までに売り場を覗いてみたいと思うが、駐車場の位置によって無理があるかもしれんな。



そして、出発前日の7日は、遊び道具の準備。

我が家の2階、ちょっとした押し入れ蔵に収納しているあれこれを愛車の軽箱バンに詰め込んで積載する。

民宿津川さんにお渡しする手土産も整えた。

物品の詰め込み移動に腰がパンパンになっちまう。

積み込んでみなに伝えた道路状況。

「平成21年に発生した大規模土砂崩れによって犠牲者をだした辻堂。工事中だった国道168号線・辻堂バイパスは大幅に遅れていましたが、今年の平成30年3月18日に全面開通しましたので多少、例年より早く着くのでは・・・。3月21日の奈良テレビ放送の県政フラッシュで開通式を催したニュースを放映していました。時間短縮は大幅改善したとのこと。救急病院搬送時間の短縮や観光客の増に繋がることでしょう」と、伝えた。

朝の8時半、Mさんと久しぶりにご対面するKさんを近鉄郡山駅で迎えた9月8日。

1年ぶりにみなと会う十津川ツアーも今回で34回目。

こんなに長いこと続くとは想定すらしない二十歳代のころ。

顔ぶれは若干替わったものの、素晴らしい連中に巡り合えたことに幸せを感じる。

昨年の平成29年は4人。

一昨年の28年は13人。

大台のりに復活しそうな9人の参加者。

毎年、毎年を同じことをしているが、なぜか飽きない。



午前9時20分、近鉄大和高田駅前に集合した6人が再出発する。



高田駅に合流したUさんとFさんは軽自動車のA号に乗車して一路、御所市から五條市に向かう。



途中にあるガソリンスタンド゙で燃料補給。



再出発時間は9時40分だった。

あまり早くに着いても店舗は開いていない。

大型スーパーのイオン五條店到着した時間は10時20分。

さあ、買い出しだ。

これまで一切合切の食材は、出発日まで私がすべてを調えていたが、今はみなと一緒に品定め。

ノープランの品定めであるが、料理長のFさんが考案する調理メニューに沿って買い出しの品々を決定する。



148円の名城3食焼きそば。



138円のミンミン餃子。



1059円の豚肉よりどり3パック。



1パックはアメリカ産肩ロースのトンテキで、2パックが細切れ豚肉だ。



363円の国産若鶏もも肉。



213円の日本ハムの豊潤あらびきポーク。



1玉98円のキャベツ。



170円のたまねぎ。



25円のもやし。



値引き後が70円の刻みネギ。



213円の10個入りイセのてるたま。

これらを2日間に分けて使う食材。

同じ料理にならないよう下味、焼き方、香辛料などを振り分け。

焼きそばまで2日分もある。

味付けは換えるというFさんの指示にすべて従う食材購入。



初日ぐらいはこんなのも食べようと、全員が一致した283円のカツオのたたき。

十津川では、今まで味わったことのないタタキのカツオ。

嬉しいょねぇ。

買い出し予算は、徴収する会費のことを考えて、あらかた決めている。

今回の買い出し予算額は6000円。

実支払いが5250円。

なかなかできた買い出しである。

飲料水は別途購入して再出発。



予定よりも25分遅れの午前11時15分に再出発した。

次の行先は「吉野路大塔」の道の駅。



ここでしばらく休憩をとってトイレも済ませる。

予定時間よりもさらに遅く着く午前11時45分。

目的地はまだまだ先の民宿津川。

風屋ダムのある風屋停留所から下っていく。

40年も前はバス旅。

停留所からテクテク歩いて民宿津川に。

翌年からはバス旅をやめ、車旅。

道路事情がよくなった毎年が早く着く。

民宿津川に着いた時間は、なぜか予定時間よりも10分遅れ。

カーブ、カーブであった道路は真っすぐな道。

トンネルも開通してむちゃ早く着いた正午の12時半。



車を停めていち早く持参する民宿津川さんへの手土産は、台風避難の陣中見舞いでもある。

これまた例年とおりに翌日分の食材預かり。

民宿設備の冷蔵庫に預かってもらう。

出がけにいただく温泉優待券。

これも助かるサービス券。

ホテル昴の湯なら、入湯料が800円のところ、優待券利用すれば500円。

ありがたい湯体験、じゃなかった優待券である。

しかも、今年は民宿津川の貸バスタオルに手ぬぐいも。

かつては渓流釣りが目的だったが、今じゃ温泉ツアーである。

昼食の場は、トイレがある内原村の広場。

女性にとっても男性にとっても助かる無料トイレ。

おまけに山、川から流れてくるサラサラの水も・・。

設営場は、キャンプ禁止エリア避けて利用させてもらう。

年に一度の利用。

ありがとうございます。



組み立て式アウトドア用の椅子付きテーブルをセッテイング。

夢のお告げはまさに正夢

天から降ってきた椅子付きテーブルは団地に捨てられ再利用者を待っていた。

そこにやってきた私がありがたく再利用している。



さて、調理はカセットコンロとフライパンですべてを賄う。



まずは、粗挽きウインナー。

油無用の粗挽きウインナー焼き。

焼く前にしておく包丁入れ。

切れ目があるのとないのと、どれほど味が違うのか。



プリプリ感はやや消えするが、味に締まりがあるようだ。

平行して処理する玉ねぎの皮むき。

ちゃちゃっとスライスして冷たい清流の水に浸したら甘味が増す。



何に使うのか・・。



カツオのたたきである。



柵に包丁を入れて厚めの一切れ。

大皿に盛ったカツオのたたきにスライス切りの玉ねぎをパラパラ。



そこに、Fさんがなぜか持参していたにんにくに生生姜をタレに混ぜ合わせ。



これをタラタラ落としたらできあがり。



その間も並行して焼いていたミンミン餃子もできあがり。

箸でむちゃ旨かったカツオのタタキをつまみながら次の料理。



そろそろ到着しようとするW夫妻に待ちきれなくて塩コショウを投じた。



焼いているうちに合流できるだろうと見込み発車のトンテキ焼き。



油が回ってジュワ。

肉汁も旨そうに見えるトンテキ。



丁度そのときに到着したW夫妻も交えて久しぶりに交わすよもやま話。

ゆっくり歓談したいところだが、一天にわかに掻き曇る黒い雲。

ポツっと降ってきた。

大急ぎで張る雨しのぎ。



W夫妻が長年に亘って活躍したアウトドア用のテント屋根はタープテント。

雨除けに日除けも使える便利リグッズ。

むちゃ降りの状況に雨しのぎ。

横降りも厳しいがなんのその。

食事の続きもあるが、久しぶりの会話が弾む。

私が持参した特別な肴はサシサバ。

前月に仕入れたサシサバは旧都祁村白石にあるショッピングセンター「たけよし」で買った「刺し鯖」。

盆明けの19日。

たまたま訪れた「たけよし」にあった残り物。

涙が出そうになるくらいに美味しいサシサバを見捨てるわけにはいかない。

そう思って買ったサシサバは、ちょびちょび食べていた。

これって、みんなに味わってもらったらどうだいと思って、ほんのわずかの少しだけ残して持参した。



ちょっとだけを箸で摘まんで口に入れる。

その味、しょっぱぁーーイ!。強烈なしょっぱさにみなはタジタジ。

それでも口にしてくれたサシサバ。

塩っけが強いから夏場に相応しい味。

皿にもったほんのちょびっとは空っぽ。



味替えに登場したデザートに最適なパイナップル。

これもまたFさん持参のパイナップル。

箸で摘まんでありがたく口にしたら、甘酢っぱっーい味が拡がった口が爽やかになる。

中締めのパイナップルの次もまた料理。

休む間もなく動く料理人のFさん。

今回初参加のKさんも見習ってするが、どうもやり方が違うようで、あれやこれやと外野の声に・・・。



細切れ豚肉はたまごで包んで食べるとん平焼き。

これもまたむちゃ旨い。

もやし炒めもあるし2箱目のミンミン餃子も食べてるちゅうに・・またもやフライパンが動く。



これより始める焼きそば作り。

キャベツに玉ねぎは塩コショウして豚肉炒め。



もう一つのフライパンではそば焼き。

一人でダブルプライパン焼きするFさん。

調理する喜びに食べてもらう喜び。

これ旨いなぁとみなが口をそろえるだけでまた歓ぶ。

今年も、ありがとうやで、と食い物に感謝する。



焼きあがったら添え付けの粉ソースをまんべんなく振って味を馴染ませる。

一方のフライパンで焼いていたキャベツ、玉ねぎ豚肉炒めも一緒に盛る。



にわか雨もやんでしまった時間帯。

午後3時ころからは、すっかり談話の会合。



たわいのない話に盛り上がる。

午後4時過ぎに片付け。

タープテントも組み立て式椅子付きテーブルも片付け。

明日もまた使用するフライパンもザルもカセットコンロも奇麗に洗って仕舞う。

撤収する直前に降ってきた土砂降り。

車の前方も見えないくらいの激しい降りに立ち往生。



小雨になるまでしばらくの間は小休止。

内原の広場を離れた時間は、午後4時半。

目指すは十津川温泉郷・ホテル昴の湯

途中で見た美しい景色。



激しい雨のあとに癒しの景観

みなに悪いが、ちょっとの時間をください。



つかの間の小休止の関係で到着した時間は午後5時15分。

ゆったりくつろぐ温泉の旅。

十津川の源泉流し湯に浸かって身体も心もすっかり癒してくれた。

拭い去るのももったいけど民宿津川さんが貸してくれはったバスタオル。



心のこもった暖かいタオルに包まれる。

さて、身体のことが心配されるSさん。

連絡をとれないだけに心配の度合いが増幅する。

あとでわかったことだが、温泉に浸かっていた午後5時半ころには民宿津川さんで寛いでいたらしい。

さぁ、のんびりしたところでそろそろ温泉から離れるか。

出発しようとしたそのときに降る雨に駐車場までの距離は遠い。

ありがたいことにホテル昴の湯を一時借用で難をしのいだ。

もちろん場を離れるときには借用笠は返却済み。

駐車場から発した時間は午後6時10分。

雨の運転は安全運転走行。

40分後の6時50分に着いた。

これより始まる夜の宴。

午後7時から数時間。



いつものシシ鍋をメインにいただく民宿津川の美味しい料理。



鍋以外のあれこれがいっぱい。

カボチャ、オクラ、シイタケ、コンニャク、ニンジンに鶏肉が入った煮びたし。

ハムのキャベツのサラダ。

ゴーヤの鰹和え。

出汁に浸した生姜味のミョウガ。

もずくに漬けもの。



さらに鮎の塩焼きから大葉、ミョウガ、ゴボウ、サツマイモなどの野菜の天ぷらもある。



ねーちゃん姉妹が心を込めて作ってくれた今夜の御馳走にアルコール本数が増える、増える。

晩9時半に沈没したFさん。

食事の場にばったり。

手を広げた格好で仰向け。



料理長さん、今日もありがとう。

明日もまたよろしくね。



〆に配膳されたデザートはお手製のチーズケーキは食べたんだろうか。

その後も延々と続く笑いが拡がる一室。

片付け終えたねーちゃんも宴に参加。

またまた増えるアルコール。

翌朝にみた請求伝票。

瓶ビールは11本。

缶チューハイが10本に1本まるまる開けた銘柄田苑の焼酎。

飲んで、喋って、飲んで、喋った宴のお開きは夜11時。

割り当ての部屋に間違いもせずに戻っていく。

ちなみにいびき組は別途隔離部屋。

なんと、今回は4人も。

Aさん、Sさん、Mさんに初参加のKさん。

すやすや眠れましたか。

(H30. 8.30 SB932SH撮影)
(H30. 9. 7 SB932SH撮影)
(H30. 9. 8 SB932SH撮影)

日本ハムのアジア食彩館赤クッパで食べる旨みうどん

2020年03月09日 09時58分58秒 | あれこれインスタント
夏よりもこれからの季節の方が美味しくなるクッパ。

一度食べたら病みつきになる。

日本ハムから販売されている中華・アジア惣菜シリーズの一品。

クッパには白クッパも販売されているが、味の好み、刺激の良さからいって勝負あった。

夜食の一品に食べたときに発想した麺入れ込み。

そのままでも満足の域に達している赤クッパである。

商品パッケージに推奨する食べ方は雑炊である。

最近は身体の調子、というよりも少し食べただけでもお腹がパンパンになる。

あるところまで食べたら箸も進まなくなる。

美味さを引き立てる雑炊も食べてみたいが、量はそんなにいただけない。

お茶碗一杯であっても、食べきれない状態に陥っていた。

だから、食事の量は少ない目にして、といつもそう願うのであるが・・。

それはともかくご飯で作る雑炊よりも食べきれると信じている材は麺である。

本来の希望はコシのあるちぢれ麵。

その麺でないとあかんし、メーカーは菊水と決めている。他社製品も販売しているようだが、コシがまったく違う。

赤クッパを買ったスーパーは近くにある山陽マルナカ富雄南店。

ついでに菊水のちぢれ麵を買おうとしたが、なぜか4玉。

一度に食べきれないから残りは冷蔵庫保存となるが生鮮度は落ちる。

悩ましいことであるが諦めた。

他社の製品もざっとみてみたが、値段、コシ、原材料などから吟味して買い、はない。

で、あればどうするか。

食べる麺はこれしかないと選んだ商品は業務スーパーで買っておいた冷凍の細いうどんである。

普通麺もあるのだが、最近は細麺ばかりを買ってくる。

意外とコシがあるので定番にしているうどん麺である。

日本ハムの赤クッパはそもそもレンジでチーンしてすぐにでも食べられるインスタント的商品である。

手間もかからない商品は主婦に優しい。

麺したての場合はチーンでは無理。

袋から落とした赤クッパを小鍋に入れて炊きこむ。

冷凍麺を入れるタイミングはお好み次第。

食べたい本人が食べどきはこれだと思うときに入れりゃいいが、麺は煮込むところまではいかない。



温めた細うどん入り赤クッパを丼に盛る。

その時点でも美味いのだが、別添のコチジャンとごま油で旨みをいただく。

袋の切れ目を割いて取り出すのだが、切れ目が中途半端な具合だから、コチジャンが絞り切れない。

たいがいのものは箸で強く挟んでおればラクラクと絞れるのだが・・。

ちなみにちょっと箸に付いたコチジャンを舐めってみる。

刺激のあるコチジャンだとよくわかる。

ごま油も絞り出したが、意外や意外。

ごま油の風味が弱いのだ。

これらを混ぜずに一口食べてみる。

コチジャンの刺激がまったくないから、なんだかたよんない味である。

違いがわかったから混ぜてみる。

コチジャンが集中しないように混ぜて食べたら、絶品味。



実は、煮込みの際に生卵を落として雑炊のようにしていた。

旨み、甘み、コク、刺激、どれをとっても美味すぎる。

つるつる麺の細うどんは喉越しよろしく、である。

人によっては、物足りなさを感じる人もいるだろうが、これはこれでまた美味い。

赤クッパの旨味がガツーンとくる細うどん。

スープもごくごく飲み干して完食したが、次回はやはりちぢれ麵で、と思った。

(H30. 9.22 SB932SH撮影)
(H30. 9.23 SB932SH撮影)

魔物の正体は・・・

2020年03月08日 09時14分55秒 | つうしん
前日の22日。

午後6時45分だった。

パソコンを利用しているとき、またもやネットが突然に遮断された。

数前の18日、19日、22日の発生は連続的。

ほとぼりは冷めたと思った19日。

2日経って、またもやの再発が22日。

相も変わらずのインターネットアクセスランプの点滅は、利用できない状態を表す。

前年の平成29年12月15日に買ったバッファロー社製の無線LAN。型式はWHR-1166DHP4である。

これまで幾度か発生したチカチカ点滅になれば電源を切って、再アップするだけで事象は解決してきた。

それでもままならないときはリセッチで対応する。

それで解消した場合もあったが、今回はちと様相が違うようだ。

何度も、何度もトライしてもいっこうに回復の兆候は見られない。

そのまま放置した午後7時半から9時までは晩食で気を紛らわす。

食事を終えてトライしてもまったく回復しない。

こうなりゃ無線LANを諦めて、ルータとパソコンを直結するLANケーブル対応に切り替えた。

数日前もそうしたが接続はできなかった。

このときの理由はわかっている。

接続した端子が違っていたからだ。

22時、今回はちゃんとした接続にしたのだが、ルータそのものが不自然な動きをしていた。

一旦は繋がったネットが繋がったり、切れたりする。

時間帯は午後22時半。

ルータのランプを見ていると不思議な動きが・・。

ルータはSENDとかAC/ACが点滅する。

そのうち電源が落ちてしまう。

勝手に落ちたルータ電源。

ところが何もアクションしないのに電源が自動的にオンされた。

えっ、どういうこと。

落ちては、あがる、落ちてはあがるの繰り返し。

ずっとその状態を繰り返していたが、22時50分には安定したような感じになった。

不安定の中でも短時間であればFBにコメントもできる。

できるにはできたが、すぐ落ちるからコメントを返すこともできなくなる。

安定しているようにみえても、また突然に落ちることもあるから、今夜のネット世界は電源オフ。

ぐったり疲れて就寝した。

一晩、ぐっすり寝て起床がてらに無線LANをオンしたが、チカチカ点滅状態は出ずっぱり。

解消されないのでLANケーブル直結で朝のネット世界をとりあえず終えた。

朝9時になれば無線LANメーカーのバッファロー社に・・と思ったが、サポートセンターに電話をしても時間がかかるだけ、ネットをあれやこれやと一つずつ障害を潰しながら問題のある個所を見つける追及がある。

これまで何度も電話をかけて対応したが、今回の事象は明白。

チカチカ点滅のインターネットアクセスランプは異常のまま。

リセットしても修復できない場合は、ハード、それもチップの問題と判断して、購入したジョーシン富雄南店に出向くことにした。

開店時間は午前10時。

慌てる必要もないのでしばらくしてから機器、購入した当時の箱に保証書、レジシートを袋に詰め込んでお店に出かけた。

売り場におられた店員さんお声をかけた。

これこれかくかくしかじか・・・無線LANの事象を伝えたら、ちょっとお待ちくださいと特別室・・でもないレジ横のサービスカウンターで待ち。

しばらくしたら店員さんは売り場にあったWHR-1166DHP4を抱えて戻ってきた。

こりゃ交換対応だなと、と思った。

その通りの対応で、メーカーにメンテナンス依頼をかけても長時間待たされるだけで、ネットも使えなくなるから、1年間有効の当社保証書があるので、その対応として交換させてもらいますと告げられた。

発生事象を再現しなくてもよろしいのでしょうか、と尋ねたら、機器の異常と判断したので、その必要はありません・・であった。

店員さんの素早い判断、対応に感謝する。

交換手続きは簡単。

伝票にサインをするだけだが、保証期間は購入日から数えて・・。

つまりは今年の12年14日で期限切れになる。

障害が発生するなら、それまでに発生してくれと祈りたいが、こればかりは保証できない。

11時、持ち帰って早速する接続のし替え。

まずは、無線LANのSSID(a)、SSID(g)の値や暗号化キーをマードやエクセルにメモる。

接続レシピ、じゃなかった、解説シートに書いてあった初めの作業は・・。

ルータは30分間も電源オフにしてくださいと、ある。

そうか、何かしかのゴミはオフして消滅、ということなのだろう。

10分くらいでえーもんだろうと思っていたが、長時間も開放しないとあかんのだわ。

30分後にルータの電源オン。

背面設定をAUTO状態にした無線LANも結線。

そして、電源オンしたら正常に点灯した。

交換してくれた無線LANにほっとする。

正常にオンされたら、パソコンは自動受信。

いずれかの無線を感知するので、長時間トップに表示されたBaffal0-~・・・・・・をクリックする。

そうすればセキュリティキーを求めるメッセージ枠が出力される。

応えるキーはメモった暗号化キー。

入力したら弾かれる。

いずれかの文字をご入力したのであろうと思ってやり直し。

3回目になって気がついた。

シフトキーを押していたので大文字にセッテイングされたとわかってやり直し。

小文字で入力した暗号化キーでがっちり懐に入った4回目で完了した。

パソコンはOK。問題なくネットは出力される、次はタブレット端末。

暗号化キーを間違えずに入力できたから2台とも成功した。

最後はプリンタの無線LAN接続である。

プリンタのパネルを操作して設定画面。

無線LANに合わせたら、交換したWHR-1166DHP4の前面にあるAOSS赤ボタンを3秒間押して検知。

以上、12時ジャストに完了した。

(H30. 9.23 SB932SH撮影)

大黒食品の大盛り濃厚カレーラーメン

2020年03月07日 11時01分03秒 | あれこれインスタント
ラ・ムー京終店に立ち寄った際に1カップ買っておいた大黒食品の大盛り濃厚カレーラーメン

久しぶりにカレーラーメンを食べたくなって買った。

濃厚、大盛り、スパイシー、とろ~りなどの謳い文句もあるが、決め手は塩分含有量。

心臓を患っている私にとっては安心できる4.1g表示。

これなら大丈夫と思って買った。

沸かしたお湯を入れて5分間。

カップに入れた粉カレーソースめがけてお湯を注げば、あ~ん、旨そうな香りが・・鼻に吸い込まれていく。

待つこと5分は短い。

今朝に配達された新聞チラシを見ているだけで到達した。



お湯はヒタヒタまで注いでいたので、溶けず、浸みこんでいない粉スープがわかる。

箸を入れて掻き混ぜる。

特に気にすべき点は底にとごらないようにすることだ。

底にある麺を摘まんで、底を嘗め回しながら持ち上げる。

麺が絡まないようにするのだが・・・。

粉カレーが固まっているのは箸で突いて崩す。

崩せば溶けるのだ。



混ぜているうちにたまらず持ち上げた麺を口に・・・。

とろ~り感がたっぷりのりのカレーラーメンが美味し。

これ、箸が止まらねぇ。

ただ、気をつけなきゃならんのが、麺が跳ねてカレー汁が跳んでしまうことだ。

急がず、慌てず、箸でもちあげた濃厚カレー麺を食べていく。

こってりスープが美味い。

スパイシー感がたまんねぇ。

コーンに葱、キャベツ、赤ピーマンがときおり歯をかすめる。

粉カレーをたっぶり吸った得体のしれない肉味が刺激的。

大盛りのカレー麺は85g。

90gだったら腹満タン。

5g少ないだけで丁度いい。

中太麺というが、中麺であった。

(H30. 9.22 SB932SH撮影)

榛原萩原小鹿野・不動明王の大祭

2020年03月06日 09時44分36秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
巷では桜があちこちで咲き出したという今日この頃。

春の兆しどころか一挙にやってきた春の目覚め。この日はすごく温かくなった。

気温もおそらく20度くらいになったと思われるが、朝晩はまだまだ厳しい気温だ。

この日に不動明王の大祭行事を行う宇陀市榛原萩原小鹿野。

住民の何人かは雨戸が凍って扉が開けにくかったという。

朝の気温は5度であっても山間部であればもっと寒く感じる。

小鹿野・不動明王の大祭の元々の実施日は3月28日。

現在はより近い日曜日に行われている。

予め聞いていた不動の滝の場。

そこへ向かう村の公道であるが、前年に発生した10月の台風の影響は大きかった。

あちこちとは言い難いが、公道の陥没もあって4輪駆動の軽トラでさえ登れなくなった。

急な公道の勾配はどれくらいであるのか存じないが、歩いてみれば心臓が破裂しそうな急坂である。

尤も私にとっては心不全に対するリハビリ運動だと思っているが・・。この坂道はとてもきつい。

大祭をするにあたって役員さんらは忙しい。

赤い幟を何本も立てて、この日に行われる祭りの印しを明示する。

下の会所から1本ずつ立てていく。

その幟は道先案内。

山へ、山へと登っていく。

車は到底上がれない山道。

その恐ろしさは当月初めに体験した。

おっとろしかった体験は今でも思い出す危険な地。

乗って来た愛車は会所横に置かせてもらって歩き出す。

会所に来るまでに遭遇した村の婦人たち。

頭を下げて挨拶。婦人たちは歩きで不動の滝を目指して山に向かう。



集落から離れて田畑が広がる地。

後ろから足音が聞こえてきたと思っていたら、いつのまにか追い越された。



先に行っているよと伝えられて見送った男性の足は強靭。速さがすごい。

しばらくしたらまた一人に追いつかれた。

どうぞ、と云ったが、一緒に登りましょうと云ってくれる。

その男性は桜井市内から越してきた人。

当初はきつかったが、慣れてきたのはそれから。

何度も何度も歩いているうちに身体が自然と応えるようになった、という。

山道の幅は2m少し。

軽トラの車幅基準は1.48m以下。

リッターカーというか普通自動車のコンパクトカー。

車種にもよるが、たいがい車が1.5m~1.6m程度。

車長の関係もあって急なカーブは無理がある。

狭くて勾配がきつい山道を走るには車体が軽い4輪駆動。

それでも無理な処はいくらでもある。



不動の滝まで歩いてみれば、ここは無理。

歩き以外の動力車は単車かキャタピラ駆動の運搬車が望ましい。

そう思った山道に婦人たちもすたこらさっさと登っていく。

小鹿野の人たちの脚の凄さを知ったこの日。

以前、聞いていた婦人の足。

不動の滝までは20分ぐらいと云っていたことが実感した。

私自身はどうであるのか。

安静状態時の心拍数は40拍前後。

普段の脈拍数である。

心不全に陥ってからはずっとこの調子の徐脈が普段の状態。

運動をすればあっという間に60拍どころか70拍にも上昇する。

そんな状態で太鼓判を押してくれた医師の診断は、無理をしない範囲で、ということだった。

会所を出ていきなりの急勾配。

その時点で脈拍は急上昇。

尤も足の動きは悪い。

しばらくすれば少しはマシになる勾配。

しかし、またもや急勾配。

それからはずっと急勾配。

山に入っても急勾配がずっと続く。

心臓がバクバクする。

休憩をとりたいが、そういうわけにもいかない。

大祭の時間が迫ってくる。

道が崩れたところの状態も見ておきたい。

なんどか停止して山道の状態を撮っていた。

そのときが心臓を少し休めるとき。

そのうち後方からバイク音が聞こえてきた。

1台、2台と追い越していく。どうぞ、と云って先に行っていただく。

そのうち少し広い地に着いた。

先ほど追い越したバイクの男性は持ってきた折りたたみ杖を伸ばして山に入った。

そこから数百メートル。

不動の滝はもうすぐだ、と案内してくれる水の神不動明王「小鹿野(おがの)のお不動さん」。



「不動滝の横に建つお堂には、不動明王を祀られており、もとは修験者の修行の場でした。滝よりそそぐ、清水は大地に潤いを与え、そして健康や災害除けなど、いろいろな願いを叶えてくださる、といわれています。歩むにつれて、滝の音がどんどん近づき、お堂と滝を前委にすると清い空気に心が洗われます。小鹿野では、今なお信仰が深く「お不動さん」として親しまれており、毎年の3月28日(※現在はより近い日曜日に)は大祭行事が行われ、地域の歴史伝承と世代交流をはかっています(※若干補正)」

話し声が聞こえてきた。

その場はとんどの煙も上っていた。

ようやく辿り着いた不動の滝。

出発地の会所から歩いた所要時間は25分だった。



お堂下では先に来ていた人たちがとんどの火で暖をとっていた。

参道にお堂、境内の清掃を済ませて落ち着いた時間帯である。

お堂の左に見える滝が不動の滝。

シキビを供えて線香を灯した八大龍王の碑があるこの場は修行の地。

囲いを仕掛けている場に扉がある。

この日は、解放されていたから清い流れがほとばしる滝を拝見するとともに健康祈願に災害除け。



崖崩れに遭遇しても、なおこうして参拝できました、と手を合わせた。

不動の滝の前に建つ石碑は「南無供養云々」とある。



“ざざんだ石“とも呼ぶ六字名号の碑に花を添えてローソク、線香に火を点ける。

山道を登ってきた参拝者のみなは線香をくゆらしていた。



ちなみに花立は「昭和二十八年十一月」に建てたようだ。

不動の滝にときおり青龍寺住職のKさんが拝みにきてくれる、という。



実は不動の滝の水の源流は、小鹿野のすぐ隣村になる榛原・萩原玉立(とうだち)。

平成30年1月3日に行われた村行事。

難除(なんじょ)とも呼ばれる初祈祷行事を取材したことがある青龍寺。

小鹿野も玉立も水の恩恵を受けている。

尤も、小鹿野の不動明王の大祭に住職の登場はない。

村の人たちだけで営まれる大祭である。

さて、大祭である。

不動明王堂は、それほど広くない。

この年の1月3日に拝見した会所こと地蔵堂で行われた初祈祷と同じ位置に座った。

導師の区長や拍子木を打つ役の人たちは祭壇下。

両脇に座ったのは女性陣。

後方に就いたDさん。



次期区長を務めるだけにそのあり方も見ておられたのだろう。

堂外には入り切れなかった人たちでいっぱいになった。



ローソクを灯して線香をくゆらす。

お神酒の口開けもして唱えるお念仏は般若心経。

通しの十巻を唱える。

その間に打ち鳴らす拍子木の音色。

杉や桧木立が植わる谷間に広がる。



立ち上がる煙は暖を取っていたとんど焼きだ。

台風の影響で大きな被害が出た山崩れ。

40年、いやもっと前になるな、という大災害。

8月1日にやってきた台風だった。

けっこうな風量。

きつい風に煽られたその日は出かけていたが、急遽、村に戻ることにしたが・・と話すO区長。



大和川も溢れて、各地区では冠水が酷かった年だった、という。

心経を唱えている不動明王堂は、小鹿野の所有。

村人の寄進だけでなく村外の人たちも多い。

遠くは和歌山県かつらぎ町・葛城妙宣寺の関係者もあれば、橿原市・新ノ口町日宝寺関係者、榛原・墨坂、大和高田市、大阪市に大阪府交野市までも。

寄進者の名を連ねる不動明王堂側面の板書に「瀧堂 不動明王本堂再建浄財御芳名」とあった。

また、道内に安置する不動明王石仏など一切が小鹿野の所有物である。

不動明王本堂は再建だった。

その印しは祭壇に置いてあった板書で判明した「維持 昭和四十年七月廿八日 不動堂落成砌(※みぎり) 青龍寺 小西日(※街)」。

現住職の先代名であろう。



もう一枚の板書に念仏らしき書がある。

日蓮法華宗青龍寺で祈祷された護符と同じ書体である。

祭壇に供えていた御供がある。



村の法会を終えてから拝見したおむすび型のおにぎり。

白胡麻をパラパラ振りかけたおにぎりは5個。

以前はもっと多くあったおにぎり。

法会を終えて配られていたおにぎりの個数は、手間のかかる負担を軽減。

区長家が作るおにぎりは、一昨年から5個にしたそうだ。

ちなみに小鹿野の行事に十夜がある。

11月22日ころに行われる十夜の場合は、アズキご飯がある。

会所にある大きな釜で当番の炊き番が炊いていたアズキご飯。

かつてはあずき粥であったが、作り方に手間がかかることから小豆の赤飯に切り替えた。

小豆粥のころは各家がもってくる漬物で食べていた。

また、逮夜のときも大釜で炊いた。

そのときのご飯は「よりつけめし」。

油揚げとかナマブシ(生節)などを混ぜて炊く、いわゆるイロゴハンもしていたそうだ。



大祭を終えた村の人たちとともに下る山道。

しばらくすると膝ががくがくしてきた。

腰に張りが見られなくなり痛みさえも・・。



随分昔のこと。

二十歳代は山登りもしていた。

ぼっちらぼっちら登っていくアルプスの山々。

途中で戻りたい気持ちは生まれなかったが、帰路はそれどころじゃなかった下り道の膝がくがく。

痛みで下りるのが苦痛。

といっても戻るわけにはいかない。

山に戻ってどうすんの、である。

とにかく下りの方がキツかったことを身体が覚えている。

そのときの体験を思い出したくらいの急勾配。

会所に戻ってもがくがくだった。

その腰の痛さは翌日になっても解消しなかった。

翌々日まで尾を引いたのはふくらはぎだったことも付け加えておこう。

(H30. 3.25 EOS40D撮影)

菊水の麺が自慢三段熟成ざるラーメン

2020年03月05日 08時25分11秒 | あれこれインスタント
今年の夏はざるラーメンにつけ麺で我が家の食卓が盛り上がった。

さまざまな商品が出回っていたことも初めての気づき。

こんなに美味いもん、なぜにもっと早く気がつかなかったのか・・・。

おかげで、というか、悲しいかな、冷麺を食べた回数は2回あったか、なかったくらいに減った。

これが最後になりそうだと思って手が伸びた商品は菊水の麺が自慢三段熟成ざるラーメン

売価278円を商品切れ近くなった、これに223円シールを貼っていた。

買ったスーパーはイオンモール大和郡山。

9月初めに買い出しに入店したイオン五條店で買物をした際にいただいた5%割引券利用に、である。

毎週火曜日にタマゴの安売りをしていいたイオンモール大和郡山。

もう何年になるか覚えてないが、とんとチラシに出ることがなくなった。

タマゴで釣る手法はやめた。そういうわけで、ほとんど入店することがなくなった。

尤もタマゴだけが理由でもなく、商品がいつも同じとわかって愉しみが薄れたということだ。

イオンでしか手に入れることのない商品が消えたが、商品棚は、何を置いているのか、一応のところは探してみる。

この日に見つけたのが、20%引きの菊水の麺が自慢三段熟成ざるラーメン。



他店舗のスーパーでは見たことのない商品。

なら買っておこうということで5日ほど前に買っておいた。

商品は9月23日が賞味期限。

切れる二日前に食卓にのぼった。

中太ちぢれ麵を茹でて冷たい水で締める。

別添の鶏がら醤油液体調味料スープを器に落とす。

麺にもみ海苔をパラパラ落とす。



箸で摘まんでスープに漬けてずるずる・・・。

あぁー美味いんだな。

スープはこれまで食べてきた他メーカーの商品よりもコクがある。

あっても基本的には醤油味。

それ以上の特徴はないが、菊水は麺にある。

コシの強い中太ちぢれ麵、がっつり感が美味さを引き立てる。

麺が定評の菊水

麺だけの商品を購入してすき焼きラーメンにしたらむちゃ美味い。

コシがあるし、麺は溶けないし、ちぢれ麵ですき焼き出汁が絡みやすい。

日本ハムの赤クッパに入れて炊いたら、そりゃもぅ、美味すぎ、になる。

ただ、ひとつ。

気になるのは菊水のHP・メニューに麺が自慢三段熟成ざるラーメンが見つからない。

まさかのイオン特注の商品なのか。

(H30. 9.16 SB932SH撮影)
(H30. 9.21 SB932SH撮影)

WINの更新後は魔物が潜んでいるのか

2020年03月04日 09時52分44秒 | つうしん
昨年の平成29年12月15日は新機種の切替日。

12年間も利用してきたバッファロー社製無線LANから新機種へ。

ネット遮断数が増加のいっぽうに痕尽きて対応する機種入替。

購入した製品はWHR-1166DHP4。

①サクサク動く製品は3日後早くも低速化。

電源オフ/オンしたら解消したが、翌年の②平成30年。1月21日にまたまたネットが遮断される。

正常であれば機器のすべてのランプが点灯状態。

ところが上から3段目にあるインターネットアクセスランプが点滅状態である。

このときの対応も電源オフ/オンしただけで解消した。

それから1カ月後の③2月19日も同事象の発生。

そのときの対応は電源オフ/オンだけでは復活しなかった。

ルータがおかしくなったと判断してこれもまた電源オフ/オン。

そして、WHR-1166DHP4も電源オフ/オン。

ところが直ちに回復できず。

仕方なくリセット対応もしたが、解消してくれない。

こうなりゃバッファロー社のサポートセンターにコールしかないと思って電話した。

あれやこれやの指示を受けて状況を判断した結果は、特に製品の問題ではないという。

問題はプロバイダ側にあると指摘されたのでKCNのサポートをあおいだ。

サポート担当者と電話でやり取りしているうちに解決した。

それから4日後の④2月23日も同事象になったが、電源オフ/オンだけの対応で解消した。

その後の数か月は何のトラブルもなく順調に作動していた。

初期的な問題だったと思っていたが、そうではなかった。

再発は⑤4月14日。

このときの対応も電源オフ/オンだけの対応で解消したが、それから2カ月後の⑥6月19日もまたまた再発事象があったが、電源オフ/オンだけの対応で解消した。

それから数カ月間は何事もなく心地よくインターネットを使っていた。

当然ながら家族も利用するタブレット端末もサクサク稼動である。

再々発は3カ月後の⑦9月18日の21時半だった。そのときも電源オフ/オンで済んだ。

これまで事象発生した経緯が見受けられる。

1日前、2日前にあったWINプログラムの更新である。

我が家の設定は自動更新にしている。

更新があったとわかるのはパソコンの電源を「シャットダウン」で切ったときである。

更新プログラムの個数はいくらで・・と出力されるメッセ-ジでわかるのだ。

更新の割合が80%、或いは90%台になってシャットダウンになって画面も切れる。

残りは、再び電源をあげたときに続きが動きだす。

特に問題なく立ち上がるのだが、その影響は数日後に・・。

無線LANの繋ぎが遮断、ということである。

18日の対応で済んだと思った。

ところが翌日の19日は難儀なことになった。

19日の朝9時半。

突然のごとく発生したネット遮断。

緑色のインターネットアクセスランプがチカチカ点滅しだした。

これもまた無線LAN機器の電源オフ/オンで対応できた。

再びやってきた同事象は夜間。

22時に突然の遮断。

対応する電源オフ/オンだけでは修復されない。

仕方なくルータも電源オフ/オンに無線LANも電源オフ/オン。

それでも解消されないインターネットアクセスランプがチカチカ点滅。

数分間待っていても一向に解消されない。

しかたなく無線LANをリセットする。

それでも解消されない。

再びルータも電源オフ/オンに無線LANも電源オフ/オンをしてみるが・・・何度トライしても解消されない。

時刻は23時。

ネット復活は諦めて布団にもぐる。

家人にも諦めてもらいしかない。

今夜に予定していたネットアップは諦めてば就寝した。

明日の朝はバッファロー社にKCNのサポートを煽ぐことになる。

午前中いっぱいはその対応になるだろうと思いつつ・・・寝た。

朝6時の目覚めの20日。

念のために電源対応、と考えて、ルータおよび無線LANの電源オフ/オンをしてみた。

えっ、である。

何事もなかったかのようにインターネットアクセスランプは点灯状態。

寝床近くに置いていたタブレット端末を電源オン。

これもまた何事もなかったようにネットが立ち上がる。

サポート担当者に連絡するどころか、手を煩わすことなく復活した。

前夜のストレスは一体何だったのか。

あれば魔物だったかもしれない

(H30. 9.20 記)

久しぶりの肉匠たけ田の油かすうどんはかわらぬ旨味

2020年03月03日 09時05分56秒 | カンタンオリジナル
昨年の11月ころからやみつきになった肉匠たけ田の油かすうどんがある。

肉匠たけ田の油かすうどんはどこにも売っていない我が家で食べる生うどんである。

冬場から夏場。

暑くなる日ともなれば意識は遠のく。

すっかり忘れていたが、寒さを感じるころになると、また思い出す、あの味。

とてもつもなく美味い肉匠たけ田の油かすうどんの季節がやってきた。

「肉匠たけ田」の油かすを売っているのはJAならけん「まほろばキッチン」しかない・・・と思う。

この日限りかどうか知らないが、100gが348円のところ298円で販売しているとPOPが・・・。

パッケージ表記は100gあたり245円で売っている。

どれがほんまもん・・レジで支払った価格は100g245円。

POP表示に疑問は残るが、販売する油かすは、1パックほぼ100g。

量は少ないように思えるが、我が家で食べる温かうどんなら4杯も愉しめる。

過去、何度も購入しているが、260円~290円ぐらいで購入できる。

家人はそんな油かすなんて食べたくないとうから独り占めである。

今月の9月1日。

吉野町の山口を訪れた帰り道に寄った「まほろばキッチン」。



この日も商品棚に並んでいたので買っておいた。

その油かすが無性に食べたくなったのは朝の寒さだ。

昼飯に食べたい。

一玉を残しておいた業務スーパーの冷凍うどんは細麺。

コシがあるからお気に入り。

出汁は、最近よくコマーシャルが流れるヒガシマル醬油のうどんスープ。

きつね たぬき てんぷら つきみ♪・・・」が流れてくれば自然にはもってしまう。

このコマーシャルソングはずいぶん前から聞いている耳に馴染みのある唄だ。

昨今の出汁といえば液体流行り。

ヒガシマル醬油のうどんスープは粉末だったが、熱湯そそげばすぐに美味しい出汁ができる。

初めて販売されたのは50年以上も前になる。

正確にいえば東京オリンピック開催年の昭和39年に発売された。

子どものころから慣れ親しんだ味をもう一度味わいたいと伝えた家人は一蹴、した。

仕方ないといえばそれまでの出汁は・・・いつもの白だし。

スーパートライアルで売っている白だしは何でも利用できるから重宝しているが、ヒガシマル醬油のうどんスープの濃さには負ける。

残念なことだが、この日も白だしでとった麺つゆで食べる油かすうどん。

葱だけはいつもと違った切り方にしてもらった。

食卓に運ばれたうどんにたっぷり落とす肉匠たけ田の油かす。



香りにあぁーたまんない。

熱いつゆに盛ったとたんに浸みこんでいく。

麺より先にいただくのは油かすが溶けたつゆである。

旨さが口なかに充満していく。

たまんない味にがぶがむ飲んでから、麺喰い。

堅い部分もあるが、つゆを含んだ油かすがジュワー。

噛んだら一層ジュワー。

麺もつゆも油かすも美味い。

細く切った葱も油かすが浸みこんで美味い。

至福の味に浸っていた。

この味、他でも試せないか、とふと思った。

くら寿司、かっぱ寿司、あきんどスシローなどのレーンがくるくる廻る回転寿司チェーン店である。

一杯がお安い大好きなかけうどんにぶっかけてみたくなった。

(H30. 9. 1 SB932SH撮影)
(H30. 9.19 SB932SH撮影)

マルちゃんのたらこ味ラー油仕立て俺の塩うまみ塩焼きそば

2020年03月02日 09時29分04秒 | あれこれインスタント
久しぶりの車中食。

それも持ち込みカップ麺のインスタント食品。

しかも、お湯も持ち込み。熱いお湯をいれた大きな魔法瓶も、である。

普段なら取材地の中継地点になる針テラスのお食事にするのだが、本日は時間的に余裕のない段取り。

旧都祁村小倉の観音講会式の造りもの御供を見届けて舵を切る。

いや、ハンドルをきる。

小倉からは1時間以内に着くであろう。

向かう先は京都府の南山城村の高尾である。

午後1時の状態を確かめたくて、時間待ちに食べるインスタント食品はマルちゃんのたらこ味ラー油仕立て俺の塩うまみ塩焼きそばだ。

どこで、何時買ったのかさっぱりと記憶がない。

ないが、たぶんにスーパーサンデイだろうな。

それはともかく、カップ焼きそばなら、お湯入れ3分のお湯捨て、ソース和えでできあがる。

念のためと思ってパッケージ表記に目を通す。

なんと、熱湯注ぎは1分。

水分吸収がとても早い麺である。

一般的に細い、例えばソーメンなんかは極細になればなるほど湯掻きが早い。

それと同じかと蓋を捲ったら、そうでもなかった中細麺である。

魔法瓶から注ぐお湯の出はちょろちょろ。

割合と時間のかかるお湯入れ。

なんと、商品は大盛の130gだから、お湯入れ量も多くなる。

だから、時間がかかる。

商品はお湯入れ1分間。

入れている時間だけで30秒もあったんじゃないかな。

で、あればどの時点をもって1分間なのだろうか。

麺が浸かるまでお湯入れしてからと考えるのが妥当と思って蓋をしてから1分間とした。

お湯捨て量も多いが、捨て穴が流れやすいようにしてあったのか、ジョンジョロリンであった。

食事どきに申しわけないが、これくらいの出方で排尿してくれたら、良いなと思った。

まずは液体ソース入れ。

真っ赤でもない朱色に染まっていくカップ麺。

ほのかに香るラー油が麺に満遍なく浸みこむように混ぜる。

ラー油のかかっているところは美味いが、白い状態の麺は美味くない。

底にとごったラー油を白い麺で掻き混ぜる。

そして、今度は粉末ソース。

ガーリックに味の決め手になるたらこの粒である。

パラパラ、満遍なくふりかける粉末ソース。



〆に刻み海苔もパラパラ落としてできあがり。

一口、箸で摘まんだ麺を口に放り込む。

味は美味い、であるが、当然ながら麺にコシはない。

たらこ味よりもインパクトのあるタラコのラー油・辛ソースが美味い。

混ざってない麺はやはり・・。

味のしない麺だ。

摘まんだ麺はすんなりと上がってこない。

麺が絡んだままだからまるで麺塊。

口に入れるのが難しい。

麺をゆすってほぐしたら、たらこがあっちこちに飛び跳ねる。

半分ほど食べて、はたと感じた。

味は美味しいのだが、麺がパサパサ。

口の中はカラカラ。

分量が多いからなのか、含んでいた水分が空中に消えていたからパサパサ。

このパサパサ感はなんとかならんだろうか。

とにかく食べるのが苦しい。

そういうたらこ味ラー油仕立て俺の塩うまみ塩焼きそばの食後感だが、食べきった空器を車中に置いていたら・・・。

ドアを開けて乗車する度に、ガーリックとラー油が混ざった美味しい香りに車内いっぱい包まれた。

(H30. 9.17 SB932SH撮影)