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デジカメ持って小旅行 秩父札所めぐり 1番四満部寺(しまぶじ)から10番大慈寺(だいじじ)まで(5)

2010-06-06 06:49:41 | 見て歩き

 いよいよ最後の二寺になった。九番目は、札所三番の常泉寺。地方道11号線から住宅に挟まれた細い道を行くと駐車場がある。両側に田んぼが広がっていてその先に森を背景に常泉寺はある。
 弘化4年(1847年)に消失したが、安政5年(1858年)に再建された。本堂左手の観音堂は、明治3年(1870年)に秩父神社境内にあった蔵福寺の薬師堂を移築。軒には見事な海老紅梁の龍の籠彫(かごぼり)を見ることが出来る。この籠彫というのは、彫刻の技法の一つ。籠のように内部を透かし立体的に彫り上げる方法。本尊は、聖観世音菩薩
         
         田んぼに囲まれた常泉寺への道
         
         薬 師 堂
         
          龍の籠彫
 そして最後の十番目。札所十番大慈寺(だいじじ)。同じ地方道11号線にある。道の脇に駐車場があった。ほんの少し歩く。石段を上がると仁王門がある。仁王像を撮ろうとしたがムリだった。撮影の便宜がない。延徳二年(1490年)秩父大宮郷の広見寺の東雄朔方禅師によるとも、明応二年(1391年)に同じく東雄禅師による再興ともいわれている。本尊は、聖観世音像で恵心僧都の作と伝えられている。
             
              仁 王 門
          
              本 堂
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デジカメ持って小旅行 秩父札所めぐり 1番四満部寺(しまぶじ)から10番大慈寺(だいじじ)まで(4)

2010-06-01 11:34:46 | 見て歩き

 七番目には、札所一番の四満部寺(しまぶじ)。小さいがお寺らしい雰囲気がある。本堂の観音堂は、元禄10年(1697年)建立。四満部寺の名は,性空上人の弟子幻通が四万部の仏典を読経して経塚を築いたことに由来する。
 また、曹洞宗で年中行事として行われる施食会(せじきえ)でも有名。施食会は、祖先、父母、親類、縁者の死者の魂である精霊または無縁の精霊に供養するために行われる。本尊の聖観世音菩薩は、行基の作と言われる。なお、
 このお寺の前に、時代劇映画のロケに使ってもいいような旅館がある。営業をしているのだろうかと外から中を覗いたりした。道路に面した広い店先の中は、テーブルが並べられていた。軒先に紐で吊るした板に「お休処」とかろうじて読める。
 「旅籠一番」という旅館名、インターネットで検索するとホームページがあった。なんと広い日本間や洋室まであって驚いた。あの建物の裏側に露天風呂まで設えてあるとは想像もできない。
        
         四満部寺
        
         本 堂
        
         旅籠一番
           
           字が消えかけている「お休処」の看板
 八番目の札所二番の真福寺へは、細い山道をたどる。真福寺左折地点を見過ごしこれまた山道を下っていって気がついて引き返した。万延元年(1860年)の消失前は、諸堂のある大伽藍であったという。現在の観音堂は、明治41年(1908年)に再建されたもの。老婆が観音様におすがりし、大棚禅師が開基したと伝えられている。納経は、山道を2キロ下った光明寺で行われる。徒歩ならハイキングのつもりで行かなくてはならない。本尊は、聖観世音菩薩
         
         真福寺本堂
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デジカメ持って小旅行 秩父札所めぐり 1番四満部寺(しまぶじ)から10番大慈寺(だいじじ)まで(3)

2010-05-29 13:01:07 | 見て歩き

 五番目として札所五番の語歌堂(ごかどう)も細い道を入ってここも十字路の角にあった。ここには仁王門があった。本尊の准胝観世音菩薩(じゅんていかんぜおんぼさつ)は、語歌堂と西国札所十一番上醍醐寺のみとある。慈覚大師の作と伝えられ、長寿や心の迷いを救う功徳があるとされている。
 語歌堂の名前に由来は、ある時観音堂で旅の僧と長興寺の大旦那である本間孫八が和歌の奥義を語り合っていたが、明け方に僧はかき消すようにいなくなった。孫八は、旅の僧が聖徳太子の化身と悟り、語歌堂と名づけた。この長興寺は250メートル離れたところにある語歌堂の納経場所である。
         
 六番目は札所四番の金昌寺である。ここは山裾のお寺らしいお寺だった。立派な仁王門が迎えてくれる。1300体以上の石仏や慈母観音(子育て観音)で有名。本尊は、十一面観音像。室町時代の作と言われる。
         
          仁 王 門
         
         
          本 堂
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デジカメ持って小旅行 秩父札所めぐり 1番四満部寺(しまぶじ)から10番大慈寺(だいじじ)まで(2)

2010-05-26 11:39:44 | 見て歩き

 三番目に訪れたのは、七番札所法長寺。本堂を牛伏堂とも言われ諸説あるようで、ある説では牛が伏して動かなくなり、去ったあとから十一面観音像が現われたことに由来していると言われている。
 秩父札所最大のこの本堂は、江戸時代の平賀源内の原図を元に設計されたと言われている。本堂の中に観音堂があるという珍しい造りで、観音堂には本尊の十一面観世音像が安置されている。
           
           法長寺正門
        
         本 堂
        
        本堂の中が見られないので本尊の写真を掲示してある
        
        こんなものもある。牛伏堂由来の石像

 四番目は、九番札所明智寺(あけちじ)。何の変哲もない十字路の角にある小さいお寺。建久二年(1191年)明智禅師の開創と伝えられる。このお寺は安産子育ての観音菩薩として有名らしい。本尊は、如意輪観世音菩薩
        
         明智寺
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デジカメ持って小旅行 秩父札所めぐり 1番四満部寺(しまぶじ)から10番大慈寺(だいじじ)まで(1)

2010-05-24 10:42:17 | 見て歩き

 今年最初の30度を越える暑さになった21日、秩父三十四箇所霊場めぐりに出かけた。国道299号線から秩父地方に入ったので、番号順と言うわけに行かない。8番西善寺(さいぜんじ)がまず初め。秩父市は秩父札所めぐりに力を入れているのか、標識が完備されている。細い道を進んで駐車場に着くと先客の車が停めてあった。こちらは三人のグループ。 門の入口に「当山は霊場につき、物見遊山の者、酒気帯びの者境内に入ることを禁ず」という恫喝の標識に少し脅える。わたしは紛れもなく、物見遊山の者だからだ。しかし、入る。
 このお寺は、文暦元年(1234年)開創といわれる。本尊は十一面観世音菩薩で、ほかに阿弥陀三尊が祀られている。欄間には彫刻の模様がたくさんあったので、掃除をしていたおばさんに聞くと奥に聞きに行ってくれた。返事は「分からない」だった。分からなくても当たり前だが、私が物見遊山者と見破られて適当にあしらわれたのかとも思った。私のひが目か。ここには埼玉県指定の天然記念物樹齢およそ560年、幹周り2,9メートル、樹高9メートルの「コミネモミジ」がある。新緑の葉っぱを大きく広げていた。駐車場からは、夏のような強い日差しに霞む武甲山の姿が眺められた。
         
          本 堂
         
          欄間の彫刻
            
             コミネモミジ
         
          武甲山を望む

 次に訪れたのは、六番札所卜雲寺。ここも細い坂道を登っていく。ここはちょっとした高台に位置する。本尊は、聖観世音菩薩。天明元年(1781年)作の「本尊並開基之縁起」によると、行基菩薩の作といわれている。
           
            この細い道を通る
         
         
          本 堂
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無性に海が見たくなって

2010-02-21 21:16:55 | 見て歩き
きのう久しぶりの快晴に恵まれ気温も上昇して、身を切られる寒さから解放された。こんな日は、どこかに出かけたくなるもので去年12月以来、海の匂いと音と色から遠ざかっていて無性に見たくなった。
 以前は山登りが趣味だったせいか、山や高原の景観が好きだった。ところが二年ほど前、娘が千葉県一宮にある海浜のマンションの一室を借りたときに一変した。娘はサーフィンに凝っていてその部屋を借りたのだった。
 娘が使う週末以外はほとんど空いているので、私が滞在していた。早朝の海辺の散歩、暑い真昼のサイクリング、暮れなずむ空の美しさを肌で感じていると、まるでなんの関心もなかった女性に徐々に惹かれていくように、海に鷲づかみにされ絡め捕られた。
 そんなわけで山はもう汗臭くて汚い存在になった。そして自宅を出た。最初に寄ったのは、千葉県館山市国分にある国分寺。国分寺は、天平13年(741年)聖武天皇が国情不安を鎮撫するため全国に建立を命じた寺院で、全国に71寺建立された。千葉県には上総、下総、安房の3寺が建立されている。
 このお寺もかつては広大な敷地を有していたのだろうが、今はひっそりと地元の菩提寺になっていた。丁度、どなたかの葬式なのだろう、遺影を掲げた人の列が通り過ぎた。ふと、見送ってくれる人がいるのは幸せだろう。もし私が図らずも100歳まで生き延びて一人で死ぬ羽目になったらという思いに囚われた。
 それも一瞬ですぐに次の海の見える場所へ気持ちは飛んでいた。通り一遍の表現かもしれないが、青い空に青い海、白い波は、心を穏やかにしてくれる。お寺にも癒されるものがあるが、大自然の海にも人知の届かない計り知れない力を感じることが出来る。そのせいか夕食に飲んだジンのシーカーサー割りは、さっぱりとしていて実に旨かった。
       
       国 分 寺
       
       国分寺の庭に咲く梅の花
       
       国分寺のにわに咲く梅の花
       
       白砂の千葉県守谷海岸
       
       太東崎灯台の崖
       
       茫洋とした九十九里の浜とサーファー


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千葉の浜辺から(No6)

2006-07-11 11:33:43 | 見て歩き
 千葉県はどんなイメージで見られているのだろうか。ある時期、埼玉と並んでダサい地域と揶揄されこともある。今はどうなのかよく分からない。
 
 そういう雑音は別にして、端的に言えば海と花といえるだろう。ほとんどが海に囲まれ温暖の地として厳寒期の2月でも花の話題に事欠かない。それに、ひっそりとした観光地があることも事実だ。京都や奈良と比べると、精彩に欠けるがまた別のよさを味わうことが出来る。

 その中の一つに、坂東三十三観音札所の第三十一番札所として巡礼の霊場となっている笠森観音がある。関東ふれあいの道「観音様の道」の起点にもなっている。細かい来歴は省くとして、1028年(長元元年)に建立、1958年(昭和33年)に全面改修されたという。
 無料の駐車場があって、本堂への階段の木陰に暑さが和らぎ、吹き抜けるそよ風が心地よい。「四方懸造(しほうかけづくり)」の本堂から、周囲のやさしい自然林が見渡せる。
                
                大きな岩の上に建てられている観音堂
                
                本堂まで長い階段を登る。途中の踊り場から見上げる。
                
                本堂の四方懸造からの自然林、本堂に入るには100円が必要。
                
                  本堂の床下
                
                「関東ふれあいのみち」整備された道であるが、歩くには交通が
                 不便なのが難点。
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千葉の浜辺から(No5)

2006-06-30 12:59:31 | 見て歩き
 長年千葉に住んでいるのに、その千葉を知り尽くしていないことがはっきりと分かった。千葉の海岸線が外房、内房とも関東ローム層の影響で黒いものと思い込んでいた。そうではなかった。
               
                一宮の海岸は、九十九里浜の一角を占めていて、浜辺の砂は
                黒い。
               
                 大原あたりも少し黒さが薄くなる程度。
               
                 御宿の海岸では、色が明るくなっている。
               
                 勝浦から南の守谷海岸は白砂に近い。小さな湾になっていて
                 水もきれいで子供たちを連れてくるには格好の場所だろう。
                 海岸の背後に大きな駐車場があった。もうすぐ車で埋め尽くされる
                 のだろう。
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千葉の浜辺から(No4)

2006-06-18 14:22:11 | 見て歩き
 関東ふれあいのみち「九十九里の砂を踏みしめて歩くみち」の起点は、JR外房線の「東浪見(とらみ)」駅から始まる。朝6時から7時台は一時間に4本運転され、8時以降夕方5時台まで一時間に一本の運転という極めてのんびりとしたもの。

 物好きにも、その駅を見に行った。国道128号線に車を走らせながら駅への標識を探したが、そんなものはどこにもない。国道を行ったり戻ったりしながら地図で確かめ、見当をつけて細い道に入った。
 駅は集落に溶け込んだように、背景が森になっている寂しい風景の中にあった。駅は有蓋貨車を改造したもので、もちろん無人駅だ。駅前に商店街もない。うらびれたトイレと名前は知らないが、一本の木が広場といえる場所に立っているだけだった。
                
 時計を見るとちょうど午後1時前の列車が到着する時間で、プラットホームに上がった。その日は気温が高くなり蒸し暑く、海は霞んでいるように煙っていて、風の音も人家に生活音の気配もなく、列車が構内に入ってくる音が唯一静寂を破る音だった。
                
 構内に入ってきたのは四両編成の千葉行き普通列車で、車内はまばらな乗客が散らばっていて、ここから乗り込んだのは3人だけだった。夏休みシーズンになると、海水浴の子供たちの嬌声に満たされるのだろうか。列車が発車したあとは、再び気だるい午後の風景に戻った。
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千葉の浜辺から(No3)

2006-06-11 11:09:00 | 見て歩き
 関東ふれあいのみち「九十九里の砂を踏みしめて歩くみち」は、太東漁港から太東崎灯台にも立ち寄る。
 小さな可愛い灯台ではあるが、海抜58メートにあり、灯台の高さは15.9メートル、光の届く距離は約41キロという。この41キロが長いか短いか。JRの路線距離で千葉から東京は39キロ、光の到達距離はかなり遠くまで届いている。
                
 千葉県内で有名な灯台は、犬吠埼灯台であろう。この灯台は高さ27メートル、光到達距離約36キロという。光の到達距離は建物の大きさとは関係がないみたいだ。

 元へ戻って、太東崎灯台には歴史的な場所がある。それは機関銃座跡である。ここには電波探知機が据えられていて、米軍の空母から飛び立ったグラマンF14艦載機や硫黄島からのP51戦闘機の攻撃目標となり、それに迎撃したと説明がある。電波探知機の行く末や交戦の結果などは書かれていない。
 東京空襲の折、戦闘機が日本軍の火器をまず叩き、後続のB29爆撃機を誘導したのではないかと推測する。戦争末期で日本軍の抵抗はほとんどなかっただろう。
                
 そういう時代のことをふりかえってこの盛り土を見ていると、米軍の沖縄上陸に逃げ惑い崖から身を投げる女性。日本の都市の夜空を真っ赤に染めた空爆、爆裂音で防空壕が揺れた記憶が生々しく甦る。太平洋は赤みを帯びた夕暮れの陽射しに、波頭を染めながら変わらぬ胎動を繰返していた。
                 
 これが日本の都市を廃墟にした立役者B-29、日本軍の高射砲も戦闘機も弾が届かない様子が、空爆で明るい夜空で確認できた。なんとも歯がゆい場面だった。敗戦はなるべくしてなったという想いで、驚きや悲しみはなかった。
                 
                 灯台から見る大原方面の海岸線
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