戦場のようなキッチンで汗を流し火傷を負い指や手におびただしい切り傷をつけながら、仲間のコックやウェイターの指揮をとって、一晩で膨大な料理を作る総料理長。それも温かい料理、冷たい料理、焼いたもの、揚げたもの、煮たものを同時に何人前かを出さなくてはならない。
私たちがレストランへ行って何気なく注文する一皿に、いろんなドラマが潜んでいるとは思いもしなかった。人生の喜びや哀しみに震えながら、今日も一皿を盛り付ける。そこにはその人の思いがこもっているのだろうか。
こよなく料理を愛し食べることにも貪欲なアンソニーシェフは、人気レストラン「ブラッスリー・レアール」に勤めていた。ある日オーナーから、東京店をニューヨークと同じようにしたいという要請を受けて地球の反対側に行くことになる。
14時間しかも煙草の吸えない14時間は、恐怖の時間だったが、何とか成田についた。そして六本木にある東京店へ。一週間の滞在中オーナーの一人フィリップが案内したすし店での刺身などの賞味に大感激したり、一人でそば店に入って食べた日本食にも舌鼓をうつ。それに、築地市場の素晴らしさに触れている。「東京の魚市場である築地に比べたら、ニューヨークのフルトン・マーケットなど足元にも及ばない。築地市場は規模もずっと大きく、品物も充実していて、ただ見物するだけでも一度は訪れてみる価値がある」
私にとってこの築地という地名は、自分の家から出て角を曲がるように慣れ親しんだところであり、懐かしさがこみ上げてくる。浄土宗別院の築地本願寺の境内を通り抜けたり、東側の道路を歩いて勤め先のあるビルに通ったりしたものだ。
この築地について人類学と日本研究のハーバード大学教授テオドル・ベスター著「築地」にも世界の中心とまで言い切る市場だ。
素晴らしい日本の一週間を過ごしたアンソニー・ボーデインは、現在ブラッスリー・レナール、ニューヨーク店の総料理長をしている。それから、六本木の東京店は現在は無いようだ。