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読書 瀬戸内寂聴「源氏物語 巻一」

2010-09-19 16:09:05 | 読書
               

 正直言って稀代のプレイボーイ光源氏に没入できなかった。この巻一には、17歳から18歳の恋の遍歴が収められている。一言で言えば、光源氏が文武両道といいながら、絶えずめそめそしていつも悩んでいて部屋にこもったりする。

 夕顔という女と淋しげな邸で夜を過ごしている時、『とろとろとお眠りになられたそのお枕上に、ぞっとするほど美しい女が坐っていて、「わたしが心からほんとうにすばらしいお方と、夢中でお慕いしていますのに、捨てておかれて、こんな平凡なつまらない女をおつれ歩きになって御寵愛なさるとは、あんまりです。心外で口惜しく悲しゅうございます」と言いながら、源氏の君の傍らに寝ている女に手をかけ、引き起こそうとするのを、夢にご覧になります』これがもとで夕顔が死んでしまう。
 不思議なのが、夢を見たのが源氏なのに、なぜ夕顔が死ぬのか。何かの祟りか? 不可解!いずれにても沈み込む源氏。

 この夕顔という女は、源氏好みの女だった。控えめで言いなりになる女。ところが夕顔はいたずらっぽく抵抗するそぶりも見せる。それは歌の返歌でであった。こまやかな愛の一夜とはげしい愛の疲れを経ていても、源氏は覆面をしている。お忍びのお通いということもあるのだろう。これほど深い仲なのにいつまでも覆面というのも詮無いこととも思ったのか、源氏は覆面をとり払った。そして源氏は歌を夕顔に贈る。

夕露にひもとく花は玉鉾(たまぼこ)の  たよりに見えし縁(え)にこそあれ

「夕べの露に花が開くように 私が今覆面を外し 顔をお見せするのも あの通りすがりの道で 姿を見られた縁からだ」

「どうですか、白露の光と言ったわたしの顔は」とおっしゃいますと、女は流し目にちらりと見て

光ありと見し夕顔の上露は  たそがれどきのそら目ないけり

「露に濡れ光るように 輝いて見えたお顔は 今近くで見ると それほどでもないあれは たそがれ時の見まちがい」

とかすかな声で言う夕顔に源氏もにやりとする。

源氏物語の白眉は、この歌にあるのは確かだ。これがないと単なるいちゃいちゃした恋物語でしかない。

 すべての女が源氏の姿に惚れ惚れと見入るか、遠目に見てため息をつく。美しい光源氏といわれても、具体的にどのように美しいのかサッパリ分からない。もっとも、読者に好みの美貌をイメージさせる効果はある。作者の紫式部はそのように考えたのかも知れない。ちょっといい女を見つければ、すぐ手を出したがる好色な男の話を、これでもこれでもかと書かれると疲れてくる。

 あまり風呂に入らないので体臭を香でごまかし、食べるものもお粥となれば夜の営みが魅惑的なものとも思われない。瀬戸内寂聴に、「日本が世界に誇る文化遺産として、筆頭に挙げてもいい傑作長編の大恋愛小説である」と言わしめている。どう思うかは読み手次第で、わたしはこの巻一で充分だ。

 原作者の紫式部は、不美人で結婚も遅く自分の父ほどの年齢の藤原宣孝(のぶたか)と結婚、一人の女の子を産む。宣孝は子供を授けて病死する。結婚生活は、わずか三年余り。その後、男との浮いた噂はなかったらしい。その空虚を埋めるために、この源氏物語を書いたのかもしれない。と瀬戸内寂聴は書いている。

 あるいは、とわたしは思う。紫式部が理想とする男を夢に描いていて、夫の死後その空虚感を補うために、それを物語にしたのではないだろうか。この世に存在しないような美しい男に抱かれる妄想が、この作品を生んだと言ってもまんざら間違いでもないかもしれない。