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読書「小説石田三成」童門冬二

2012-07-21 13:19:11 | 読書

                 
 つくづく思うのは、歴史小説というのは難しいものということだ。著者も言っているが“「歴史学では、Uターンしたり、バイパスを通ったり、あるいはもし(if)というシュミレーションは許されない」ところが、歴史作家のほうは多少無責任だから、Uターンしたり、バイパスを通ったり、あるいはもし(if)などを持ち込んだりする。この辺が、歴史学者と作家との違いだ。

 ただ、小説を書く場合にも「守らなくてはいけない点」というものが存在する。それが史実であったり、あるいは「長年常識化されている伝説」である”  で、小説と断りが入っているので読んでみた。
 ほとんどが三成の公的な部分で教科書的な人物造形は魅力的でない。三成にも家庭があって子供も育てていたはずなのに、業績の羅列を読むならこの本にすることもない。

 特に感じたのは、天正15年(1587)の九州征伐だ。秀吉は20万の大軍を派遣した。島津義久の降伏に異を唱え大口城に籠もった島津家の宿将新納(にいろ)忠元の説得に石田三成を派遣した。記述には「懇々と説得した」とあるだけで詳細はない。

 史料に具体性がなかったのかもしれないが、三成の性格や当時の状況などに思いをめぐらし想像力で説得した文言を創作できなかったのか。と思う。それからもう一つ面白いのがあった。

 家康の「分断政治」についてだ。それは権限と責任を段階的に多くの人間に分け与えるということ。そうだろうなあ。鉛筆一本買うのにも部長の許可が必要ならなんとも窮屈な職場と感じるだろう。担当者の裁量ならのびのびと仕事が出来る。
 しかし、当然なこととして権限には責任がついて回る。ところがこれの運用を誤魔化すトップが現れたらなんとも釈然としないのも確かだ。家康は、権限を委譲してあるから責任は部下にあると言って知らん振りをしたという。

 そこで俄然思い出したのが、小沢一郎だ。「秘書にすべて任せてあるから、私は感知していない」言い逃れは家康並だ。ひょっとして小沢一郎の崇拝する人物は徳川家康かもしれない。いつの時代も人間関係はついて回っていることに変わりはない。三成も秀吉という男に身命をなげうつ覚悟だったというから、そういう主従の関係は会社の中でも見受けられるから良い上役にめぐり合った部下、有能な部下に恵まれた上役という相乗効果でますます存在感がいや増すということになる。

 城主に出世していく三成だが、酒はどのくらい飲むのか。妻とは円満なのか。子供との関係はどうか。近所づきあいはどうか。仲間との付き合いはどうか。お城の女たちからの誘惑はなかったのか。好きな食べ物や嫌いな食べ物は? 三成はやや変人ということが分かっているぐらいで、この小説からは何も分からない。というわけで、期待したがやや不満が残った。