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旅「11日間のスリランカNo 3」

2012-09-19 13:16:36 | 旅行

 飛行機に乗るときも、降りるときもシンハラ語のアーユボーワン(こんにちは、さようなら、おはよう、こんばんは)で済む。そのアーユボーワンに送られて多種多様の国籍を持つ人たちに交じって入国審査に向かう。
           
 どこの国でも同じように、公務員は無愛想が通り相場なのだろう。考えてみればクリエーティブな側面がないだけに、ただ流れるだけの毎日なのだろう。無愛想な男にサンキューと言って荷物を取りに行く。このぐるぐると回る回転コンベアーに人だかりが見え荷物の出が遅い。まさにスリランカ・タイムだ。
 私たちの荷物は比較的早く出てきた。円からルピーに両替の間、息子はツアー・ドライバーを探しに行った。30,000円から48,000ルピーに両替された。確か換算率が1,66だった記憶がある。日本国内では円高円安が株価にも影響するが、海外旅行では円安の恩恵を体感した。
 両替の内訳は、殆どが1,000ルピーだが少し100ルピーも混ぜてある。こちらから内訳を言ったわけでもないが、スリランカもチップの国だから小銭を混ぜてあるのだろう。
 息子がドライバーを伴って現れた。そのMrスランガは歓迎の花束とレイをかけてくれた。空港でよく見かける人待ちのプラカードに「nurai」とあるのを見て,、息子は「n」は「m」が正しいと言ってMrスランガを笑わせていた。自己紹介のあと空港ビルから出るとむっとする空気に包まれた。蒸し暑い。「車を持ってくるからここで待ってて!」とMrスランガ。出迎えの車でごった返していた。私の体調は、まずまず順調というか体調のことに気が回らなかった。トヨタの大型バンがMrスランガの車。エアコンで車内は快適だった。
            
 最初の宿泊地ネゴンボのジェット・ウィング・ビーチ・ホテルへ向かう。コロンボからネゴンボへの幹線道路に右折する交差点に信号がない。これが最初の驚きだった。日本で住宅地の中まで信号機が設置されているのとを比べると驚くしかない。以後、ツアー中、信号のある交差点は片手で数えられるくらいの少なさだった。それでも大きな事故を見たことがない。
 コロンボ市内でも数箇所しかないから「へえー、ここを通るの?」と考えられないような交通事情だったが、スリランカ人は当たり前のように意味のないクラクションを鳴らしながら通り抜ける。スリランカは、図々しい根性が必要らしい。
 そして交通事情にも驚いたが、もう一つ驚きが待っていた。宿泊のホテルでの夕食のプランが含まれていないことから、Mrスランガに外で一緒に食事をしようと9時半にフロントで待ち合わせることにした。その時間に降りていくとMrスランガが来ていて「車で行こう」という。 ホテルの近所にレストランはないのだろうか。そんな気持ちから、ちょっと怪訝な気分になった。
 車で連れて行かれたのは、食堂というようなところだった。そこでもう一人のスリランカ人が現れた。この男はよく喋るし日本語はMrスランガよりも遥かに流暢だ。ビールを飲みながらエビ料理や魚料理をつまみながら事情を聞いていると、実はMrスランガはこの男で、空港に迎えに来たのがMrランガだということが判明した。「サプライズを演出したんだ」とMrスランガは言うがツアープランにはドライバー1人しか書いていない。ここで文句を言ってもよかったのかもしれない。しかし、雰囲気は陽気で屈託のないよく喋る男のペースになり自動的に二人の男が同行することになった。一人分追加の料金請求があれば拒否すればいいだけのこと。ただし、チップは二人分の出費と相成る。
 この二人になった理由をMrスランガは、観光地の駐車事情を説明する。客を降ろして車を移動させなければならない。その時、物売りや物乞いに囲まれては困るから誰かスリランカ人がいるほうがいいという。二人ならそれができるというわけ。で、最終的には二人分の請求はなかった。多分、Mrスランガが自腹を切ったのかもしれない。Mrスランガは、このツアー会社に11年間勤めているとも言っていた。結局夕食は12時近くに終わった。(つづく)