一人の人間を描くとき、絶海の孤島ならいざ知らず、複数の人間との接触を避けることはできない。ここでは、一人一人の人間が違和感なくつながっていく。そして人の心の動きが精緻に語られる。
2008年の初夏、滋賀刑務所から五年の刑期を終えて出所した緒方隆雄。オガタ タカオと読む。罪名は、強盗致死罪。それは、ホームレス仲間と夜間ある住宅に忍び込み、隠し金庫から現金三千万円をずた袋に詰めているところへ,家人の主婦が顔を出した。その主婦をスパナで昏倒させ、物音に気付いた夫をペンチで頭を殴打して死亡させた。緒方隆雄は、外で見張りについていて共同正犯の罪に問われた。
滋賀刑務所での緒方隆雄の親しい男が、高齢の久島という。久島は、64歳のとき、認知症の妻を首を絞めて殺した罪で服役。仮釈放されても、行き場所は路上しかない。窃盗、寸借詐欺、無銭飲食を繰り返して、5度捕まり5度出所して、今は6度目の懲役。その久島から教わったのは、宗教への目覚めだった。
「おれの人生どうして悪いほうへ悪いほうへ傾くのか。 とずっとおかしいと思ってきた。バブルがはじけて、いくら不景気や言うても、運が悪すぎる、 と。しかし、これが宿業やったら、逃げ道はないな。どないしたらええんや」と緒方隆雄が呟く。
久島は「南無阿弥陀仏、と唱えるんや。阿弥陀さんはな、仏になる前の菩薩の位にあるとき、阿弥陀さんと呼ぶものがおれば、その者を浄土に迎えてやろうという誓いを立てなすった。もしその誓いが成就されなければ仏にならぬ、と決心されたんや。たとえ極悪人であろうと、ナンマイダと唱える。そのとたん、阿弥陀さんが飛んできて、救うてくださる。そのとき、そこがもうそのまま浄土となる理屈や。汚れたこの世のその場所が、浄土となるんや。そやから、浄土とはな、極悪人が仏になるとこを言うんや」どうやらこの宗教、浄土真宗のようなのだ。
浄土真宗の教義に「悪人正機(あくにんしょうき)」という重要な意味を持つ思想の「”悪人”こそが阿弥陀仏の本願による救済の主正の根機である。阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると自覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることと知りえる」という意味らしい。これがこの物語の終末に凄惨な形で現れる。
物語の舞台は大阪。大阪駅でSFまがいに緒方隆雄が二人に分割される。分けられた片方の緒方隆雄の出生からの生い立ちが語られる。
京都・伏見区にある専門学校で、システムエンジニアを目指したが、途中でマスコミ・編集学科進んだ。中華料理チェーン店でアルバイトの途中で卒業、就職先が見つからず、店長の計らいで仮採用となった。三年が過ぎて店長候補とまで言われたが、誤解の上の同性愛者と見られ退職するハメになる。
次に就職したのは、近鉄奈良線生駒トンネルに向かう途中にある石切駅下車の新興宗教「さには真明教」だった。在職中、編集学科の知識が役に立って本人は張り切っていた。そこへ阪神大震災。車を連ねて救援物資を運ぶが、ここでも神がかり的な事象も起こる。
災害時と言うのは、人間の不安心理が増幅して入信する人が多い。「さには真明教」も信者が増えた。阪神大震災は、緒方隆雄にも幸をもたらした。知り合った看護師の鳥海ゆかりと結婚した。幸せは続かず、ある日ゆかりが謎の失踪をした。
教団の信者が増えるに従い、政治家、有名大学教授、俳優、タレント、作家、評論家などにも触手を伸ばし、機関広報誌「サニワ」の巻頭を彼らが飾った。そんな中、緒方隆雄は毎月の校了期、編集・取材費、稿料・インタビュー料などの精算時水増し請求を思いついた。これもすぐにばれてクビ。
このあたりから転落が始まっていく。次に職探しの合間に手伝ったおでん屋の火事で全くの失業者。それに加えて、薬物のアンフェタミン吸引の鳥海ゆかりがベランダから飛び降りて死亡したという知らせだった。怒りや憎しみ悲しみでなく無気力が支配した。刑事から渡された遺品の想い出のCD「レーニョ・ベルデ」を聴くこともなく、ハサミで寸断した。
さまよいながら川原で段ボールの家に住み着く。そこで知り合った二人の男とともに盗みに入った。
出所した後、天王寺駅中央改札口で、緒方隆雄は分身と合体した。紀伊田辺へ向かう列車を無賃乗車。海辺の小さな村をさまよう。空腹に悩ませられているとき、親切な老婆に出会い入浴と食事と寝床にありついたが、夜中に金目の物を物色していると、老婆に見つかる。老婆は何も言わず、自分の部屋に戻る。緒方隆雄は、刃渡り20センチの菜切り包丁を握りしめ老婆の部屋の障子を開ける。そこには爺さんと婆さんが優しい目つきで緒方を見上げた。
「お金をあげたいけど、うちには一銭もないんや」緒方は膝をついて、包丁を向ける。二人は穏やかな表情で緒方に向かって手を合わせ「南無阿弥陀仏」を唱えた。「……で降りるんや。仏さんに会えるで」と久島のじいさんが言ったのは、ここのことやったんか。と緒方隆雄。
血まみれになった包丁を眺めながら、おれは死刑になるという、近い将来の見通しが立っている。流れに流された人生に、はっきりとした目標が示された。たとえ死刑という現実であっても、ようやく自由になれたと思える。阿弥陀仏の化身、爺・婆のおかげ。神がかりなSF。主題がはっきりと明示されるエンディング。この小説をどう読み解くかはそれぞれでしょう。